堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s Bar 一杯分だけ、話そうか。#26 「みんな」の作用と反作用~トイレットペーパーとマンガ、そしてAI活用

教育界随一の論客、堀 裕嗣先生による連載第26回。教育というジャンルに留まらず、広い社会的視野、歴史的射程に基づいた縦横無尽な論考をお届けします。毎回最後のコラムでは、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1.1973年と2020年のトイレットペーパー
11月2日。1973年のことである。大阪府豊中市の千里ニュータウンにあるスーパーに、開店前から長い列ができていた。客たちのお目当ては、肉でも魚でも米でもなかった。
トイレットペーパーである。
店が特売品として用意したトイレットペーパーに客が殺到し、あっという間に売り切れた。やがて「トイレットペーパーがなくなるらしい」という話が広がり、各地のスーパーや小売店で同じような光景が見られるようになる。日本中を巻き込んだ「トイレットペーパー騒動」である。
もちろん、何の理由もなく突然、人々がトイレットペーパーを買い始めたわけではない。この年の10月、第4次中東戦争が勃発した。アラブ産油国は原油価格を大幅に引き上げるとともに、イスラエルを支持する国々への原油供給を削減した。いわゆる第一次オイルショックである。
石油価格が上がれば、さまざまな商品の価格が上がる。日本国内では物価高への不安が急速に広がっていた。実際、政府も紙の節約を呼びかけていた。そうした状況の中で、「紙がなくなる」「トイレットペーパーが手に入らなくなる」といった話が広がっていったのである。
トイレットペーパーという商品は妙な商品である。買わなくて数日から何か月かはなんとかなる。しかし、なくなったときのことを想像するとなんとも心細い。米なら別のものを食べればいい。肉がなければ魚を食べればいい。しかし、トイレットペーパーにはなかなか適当な代用品が思いつかない。しかも腐らない。家に十個あっても二十個あってもいつかは使う。
ならば、いま買っておこう。一人がそう考える。隣の人もそう考える。スーパーの棚から商品が減っていく。その棚を見た人が「やっぱりなくなるんだ」と思う。そしてその人も買う。こうして「なくなる」という情報が人を動かし、人が動いた結果、本当に店頭から商品がなくなっていく。
いったんこの循環が始まると厄介である。自分自身は「トイレットペーパーがなくなる」という話を信用していなくてもいい。問題は他の人たちがその話を信用するかもしれないということだからだ。家にまだいくつか残っている。供給が止まるわけでもないらしい。だから、本来なら買う必要はない。しかし、他の人たちが買い占めれば、次に必要になったときには手に入らないかもしれない。だったら一つくらい買っておいた方がいい。そう考えること自体はそれほど非合理ではない。
ところが、みんなが同じように「一つくらい買っておいた方がいい」と考えると、社会全体ではとんでもなく非合理なことが起こる。十分な商品があるはずなのに棚から商品が消えるのだ。1973年秋、日本人はそうしてトイレットペーパーを買った。いまから半世紀以上も前の話である。
当時、家庭にインターネットはない。もちろんスマートフォンもない。SNSもない。何か怪しげな情報を耳にしたからといって、その場ですぐに検索し、真偽を確かめることなどできなかった。もちろん新聞があり、テレビがあり、ラジオがあった。それでも現在と比べれば、人々が手にできる情報の量も、その速度も、比較にならないほど限られていた。だから、トイレットペーパー騒動は、しばしば情報不足の時代に起こった集団心理の一例として語られる。
ところが、それから47年後のことである。
2020年2月、新型コロナウイルスの感染拡大によって、日本社会には急速に不安が広がっていた。
マスクが店頭から消えた。これには理由があった。感染予防のために、それまでマスクを使っていなかった人までがマスクを求めた。需要そのものが急増し、供給が追いつかなくなったのである。
しかし、やがて別の商品まで店頭から消え始めた。
トイレットペーパーである。
「マスクとトイレットペーパーは原料が同じなので、マスクの増産によってトイレットペーパーが不足する」
「中国から輸入できなくなるので、まもなく品薄になる」。
SNSなどを通じてそんな情報が広がった。
しかしそれは事実ではなかった。日本で使われるトイレットペーパーの大部分は国内で生産されていた。マスクと原料が同じという話も誤りである。業界団体も政府も、在庫は十分にあり、供給に問題はないと繰り返し説明した。ところが、店頭からはなくなった。「なくなる」という情報は嘘だった。しかし、その嘘を聞いた人々が一斉に買いに走ったため、「店にない」という現実だけは本当になったのである。なんとも皮肉な話だ。
1973年にはなかったものが、2020年には山ほどある。インターネットがあった。スマートフォンがあった。SNSがあった。検索すれば、トイレットペーパーの原料も国内生産の割合も調べられた。政府や業界団体が発表した情報にも、家にいながらアクセスできた。47年間で、私たちが情報を手に入れるための道具は劇的に進歩した。それなのに、1973年の日本人と2020年の日本人は、ほとんど同じ情報を耳にし、ほとんど同じ不安を抱き、ほとんど同じ商品を抱えてレジに並んだ。
2.1928年生まれの漫画家と2004年の新球団
日付を一日進めてみよう。
11月3日。1928年のこと。一人の男性が大阪府豊中市に生まれた。後に漫画家となり、日本の漫画文化に巨大な足跡を残すことになる。
