堀 裕嗣✕宇野弘恵 キャッチボール連載独自開発教材でつくる 渾身の「三つ星道徳授業」#12 「行かないで!」 by 堀 裕嗣

魅力的なオリジナル教材を続々と開発し、最先端の道徳授業実践を蓄積し続け る堀先生と宇野先生が交互にそれぞれの自信作を公開。さらには相手の教材開発と授業づくりについて解説し合う連載です。イメージしながら読むだけで感情と思考が大きく揺さぶられる傑作揃いです。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)・解説/宇野弘恵(北海道公立小学校教諭)
目次
1.授業の実際
『行かないで!』
B/主として人との関わりに関すること【相互理解、寛容】
対象学年/中学校1~3年
1) 一つ目のtweet
最初に、かつてのTwitterのマークを提示する。
「これ、何かわかりますか」

現在の「X」(旧twitter)であることを確認した後、一つ目のtweetを提示する。
2018年9月7日、北海道胆振東部地震の翌日に投稿されたものである。
私は公務員です。災害の時は『仕事』で避難所運営をします。『当たり前』だと言わないでください。私にも家族がいるんです。家族を守る方が重要です。でも、仕事に行きます
次に、この投稿に対して次のような返信があったことを紹介する。
公務員はツイッターなんかで呟くな、むかつくんだよ
まさに投げつけるような言葉である。
投稿者はこれに対して、次のように答えた。
私たちがやらねばだれがやるのですか? 公務員は全てAIにしますか?
2) 二つ目のtweet
続いて、二つ目のtweetを提示する。
「職務中に飲み物飲んでる」とかいう苦情のせいで今年猛暑で職務中に熱中症で亡くなった運転手さんがいる
「被災地で自衛隊がご飯食べている」とかいう苦情のせいで自衛隊は冷たい缶詰しか食べることを許されず体調を壊す隊員もいるという
クレーマーがおかしいがクレーマーを止める人が居ない
ところが、このtweetには続きがある。翌日、同じ投稿者は、さらにこう書いている。
正直なところそういうクレーマー体質の人間って「自分から見たら他人事」だから言えるんでしょうね
北海道の電力問題でもそう。
そしてそういう人種は自分がいざ当事者になったら誰よりも先に自分を救え助けろといい出す
そんな例を嫌になるほど見てきましたからね…
ここではまだ、このtweetの内容について教師が評価を加えない。「他人事だから言える」「自分が当事者になったら」という言葉だけを、生徒たちの中に残しておく。
3) 三つ目のtweet
三つ目は、被災地で活動する自衛官を撮影した写真とともに投稿されたtweetである。
雨に濡れ
泥土に塗れ
半長靴も脱がず
雨衣も脱がず
横たわることもなく
静かに目を閉じて
祈るように眠る
頑張れ北海道
頑張れ、北海道
よろしく、自衛隊
ここで発問する。
発問:「三つのtweetについて、考えたこと、感じたことを交流しましょう」
三つのtweetはいずれも、災害時に働く人たちをめぐるものである。公務員も自衛官も「仕事なのだからやって当然」と見られやすい。しかし、その人たちにも家族がいる。疲れもする。食事も睡眠も必要である。
生徒たちは三つのtweetを読みながら、「仕事だからといって何を要求してもよいわけではない」「助ける側の人も同じ人間だ」「自衛隊の人たちも大変だ」といった感想をもつ。
ここではまだ、それでよい。
4) その情報は本当なのか
次に、二つ目のtweetにもう一度戻る。
「この中に、ちょっと気になる情報があります」
「被災地で自衛隊がご飯食べている」という苦情のため、自衛隊員は冷たい缶詰しか食べられない、という部分である。
「これ、本当なのでしょうか」
ここで、ネットメディア「ねとらぼ」が防衛省および自衛隊関係者に取材した記事を提示する。
