ページの本文です

堀 裕嗣+宇野弘恵が厳選&解説! 発見!珠玉の道徳授業 #2 「バックグラウンド」 by 太田充紀

関連タグ

北海道公立中学校教諭

堀 裕嗣

北海道公立小学校教諭

宇野弘恵

独自開発教材を用いた道徳授業研究の第一人者である堀裕嗣先生と宇野弘恵先生が、全国各地で登壇するセミナーツアーの中で出合った素晴らしい道徳授業を紹介する連載です。毎回、お二方が執筆する授業解説付きでお届けします。堀先生と宇野先生の「授業の見方」も学べる連載です。

今回の執筆者/太田充紀(北海道公立小学校教諭)

1・授業の実際

「バックグラウンド」 / D 感動・畏敬の念 / 対象学年:小学校高学年

1) 最初の感想をもつ

今回の授業では、とある「合唱」が中心教材となります。曲名は、「栄光の架橋」。その動画から、音声だけを抽出し、最初に聞かせます。合唱なので、ゆず本人が歌っているものではありません。

聞かせた後に、こう問いかけます。

聞いてもらったのは、男女混声の合唱でした。
率直な感想は? 正直…どれだと思いましたか?

① お客を呼べるプロ合唱チーム

② 「ちょいうま」なアマ合唱チーム
③ 寄せ集めの素人合唱チーム

プロであれば、誰が聞いても納得な歌声となるはずです。そこまでか? と問われると、そこまでではないという思いになるような合唱なのです。ということで、②、③に手が挙がります。大人相手の模擬授業であれば、ほとんどが③に挙がります。ここで、「そんな感じの歌をなぜここで聞かせたか?」という小さな疑問が浮かびます。これが、その後の学習展開のカギとなります。

2) この曲がどう認識されているかを知る

「ところで、この曲は何という曲か知っている?」と問いかけます。
小学生では、もう答えられる子は皆無です。でも、「なんか聞いたことはある!」という子は、何人もいます。そこで、この曲が「栄光の架橋」という曲であることを伝え、その説明をします。説明中は、BGMとして、この曲のオルゴール版を流して、曲への意識を途切れさせないようにします。この授業全体を通じて、このオルゴール曲は、説明時に流れ続けます。

この曲名は、「栄光の架橋」。

歌っているのは、ゆずという2人組ユニット。

2004年7月22日リリース。

同年のアテネ五輪「NHK中継公式テーマソング」に採用。

オリンピックの盛り上がりととともに、応援ソングとして定着。

その後もCMソングとして何度も採用される。

オリンピックの時期になると年間ランキングの上位に入る。

オリンピックやスポーツを想起させる定番ソングとなっている。

ここで、オリンピックに触れます。この曲がその他のテーマソングと一線を画すきっかけとなったある出来事を伝えるためです。さらに、説明を続けます。

アテネ五輪では、日本選手団は、金16個を始めとして、合計37個のメダルを獲得。

柔道男子60kg級で野村忠宏選手が3大会連続金メダル。

女子48kg級で谷(旧姓田村)亮子選手が2大会連続の金メダル。

水泳で北島康介が100m、200m平泳ぎで2冠を達成。

「チョー気持ちいい」が話題に。

体操男子団体は28年ぶりの金メダル獲得。

最終種目鉄棒、冨田洋之選手の演技の最後、NHKアナウンサー刈屋富士雄さんが実況した言葉が「名言」として話題に。

きっかけとなった出来事とは、このアナウンス実況です。これを聞くことによって、この曲がいかに特別なものであるかを実感することになります。

そして、その冨田選手の演技の動画を見せます。

動画:https://youtu.be/NoGMdfo9Kb0 (動画の冒頭から1分12秒まで)

刈屋アナウンサーの力がこもった実況が響き渡ります。冨田選手の見事な着地は、これまでの努力が結実したシーンとして心に残ります。

動画視聴後、刈屋さんが以下の言葉を自筆した色紙と体操団体の表彰式で選手が一列に整列している写真を両手に抱えて、笑顔で撮影された写真とともに、文章にして提示します。


