堀 裕嗣+宇野弘恵が厳選&解説! 発見!珠玉の道徳授業 #6 「夜景」 by 川上大輝

独自開発教材を用いた道徳授業研究の第一人者である堀裕嗣先生と宇野弘恵先生が、全国各地で登壇するセミナーツアーの中で出合った素晴らしい道徳授業を紹介する連載です。毎回、お二方が執筆する授業解説付きでお届けします。堀先生と宇野先生の「授業の見方」も学べる連載です。
今回の執筆者/川上大輝(長崎県長崎市立西泊中学校教諭)
目次
1・授業の実際
『夜景』
内容項目 C/郷土の伝統と文化の尊重、郷土を愛する態度
①様々な方角から長崎市の夜景を見せる。
長崎市の観光地である稲佐山から撮影した夜景の写真を示しながら次のように問います。
長崎市の夜景を見たことがありますか。
校区から少し離れているということもあるかもしれませんが、「見たことがない」とか「写真やSNSでなら見たことがある」と答える生徒が多いです。一方向の「観光地としての夜景」ではなく、長崎のまちを取り囲む山々から見える夜景として捉えさせるため、三方向からの写真を次のスライド1~3の順で提示しました。
スライド1

スライド2

スライド3

②観光客の声を知り、長崎市の夜景を自慢や誇りに思う気持ちを高める。
「長崎市の夜景を見た観光客の声を紹介します。」と言って次のような声を2枚のスライドに分けて提示します。
○稲佐山展望台から見る夕焼けと夜景が今までの国内観光で一番美しい景色で感動しました。
○稲佐山からの夜景を楽しみにしていましたが、長崎らしい非常に立体的でまさに銀河のような美しさでした。
○夜景が一番印象に残っています。特に鍋冠山からの夜景が近くに感じられ素敵でした。
○夜景がとにかくきれいだった。展望台からじゃなくても普通にきれいだった。
みなさんは、長崎市の夜景についてどんなことを思ったり、感じたりしますか。
ペアで交流させます。市外から来た観光客の声を知った後に考えることで、多くの生徒が長崎市の夜景を自慢に思ったり、誇りに感じたりします。
③夜景の変化を用いて過疎化を可視化する。
「実はこの夜景にある変化が起こっています。何が起こっているのかよく見てください。」と言って、次のスライドを順番に提示し、夜景の中の明かりが消えていることに気づかせます。席が後方の生徒には近くまで見に来て良いと伝えます。全員が気づけるように3枚目のスライドに近づくにつれ、明かりの消え方を分かりやすくします。
変化前

変化1

変化2

変化3

なぜ、長崎市の夜景が消えていっているのでしょうか。
ペアで交流をさせます。長崎市の夜景は、平地の建物と山の斜面の住宅の明かりによってできています。山の斜面で生活する人が減っていることが明かりが消えている原因だと気付かせ、長崎市で過疎化が進行していることを認識させます。
④夜景の中の生活の大変さを想像する。
立山で暮らす井村啓造さんの次の言葉を提示します。
「眺望はいいけれども、実際に生活するとね。もう、言い表せないですよ。」
言い表せないことって、どんなことでしょうか。
夜景をつくり出している山の斜面での生活の大変さを想像させます。住宅の多くは密集しており、家のすぐ近くまで車で行くことはできません。そのため、道路から住宅までは階段や坂を登ったり、降りたりしなければなりません。お年寄りや重たい荷物を持った人にとってとても生活が不便です。
⑤夜景の中の生活の大変さを知る。
井村さんの言葉の続きを提示します。
「子どもの頃は、周りにたくさん子どもがいました。その子たちと遊戯会などをして楽しく遊んでいました。
若いときはね、こんな坂はどうでもないと。子どもの頃はもう跳んで行ってたんですけど、だんだん歳をとってくると、特に70を過ぎると、億劫になってきますね。
この辺もみんな空き家ですね。そこも空き家、空き家、空き家。
予備軍と言ったら悪いですけど、もう75歳以上の人も多くて、この地区は10年、15年したらほとんど、もう厳しいんじゃないかというところですね。
できれば住み続けたかったけど、それも限界があります。夫婦そろってずっと仲良く生活することを考えたら、市の中心部に引っ越す決断にいたりました。」
生活しにくい場所に住み続けたいと思うのはなぜだと思いますか。
生徒は、井村さんが生まれ育った場所に対して愛着があること、その場所で生活を続けたいと思いつつも、それができないことを感じ取りながら、美しい夜景の中で生活することの大変さを具体的に想像します。
⑥夜景を見ながら過疎化が進む長崎市の未来を考える。
次のスライド2枚を提示します。文字は読まず、ゆっくりとフェードインさせます。2枚目のスライドでは、一文ずつフェードインさせます。全文の提示が終わった後、導入で示した夜景の写真を再度提示します。ここでは夜景だけを提示します。生徒は、夜景の写真を見ながら、その美しさを感じるとともに、長崎市の過疎化という課題と未来に思いを巡らせます。
スライド1