記事によれば、「被災者への配慮のため、自衛隊員は炊き出しを食べず、冷たい缶詰を食べるのが原則」という情報は正確ではない。状況や現場の指揮官の判断によるため一概には言えないものの、基本的には被災者に渡しているものと自衛隊員が食べるものは同じで、炊き出しを行っている場合には隊員も同じものを食べる場合が多いという。一方、被災者への配給が十分に行き渡っていない場合には、隊員がレーションを食べることもある。
「さきほどのtweetには、事実とは言い切れない情報が含まれていたわけです」
SNSに書かれていることを、そのまま事実として受け取ることの危うさにも触れる。ただし、ここで情報モラルの授業にしてしまわない。大切なのは、事実を確かめたうえでなお残る問いである。
被災地では、自衛官自身もまた生活をもつ一人の人間でありながら、被災者を優先して活動している。
炊き出しをつくる自衛官、被災者に食事を手渡す自衛官、物資を運ぶ自衛官などの写真を提示する。
そしてもう一度、交流する。
「被災地での自衛官の姿勢について、考えたこと、感じたことを交流しましょう」
最初の交流よりも、自衛官の仕事に対する見方が少し具体的になる。
5) ある母の記録
ここで時間を2011年3月11日に移す。東日本大震災である。
被災地で救助活動に当たった自衛隊員の中には、自らも被災し、家族の安否さえ確認できないまま出動した人がいた。子どもを残して出動し、なかなか帰宅できなかった母親の自衛官もいた。
一人の女性自衛官を紹介する。
東北方面衛生隊第105野外病院隊に所属していた板橋佳恵1尉である。当時35歳。6歳の長男、4歳の次男、3歳の長女をもつ三児の母親でもあった。
地震が起きた日は長男の幼稚園の卒園式だった。やはり自衛官である夫とともに休暇を取り、卒園式に出席していた。その帰り道に大地震が起きる。急いで自宅へ戻ると、家の中ではタンスなどが倒れ、水槽も割れていた。幸い、義父母と子どもたちは無事だった。
しかし、佳恵さん夫妻は自衛官である。
出勤しなければならない。
夫は迷彩服に着替えて家を出る。佳恵さんも子どもたちの身支度を整え、義父母に託し、午後4時には勤務先へ向かった。
ここでは、すぐに発問しない。
「自衛官なのだから当然だ」と言うのは簡単である。しかし、その「当然」の中には、自分自身も被災している人間がいる。さらにその人は、三人の幼い子どもの母親でもある。
この事実を十分に生徒たちの中に置いてから、続きを読む。
佳恵さんは、その後、勤務先の病院で寝泊まりを続ける。
子どもたちに再会できたのは、およそ10日後だった。1日だけ休暇をもらうことができたのである。
久しぶりに会った子どもは、佳恵さんにずっと抱きついて離れなかった。
そして、再び仕事へ戻ろうとする母親にしがみついた。
「ママ、行かないで」
佳恵さんは、そのときのことを「胸が引き裂かれるような思いでした」と語っている。
ここで発問する。
発問:あなたが佳恵さんなら、どうしますか。
交流させる。意見は分かれる。「仕事に戻る」という生徒がいる。被災地では大勢の人が助けを必要としている。佳恵さんは看護官である。佳恵さんにしかできない仕事があるかもしれない。
一方、「子どものそばにいる」という生徒もいる。6歳、4歳、3歳である。大きな地震に遭い、母親と10日間も離れていた。ようやく帰ってきた母親に「行かないで」としがみついている。その子どもを置いていくことなど、自分にはできないというのである。
もちろんここで、どちらかを正解にはしない。
むしろ、「仕事に行くべきだ」と考える生徒には子どもの側から考えさせ、「子どものそばにいるべきだ」と考える生徒には被災地で助けを待っている人々の側から考えさせたい。
どちらにも理由がある。
どちらを選んでも、何かを守ることになり、同時に何かを置いていくことになる。
だからこそ佳恵さんは苦しいのである。
