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堀 裕嗣+宇野弘恵が厳選&解説! 発見!珠玉の道徳授業 #3 淀江傘 by 灘脇拓弥

連載
堀裕嗣&北海道アベンジャーズの シンクロ道徳の現在形
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北海道公立中学校教諭

堀 裕嗣

北海道公立小学校教諭

宇野弘恵

独自開発教材を用いた道徳授業研究の第一人者である堀裕嗣先生と宇野弘恵先生が、全国各地で登壇するセミナーツアーの中で出合った素晴らしい道徳授業を紹介する連載です。毎回、お二方が執筆する授業解説付きでお届けします。堀先生と宇野先生の「授業の見方」も学べる連載です。

今回の執筆者/灘脇拓弥(鳥取県公立小学校教諭)

1 授業の実際

『受け継いでいく心』 
C/我が国の伝統と文化の尊重、国を愛する態度 対象学年/4年生以上

「淀江傘」について知る

みなさんは日本四大傘産地を知っていますか。一つは京都、二つ目は金沢、三つ目は岐阜、四つ目は、ここ鳥取県米子市にある淀江町だと言われています。

実際のところ米子市の子ども達、いや淀江町の子ども達ですらこの事実を知らない場合が多く、この事実を伝えると大きな驚きを見せる。その後、淀江町で作られている「淀江傘」の写真を見せながら、「淀江傘」の特徴について説明する。

淀江傘の写真

淀江傘の大きな特徴は三つあります。
一つ目は、糸飾りが綺麗であること。
二つ目は、一つ一つが手作りであること。
三つ目は、インテリア用ではなく、実際に使用できる傘であり、雨に濡れれば濡れるほどかたくて丈夫になることです。

「淀江傘」が作られている場所は、淀江公民館に隣接する淀江和傘伝承館というところです。現在は、ここでしか、「淀江傘」は作られていません。

スライドの白い丸枠で囲んでいる部分が、淀江傘の大きな特徴である糸飾りである。色とりどりの絹糸で繊細な飾りが施され、桔梗の花びらを模した「本桔梗の糸飾り」と呼ばれている。実際に使うことができるため、雨の日に傘を広げると、内側に広がる繊細な糸飾りが目に入り、雨の日でもぱっと心が華やぐような魅力がある。

「淀江傘」の歴史を知る

続けて、「淀江傘」の歴史について説明する。

最盛期には、淀江に傘屋は71軒もあり、多い年で年間50万本もの傘が生産され、遠くは関東、東北など実に32の県で、淀江傘が使われていました。しかし、洋傘の普及により、徐々に衰退していきます。昭和59年には、最後の製造業者が廃業することになりました。

ここで、子ども達に問う。

最後の製造業者が廃業したとき、地域の人達はどんな気持ちになったのでしょうか。

一つの町に傘屋が71軒もあったのだ。その最後の1軒がなくなるとなれば……そんな当時の町の人々の思いを想像し、考えを交流させる。考えを交流した後に、その当時のことを知る淀江傘伝承の会会長である山本絵美子さんの当時の思いを紹介する。
「淀江傘」を作る技を受け継いだ職人であり、現在の淀江傘伝承の会会長でもある山本絵美子さんは当時のことをこう語っています。

「このままでは、淀江傘を作る人がいなくなってしまう。必ず続けてみせる!」そんな思いで何度も話合いを行い、地域の人に協力を求め、少しずつ地域の人達でお金を出し合い、淀江傘を受け継いでいく活動を始めました。

伝統を受け継いでいく上での課題について考える

ここまでの展開によって、淀江に何のゆかりのない子ども達でも、「淀江傘」について考える構えができたところで、現在の「淀江傘」を取り巻く課題を伝える。

地域の方の努力もあり、今では、海外メディアの方も視察に来られるほど、再び注目されるようになった淀江傘。それに伴い、今では様々なデザインの和傘も販売されるようになってきています。そのような中、淀江町では淀江傘の『デザイン』について、次のような意見が出てくるようになりました。

【デザインについて】
糸飾りが綺麗な淀江傘。その昔から受け継いできたデザインをこれからもずっと受け継いでいくべきだ。
時代に合わせてデザインは変えるべき。若者など多くの人にもっと知ってもらえるように、デザインを変えてもいいのではないか。

