堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s Bar 一杯分だけ、話そうか。#8 MTV、YouTube、そして教育の本質

教育界随一の論客、堀 裕嗣先生による新連載第8回。教育というジャンルに留まらず、広い社会的、歴史的視野に基づいた縦横無尽な論考をお届けします。毎回最後のコラムでは、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1.MTV前夜―「観る音楽」はこうして準備された
1981年8月1日。アメリカで一つの風変わりなテレビ局が産声を上げた。24時間、ミュージックビデオ(以下「MV」)を流し続けるテレビ局である。当時、その開局が時代を変えることになるとは誰も思わなかった。しかし、それがやがて、人々の「音楽との付き合い方」そのものを変えることになる。
そのテレビ局の名は「MTV」。
開局の日、最初に流れたMVは「Video Killed the Radio Star」(The Buggles/1979年/邦題「ラジオスターの悲劇」ザ・バグルス)と言う。映像がラジオスターを殺した。タイトルそのものが、新しい時代の到来を予言していた。
私はこの年、中学3年生だった。まだ開局したばかりのMTVを知らない。それから一年ほどすると、その存在は洋楽好きの若者たちの間で急速に知られるようになっていく。高校に入学したばかりの私も、その熱狂の中にいた。登下校のバスの中で、教室の隅に集まって、一緒にレコードショップに行って、時には喫茶店で珈琲を飲みながら、私たちはMTVに流れるMVやアーティストについて語り合うのが常となった。新しいMVは、翌日の話題の中心だった。
なぜMTVは私たちをかくも熱狂させたのか。それから45年が経って、いまなら明快に答えることができる。MTVが、音楽との付き合い方を変えたのだ。それまで私たちは、音楽を耳で楽しんでいた。しかし、MTVの登場によって、私たちは音楽を耳だけでなく、目でも楽しむようになった。アーティストもまた、「歌う人」であるだけでなく、「見られる人」にもなっていったのである。
Video Killed the Radio Star/映像がラジオスターを殺した。
MTV開局一曲目に、この曲が選ばれたのは偶然ではない。そのタイトルは、まさにMTVというメディアが切り開く新しい時代そのものを象徴していたのだ。
当時の若者が「観る洋楽」に熱狂し始めたのは決して故無きことではない。1970年代、カラーテレビが完全に普及し、テレビ時代の音楽の楽しみ方が広がっていく。世に言う「アイドルブーム」である。
それ以前のスターは「銀幕」のスターたちであった。美空ひばり・江利チエミ・雪村いずみの「三人娘」を筆頭に石原裕次郎・加山雄三・小林旭・勝新太郎らが人々の注目を集めていた。それがカラーテレビの普及により、十代の可愛らしいアイドルたちがテレビを独占し始める。中森明夫によってアイドル第1号と称される南沙織を皮切りに、麻丘めぐみ、天地真理、小柳ルミ子が「新三人娘」と呼ばれたのが70年代の前半である。その流れは山口百恵・桜田淳子・森昌子の「花の中三トリオ」へと引き継がれていく。キャンディーズ、太田裕美、岩崎宏美といった個性的なアイドルたちも現れ、アイドル乱立時代へと突入していく。この時期は「新御三家」(西城秀樹・郷ひろみ・野口五郎)と沢田研二こそ安定していたものの、多くの男性アイドルがデビューしては消えていった。70年代の日本の音楽シーンも、実は既に「聴く歌」から「観る歌」へと変わっていたのである。その究極として現れたのが、ミーちゃん・ケイちゃんのピンクレディだった。
そんな中、1978年1月に「ザ・ベストテン」の放送が始まる。黒柳徹子と久米 宏が司会を務める、あの伝説のランキング番組である。多くのアイドルたちに加えて、世良公則&TWIST、原田真二、Char、サザンオールスターズなど、それぞれの個性は異なりながらも「観る」要素を色濃く持った歌い手たちをこの番組がスターダムにのし上げていった。また、テレビには出たくないと「出演拒否」する歌手たちも話題となる。中島みゆき、矢沢永吉、南こうせつ、松山千春、甲斐バンド、松任谷由実……。アイドルとは異なるフォーク系、ロック系、ニューミュージック系と呼ばれる歌手たちがテレビを拒否するという形で、逆説的に存在感を高め始めていく。70年代後半は、アイドル歌手とニューミュージック(フォーク・ロックを含む)とがバランスよく私たちの目の前に現れていた。そんな時代だった。