「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」

こうして、「栄光の架橋」は、国民的な応援ソングになっていった。

(曲名は「栄光の架橋」で、実況では「栄光への架け橋」となるので、微妙な違いがありますが、ここはさらりと進めていきます。)

3) この詞をもとに考える

次は、歌詞に注目させます。曲名が「名言」となり、オリンピックを含めたスポーツ選手に対する不動の応援歌であることについては、実感しています。でも、子どもたちは、歌詞を詳しく知りません。

ここで、歌詞カードを配付します。
歌詞:https://www.uta-net.com/song/19425/

ここでは、2つの活動を課します。

1つ目は、「スポーツ選手の生活、練習風景、考え方……」などのスポーツ選手の日常を感じられるところに線を引くことです。個人思考で選手の努力を読み解きます。

2つ目は、その交流です。他者の考えを受けて、自分の思考を広げたり、深めたりします。

この歌詞からは、日常の大変さ、辛さ、不安などが読み取れます。線を引き始めれば、線だらけになる子が出てくるかもしれません。さらに、その後の交流を通じて、それぞれの感じた思いを言葉にし合うことで、歌詞だけでなく、他の言葉でも伝え合い、言葉や意味に広がりをもって思いを受け止めていきます。

そして、再度、ここで曲を聞きます。応援歌である「栄光の架橋」、選手の大変さ、辛さ、不安を感じた「栄光の架橋」。手元にある歌詞カードを見ながら聞いていると、最初とは少し違う聞こえ方になっているはずです。

4)この合唱の正体を知る

ここで、この歌が合唱曲だったことを思い出させます。男女混声の合唱です。総勢20人になる「歌ウマアスリート合唱団」として、2024年5月14日に放送された番組で披露されたものであることを伝えます。子どもたちのスポーツへの関心は、さまざまなので、当然知らない選手の方が多くなります。それでも、オリンピック代表や日本代表など、一流の選手たちであることを説明していきます。ちなみに、メンバーは、以下の20人です。

レスリング金メダリスト吉田沙保里
K-1WGP3階級制覇世界王者武尊
元サッカー日本代表大久保嘉人
元大相撲力士豊ノ島
バスケットボール五輪銀メダリスト馬瓜エブリン
元プロ野球選手 加藤 優
レスリング金メダリスト登坂絵莉
バレーボール銅メダリスト狩野舞子
高飛び込み五輪出場中川真依
ソサイチ(7人サッカー)日本代表星野 昴
トランポリン元日本代表外村哲也
スキーノルディック複合元日本代表荻原次晴
元スノーボード五輪日本代表成田童夢
元バレーボール日本代表栗原 恵
バドミントン五輪5位入賞潮田玲子
総合格闘家 美濃輪育久
ブラジリアン柔術  渡辺直由
アルペンスキー 清澤恵美子
プロレスラー稲村愛輝
プロレスラーYO-HEY

5) 動画で鑑賞する

いよいよ動画で鑑賞です。このまま見せれば、歌っているアスリートに注目がいきます。ですが、この鑑賞では、周りの受け止め方がどうであったかを感じることが重要になります。「聞き手」という立ち位置が重要だからです。歌っているアスリートに同化するのではなく、会場の聞き手に同化することが必要なのです。ですから、次のように注意点を伝えます。

このあと、合唱の動画を見てもらいます。
特に、その場にいる人たちがどのように感じているのかにも注意を向けながら、聞いてください。

そして、フルコーラスで動画を鑑賞します。

この番組では、他に「演歌歌手合唱団」「歌ウマ芸人合唱団」「Z世代合唱団」「80年代アイドル合唱団」も出演しており、審査員、司会者を含めて90人くらいの出演者が聞いているという状況です。合唱中、カメラはその聞き手の表情を拾っていきます。真剣に聞き入る姿、あふれる涙を拭う姿。そして、歌う20人の後ろには、大画面のモニターがあり、それぞれの選手たちの活躍シーンが次々に映し出されます。ただただ、アスリート合唱団は、真剣に歌い続けます。

動画:https://www.tiktok.com/@beer.sapporo/video/7399638886512626962

鑑賞後、最後のスライドを見せます。涙を流して聞いていた他の出演者たちの表情を1枚1枚ゆっくり提示していきます。審査員のソプラノ歌手岡本知高さんの「頑張ってきた背景が見える」、同じく審査員の演出家宮本亜門さんの「スゴく感動」といった言葉も紹介していきます。そして、最後にこう問いかけます。

合唱を聞いた多くの人が感動していました。
合唱の要素を満たし、優れていたから感動したのでしょうか?
それとも、違う他の要素があるのでしょうか?
あなたは、どう感じましたか? 感想を書きましょう!!