『デザイン』だけではありません。『作り方』についても、次のような意見が出てきています。

【作り方】について
淀江傘は70の工程を全て人の手による手作業で作っている。手作業だからこそ、思いを込めて丁寧に作ることができる。
手作業だと、そんなに多くの傘を作ることはできない。機械を導入して、大量生産すれば、もっと多くの人に知ってもらえるのではないか。

仕上げの際には、淀江海岸で傘を干す作業もあります。種類によって製作期間は異なりますが、傘それぞれの製作時間を平均すると一本作るのに大体2カ月ほどかかります。一番大きい野点傘は、一本作るのに半年以上もかかるそうです。
『デザイン』『作り方』だけではありません。『材料』についてもこのような意見が出ています。

【材料】について
淀江の竹を使って、鳥取の和紙を使って作るのが、淀江傘の伝統の一つ。これからも地元の材料を使い続けていくべきだ。
淀江の材料に竹もいつなくなるか分からない。竹は別に淀江のものにこだわらなくとも、違う地域の竹を使ってもいいのではないか。

最後に『作っている場所』についてです。

【作っている場所】について
今は和傘伝承館という場所だけで淀江傘を作っている。淀江で作っているからこそ淀江傘。これからもずっと淀江で作り続けてほしい。
もっと街中や都会に店を作って、淀江傘を作れば、多くの人に知ってもらえたり、購入してもらえたりするのではないか。

提示した『デザイン』『作り方』『材料』『作っている場所』の4つの視点における意見は、私の創作である。例えば、『作っている場所』については、淀江和傘伝承館に弟子入りをした職人が、そこで作り方のノウハウを学び、県外で全く同じ和傘を作ったとしても、それは「淀江傘」ではない。淀江で作られたもの以外は「淀江傘」とは認められないというのが、今の「淀江傘」の定義である。したがって、子ども達に提示している視点は、すでに結論が出ているものもある。しかし、こうした現実があるからこそ、伝統の本質や価値を考えさせる上で、今一度問い直したいという意図で四つの視点を提示している。

「淀江傘」を取り巻く課題を伝えたところで、子ども達に問う。

伝統を受け継いでいく中で、変えていいもの、変えてはいけないものは何でしょうか。

ここでは、ノートに縦線を一本引いて、変えていいものと変えてはいけないものをそれぞれ考えて、仕分けるように指示をする。個人思考をした後に、3人から4人のグループで考えを交流する。その際には、なぜそう考えたのか、変えていいものと変えてはいけないものの判断軸が何だったのかについても述べさせる。

子どもたちに書かせるノートイメージ図

実際に淀江傘が作られている映像を視聴する

では実際に、淀江傘がどのようにして作られているのか見てみましょう。

実際に淀江傘が作られている映像を見せる。映像は以下のリンクである。

(「淀江傘」鳥取県~Yodoe Umbrella in Tottori Prefecture,Japan https://www.youtube.com/watch?v=UXIl8u8wUbw

⑤自分の地域に受け継がれている伝統について考える

淀江傘の映像を見終えた後、映像による余韻を残しつつ、子ども達に問う。

あなたの地域で未来に残していきたいものはありますか。

最後に、自分達が住んでいる地域の伝統に目を向けて、この授業は終わる。

2 この授業をつくるにあたって

この米子市淀江町というのは、私が生まれ育った故郷である。授業の流れにはあえて書いてないが、実際の授業での冒頭場面では、「この淀江町というのは、先生が生まれ育ち、今現在も住んでいる町です。今日は、そんな先生の故郷の授業です。」という語りから、淀江傘の説明を始める。

いつか自分の故郷の授業をつくりたい。

教師になってから、いつしか私はそんなことを思うようになった。そこで、頭に浮かんだのが淀江の和傘だった。淀江で育った子ども達は、地域の学習で淀江傘について学ぶだけではなく、地域の祭りや学校の運動会でも傘を手に取り、傘踊りを披露する。淀江の子にとって、淀江傘というのは幼少期から非常に身近な存在なのだ。

この授業の前半のほとんどは、私自身の語りによって進められる。自分にとって身近な存在であった故郷の材だからこそ自然と語りに熱が入る。自分のことを直接的に語っているわけではないのに、自ずと自分自身の故郷への思いを知ってもらえる感覚を、身をもってこの授業が実感させてくれた。