しかし、80年代を迎えると同時に、時代はこれまでと次元の異なるアイドルブームが巻き起こる。松田聖子・中森明菜・小泉今日子、田原俊彦・近藤真彦・少年隊といった80年代アイドルの登場である。彼ら彼女らは「ザ・ベストテン」のランキングをほとんど独占し始める。「ザ・ベストテン」を見ても、最初から最後までアイドルだらけ。この番組がまるでアイドル番組のようにさえ思えてくる。「聴いて、観る」はずだった音楽が、この頃から急速に「観る」比重を高めていく。それだけにこの時期のグリスタル・キングやもんた&ブラザーズ、寺尾 聡といったどこか尖った印象のある歌い手たちを大ブームへと押し上げたところがある。
いずれにせよ、この時代、「観る」だけでは物足りない、ちゃんと「観て、聴ける」音楽に触れたい、アイドルに興味のない若者たちは自分たちが熱狂できる音楽文化に飢えていた。
1981年、そこに現れたのが「MTV」だった。
そして1982年、私たちにそれを翻訳する形で始まったのが小林克也の「ベストヒットUSA」だった。
このとき、日本の若者たちは既に「MTV」を受け入れる準備を終えていたのである。
2.MTV革命―スターは「歌う人」から「見られる人」になった
1982年12月。世界的な「事件」が起きる。マイケル・ジャクソンのアルバム「Thriller」の発売である。
実は当時のMTVはロック中心の編成を理由に、黒人アーティストのMVをほとんど放映していなかった。そこへ送り込まれたのが「Billie Jean」である。その完成度の高さとレコード会社の強い働きかけの前に、MTVはついにマイケルの放映へと踏み切る。この一本が壁を破った。「Billie Jean」の成功によって、「Beat It」「Thriller」と立て続けにマイケルのMVが流された。1983年が誰が見てもマイケル・ジャクソンの年となった。MTVはマイケル・ジャクソン抜きでは語れないメディアとなり、逆にマイケル・ジャクソンもまた、MTV抜きでは「あのマイケル」にはなり得なかった。
1983年のビルボード年間チャートを眺めてみると、MTVが何をもたらしたのかがよくわかる。そこには、それまでのロックスターとは少し違う、新しいタイプのスターたちが並んでいる。
1 Every Breath You Take/The Police
2 Billie Jean/Michael Jackson
3 Flashdance… What a Feeling/Irene Cara
4 Down Under/Men at Work
5 Beat It/Michael Jackson
6 Total Eclipse of the Heart/Bonnie Tyler
7 Maneater/Daryl Hall & John Oates
8 Baby, Come to Me/Patti Austin & James Ingram
9 Maniac/Michael Sembello
10 Sweet Dreams (Are Made of This)/Eurythmics
11 Do You Really Want to Hurt Me/Culture Club
このランキングは、もはや「ヒット曲の順位表」ではない。「MTV時代の主役一覧」である。
この顔ぶれを見ていただきたい。ザ・ポリス、マイケル・ジャクソン、メン・アット・ワーク、ボニー・タイラー、ホール&オーツ、ユーリズミックス、カルチャー・クラブ……。私たちの世代が『ベストヒットUSA』で毎週のように目にしていたアーティストたちがずらりと並ぶ。彼らは歌が上手く、演奏も優れていた。しかし、それだけではない。MVの中で圧倒的な存在感を放ち、「観られる」ことまで含めてスターとなった人たちだった。
この年間ランキングには入っていないものの、この年にはデュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、トンプソン・ツインズといった若手イギリス勢が台頭し、エルトン・ジョン、デビッド・ボウイ、ロッド・スチュアート、ビリー・ジョエルといったベテラン勢もまた印象的なMVを発表し始める。MTVに登場しないことは、もはや世界の音楽シーンから取り残されることを意味し始めていた。