スライド2

2・この授業をつくるにあたって
この授業でも示した立山は、私が当時日課にしていた夜のウォーキングコースです。標高約110mの場所で、暗くなった頃、ほぼ毎日のように歩いていました。授業で提示した写真は、このウォーキングコースのある場所から撮影したものです。他にも夜景が見える場所はあるのですが、ここから見える夜景が一番きれいだと思っていたので、いつも足を止めて少しの時間、夜景を見ることを楽しみにしていました。きれいだなぁと思いながら、ときには30分くらい見入っていることもありました。ずっと見ていたいと思える夜景です。
そんなある日、いつもより明かりが少ないなと感じたのです。実はその日は、ウォーキングを始めたのがいつもより1時間遅かったことに気づきました。もう寝ていて明かりが消えた家や全員が退勤して暗くなったオフィスビルがいつもより増えたことがその原因でした。このことから、夜景は人々の生活の明かりによってできているのだと考えるようになりました。このまま長崎市で人口減少や過疎化が進めば、このきれいな夜景もいつかは見られなくなってしまうのかなと思い、少し悲しくなりました。気がつくと10年後の夜景はどんな夜景なのかな。今、見ている夜景と同じようにきれいと思えるのかなと考えていました。
そんな中、堀先生から熊本で模擬授業をする機会をいただきました。模擬授業のテーマは【超過疎化社会】です。私が夜景を見て考えていたことと模擬授業のテーマが重なったことで、授業化しようと思いました。ただ、この時点で私の手元にある素材は、私の問題意識と夜景だけです。両者をつなぐ素材が必要でした。そこで何か良い素材はないかといろいろ調べたり、探したりしていくうちに、NHKの地域発ニュース【NHK長崎 世界新三大夜景ではなくなる? 坂の町長崎と人口減少】という番組を見つけました。この番組を見たときにパソコンの画面をスマートフォンで撮影した画像が残っていますが、残念ながら番組自体を検索しても出てきません。授業で取り上げた立山在住の井村啓造さんのことは、たしかこの番組内で紹介されていました。夜景の中の暮らしについて当事者である井村さんの切実な語りがとても印象的でした。この井村さんの語りによって生徒が夜景の外から中へ入っていくことができる展開がつくれると思いました。この構想ができたことで教材化が一気に進みました。私が夜景を見ながら、長崎の未来を考えたように、授業の終末では、夜景をゆっくりと見ながら、長崎の未来について静かに考えを巡らせる時間をつくりました。この授業で【超過疎化】を長崎の課題だと捉え、長崎の未来について考えや思いを巡らせることを通して生まれ育った長崎に対する郷土愛を深められると思います。
堀 裕嗣による授業解説
この授業は、少し意地が悪い。
授業者はまず、長崎の夜景を子どもたちに見せる。しかも、一枚ではない。稲佐山、鍋冠山、立山と、異なる地点から眺めた夜景を次々と提示する。観光客の「今までの国内観光で一番美しい」「銀河のような美しさ」といった声まで紹介する。子どもたちは当然、「長崎の夜景はきれいだ」「自分たちの町にはこんなすごいものがある」と感じることになる。
ここまでは、いかにも「郷土の伝統と文化の尊重、郷土を愛する態度」を扱う道徳授業らしい。
しかし、この授業はそこで終わらない。むしろ、そこから裏切りが始まる。授業者は、いま子どもたちが「美しい」と感じたばかりの夜景から、少しずつ明かりを消していく。そして問う。
「なぜ、長崎市の夜景が消えていっているのでしょうか。」
夜景を構成しているものは何か。イルミネーションではない。観光客のために設置された照明でもない。そこに暮らす人々の家の明かりである。だから、人がいなくなれば、明かりも消える。
ここで子どもたちが最初に見た夜景の意味が反転する。
「あの光は、人だったのか。」
この気づきこそ、この授業の中心である。
私たちは夜景を見るとき、そこにある何万もの光を一つの「景色」として見る。展望台から眺め、「きれいだね」と言い、写真を撮る。しかし、その一つ一つの光の下には人間の生活がある。夕食を食べている人がいる。テレビを見ている人がいる。風呂に入っている人がいる。家族と話している人もいれば、一人で暮らしている老人もいる。つまり夜景とは本来、巨大な生活の集合体なのだ。