授業をつくるにあたって、淀江和傘伝承館の会長山本絵美子さんにも直接お話を伺った。そして、同じ問い(変えていいもの/変えてはいけないもの)を山本絵美子さんにも投げかけてみた。山本さんが変えていいものとして選ばれたのは、②のデザインだけであった。ただ、山本さんが唯一変えていいと考えるデザインに関しても、新たなデザインを考えてくれる若い人もいないとおっしゃっていて、伝統を次世代につなぐ難しさを改めて深く感じたところである。

お話の最後に私は山本さんに、次のような質問をしている。

伝統を受け継いでいくとはどういうことだと思いますか。

この問いに関する山本さんの考えは次の通りだ。

地域の伝統を受け継いでいくということは、時代が変わっていく中でも、「いいもの」は「いいもの」として、残していくことだと思います。

「いいもの」は「いいもの」として伝統を残していくために、故郷に受け継がれている伝統に目を向ける一つのきっかけになる授業になればと思っている。

この授業は教師自身の「故郷」が教材の入口になっている。淀江町で生まれ育った教師が、「今日は先生の故郷の授業です」と語ることで、淀江傘は単なる郷土資料ではなく、教師自身が大切にしているものとして子どもたちの前に現れる。道徳授業においては、教師が教材についてどれほど調べたか以上に、教師自身がその教材をどう見ているかが授業の質を大きく左右する傾向がある。この授業の前半が教師の語りを中心に構成されているのは、その意味で極めて自然と言える。教師の持つ淀江傘の知識だけでなく、教師が抱く故郷への想いそのものが教材化されているからだ。

その意味でこの授業は、通常の授業とは教師の熱意の次元が異なった授業として子どもたちの前に現れる。他の教師には追試不可能な授業であり、たとえどんなに授業力量の高い教師が追試したとしても、灘脇拓弥先生以上に機能させることはできない。教師はそうした道徳授業を年に一、二本はするべきだと考えている。開発するには教師の「世の中を見る目」と同時に「自分自身を見る目」が問われることになるが、こうしたその教師にしかできない授業の機能性は、他の授業の機能度にも良い影響を与える。その語りの熱さを体験した子どもたちにとって、その教師の語りに「重み」を感じるようになるからだ。その影響力は道徳授業に止まらないほどの威力を発揮する。他教科はもちろん、生活指導・生徒指導上の語りの「重み」も引き上げる。

この構造を理解しない教師が増えてきている現状がある。人間関係の普遍構造として、指導言の普遍構造として意識したい。

さて、話を授業内容に戻そう。

この授業の凄みは、「伝統とは何を受け継ぐことなのか」という抽象的な問いを、「淀江傘」という具体的な対象を通して子ども自身の問題にしていく構造にある。しかも教師が「熱意」を込めてである。

まずは「71軒」「年間50万本」「32県」という数字によって、淀江傘を「昔からある小さな地域文化」から「かつては広く社会に存在した産業」へと具体的に捉え直させる。そして、最後の一軒が廃業したという事実を提示し、「そのとき地域の人はどんな気持ちだったのか」と問う。ここでは、歴史的事実ばかりに重きを置くのではなく、「失われようとしているものを前にしたとき、人は何を思うのか」、その心情を想像させることにポイントがある。その後に山本絵美子さんの言を提示することで、子どもたちは自分たちの想像と、実際にその時代を生きた人の思いを照合することになる。この照合が授業の核心につながっていく。

この授業の核心は、「変えていいもの/変えてはいけないもの」という二分法を敢えて設定することで、伝統文化をめぐる価値判断を具体的に思考させる場面である。「デザイン」「作り方」「材料」「作っている場所」という四つの視点は、いずれも「伝統とは何か」を考えるための切り口になっている。重要なのは、これらが単なる知識問題ではなく、伝統を残すためには「ある程度変わらなければならないのではないか」という葛藤を生み出す点にある。手作業だからこそ淀江傘の価値がある。しかし、手作業だけでは生産量を増やせない。昔ながらのデザインを守ることが伝統の継承につながる。しかし、時代に合わなければ若い世代には届かない。地元の材料を使うことが価値なのか、それとも材料が変わっても技術や精神が残ればよいのか。淀江で作ることが絶対条件なのか、技術が全国に広がることも継承と考えられるのか。こうした対立によって、子どもたちは「伝統=昔のまま変えないこと」という単純な理解から引き離されていく。むしろ、変えないために変える、残すために変えるという、一見矛盾した問題に直面することにさえなる。これが交流する必然性、議論する必然性、延いては「みんなで学ぶこと」の必然性をもたらすことになる。