続いて1984年を見てみよう。
1 When Doves Cry/Prince
2 What’s Love Got to Do with It/Tina Turner
3 Say Say Say/Paul McCartney & Michael Jackson
4 Footloose/Kenny Loggins
5 Against All Odds (Take a Look at Me Now)/Phil Collins
6 Jump/Van Halen
7 Hello/Lionel Richie
8 Owner of a Lonely Heart/Yes
9 Ghostbusters/Ray Parker Jr.
10 Karma Chameleon/Culture Club
1983年が「MTV革命」の始まりだとすれば、1984年はその完成の年だった。もはやヒット曲にMVが付くのではない。MVそのものがヒット曲を生み出す時代が始まっていた。この年はティナ・ターナー、ライオネル・リッチー、イエスといったベテラン勢もまた、MTV世代を意識したビデオを制作するようになった。もはや新人だけではない。生き残ろうとするベテランたちが「観られる音楽」へと舵を切っていったのである。こうしてMTVは若手をスターにするだけでなく、一度時代の表舞台から遠ざかっていたベテランたちを再び表舞台へ押し上げるメディアへと成長していく。後年のアレサ・フランクリンやディオンヌ・ワーヴィック、ジェームス・ブラウンらの再評価も、その延長線上にあった。MTVは新人を輩出するのみならず、ベテランを「もう一度スターにする」メディアでもあったのである。
3.MTV隆盛―革命の渦中で「革命」は見えない
「MTV」が完成した1984年。その本質は年間ランキングだけでは見えてこない。重要なのは、どんな曲が売れたかではなく、一年間を通して音楽文化がどのように変化していったかにある。
1984年の幕開けを飾ったのは、83年に続いてマイケル・ジャクソンだった。ポール・マッカートニーとのデュエット「Say Say Say」、そして何よりアルバム「Thriller」からの第7弾シングル、タイトル曲の「Thriller」である。皆さんもよく知るように、50万ドル以上の制作費をかけた伝説のMVである。
夏に大爆発したのはプリンスだった。「When Doves Cry」が空前の大ヒット。その後、「Let’s Go Crazy」「Purple Rain」「I Would die 4 U」など、アルバム「Purple Rain」からカットされたシングルが次々とチャートを駆け上がっていった。しかし、このアルバムの凄さはアルバムとして売れたということだけではなかった。このアルバムはプリンス主演の同名映画「Purple Rain」のサントラ盤だったのである。しかもこの映画の中でプリンスはミュージシャンとしてこれらの曲を歌う役である。アルバムは映画のサントラ盤として機能し、映画がアルバムの物語性のあるMVとして機能する。プリンスは、アルバム・映画・MVを一つの作品へと融合させ、MTV時代の表現を一段先へ押し進めたのである。プリンスは一人で「MTV」の機能を体現してしまったと言える。
更に興味深いのは、この時期に映画とポップミュージックとの結び付きが急速に強まったことである。映画のサントラ盤からの大ヒットがとても多いのだ。年間ランキング入りしている曲だけでも、映画「フラッシュ・ダンス」からアイリーン・キャラとマイケル・センベロ、映画「フット・ルース」からケニー・ロギンス、映画「カリブの熱い夜」からフィル・コリンズ、映画「ゴースト・バスターズ」からレイ・パーカーJrと、No.1ヒット目白押しである。その他にも映画「ウーマン・イン・レッド」からスティーヴィー・ワンダー、「フット・ルース」からはデニース・ウィリアムスもチャートNo.1を獲得している。プリンスはおそらくこの構造にいち早く気づき、「Purple Rain」で壮大な実験を試みたのだと思われる。それが大当たりしたわけだ。
年末に爆発したのはマドンナだった。83年末からスマッシュヒットを継続的に繰り出していたマドンナが、84年末、遂に「Like a Virgin」で大ブレイクを果たす。そのルックスからマリリン・モンロー以来のセックス・シンボルと呼ばれ、80年代以降、歌にダンスにと時代を席巻する大ヒットの先駆けとなったのがこの曲である。
1984年は、年の初めをマイケルが、夏をプリンスが、そして年の終わりをマドンナが支配した一年だった。この3人は周知のように、この後の80年代ポップカルチャーを象徴する存在になっていく。こうして、MTVは単なる音楽番組ではなく、「時代のスターをつくる装置」へと変貌したのである。
アルバム、MV、映画が融合して時代のスターをつくる。この構図は翌年もそのまた翌年も連綿と続いていく。そんな新時代をつくる契機となったのがMTVの開局だったのである。
Video Killed the Radio Star/映像がラジオスターを殺した。
開局して最初に流れた一曲が、MTVというメディアが切り開く新しい時代そのものを象徴していたというのはこういうことである。バグルスのこの曲は2000年、MTV100万本目の放送にも用いられ、MTVミュージック最後の放送でも流されたと言う。MTVという時代は、この一曲とともに始まり、この一曲とともに幕を閉じたのである。