この後、ノートに感想を書いて、授業は終わります。

2・この授業をつくるにあたって

私は、音楽を使った道徳授業が苦手です。教材として、どのように活用できるのかが全くといってよいほど、思い浮かばないのです。でも、「挑戦してみよう!」と授業を作ってみれば、音楽を授業で使うことが目的化してしまい、「なぜ、ここで使ったの?」ということになる始末。材への思いがいくらあっても、その材を生かし、子どもたちの思考を深めることに繋がらなければ意味がありません。そんな苦渋を味わい続けたわけです。

そんなとき、「こんな授業をしてみたい」という観点を「授業構成」で考えてみることにふと思い当たりました。ですが、まだまだ「思いついちゃった」という程度のもので、頭の中でふわふわとした状態でした。そんなことを思い描いているときに出会ったのが宇野弘恵先生の畠中秀幸さんを取り上げた「それでもなお人生は続く」という授業でした。情報が全くない状況で音だけを聞く活動からスタートし、そこからフルートという楽器、畠中さんの半生、そして、フルート製作の山田さんについて知っていきます。これらの情報を受け止めた上で演奏場面と共に鑑賞したときの感動は、忘れられません(つい最近、再度授業を受けることができて、また、感動してしまいました)。そして、この構造を基に、「こんな授業をしてみたい」という明確な形となったのです。

そんな矢先、たまたまテレビをつけていると、今回の授業で扱った「アスリート合唱団」の合唱に出会いました。とにかく鳥肌がぶわっと立つ自分に驚きながら、聴き入っていました。テレビ画面には、会場で涙を流す人たちが次々と映し出されます。「こんな人たちで歌うのは、ズルいよなぁ。」と感じつつ、感動に浸っていました。そのときです。頭にあった授業構造とピッタリ当てはまる材であることに気が付きます。そこからは、調べていくうちに、一気に授業が形作られていきました。

整理していくと、自分が感動した要因は、3つあると考えました。1つ目、「栄光の架橋」という曲自体の力。2つ目、オリンピック毎にリピートされるような「全アスリートの応援歌」となっている共通認識。3つ目、たくさんのアスリート自身が歌っているという事実。あとは、これを授業の中で意図的に配列し、私自身が感じた感動を追体験できるような授業に構成するだけというわけです。

この授業を子どもたちに対して行うと、「どこかで聞いたことがあるような曲かも…」という状況ですし、アスリートに関してもほとんどの子が知りません。ですが、一流選手に至るまでの努力の過程は、誰もが想像できるようで、最後に鑑賞するとそれぞれに心の動きを実感した感想を書いてくれます。 「こんな授業をしてみたい」と思ったとき、授業の一部分だけを真似てみるようなことを重ねてきた私ですが、「授業構成」という視点で材を捉えれば、どのような活用をしたいのか、そして、どうできるのかという方針が明確になることを実感しました。この授業構成は、さまざまにあり得ることは、皆さんも想像に難くないと思います。さらに言えば、この授業構成のパターンがユニットを組み合わせるような展開まで合わせれば、さらに増加していきます。そうすれば、「音楽」という私にとって苦手なものであっても、授業の中にねらいや意図をもって組み入れることができるようになるわけです。そんなことに気付かせてくれる契機となったという意味で、この授業は、私にとってかけがえのない大切な授業となっています。

この授業の題材は、基本的にはテレビで放送されたアスリートによる「栄光の架橋」の動画1本である。オルゴールによる音声や「栄光の架橋」の歌詞、参加したアスリートの動画などは、この教材から派生した補助資料に過ぎない。すべてがアスリート合唱動画に収斂していくようにつくられている。

