ページの本文です

堀 裕嗣+宇野弘恵が厳選&解説! 発見!珠玉の道徳授業 #1 「有限か無限か」 by 太田充紀

関連タグ

北海道公立中学校教諭

堀 裕嗣

北海道公立小学校教諭

宇野弘恵

独自開発教材を用いた道徳授業研究の第一人者である堀裕嗣先生と宇野弘恵先生が、全国各地で登壇するセミナーツアーの中で出会った素晴らしい道徳授業を紹介する新連載。毎回、堀先生と宇野先生による授業解説付きでお届けします。お二方の「授業の見方」も学ぶことができる連載です。

今回の執筆者/太田充紀(北海道公立小学校教諭)

1・授業の実際

「有限か無限か」 / 内容項目D 感動・畏敬の念 / 対象学年:小学校高学年

1)卵について考えよう

いろいろなお弁当の写真を提示しながら、こう問いかけます。

「お弁当の中に、必ずといってよいほど入る食品って何かな?」

「お米」「唐揚げ」「卵焼き」…等、思い思いの答えが登場します。発言をしながら、きっと自分が好きなおかずを思い出したりしているかもしれません。思いつきを次々に発表させます。

次に、パック卵の写真を提示し、「今日は、卵について考えてみたいと思います。」と伝えます。このとき、鶏卵に関して子どもたちがもっている情報を確認するために、①飼育している動物、②生産方法、③鶏卵の質、④年間の消費量を尋ねます。正解を求めているわけではないので、自由に答えさせながら、思考の方向性を束ねるつもりでやりとりを重ねます。

ここで、この内容に関連した1問を出します。3枚の生卵の写真を提示し、値段の高い順に並べ替えるという問いです。

卵黄や卵白部分の盛り上がり方、卵自体のツヤ、色合い等、さまざまな根拠を基に答えてくれます。自分なりに考えることでさらに卵という材への関わり方が一段アップしていきます。
(ちなみに、高い順に①→③→②となります)

「この卵は、育て方の違いが値段に反映されていました。」と説明します。

当然、それ以外の要素が値段に反映されています。鶏の種類(希少種)、有精卵、飼料など、たくさんあります。でも、今日の学習では、「育て方」に注目して学習していくことを確認します。

2)養鶏について考えよう

ここで、3種類の飼育方法について説明します。

【ケージ飼い】
日本の養鶏場の約90%以上で行われている鶏をかご(ケージ)の中で飼育する方法。無窓養鶏場(ウインドレス)の鶏舎で敷地いっぱいに並べられた小さなケージに何羽も詰め込まれ動き回ることのできないスペースの中で飼育されます。フンは、ケージ内の底面がベルトになっていて(フンベルト)、常に回転してきれいな状態を保ちます。個体毎の体調管理を徹底しています。
【平飼い】
鶏を鶏舎の中で地面の上に放す飼育方法。鶏たちは鶏舎の中で自由に動き回ることができ、砂浴びしたり、止まり木で羽を休めたりして過ごせます。自由に過ごせるだけの広さを保持するために、鶏舎の広さと飼育する鶏の数のバランスに配慮する必要があります。
【放し飼い】
鶏が屋外と鶏小屋を自由に行き来できる飼育方法です。夜、睡眠をとるために鶏小屋に入る以外、基本的には、屋外で過ごします。鶏たちにとっては最もストレスが少ない飼育方法といえます。日本で導入している養鶏場は少ないです。

それぞれの飼育状況が伝わる写真と共に説明します。それぞれの飼育方法の特徴をつかむことができ、さらに、違いが意識できるようにしています。あと、飼育する農家の視点でのよさ、それとは異なる鶏視点でのよさの双方に気付けるような情報にしています。

ここで、ワークシートを渡し、この飼育方法のメリット、デメリットについて考えさせます。

最初の段階で、価格、鶏卵の質、生産量を事前に考えさせていることが、ここでの思考に役立ちます。生産量が多いケージ飼いでは、価格を抑えることができることに気付けます。
平飼いや放し飼いでは、鶏卵の質が高まることに気付くのです。さらに、鶏視点も説明に織り込んでいるので、平飼い・放し飼いのメリットであり、ケージ飼いでのデメリットになることにも考えが及びます。衛生管理の観点にも触れているので、この思考場面は、時間をかければかけるほど、子どもたちはその違いに気が付いていくことになります。

さまざまな飼育方法により生産された卵の状況をここで伝えます。

2021年のデータでは、日本では1年で1人当たり約337個食べている計算になります。
これは、世界第2位の消費量です。
(授業を実施した2023年に集計されていた直近のデータを示しました)

これにより、農家さんに育てられた鶏から卵をいただき、それを日本ではたくさん消費していることに改めて気付くことになります。そこで、こう問いかけます。

このような育て方のおかげで安定的に卵を食べられているわけです。みなさんにとって、どの卵が大事ですか?