ところが私たちは、それを遠くから眺めることによって「風景」に変えてしまう。
この授業は、その風景をもう一度、「生活」に戻していく。
その役割を果たすのが、立山に暮らす井村啓造さんである。
井村さんは、「眺望はいいけれども、実際に生活するとね。もう、言い表せないですよ」と語る。
ここにも反転がある。外から見る人にとっては「眺望がいい」。しかし、その眺望をつくっている場所で暮らす人にとっては、坂を上り、階段を下り、荷物を運び、高齢になった身体で毎日の生活を営まなければならない。観光客が「美しい」と言っているその場所で、住民は「もう限界があります」と言う。
この二つは、どちらも本当なのである。
ここがこの授業のおもしろさだ(「おもしろさ」などと言ってはいけないかもしれないが)。
「観光客は表面しか見ていない」と批判する授業ではない。「過疎化は大変だから地域を守りましょう」という単純な授業でもない。
夜景は美しいのだ。
しかし、暮らすのは大変なのだ。
ほんとうは離れたくないのだ。
しかし、離れなくてはならないのだ。
井村さん自身、子どもの頃にはたくさんの仲間がいて、坂道など苦にもならなかった。しかし、高齢になるにつれて坂が億劫になり、周囲には空き家が増えていく。そして最後には、夫婦で生活を続けるために市の中心部へ移ることを決断する。
「郷土を愛する態度」という内容項目を扱うとき、私たちはつい「自分の町のよさを知る」という方向へ授業をつくる。郷土の自然は素晴らしい。伝統文化は素晴らしい。地域の人々は素晴らしい。だから、この町を大切にしよう。そう思いたいのだ。もちろん、それも郷土愛ではある。
しかし、人間が本当に何かを愛するとき、その対象の「よさ」だけを愛しているわけではない。家族もそう。友人もそう。長く付き合っている人間ほど、相手の面倒なところも、嫌なところも、弱いところも知っている。それでも関係を切らずにいる。そういうものである。
郷土も同じなのではないか。
坂が多い。暮らしにくい。若者が減る。空き家が増える。やがて自分自身も住み続けられなくなるかもしれない。それでも、「ここで暮らした」という事実は消えない。
そう考えると、郷土愛とは「この町が好きだ」という現在形の感情だけではないことが見えてくる。むしろ、「この町がなくなってほしくない」という感情の方が、郷土愛の深いところに触れているのかもしれない。
この授業の終末が優れているのは、だから、「長崎のために私たちにできることは何でしょう」と問わないところにある。もしそう問えば、生徒たちは「地域を活性化する」「若い人が住みやすい町にする」「長崎の魅力を発信する」といった答えを書くことになるだろう。間違ってはいない。しかし、中学生に長崎市の人口減少を解決できるわけではない。
この授業は、そこまで子どもに背負わせない。
「1年後の長崎の夜景はどんな夜景になっているでしょうか。5年後は?10年後は?20年後は?」
そして、
「この夜景を見たときと同じようなことを思うでしょうか。」
とだけ問う。
解決策ではなく、時間を手渡すのである。
いま自分たちが見ている町を、20年後から眺めさせる。ここには、道徳授業としてかなり重要な仕掛けがある。中学生にとって「長崎」は基本的に現在の風景である。物心ついたときから存在している道路があり、家があり、店があり、学校がある。だから、それらはこれからも存在し続けるような気がしている。
しかし、町は永遠ではない。人が減れば家が消える。家が消えれば明かりが消える。明かりが消えれば夜景が変わる。そして夜景が変わるということは、その下にあった生活が消えることと同義なのだ。
授業者自身、この教材をつくるきっかけになったのは、いつものウォーキングで「今日はいつもより明かりが少ない」と感じた経験だったと言う。歩き始めた時間が一時間遅かったため、既に就寝した家や退勤後のオフィスが増えていた。そこから「夜景は人々の生活の明かりによってできている」と気づいた。
これは教材研究としても示唆的である。
教材は必ずしも、本の中にあるわけではない。日常の中で感じた小さな違和感――「あれ、今日は少し暗いな」――から始まることがある。しかも授業者は、その違和感だけで授業を完成させてはいない。「私の問題意識と夜景だけ」だったところから、それらを結びつける素材を探し、NHKの地域ニュースと出会い、そこで井村さんと出会っている。授業者自身が「井村さんの語りによって生徒が夜景の外から中へ入っていくことができる」と説明している。