更に巧みなのは、この議論の直後に製作映像を置いているところだ。映像は単なる「理解を深める資料」ではない。それまであくまで「言葉」と「想像」によって議論してきた淀江傘を、実際に人間の手で作っている具体的な姿として見せる。それによって、子どもたちの認識を具体的なものへ戻していく。70もの工程、長い製作期間、職人の手仕事。そうした姿を見ることで、「効率化すればいい」「機械化すればいい」と簡単には言えなくなる。つまり映像が、価値判断をした後にその判断を揺さぶる教材として機能しているわけである。
そして最後に、初めて「あなたの地域で未来に残していきたいものはありますか」と問う。ここで初めて淀江傘から自分の地域へと視点が移るわけだ。授業の目的は、淀江傘について詳しくなることではもちろんない。淀江傘を考えることを通して、子どもたち一人ひとりが「自分たちの地域には何があるのか」「それをなぜ残したいのか」「残すためには何を変える必要があるのか」と考えることにある。これを子どもたちに真剣に考えさせる動機、それが教師の冒頭の語りなのだ。先生が故郷を想って「淀江傘」に辿り着いたように、自分たちにも何かがあるのではないか。そしてその「何か」をもつことは人生を豊かにするのではないか。冒頭の語りが終末でそんな空気を醸成するのだ。

伝統・文化の尊重とは、単なる「伝統を大切にする心」ではない。山本さんの言葉にある「いいものは、いいものとして残していく」という考えを踏まえれば、「受け継ぎ」「尊重する」とは、過去をそのまま保存することではなく、その価値を見極めながら未来へ渡していくことだと捉えられる。また、山本さん自身が「変えていいもの」としてデザインだけを挙げながら、そのデザインを担う若い人がいないと語っている点も、この授業に大きな現実味を与えている。伝統・文化継承の問題は理念だけでは解決しない。後継者、材料、生産性、需要、地域性、時代性など、複数の問題が絡み合う。だからこそ、この授業は「伝統を守りましょう」という単なる道徳的結論に閉じることなく、伝統を守ることそのものの難しさを考えさせる授業として提示されているのである。

まったく、どこぞやの首相に受けさせたい授業である(笑)。

灘脇さんは、「自分にとって身近な存在であった故郷の材だからこそ自然と語りに熱が入る」と書いています。幼いころから慣れ親しんだ材ということに加えて、自ら取材に足を運んでつくった授業です。傘にまつわる思い出も、取材している情報もきっと山ほどあるでしょう。淀江傘への思い入れも人一倍のことと思います。熱が入るのも当然です。

灘脇さんの淀江傘のように、知っている情報が多く、思い入れの強い材を授業にするときは、情報の取捨選択が最大の難関です。どれもこれもが重要に思え、削ることができません。取材で得た感動話や苦労話、みんなが知らないようなあっと驚く話は、絶対に授業に入れなくてはと思います。その結果、情報紹介に終始し何も思考させないという授業になったり、情報が多すぎて散漫な授業になったりするものです。

灘脇さんは、淀江和傘伝承館の会長・山本絵美子さんに取材しています。そして、「変えていいもの/変えてはいけないもの」を訊いています。普通なら、山本さんの見解を授業に入れたくなるものです。説得力があるし、伝統工芸を残すための大切な指針になりそうなお話ですから。直接会って聞いた話ですから、重みもありますよね。でも、灘脇さんは授業に山本さんの見解を出しませんでした。それが、この授業の成功の秘訣と言っても過言ではないと思います。

もし、授業で「変えてよいものはデザインだけ」という山本さんの見解を出していたら、最後の活動(「デザイン」「作り方」「材料」「作っている場所」について、変えていいもの/変えてはいけないものを考えるワーク)は機能しません。山本さんの見解があるので、考える必要が無くなります。仮に考えようとしたとしても、やはり山本さんの見解に引っ張られるでしょう。そうなれば、最後の活動をカットし、山本さんの見解を本時の結論として出して終わりという授業になるでしょう。つまり、教材研究で得た情報を「どれだけ授業に入れるか」だけでなく、「何をあえて出さないか」が、思考を左右するのです。