「どの卵」とは、ケージ飼い、平飼い、放し飼いの卵を指しています。ここで、改めて、消費者である自分に立ち戻り、考えることを求めます。

3)卵にまつわる問題について考えよう

ここで、黙ってスライドを提示します。連日放送されているニュースの画面写真が順番に表示されていきます。これにより、鳥インフルエンザの全国的な感染の広がりと殺処分の状況に気付かせます。

その後、この状況がなぜ発生したのか、どのように対応しているのかを説明していきます。

ウインドレス鶏舎で万全の感染対策をしていたのに、それをすり抜けられ、「もう防ぎようがない」と業者が訴えていること

大規模養鶏場化が進み、殺処分が爆発的な数字になっていること

卵の価格が急上昇し、平均価格が2倍以上になっており、さらに、卵が手に入らない状況になっていること

渡り鳥からさまざまな感染経路を通って、最終的に鶏舎内に侵入していること

感染及び殺処分が最近になって急激に増加していること

ここでは、全て「ケージ飼い」についての報道を取り上げています。日本の9割を超える飼育方法であり、全ての問題の背景には、この飼育方法が前提となっているからです。なので、ここで、他の2種類の飼育方法だったらどうかを考えさせます。

平飼い・放し飼いでは、渡り鳥と直に接する状況にあることには既に気付いていますので、対策を講ずることが困難であること、そして、これにより、八方塞がりな状況であることに考えが及びます。
2023年4月8日の北海道新聞朝刊で鹿児島大の小沢真准教授(ウイルス学)への取材で得たコメントが記事になっています。その言葉を提示します。

「空気中や動物の間でウイルスが広がれば地域全体で感染リスクが高まる。(従来の対策に加え)空気を介したウイルスの侵入をどう防ぐかについても考えていかなければならない。」

4)私たちにできることとは?

ウイルスとの戦いの構図に考えが及んだところで、この話題を提示します。

感染経路を完全に遮断する手段を模索する考えが主流となっている。この考え方って……

新型コロナウイルスへの対策「ゼロコロナ」

都市のロックダウン、位置情報・健康コードによる徹底した行動管理、経済の停滞……、感染者を出さないためにとられたさまざまな対策は、人道的な問題を孕んだものとして、多大な二次被害を引き起こしていました。それと構造的には似ていることを知らせます。

その一方では……

新型コロナウイルスへの対策「ウィズコロナ」

「感染は発生するもの」として、その重症化予防対策、自主的な対策に舵を切ったのがこの対策法でした。鳥インフルエンザに対しても、このような構図で考えてみる方向性を提示します。

卵の安定供給を求めること……
鳥インフルエンザは起こるものと考えて……

あなたはどう考えますか?
わたしたち人類には、どんなことができるのか?  限りなくできる?  限界はある?  あなたは、どう考えますか?  感想をノートに書きましょう。

最後に、感想を書いて終わります。

2・この授業をつくるにあたって

現在も卵の価格は高止まりしている状況にあります。その契機は、2022~23年に全国で発生した鳥インフルエンザによる約1,700万羽に及ぶ殺処分です。皆さんの記憶にも新しいのではないでしょうか?「物価の優等生」とずっと言われ続けていた卵に起きた一大ショックは、日常生活に大きな影響を与えました。

その飼育方法が大規模養鶏場におけるケージと呼ばれる鶏舎の中での飼育方法であることは、私も知っていました。ですが、それがなぜ、鳥インフルエンザの感染による全殺処分に繋がるのかについては、疑問を感じていました。そこから、飼育方法や殺処分について調べ始めました。

ケージ飼いは、身動きがとれないほどの狭いスペースでの飼育というイメージです。全くその通りです。ですが、感染対策については、かなり高いレベルで管理されていました。ウインドレス(無窓)鶏舎で外界との接点をシャットアウトしているレベルです。それでも、鳥インフルエンザの感染が起きてしまうのです。野鳥以外の出入りを通じて、おそらく感染が起きたのではないかとされています。この状況下においては、大いなる自然界の中で、人類ができることへの限界性を感じざるを得ませんでした。