6) 更なる苦しさ
しかし、この授業はここで終わらない。
「この三日後、さらにこんなことが起こります」
続きを提示する。
佳恵さんの勤務する病院へ、義母と三人の子どもたちが患者として運ばれてきたのである。
ライフラインが止まり、十分な食事もとれない生活が続いていた。三人の子どもたちは全員40度近い熱を出し、義母も体調を崩していた。
佳恵さんの目の前に現れた子どもたちは、見るからに憔悴し、点滴を必要とする状態だった。幼い子どもは「苦しい」という言葉さえ口にできないほどだったという。
佳恵さんは語る。
「国民を守る仕事をしているのに、自分の子供すら守ってやれないなんて…」
話しながら、涙があふれて止まらなくなったという。
先ほど「仕事に戻る」と答えた生徒にも、「子どものそばにいる」と答えた生徒にも、この事実は重い。佳恵さんは間違っていたのだろうか。仕事に戻らず、子どものそばにいるべきだったのだろうか。それとも、それでも被災者のために働くことが自衛官としての責任だったのだろうか。簡単には答えられなくなる。
その「簡単には答えられない」というところまで、生徒たちを連れていきたい。
6) 再び自衛官
最後に、授業の前半で扱った被災地の自衛官の写真を見る。
そして発問する。
発問:もう一度、被災地での自衛官の姿勢について、考えたこと、感じたことを交流しましょう。
同じ発問である。
しかし、授業の初めと終わりでは、この問いの意味が違っている。
当初、生徒たちが見ていたのは「被災者を助ける自衛官」だった。泥にまみれ、十分に休むこともできず、それでも被災者のために働き続ける人たちだった。
いま、生徒たちが見ているのは、それだけではない。迷彩服を着ているその人にも家族がいる。親がいるかもしれない。夫や妻がいるかもしれない。幼い子どもがいるかもしれない。その家族もまた被災しているかもしれない。
「行かないで」と言われてきた人がいるかもしれない。
それでも、その人はそこにいる。
ここでは、授業の冒頭で読んだ公務員のtweetにも戻る。
「私にも家族がいるんです。家族を守る方が重要です。でも、仕事に行きます」
最初に読んだときと、同じ言葉には聞こえないはずである。
人は、目の前に見えている姿だけで他者を理解することはできない。その人がそこにいるまでに、何を置いてきたのか。何と葛藤してきたのか。どんな思いを抱えながら、それでもそこに立っているのか。他者を理解するということは、見えている行為だけを見ることではない。その行為の向こう側にある、その人にはその人の事情があり、生活があり、大切な人がいるというところまで想像することである。
自分から見える一面だけで、その人を決めつけないことである。
2.この授業をつくるにあたって
災害が起こると、私たちは被災者に目を向ける。
家を失った人がいる。家族を失った人がいる。電気や水道が止まり、避難所での生活を余儀なくされる人がいる。そうした人々に思いを寄せ、支援することは大切なことである。
しかし、災害時には「支援する側」にも生活がある。
避難所を運営する自治体職員にも家族がいる。救助活動にあたる自衛官にも家族がいる。消防士にも警察官にも医療従事者にも、それぞれに守りたい人がいる。災害が大きければ大きいほど、支援する側の人たち自身もまた被災者である可能性が高くなる。
この授業の出発点は、そこにある。
授業の前半では、北海道胆振東部地震の直後に投稿された三つのtweetを扱う。一つ目は、災害時には避難所運営にあたるという公務員の投稿である。「『当たり前』だと言わないでください。私にも家族がいるんです。家族を守る方が重要です。でも、仕事に行きます」という言葉が綴られている。
