堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s Bar 一杯分だけ、話そうか。#11 生成AI前夜~私たちは、何を失い続けているのか

教育界随一の論客、堀 裕嗣先生による新連載第11回。教育というジャンルに留まらず、広い社会的、歴史的視野に基づいた縦横無尽な論考をお届けします。毎回最後のコラムでは、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1.書くための機械
私が教職についたのは1991年の4月である。
Rupo、書院、OASYS、文豪、キヤノワード……。職員室を見渡すと、先生方の机上には、メーカーこそ違えど、ワープロ専用機が並んでいた。それが当時の職員室の風景だった。いま思えば、あれが職員室に訪れた最初の「デジタル化」の風景だったのかもしれない。
しかし、それはまだ、「デジタル化」と呼ぶにはあまりにささやかな変化だった。ワープロは教師の仕事そのものを変えるようなものではなかった。手書きの文章を活字にする。文章を修正する。何度でも印刷し直す。仕事の「方法」は確かに変わった。しかし、教師が何を考え、何を判断し、何を子どもに伝えるのかという「仕事の中身」は、何も変わらなかったのである。
もちろん、ワープロは画期的ではあった。文章の修正は容易になったし、同じ文書を何度でも使い回せるようになった。学級通信や学校文書をつくる教師にとって、その恩恵は決して小さくなかった。とはいえ、ワープロが代わってくれたのは、あくまで「書く」という作業の一部でしかない。何を書くのか、なぜそれを書くのか、誰に向けて書くのかを考える仕事までワープロが代わってくれたわけではない。文章を綴るとき、教師はまだ「文章を書く過程」を完全に支配していた。ワープロは文章を活字化し、保存し、修正し、複製することはできた。しかし、教師が書こうとしている文章の外側にある膨大な情報とつながっているわけではなかった。ワープロは、あくまで「書くための機械」だったのである。
ところが、数年後に登場したPCは少し違った。PCは「書くための機械」ではなく、情報そのものを扱う機械だった。
2.情報そのものを扱う機械
一般にPC元年と言われるのは、Windows95が発売された1995年である。しかし、この頃の職員室にはPCは一台も見られなかった。3年が経ってWindows98が世に出て、職員室の2割くらいの机上にデスクトップやノートパソコンが置かれるようになった。しかし、その2年後にWindows XPが出て1年もすると、職員室のほとんどの机上にPCが置かれているのが常態化した。
学校の教師たちにPCが普及したのは2001年である。これが私の体験的実感である。元年から数えて6年後ということになる。
では、PCによって教師の仕事はどう変わったのか。まず、ワープロとの決定的な違いは、PCが「文章」だけを扱う機械ではなかったことである。文書を作成する。表計算をする。画像を処理する。データを保存する。検索する。そして、インターネットにつながる。教師は、自分の机に座ったまま、自分の手元にない情報にアクセスできるようになった。これはワープロとはまったく違う。ワープロは、基本的には教師がすでに持っている情報を文章として加工するための機械だった。ところがPCは、教師の外側にある情報を取り込み、それを加工し、保存し、再利用することを可能にした。
教師の仕事にとって、これはかなり大きな変化だった。たとえば、それまでなら「○○について調べたい」と思えば、図書室に行き、資料を探し、本を開き、必要な箇所を読み、メモを取る必要があった。それがインターネットにつながったPCなら、自分の机で検索できる。教材を探すこともできる。写真を探すこともできる。動画を見ることもできる。必要な情報をコピーし、保存し、加工することもできる。つまり、PCは教師の「書く」という仕事だけでなく、「探す」「調べる」「蓄える」「計算する」「整理する」といった仕事まで外部化していったのである。