手塚治虫である。
いまでこそ手塚治虫を「文化人」と呼ぶことに違和感を覚える人はほとんどいない。『鉄腕アトム』『ブラック・ジャック』『火の鳥』など、その作品は世代を超えて読み継がれている。漫画は日本を代表する文化の一つとされ、海外では「MANGA」という言葉まで定着した。大学には漫画を研究する学部や学科があり、自治体が漫画家を顕彰し、美術館や記念館が建てられている。
しかし漫画は、最初から「文化」だったわけではない。
私が子どもだった1970年代、「漫画ばかり読んでいると馬鹿になる」という言葉はごく普通に聞かれた。親からも教師からも言われた。漫画を読むことと本を読むことは明確に別の行為として扱われていた。「漫画を読む暇があったら本を読みなさい」と言われたものである。
いま考えると妙な話だ。漫画にも文字がある。物語がある。人物造形がある。思想があり、社会批評があり、ときには哲学さえある。しかし、当時の大人たちにとって、「読書」と「漫画を読むこと」は別物だった。学校に漫画を持っていけばたいてい注意された。授業中に読むのが駄目なのは当然としても、休み時間に読むことまで禁止された。漫画は学校教育の外側にあるもの、場合によっては学校教育から子どもを遠ざけるものと見なされていた。手塚治虫も、そうした時代を生きた漫画家だった。
1950年代には、漫画が子どもに悪影響を与えるという批判が強まり、いわゆる「悪書追放運動」が起こった。漫画はその主要な標的の一つとなった。子どもたちが夢中になる漫画を、大人たちは必ずしも新しい文化の誕生とは見なさなかった。むしろ、子どもたちをそこから守らなければならないと考えたのである。
それから長い時間が経った。漫画は消えなかった。それどころか、子どもたちが漫画を読み続け、漫画を読んで育った世代が大人になり、その大人たちがまた漫画を読み、漫画について語り、漫画を子どもに与えるようになった。漫画はいつの間にか、「子どもを馬鹿にするもの」から「日本が世界に誇る文化」へと立ち位置が変わっていった。もちろん、ある日突然、全国民が漫画を認めたわけではない。誰かが「今日から漫画を文化とします」と宣言したわけでもない。何十年という時間をかけて、少しずつ社会の側が変わったのである。
新しいものが社会に認められるまでには、どうやら時間がかかるらしい。
もう一度、日付を一日戻してみる。
11月2日、2004年である。プロ野球オーナー会議で、翌シーズンからの東北楽天ゴールデンイーグルスの新規参入が正式に認められた。
この年、日本のプロ野球は大きく揺れていた。大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブの合併問題をきっかけに、一時は球界再編、さらには1リーグ制への移行まで取り沙汰された。選手会は史上初のストライキを敢行。新球団設立に名乗りを上げたのが、楽天とライブドアだった。
いま振り返ると、楽天とライブドアの二社が争ったこと自体が、いかにも2004年らしい。どちらもIT関連の新興企業だった。当時、インターネットは既に珍しいものではなかった。家庭にもパソコンが普及し、電子メールも検索サイトも日常的に使われ始めていた。しかし、IT企業そのものに対する社会的な見方は、現在とはかなり違っていた。何をして儲けている会社なのかよくわからない。会社の歴史が浅い。経営者が若い。昨日まで名前も知らなかった企業が、突然、何百億円という金額を動かす。そうした新興IT企業に対して、どこか得体の知れないものを見るような感覚が、当時の社会にはあった。
プロ野球球団といえば、読売、阪神、中日、西武、近鉄、阪急、南海といった、誰もが名前を知っている大企業が所有するものだった。鉄道会社や新聞社といった長い歴史をもつ企業が、である。そこへインターネットで急成長した若い企業が入ってくる。「本当に大丈夫なのか?」 そんな視線が向けられたのも無理はなかったのだろう。とにかく、最終的に新規参入を認められたのは楽天だった。
あれから20年以上が経った。いま、IT企業だからという理由だけで「得体が知れない」と感じる人は、当時と比べて遥かに少ないだろう。私たちはスマートフォンで買い物をし、銀行口座を管理し、ホテルを予約し、航空券を買う。学校ではクラウドサービスを使い、子どもたちはタブレット端末で学習する。企業の価値を、その会社が巨大な工場を持っているかどうかで測る人もほとんどいなくなった。
社会の側が変わったのである。
漫画もそうだった。
IT企業もそうだった。
最初に登場したときには、何となく胡散臭い。何が面白いのかわからない。そんなものに夢中になって大丈夫なのか。そんな会社を信用して大丈夫なのか。新しいものに対して、私たちはまず距離を置く。そして、それが社会の中に定着し、何年も、場合によっては何十年もそこにあり続けるのを見届けて、ようやく受け入れる。
このように考えると、日本人というのはずいぶん慎重な人々であるようにも思える。
ところが、である。
1973年11月2日、「トイレットペーパーがなくなる」と聞いた人々は、ほとんど待たなかった。
2020年もそうだった。
漫画を文化として認めるまでには何十年もかかった。新興IT企業を社会の主要な担い手として違和感なく見るようになるまでにもかなりの時間がかかった。ところが、「トイレットペーパーがなくなるらしい」という情報には、ほとんど瞬時に反応した。
新しいものを受け入れるにはあれほど時間がかかる。ところが、周囲が動き始めるときには、ほとんど時間がかからない。新しいものを簡単には信用しないのか。それとも、周囲の人間が動き始めれば、すぐに同じ方向へ走り出すのか。どうも、話が合わない。