二つ目は、職務中に飲み物を飲む運転手や、被災地で食事をする自衛官に苦情を寄せる人々について書かれたtweetである。そしてその翌日、投稿者は、そうしたことが言えるのは「自分から見たら他人事」だからではないか、自分が当事者になれば「自分を救え助けろ」と言い出すのではないかと続ける。
三つ目は、被災地で活動する自衛官が、雨に濡れ、泥土にまみれ、半長靴も雨衣も脱がず、横たわることさえなく眠る姿を伝えたtweetである。
この三つを並べることで、まずは「支援する側」に視線を向ける。
ただし、この段階で「自衛官はこんなに頑張っているのだから感謝しなければならない」といった方向へ授業を収束させるつもりはない。むしろ、ここからが授業の始まりである。
二つ目のtweetには、「自衛隊は被災者に配慮して冷たい缶詰しか食べられない」という趣旨の記述がある。しかし、その情報はそのまま事実として受け取ることができない。防衛省および自衛隊関係者への取材では、基本的には被災者に渡しているものと隊員が食べるものは同じであり、炊き出しの場合には隊員も同じものを食べる場合が多いとされている。一方、被災者への配給が行き渡っていない場合にはレーションを食べることもあるという。
ここは大切にしたいところである。
ある人の立場に共感することと、その人について語られた情報を無条件に信じることとは違う。善意から発信された情報であっても、それが事実であるとは限らない。だからこそ、いったん立ち止まり、事実を確かめたうえで、改めて被災地で働く自衛官について考える。
そして授業後半では、東日本大震災で実際に被災しながら勤務にあたった板橋佳恵一尉の話を扱う。
佳恵さんは三人の幼い子どもの母親である。震災当日は長男の幼稚園の卒園式だった。地震後、自宅へ戻って家族の無事を確認すると、同じく自衛官である夫とともに子どもたちを家族に託し、勤務先へ向かう。
そして十日ほどたって、ようやく子どもたちに会う。
別れ際、子どもがしがみついて言う。
「ママ、行かないで」
ここで「あなたが佳恵さんなら、どうしますか?」と問う。
この問いに簡単な正解はない。被災地では佳恵さんを必要としている人がいる。一方で、目の前には母親を必要としている幼い子どもがいる。「自衛官なのだから仕事に行くべきだ」と言い切ることも、「母親なのだから子どものそばにいるべきだ」と言い切ることもできない。
さらにその三日後、三人の子どもたちは40度近い熱を出し、佳恵さんの勤務する病院へ運ばれてくる。佳恵さんは「国民を守る仕事をしているのに、自分の子供すら守ってやれないなんて…」と涙を流す。
ここまで来ると、授業の最初に見た自衛官の姿が違って見えてくる。
制服を着て被災地で働いている人を見れば、私たちはその人を「自衛官」として見る。しかし、その制服の向こう側には一人の人間がいる。誰かの夫かもしれない。妻かもしれない。父親かもしれない。母親かもしれない。そしてその人にも、仕事とは別の場所で抱えている事情や葛藤がある。
内容項目「相互理解、寛容」を扱うとき、ともすると「相手の立場になって考えよう」「いろいろな考え方を認めよう」といった授業になりがちである。しかし、他者の立場に立つことは、本来それほど簡単なことではない。見えているのは、その人のほんの一部分だからである。
「公務員なのだから」「自衛官なのだから」「母親なのだから」。私たちはしばしば、相手の一つの属性から、その人がどう行動すべきかを簡単に決めてしまう。しかし、一人の人間はいくつもの立場を同時に生きている。佳恵さんは自衛官であると同時に母親である。そのどちらか一方だけが「本当の佳恵さん」なのではない。
だから他者を理解しようとすることには、想像力が必要なのだと思う。
自分から見えているその人だけで、その人のすべてをわかったつもりにならないこと。
この授業で生徒たちに考えてほしいのは、そのことである。
この授業は、北海道胆振東部地震に際してつくった連作授業のうちの一つである。他の授業も機会があれば紹介したい。