この動画自体は地上波で放送されたものであり、多くの教師が視聴したはずだ。題材としてはさして特殊なものでもない。これを観た教師たちの何割かは、ああ、この動画で道徳授業つくろうかな…と思ったかもしれない。そのくらいこの動画は道徳授業向きであるし、多くの人がアクセスできたものでしかない。つまり、教材としてはそれほど希少価値のあるものではないということである。

しかし、私は読者諸氏に問いたいのだ。

仮にこのアスリートによる「栄光の架橋」の動画をあなたが持っているとして、あなたは太田充紀先生と同じ授業構成を思いつけるだろうか。

おそらく、ほとんどの読者は思いつけないだろうと思う。多くの人たちは「ゆずの『栄光の架橋』という曲を知っていますか?」と問うて聴かせるところから入るはずだ。そして歌詞を読み、動画を見せ、「なぜその場にいた人たちは涙を流していたのだろう」と問う。普通の教師はそういう展開しか思いつかない。しかも、その流れを「なかなかよくできた流れだ」と自己評価するに違いない。

こうした授業と太田先生の授業との間には、その機能性に雲泥の差がある。多くの教師にはこの実践報告を一読しただけでその機能性の差異を実感できるはずだ。そしてこの原稿を読んで、その機能性の差異を想像できないとしたら、あなたの授業力はかなり低いと言わざるを得ない。「子どもに機能する」ということを理解していないと言える。もしかしたら、普段から子どもの心の中を想像していないのかもしれない。そのくらいの差異である。こうしたそれぞれの段階にある教師たちにとって、あなたの理解度と太田先生のこの授業づくりとの差、それが道徳授業づくりにおける、あなたと太田先生との「実力の差」である。

この授業のキモは、「栄光の架橋」という有名な曲を道徳の教材にしたことではない。むしろ、この国民的な曲を、最初から「栄光の架橋」として聴かせないことにある。この冒頭の仕掛けが、この授業のアルファでありオメガである。

最初に子どもたちが聴くのは、正体のわからない男女混声の合唱である。プロだろうか。それともアマチュアだろうか。おそらく多くの子どもたちは、「ものすごく上手な合唱とは言えない」と感じるだろう。ここで教師は歌の価値を教えない。むしろ、「この歌はいったい何なのだろう」という小さな違和感だけを残す。

この「小さな違和感」が、この授業の出発点になっている。

次に曲名が明かされる。「栄光の架橋」。更にアテネ五輪、北島康介、野村忠宏、谷亮子、体操男子団体、そして刈屋富士雄アナウンサーの「栄光への架け橋だ!」という実況へと情報が積み上げられていく。すると、最初にはただの「ちょいうま合唱」程度に聞こえていたものが、少しずつ別の意味を帯びてくる。ここで大切なのは、教師が「この歌は感動する歌です」と説明し強要していないことである。子どもの中に、歌を聴くための背景を一つずつ、しかも確実に積み重ねているのである。

次に歌詞を読む。ここでも「この歌詞からアスリートの努力を読み取りましょう」と一直線には進まない。まず自分で線を引き、その後に交流する。すると、ある子は「努力」を読み取る。ある子は「不安」を読み取る。別のある子は「孤独」を読み取るかもしれない。同じ歌詞が、一人ひとりの経験や想像によって少しずつ違って見えてくる。

そのうえでもう一度、同じ「栄光の架橋」を聴く。今度はゆずの原曲だ。ここにもこの授業の構成上の大きなポイントがある。同じ曲を聴いているのに、子どもたちにとっては同じ鑑賞ではない。最初は「誰が歌っているのかわからない合唱」だったものが、曲の背景を知った後には「アスリートを応援する」歌になり、歌詞を読んだ後には「アスリートの苦しさや不安」が含まれた歌へと次元が変わっている。

そしてとうとう、動画の「正体」が明かされる。歌っていたのは、普通の合唱団ではなかった。実際に競技の世界で戦ってきたアスリートたちだった。ここで初めて、最初の「そんなに上手くない合唱」という印象が反転する。動画を見る。歌っているアスリートを見るようには指示しない。「その場にいる人たちがどう感じているかにも注意して聞いてください」と促す。実に巧妙である。