「夜景の外から中へ」。
実に、この授業をよく表している言葉だと思う。
授業の最初、生徒たちは展望台にいる。町を外から見ている。授業が進むにつれて、視点は少しずつ町へ近づいていく。そして最後には、一つの光の下で暮らしている人間の人生にまで入っていく。それからもう一度、展望台へ戻る。同じ夜景を見る。しかし、もう最初と同じ夜景には見えない。光の一つ一つが生活に見える。消えている暗闇の一つ一つが、そこからいなくなった人に見える。
道徳授業とは、新しい知識を一つ増やすことではない。授業の前と後で、同じものが違って見えるようになることである。そう考えるなら、この授業で最も大切なのは「郷土愛について考えた」ことですらない。
授業の最初と最後に、同じ長崎の夜景が提示される。写真は何も変わっていない。変わったのは、それを見る子どもの側である。
しかし、おそらくそれこそが、この授業における「郷土を愛する態度」の正体なのだと思う。
宇野弘恵による授業解説
世界には、たくさんの美しい夜景があります。東京やニューヨークの夜は、林立する高層ビルから無数の光が放たれ、街全体がまばゆい光に包まれます。都会的で華やかな夜景には、見る人を圧倒するほどの迫力と美しさがあります。一方、長崎は、大都市のように高層ビルが立ち並んでいるわけではありません。それなのに、長崎の夜景はなぜこれほどまでに美しいのでしょうか。
川上さんが提示した写真を、もう一度よく見てみてください。できれば、東京やニューヨークの夜景とも比べてみてください。暗い空や海を背景に無数の光がきらめき、海面に反射した光が広がる様子は、東京やニューヨークの夜景にも長崎の夜景にも共通しています。ところが、夜景を生み出す光の源を見てみると、大きな違いがあることに気づきます。東京やニューヨークの夜景を彩るのは、高層ビルや商業施設から放たれる華やかな光です。長崎の夜景をつくる光の多くは、住宅の窓や街路に灯る生活の灯りです。一つ一つの灯りの向こうに人が住んでいる。人々の生活が営まれている。長崎の夜景を単に「美しい景色」として見るのではなく、一つ一つの灯りの向こうにある人々の暮らしまで見つめているところに、川上さんの授業の素晴らしさがあると思います。
しかし、同じ夜景を見ても、誰もが川上さんと同じように感じるわけではありません。何に心を動かされ、何を見いだすかは人によって異なります。既存の教材とは違い、自分で開発した教材には、授業者の感性や価値観が色濃く反映されます。何に感動し、何に怒り、何に問題意識をもっているのか。授業には、授業者自身のものの見方や生き方が、教材の発見や切り取り方、投げかける問いとして表れます。授業に授業者の人となりが見えるところが、自主教材開発授業の魅力であり、怖さでもあるといえます。感性が鈍く、問題意識が狭く浅ければ、生まれる授業もまた、鈍く、狭く、浅いものになってしまうのです。
川上さんの教材開発には、日常の中に教材の種を見つける感性の鋭さがあります。川上さんは、毎日のように歩いていたウォーキングコースから長崎の夜景を眺めていました。きれいだなぁと思い、ときには30分ほど見入ることもあったと書いています。普通であれば、「今日もきれいだった」で終わってしまうかもしれません。しかし、ある日、川上さんは、いつもより夜景の明かりが少ないことに気づきます。ウォーキングを始める時間が1時間遅かったため、すでに眠りについた家や仕事を終えたオフィスの明かりが消えていたのです。
夜景の明かりが少ない。ほんのわずかな変化です。しかし、川上さんは、その小さな変化に引っかかりを覚えます。そして、明かりが消えているという現象から、夜景は人々の生活の明かりによってできていることに気づきます。一つ一つの灯りの向こうに人がいて、日々の暮らしが営まれている。もし、人口減少や過疎化によって、明かりが一つ、また一つと消えていったら、目の前に広がる美しい夜景も変わっていくのではないか。10年後の夜景はどんな夜景なのだろう。今と同じようにきれいだと思えるのだろうか――。夜景の美しさから、そこで暮らす人々へ、そして長崎の未来へと思考を広げていきます。日常の風景の小さな変化を捉え、長崎が抱える社会的な課題へと繋げていく感性の鋭さ。その根底には、一つ一つの灯りの向こうにある人々の暮らしを見つめる、川上さんのあたたかな眼差しがあるのです。