他の飼育方法について調べると、こと「感染」に関して言えば、どうすることもできない状況でした。鶏の本来の姿を重視し、より活動的に過ごせるような環境にしたため、外界との接点が増えた結果です。

ここから「卵を食べる生活」を担保するならば、「感染」への対応をより厳しくしていく方向に舵を切ることになるということが言えます。一方で、「感染」を受け入れれば、「卵を食べる生活」を見直さなくてはなりません。何か、私たち人類にその判断を迫っているように感じるようになりました。 そんなとき、同じような構図で世界中が対応に苦慮している現状に気がつきました。新型コロナウイルス対策です。「ゼロコロナ」対策と「ウィズコロナ」対策。2024年には、エムポックス(旧称:サル痘)が話題になりました。人類と感染症は、どちらかが勝利するような構図ではなく、「いたちごっこ」の様相を呈するものです。結局、これまでも、これからも続いていくのかもしれません。そんな人類ができることについて考える一端を担う授業になることを期待しています。

授業においてAの後にBを提示するのなら、Aについて考えたからこそBについて深く考えられるという構造をつくらなければならない。

Aを提示してBを提示した後にCを提示するのならばAを思考したからこそのB、A・Bを思考したからこそのCという構造を意図的につくらなければならない。それぞれのつながりにノイズが入らないような配慮もしなければならない。「この視点が抜けてるじゃん」「こういう例外もあるじゃん」というような感触を子どもに抱かせないような配慮をしなければならない。そうしないと何人か離脱してしまう。

A・B・Cを羅列的に、並列的に提示するのならば、最後にそのA・B・Cを貫くような視点・観点を提示して、羅列・並列の必然性を実感させなければならない。

これが「授業パッケージング」の基礎の基礎だ。

道徳の授業にはこうした構造が必要である。若者たちの授業は傾向として、ここが絶対的に甘い。そしてそれを自覚していない。それでいて調子に乗ったり、批判されて落ち込んだり、或いは最初から逃げたり、そうした態度は結局、自己欺瞞に過ぎない。

パッケージング意識を欠いた授業は、素材が良くネタが良くても、授業にすることでその題材やネタの価値を減じてしまう。その資料をただ読ませたりただ見せたりただ提示したりするよりもわからなくさせてしまう。思考できなくしてしまう。感動できなくしてしまう。要するに濁らせてしまうわけだ。そんな授業はやらない方がいい。ただ素材や題材やネタに出会わせてあげた方がはるかにいい。

そしてその自覚がない者の授業は批判される。その題材は自分の授業によって、その資料を直接与える以上の効果があるのか。その資料の良さを焦点化して子どもたちにより広く、より深く思考させることになっているのか。ただ切り刻んでわからなくさせたり、ただ紹介したりするだけのものになっていないか。そうした視点が足りないから批判される。しなくていい授業、しない方がいい授業に堕してしまう。

その点、この太田充紀先生の「有限か無限か」のパッケージングは見事である。初めて体験したのは3年ほど前の帯広での研究会だったと思うが、初見でパッケージングの見事さと提案性の高さに舌を巻いた記憶がある。

この授業はコロナ禍で誰もが感じた葛藤の構造を提起している。「ゼロコロナ」か「ウィズコロナ」か。経済をまわさなくては自殺者が増えかねない、死者の累積を見るたびにゼロコロナ政策を採る中国がある意味では羨ましく思われる、日々の報道を見ながら様々に葛藤した日々は記憶に新しい。しかし、言われれば「そうそう、あったね」と想い出すけれど、基本的には日常生活において「あの葛藤」を頻繁に回想することはない。既に忘れられ、風化しているのだ。次に想い出すのは再び新たなウイルスの流行に見舞われたときだろう。人間のなんと愚かなことか。