灘脇さんは、変えてよいものとダメなものを考えさせようとしたのではありません。自分たちの地域で未来に残したいものについて考えるきっかけにしようとしたのです。淀江傘がどんな歴史をもち、どのように継承してきたかを考えたことは、そのまま自分の地域に残る工芸品に繋がります。古臭い、昔っぽいと思っていたあの工芸品にも歴史があり、それを守り続けてきた人がいる。それは、本当に廃れてもしかたのないものなのか。もしそうでないとするなら、どうすれば残すことができるのだろう。答えのないこの問いを考え続けることに、この授業の意図があるのだと思います。

さらに、最後の活動では、灘脇さんは四つの視点について対立する主張を自作しています。結論の出ていることも特定の見解が定まっていることも踏まえて、それぞれの立場からの主張となっています。各視点の対立する主張を同じ規模で並べることによって、一方に偏らずフラットな立場で考えることができるのです。これが特定の誰かの見解となると、それを述べている人の立場などによって主張の見え方が変わってきます。それに、特定の人の意見を同じ規模で揃えるのは容易なことではありません。勝手に言葉を変えることもできませんから、結果的に規模の揃わない主張を並べることになります。「“変えてもいい”方の主張は筋が通っているけど、“変えない”方は感情だけで言っている」など、公平に判断できなくなるのです。

もちろん、4視点の八つの主張が、実在の人による同程度の規模で語られたものならそれに越したことはありません。伝統工芸に携わっている人が語る言葉には実感と熱がありますから、より説得力のある主張を提示することができます。しかし、それが叶わないのであれば、灘脇さんのように自作するのが最善なのです。

とはいえ、双方に同程度の説得力をもたせることは容易ではありません。「どちらの主張ももっともだ」「簡単には判断できない」と思えるような、双方の主張が拮抗する論点を設定する必要があります。それは、単に賛成・反対の意見を用意することではありません。一方が明らかに正しく見えるような問いでは、深く考える前に結論が出てしまいます。どちらの立場にも納得できる理由や大切にしたい価値があり、一方の価値を優先すれば、もう一方の価値を十分には実現できないという葛藤が生まれる論点を見いだすことが必要です。

たとえば、淀江傘のデザインについて、単に「昔からのデザインを守るか、変えるか」と問えば、「伝統なのだから守るべきだ」という方向に傾きやすくなります。そこで、「昔から受け継がれてきた糸飾りなどのデザインを守り続けるべきか、それとも、より多くの人に淀江傘を知ってもらい、未来へ受け継いでいくために、時代に合わせてデザインを変えてもよいか」と設定します。そうすることで、「受け継がれてきた伝統を守ること」と「伝統を未来へつなぐために変化させること」という二つの価値の比較になります。

大切なのは、「守る側」と「変える側」のどちらにも、「淀江傘を大切にし、未来に残したい」という共通の願いがあることです。同じ目的をもちながら実現の仕方が異なるから、どちらか一方を簡単に正しいとは判断できなくなります。

双方の主張を拮抗させるには、単に反対の意見を並べるのではなく、その根底にある共通の願いを見いだし、その願いを実現するための異なる道筋を示すことが必要なのです。「残したいから守る」と「残したいから変える」。この二つを対立させることができるのが、灘脇さんの腕なのだと思います。

四つの視点から考える活動のあと、実際に淀江傘をつくる動画を視聴します。一本の竹を採るところから始まり、手作業で竹を割き、組み立て、紙を貼り、油を塗る。一本の糸を丁寧に編みながら装飾を施す。それまで「守るか、変えるか」を頭で考えていた子どもたちの前に、実際に人の手によって守り継がれてきた淀江傘の姿が現れるのです。何の解説もない3分ほどの動画ですが、一本の傘に注がれてきた人々の手間と時間、そして長い年月をかけて受け継いできた思いが静かに伝わってきます。「何を守り、何を変えながら未来へつないでいくのか」。簡単には答えの出ないこの問いを、最後にもう一度子どもたちに返して、授業は終わるのです。

堀裕嗣先生

ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。

宇野弘恵

うの・ひろえ。北海道公立小学校教諭。民間教育研修などに参加、登壇し、今日的課題や教員人生を豊かにすることを学んでいる。著書に『あと30分早く帰れる! 子育て教師の超効率仕事術』(学陽書房)、『スペシャリスト直伝!高学年担任の指導の極意』『伝え方で180度変わる!未来志向の「ことばがけ」』、『生き方を考える!心に響く道徳授業』(以上明治図書出版)など多数。

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