人々の暮らしを見つめる眼差しは、井村さんを教材の中に登場させたことにも表れています。過疎化は、人口や空き家率などの数字でも説明できます。しかし、川上さんは数字だけで過疎化を語ろうとはしませんでした。長年その土地で暮らしてきた井村さんの生活を通して、過疎化を考えさせています。「子どもの頃は、周りにたくさん子どもがいました」「若いときはね、こんな坂はどうでもないと」「できれば住み続けたかった」。井村さんの言葉から見えてくるのは、斜面地で暮らす大変さだけではありません。子どもの頃の思い出がある。長年暮らしてきた土地への愛着がある。できることなら住み続けたいという願いがある。それでも、住み慣れた土地を離れなければならない。過疎化という言葉の向こうにも、一人一人の暮らしがあり、思いがあるのです。
「生活しにくい場所に住み続けたいと思うのはなぜだと思いますか。」
川上さんが投げかける問いにも、同じ価値観が表れています。「なぜ引っ越さないのか」ではありません。「なぜ住み続けたいと思うのか」と問うのです。生活の不便さに目を向けるだけなら、「なぜ引っ越さないのか」と問うこともできたはずです。しかし、川上さんが考えさせたいのは、それでも住み続けたいと願う井村さんの思いです。過疎化を単なる人口減少として見るのではなく、そこで生きる一人の人間の願いや愛着まで見る。数字だけではなく、数字の向こうにいる人間を見る。社会科を専門とする川上さんらしい視点だなぁと思います。
井村さんの暮らしや思いに触れた後、生徒はもう一度長崎の夜景を見ます。授業の最初に見た夜景と、授業の最後に見る夜景は同じ写真です。しかし、夜景の見え方は、もう同じではありません。最初は「きれい」「長崎の自慢」と見ていた夜景です。一つ一つの灯りの向こうに人々の暮らしがあることを知る。住み慣れた土地を離れなければならない人の思いを知る。人口減少や過疎化が進む長崎の未来を考える。そして、もう一度同じ夜景を見る。すると、授業の最初には見えていなかったものが、最後には見えるようになっているのです。
写真は何も変わっていません。変わったのは、生徒の見方です。美しい夜景の中に人々の暮らしが見える。長崎の自慢である夜景の中に、長崎が抱える課題も見える。そして、長崎の未来まで見えてくる。川上さんが夜景を見ながら辿った思考を、今度は生徒が授業の中で辿っているのです。授業者自身のものの見方が教材となり、生徒のものの見方を広げていく。そこに、自主開発教材のすごさがあると思います。
この授業は、川上さんが毎日のように歩いていた道から生まれました。教材は、特別な場所にだけあるわけではありません。毎日歩いている道にも、何気なく眺めている風景にも、教材の種はあります。ただ、同じものを見ていても、何を感じ、何に引っかかり、何を見いだすかは人によって違います。夜景のわずかな変化に引っかかる。灯りの向こうに人々の暮らしを見る。長崎の未来にまで思いを巡らせる。川上さんの感性と価値観がなければ、「夜景」という教材は生まれなかったでしょう。
教材を開発するということは、いつも見ているものをどれだけ深く見ることができるか、目の前に見えているものの向こうに、人の思いや社会の姿をどれだけ見ることができるかということでもあります。授業者が日頃から何を見て、何を感じ、何を考えているのか。川上さんの「夜景」の授業は、教材開発が授業者自身の感性と価値観から始まることをあらためて教えてくれます。

ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。

うの・ひろえ。北海道公立小学校教諭。民間教育研修などに参加、登壇し、今日的課題や教員人生を豊かにすることを学んでいる。著書に『あと30分早く帰れる! 子育て教師の超効率仕事術』(学陽書房)、『スペシャリスト直伝!高学年担任の指導の極意』『伝え方で180度変わる!未来志向の「ことばがけ」』、『生き方を考える!心に響く道徳授業』(以上明治図書出版)など多数。