1983年、私は高校2年生だった。当然84年は高校3年生である。友人と週に二、三度は地元のレコード店に通っていた。ある日、店内を見回していて驚いた。いつの間にか、邦楽コーナーと洋楽コーナーがほぼ同じ広さになっていたのである。北海道の地方都市の小さなレコード店にまで、その変化は押し寄せていた。
更にレンタルレコード店では、洋楽コーナーが圧倒的な存在感を放っていた。高校生には毎週話題になるアルバムをすべて買う余裕はない。しかし、「ベストヒットUSA」で見たアーティストのアルバムは片っ端から聴いてみたい。だから私たちはレンタル店へ向かった。洋楽人気は、私たちの財布の事情まで変えてしまっていたのである。
「MTV」は時代に革命を起こし、わずか数年でその革命を完成させた。しかし、それは45年後のいまだから見える景色である。革命のただ中にいる人間は、自分が歴史のどの地点に立っているのかを知ることはできない。私たちはただ、毎週「ベストヒットUSA」を見て、レコード店へ通い、新しいアルバムをレンタルしていただけだった。その何気ない日常が、実は音楽文化が大きく転換する瞬間だったのだ。
革命の渦中には、「革命」は見えないのである。
4.アルゴリズムの時代―「偶然」は教育に委ねられた
1981年8月1日、MTVは開局した。だが、もしMTVが、現在のYouTubeのアルゴリズムを採用していたら、音楽史はどう変わっていただろうか。
デュラン・デュランを観た人には次もデュラン・デュランだ。カルチャー・クラブを観た人にはニュー・ロマンティックばかりが表示される。マイケル・ジャクソンを観た人にはブラック・ミュージックやダンス・ミュージックが推薦され続ける。個々の好みはより精密に満たされるだろう。一つの世界を深く掘り下げることもできる。しかし、その代償として、思いがけない音楽との偶然の出会いは著しく減ってしまう。例えて言うなら、英米圏の音楽を聴いている限り、私たちはNENAにもFalcoにも、おそらく一生出会えないのだ。これは山道で、目の前の踏み跡だけをたどり続けるようなものだ。たまに道を間違え、引き返し、思いがけない景色に出会う。そんな寄り道があって初めて、自分の進むべき道が見えてくる。山道では、最短距離ではなく、寄り道が人を育てるのだ。
MTVがつくったのは決して「好みに合う音楽」との出会いだけではなかった。そこに用意されていたのは「まだ好みになる前の音楽」との出会いだったのである。
これは音楽だけの話ではない。知識もまた同様である。生成AIやSNSのアルゴリズムは、私たちが知りたいことを次々に差し出してくれる。しかしそれは、「知らなかったからこそ人生を変えたもの」との出会いを静かに遠ざけているのかもしれない。
「しかし、アルゴリズムは便利じゃないか。」
そんな反論が返ってきそうである。その通りだ。
かつてなら、ジャズを聴こうと思えばレコード店へ行き、本を探し、雑誌を読み、ラジオ番組を録音し、専門家が何を言うのかをメモしなくてはならなかった。それが現在は数秒で世界中の音楽にたどり着ける。生成AIも同じだ。知りたいことを瞬時に整理し、要約し、比較してくれる。つまり、アルゴリズムの問題は「精度」ではない。「精度」は著しく高いのだ。
問題は、「知りたいこと」を探す能力は伸びるけれど、「知りたいと思ってもいなかったこと」と出会う能力が衰えていくことなのである。
学校とは本来、この「知りたいと思ってもいなかったこと」と出会う場所だった。その意味で、教師の営みはアルゴリズムとは対極にある。
教師が、「今日はこれを勉強します」と言うのは、生徒が検索したからではない。「君はまだ必要だと思っていないだろうが、これは十年後の君には必要になるのだ」という判断を示し続ける存在、それが教師なのだ。だから授業では古典を学ばせる。短歌を鑑賞させる。幾何を学ばせる。化学反応式を書かせる。生徒は最初、「なんでこんなのやるの?」と思う。しかし二十年後、それらの中の一つが人生を支えることがある。
教育とは、「まだ好きではないもの」「まだどう役に立つか理解できないもの」と出会わせる営みである。
アルゴリズムに導かれた世界だけを歩いていては、「まだ好きではないもの」「まだ知りたいと思ってもいなかったもの」と出会う機会は少しずつ失われていく。「学び」とは、その世界の外側に足を踏み出すところから始まる。そしてそれがときに世の中に「革命」を起こすことがあるのだ。80年代のMTVは、私たちに音楽との「偶然の出会い」を与えてくれた。そして教育とは、本来そうした「偶然」を用意する営みなのである。アルゴリズムが進化する時代だからこそ、その価値はますます大きくなる。
今夜は、この一杯。
サントリー角瓶 復刻版
ストレート 〇
ロック ◎
ハイボール ◎
パッと見、普通の角サンに見えるだろうが、そうではない。サントリーが1937(昭和12)年の発売当時に近い味わいを再現してつくった限定品である。ラベルを見ていただければわかるが、現在とは異なり、「KOTOBUKZIYA LTD」と書いてある。サントリーの創業当時の社名である。限定品と言ってもまだまだ手に入る。通常品と比べると度数が3度高く43度。色見も少しだけかすんでいる。香りはスモーキー感が強く、味わいも重厚だ。
通常品とは似て非なるフルボディのしっかりしたウイスキーである。

<今回の執筆者のプロフィール>
ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。

