「うちのクラスには、いないよね?」――性の多様性を全員で学ぶ理由【教室から始める性教育~“いのち”と“多様性”を育てる授業】#15
今回のテーマは「『うちのクラスには、いないよね?』――性の多様性を全員で学ぶ理由」です。性の多様性を学級で扱おうとすると、「うちのクラスには、そういう子はいないのでは」という迷いが生まれることがあります。相談を受けていないのに、なぜ全員で学ぶ必要があるのでしょう。今回は、「当事者がいるかどうか」を出発点にしない性の多様性教育について考えます。小学校や中学校で性教育の指導に長年携わったスペシャリストである、帝京平成大学教授・郡吉範先生による連載「教室から始める性教育~“いのち”と“多様性”を育てる授業」の第15回です。この連載では、安心して実践できる基礎的・基本的なことがらやすぐに使えるヒント、ちょっと背中を押す言葉などをお届けします。具体例は、郡先生の経験や現場での実践に基づくものですので、現場でのヒントにしてください。
執筆/帝京平成大学人文社会学部教授・郡 吉範

目次
「うちのクラスには、いないんじゃないですか」
職員室で、次の学級活動について話しているとします。ある先生が、「性の多様性について取り上げてみませんか」と提案しました。すると、隣の先生が少し声を落として言います。
「でも、うちのクラスには、そういう子はいないんじゃないですか」
責めるような言葉ではありません。子供から相談を受けたことはなく、授業時間も限られています。保護者から「なぜ小学生に教えるのですか」と尋ねられるかもしれません。
教師が立ち止まるのは、自然なことです。けれども、ここで一度考えたいのです。「いない」という判断は、何を根拠にしているのでしょうか。

「いない」とは、どうして分かるのでしょう
性的指向やジェンダーアイデンティティは、外見や服装、声、遊びの好みなどから判断できるものではありません。相談やカミングアウトがないことも、「いない」という証明にはなりません。自分のことをまだ言葉にできない子供もいれば、分かっていても誰にも伝えたくない子供もいます。ただし、「きっとこの学級にもいる」と考えて、誰かを探したり、子供の言動から推測したりする必要もありません。いるかいないかを確かめること自体が、授業の目的ではないからです。
「当事者が確認できたら扱う」という考え方は、一見、慎重に見えます。しかし、それでは、その学級で学ぶ必要があることを証明する役割を、子供自身に負わせることになります。自分のことを打ち明ければ学びが始まり、言わなければ何も変わらない。これでは、言えない子供ほど学びから遠ざかってしまいます。
学級の中の当事者を確認してから始めるのではなく、誰かが自分のことを打ち明けなければ始まらない教育にしない。この順序が大切です。