太田先生のこの授業は、そうした現状への問題提起として機能している。しかも冒頭から直接問うのではなく、コロナ後に起きた「卵不足」による混乱から入っているのが心憎い演出である。同じように記憶に新しい事案でありながら、飲食店経営者でない限りコロナほどの危機意識はない。しかも鶏のことであるからコロナ禍よりも心的距離は遠い状態を保つことができる。それでいて「生命の問題である」という深刻さは失わせない。なんとも、これ以上ないという題材である。まさに「ちょうど良い距離感」とはこういう題材を言うのだろうと思う。
この授業の素晴らしさは、決して「パッケージングの妙」のみにあるのではない。私と宇野さんがこの授業を高く評価するのは、子どもの「思考」がしっかりと保障されていることにも大きな要因がある。しかも「メリット・デメリット方式」でたっぷり時間をかけての思考が保障されている。更にはそこで体験した子どもたちの思考回路が、そのまま後の「ゼロコロナvsウィズコロナ」に繋がっていく構成は見逃せない。距離感をもって卵のことを考えていたら、あらあらこれは近未来の人類の姿じゃないか。そうした構成である。この裏には80年代後半以来の「ディベート教育」の流行、その後の「日本型ディベート」へと改良されていく実践史の知恵が色濃く反映されている。社会科教師として長く実践家として活躍してきた太田先生の真骨頂が垣間見られる。

この授業は、小学校4年生以上から大人まで、発達段階に従って深く思考できる構造を持っている。その意味で汎用性も高い。そしてこの授業を受けた誰もが、授業後に「新たな問い」を自らの中に抱かざるを得ない構造にもなっている。本当に見事な授業展開である。

全国をまわって若手の模擬授業を講評してきたが、講評の中で私が最も頻度高く言わざるを得なかった言葉は「これはただの紹介だね」だった。題材は素晴らしい。よく調べてもいる。ときには実際に足を運んで取材までしている(社会科を専門とする教師に多い)。「よく頑張りました」という評価はできる。でも、子どもの思考場面がない。子どもたちは「そうした事案があったのだ」と知識を得るだけ。それは「ただの紹介」であり、その裏には「私はこんなに頑張りました」という「自己主張」と「自己陶酔」がある。しかし、授業というものは授業者の頑張りをプレゼンする場ではない。「子どもにもたらしたもの」で評価されるのだ。

弁当、卵の品質、卵の価格、鶏の育て方、飼育方法による違い、生産量、鳥インフルエンザ、感染対策、新型コロナウイルス。学習段階が変わる度に次々と新しい情報が付加され、その都度別なことを問われます。通常、こうした授業の多くは、視点が散逸し学習者をただ混乱させて終わりになりがちです。

ところが、この授業は、情報が多いにもかかわらず思考が焦点化されながら最後まで進みます。そこには太田さんの職人とも言える教材をつなぐ技があるのです。

まず、授業の流れを内容のつながりに着目して見てみます。

スタートは「弁当」。そこから日常食である卵を取り出し「どの卵が高いのか」と問います。自ずと卵の値段に目が向き、「なぜ値段が違うのか」ということに意識が向きます。すると、卵そのものではなく卵を生み出す鶏の「育て方」へと視点が移り、「では、どのような育て方があるのだろう」と、自然と飼育方法について知りたくなります。そこで、三つの飼育方法が紹介されます。

飼育方法によって卵の値段は変わることを前提にして、生産量や衛生管理、鶏の生活などの視点も加えて比較します。そうすることで、値段の違いだけでなく生産者の考え方や労力といった背景にも自ずと目が向きます。

背景を知ることで、「どの卵がよいのか」と問われても単純に結論を出すことができなくなります。何を基準にするかによってそれぞれのよさと課題が変わり、一つの尺度だけでは良し悪しが決められなくなるからです。

鳥インフルエンザ問題についても同様の構造があります。一つの尺度だけで考えても、解決には至らないのです。しかも、より規模の大きい鳥インフルエンザ問題は、多様な視点から考えるほどに複雑になっていくという難しさも加わります。それぞれの立場で大切にしたいことが違うため、妥協点を見出すことが難しいのです。だから、一つの答えを出して終わりにするのではなく、状況や立場の違いに応じて問い直しながら考え続けなければならない問題であるという認識が生まれます。

そうすると、そもそも感染を完全に防ぐことなど不可能なのではないかという前提で新型コロナウイルス問題を考えることになります。「感染防止」をゴールとする尺度だけで考えるのではなく、「感染抑止」「ウイルスとの共存」などという新たな尺度をもつことが前提になります。自然界に存在するウイルスを撲滅しようとするのではなく、ウイルスや感染症とどのように折り合いをつけていくか、というところに思考が広がっていきます。