人は何を知ったとき、同じものを違うものとして感得するのか。いったい「感動の要素」とは何なのか。決して「努力は素晴らしい」とか「逆境に陥っても頑張らなくてはならない」とか、ありきたりの、指導主事が言うようなことを求めた授業ではない。中心題材の提示にどのような仕掛けをつくるか、補助教材をどの順番で配置するか、それだけで授業というものは子どもたちの「見え方」を変える「装置」となり「触媒」となる。

教材は平凡でも、構成によって授業は「非凡」になる。非凡な教材を見つけ、徹底的に調べ、「どうだ!」と紹介する授業づくりばかりしている数多の教師たちにとって、太田充紀先生のこの授業はお手本とさえ言える。

仕掛けを盗まれた宇野さんもおおいに納得していることだろう(笑)。

冒頭の合唱を聴いたとき、素人の合唱であることはすぐに分かりました。一生懸命歌っているのだろうけど、張った声がキンキン響く調和のない歌声。ははあん。これは、きっと「歌下手合唱チーム」が一生懸命練習して「歌上手合唱チーム」に変容する感動物語の授業だな、と思いました。

ところが、この予想は鮮やかに裏切られ、私は、最後の映像を見たときに涙が止まりませんでした。歌声とその姿から、選手たちの喜怒哀楽の日々が見えたからです。

教育学者の林竹二氏は「学んだことの唯一の証は、なにかが変わること」と言っています。授業とは、単なる知識伝達ではなく、対象と深く向き合うことで、ものの見方や考え方、自己そのものが変わっていく営みである。何かを知った、考えた、分かった、で終わるのではなく、その学びによって人間の内面に何らかの変容が生まれること。授業とはそう在るべきだ、と私は解釈しています。そして、林氏の言う「変わる」とは、まさにこの授業のことだと思います。

はじめは「へたくそな合唱だな」と思う。「どうせ感動物語でしょ」と決めつける。でも、終末では、その同じ合唱に感動して涙する。歌声は何も変わっていないのに、受け止め方は変わっています。選手たちがどんな日々を過ごし、どんな思いを抱えてこの歌を歌っているのか。その背景を知ったことで、ただの「へたくそな合唱」だったものが、一人一人の生きてきた時間や思いを背負った歌声として聴こえてきたのです。

ここで変わったのは、合唱の見方だけではありません。同じ歌声に対する受け止め方が変わったことで、自分がいかに限られた情報だけで対象を判断していたのかに気づく。「背景を知ってから判断する」という、ものの見方そのものが変わったのです。

この授業は、最初に音声だけで提示し、最後に映像も見せたという展開になっています。映像が加わることで情報量が増え、音声だけでは分からなかったことも見えてきます。でも、それは、「映像なしで聴いた後に映像ありで聴く」という順序の問題ではありません。その間に、何を判断させ、何を考えさせ、何を想像させてから次の情報を与えるのかという授業過程に鍵があります。

この授業では、最初に合唱を聴いた後、こう発問しています。

聞いてもらったのは、男女混声の合唱でした。
 率直な感想は? 正直……どれだと思いましたか?
 ① お客を呼べるプロ合唱チーム
 ② 「ちょいうま」なアマ合唱チーム
 ③ 寄せ集めの素人合唱チーム


ここでは、直接上手か下手かとは訊いていません。チームのレベルを問うているだけです。でもそれは、間接的に上手いか下手かを訊いているのと同じです。しかも、①は、まあない。プロの合唱と呼ぶには声もハーモニーも粗い。となると、②か③。この時点で、聴き手の意識はすっかり「この合唱はどの程度うまいのか」に向いています。この段階で自然と、しかも罪の意識なく「下手だな」という感想が表出するように仕掛けられているのです。

「自分は変わった」と自覚するためには、変わる前の自分がどうであったのかを分かっていなくてはなりません。「上辺だけで判断してはいけない」。そんなことは誰もが分かっているし、自分はそんなことをしないと思っていたはずです。ところが、自分も上辺だけで判断していたと気づくことが、変容の出発点になるのです。この発問は、その出発点、つまり「変わる前の自分」を自覚させるよう設計されています。

その後、歌詞の読み取りがあります。この段階では歌い手の背景は伏せられているため、歌詞の中からは一般的なオリンピック選手の心情を想像します。苦しい練習から逃げ出したい。どんなに努力しても結果が出ない。勝てない。怪我。不調。自分のせいで負けた。仲間との諍い。そんな、私たち一般人にはわからないものすごい苦難があったことは想像に難くないでしょう。また、苦しみだけではなく、目標に到達できた喜びや周りの支えや応援なども想像できるでしょう。これらは、アスリートとしての経験がなくとも、一般的な知識や自分自身の経験をもとに、歌詞を手掛かりに想像を膨らませることができます。

ここで求めているのは、想像した一つ一つの出来事が、実際にその選手に起きたと理解することではありません。「この歌を歌っている人たちにもこんな苦しみや喜びがあったのかもしれない」と、内面や背景を想像する構えをつくることです。
そうして、歌い手の背景や心情を想像した状態で、最後の動画を視聴します。すると、それまで漠然と捉えていたアスリートの苦悩や喜びが、目の前にいる一人一人の選手の姿と重なって見えてきます。「アスリート」と一括りだった抽象的な存在が、名前や顔、歩みをもった具体的な一人一人として見えてくるのです。

中には、よく知っている選手もいるでしょう。もしかするとテレビ番組等で選手の歩みを知っているかもしれません。そうなると、動画の中で涙をこらえ歌う姿に、歌詞の内容がさらに重なって見えます。全く遠い存在だったアスリートたちが、それぞれに固有の時間を生き、さまざまな思いを抱えてきた一人の人間として感じられるようになります。心理的距離が少しずつ縮まり、選手たちの心情に寄り添って映像を見ることになるのです。

もしこれが、曲を聴いたあとに「歌っていたのはこの選手たちです」といって動画を見せられたとしても、同じような感情は湧かないでしょう。「音声から動画」という展開が、「問題と答え」という構造にしかなっていないからです。

音声と動画の間に歌い手への理解を深めていく過程があるから、最初には「へたくそだな」と評価していた歌声が、一人一人の生きてきた時間や思いを背負った歌声として聴こえてくるのです。

遠いところから近いところへ。乾いたところからウエットなところへ。浅いところから深いところへ。軽いところから重いところへ。抽象的だったものが少しずつ具体を帯びていく。そうやって対象との距離を少しずつ縮めていくことが、こうした授業をつくる際の鍵なのです。

太田さんも書いているように、この授業は、私の「それでもなお人生は続く」をヒントに創られています。私の授業では、クラシック音楽(フルート)という、子どもたちにとってやや遠いものを教材にしています。それに対して、この授業で扱うのは合唱です。しかも、最初に「上手いか、下手か」という誰もが判断できるところから入っていく。その分、はじめの自分と終末の自分との違いがはっきりし、自分の変容を自覚しやすいのではないかと思います。

そして、この授業から学べるのは、「音声から映像へ」という展開だけではありません。「背景を知ることで受け止め方が変わる」という授業構成には、他にもさまざまなバリエーションがあるはずです。限られた情報の中で一度対象を見つめる。そこから背景を知り、考え、想像する。そして、もう一度その対象と出会う。同じものを見ているのに、前とは違って見える。そんな授業をどう創るか。その構成を考える上で、よいお手本になる授業だと思います。

堀裕嗣先生

ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。

宇野弘恵

うの・ひろえ。北海道公立小学校教諭。民間教育研修などに参加、登壇し、今日的課題や教員人生を豊かにすることを学んでいる。著書に『あと30分早く帰れる! 子育て教師の超効率仕事術』(学陽書房)、『スペシャリスト直伝!高学年担任の指導の極意』『伝え方で180度変わる!未来志向の「ことばがけ」』、『生き方を考える!心に響く道徳授業』(以上明治図書出版)など多数。

この記事をシェアしよう!

フッターです。