さらに、この問題を考えていくことによって、どれほど知恵を尽くしても自然や感染症を人間の思い通りにすることはできないという、人間の限界にも気づかされます。そして最後には、その限界を自覚しながらも、よりよい在り方を求めて考え続けていくことが大切である、そのためにできることは何かという終末に辿り着きます。

授業全体の流れを追ってみると、全てが思考に必要なパーツとして置かれていることが分かります。無駄なことや余計なものは一切なく、必要な場所に必要なものが必要な規模で置かれています。

しかも、それぞれが独立しているのではなく、前段階で得た見方や考え方が、次の段階の学習に組み込まれていきます。そして、それがさらに次の学習……というように、前の学びを内包しながら、より大きく、より複雑な問題へと広がっていくところにこの授業のすばらしさがあります。いわば、学びが幾重にも重なっていく「入れ子構造」になっているのです。

それが、次々と新しい情報が加わってもそれぞれがばらばらにはならない理由です。前に考えたことが次の学習の中でも生き続けることで、多くの情報が一続きの思考として積み重なっていく構造なのです。

また、この授業の入れ子構造によって、思考は具体から抽象へスムーズに進んでいきます。いわゆる「飛躍」をなくし、論理の一貫性を保っているのです。

たとえば、卵について学んだ後に、突然「人間は自然とどう向き合うべきか」と問われたらどうでしょう。急に別の話題を振られたように感じるのではないでしょうか。そして、それまで具体的に考えてきたこととのつながりが分からず、思い付きや一般的なことしか頭に浮かばないのではないでしょうか。それは、「卵」「ウイルス」という具体的対象を考えていたところから、急に「人間と自然」という抽象を問われるから起きる「飛躍」です。

抽象的な問いは、それだけを取り出して考えようとすると、どうしても一般論や既に知っている言葉に寄ってしまいます。しかし、この授業では、具体について考える中で得た見方や考え方を次の学習でも使い、そこでまた新たな見方や考え方を加えていきます。その繰り返しによって、はじめは特定の対象について考えていたことが、次第に汎用的な見方へと変わっていきます。

言い換えれば、具体から一気に抽象へ飛ぶのではなく、具体について考えてきたことが学習を重ねる中で抽象度を増していくということです。具体を丁寧に抽象化しながら齟齬なくつなげているから、最後の抽象度の高い問いが飛躍せず、そこまで積み重ねた思考をもとに考える問いとして機能しているのです。

こうして整理すると、改めてこの授業の美しさに気づかされます。と同時に、こんなにきれいな入れ子構造を成立させられる太田さんにも脱帽します。

入れ子構造をつくるには、教材同士のつながりを見抜く目が必要です。それぞれの一面だけしか捉えられなければ、一つ一つに共通したり一貫していたりするものを取り出すことはできません。この授業であれほど多くの情報を齟齬なくつなげられるのは、太田さんが教材を構造的に見ることができるからなのです。

そして、その内容を通してどんな見方ができるのか、どんな考え方ができるのか、それが次の学習にどう作用するのかを見極めること。自然と問いが生まれるように思考に沿ってつなげられること。具体的な事実や問題から、その背後にある一般的な意味や価値を取り出しより大きな問いへ広げること。何より、深く広い根源的な問いをゴールに見定められること。こうした力を総動員して一つの授業に編み上げているところにも、太田さんの授業構成力の高さが表れているのです。

これまで、何本も太田さんの授業を見てきました。中には飛躍や逸脱のある授業もありました。頭の中で創り上がっているだけで、学習者には伝わらない。そんな授業もありました。
この授業は、そんな過去の試行錯誤の上にでき上がった傑作だと思います。そう考えると、この美しい入れ子構造は、太田さんが授業をつくり続けてきた時間そのものと言えるのではないでしょうか。

堀裕嗣先生

ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。

宇野弘恵

うの・ひろえ。北海道公立小学校教諭。民間教育研修などに参加、登壇し、今日的課題や教員人生を豊かにすることを学んでいる。著書に『あと30分早く帰れる! 子育て教師の超効率仕事術』(学陽書房)、『スペシャリスト直伝!高学年担任の指導の極意』『伝え方で180度変わる!未来志向の「ことばがけ」』、『生き方を考える!心に響く道徳授業』(以上明治図書出版)など多数。

この記事をシェアしよう!

フッターです。