堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s Bar 一杯分だけ、話そうか。#15 朝8時だョ!全員集合~学校は「全員集合」の価値を活かせているか

教育界随一の論客、堀 裕嗣先生による連載第15回。教育というジャンルに留まらず、広い社会的視野、歴史的射程に基づいた縦横無尽な論考をお届けします。毎回最後のコラムでは、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1.「全員集合」の時代
いまから40年ほど前のことである。ある国民的番組が幕を閉じた。正確には41年前、1985年9月28日のことだ。その番組は16年間続き、この国にさまざまな流行を送り出した。「This is a pen」「ちょっとだけよ」「生麦生米生卵イェーイ!」「カラスの勝手でしょ~」「ひげダンス」。どれもこれも子どもたちを中心に「学校の裏文化」をつくる大流行だった。土曜8時の長寿番組。そう。「8時だョ!全員集合」である。
週が明けて月曜日。教室はドリフの話題で持ちきりだった。小学校低学年でも「This is a pen」が英語で「これはペンです」を表すことを知っていた。しかし、それは子どもたちの英語への興味にはまったくつながらなかった。多くの子どもたちが「ちょっとだけよ、あんたも好きねえ」と真似して親や先生から叱られた。しかし、なぜそれで叱られるのかを子どもたちは理解できなかった。教室で早口言葉が大流行、「七つの子」の歌詞はすっかり改変され、学校の廊下はひげダンス歩きをする子どもたちであふれた。
いま考えると、ずいぶんと馬鹿馬鹿しい光景ではある。けれども、あの頃の子どもたちは、みんな同じものを見て、みんな同じところで笑い、翌週の学校でその続きをやっていた。
番組開始当初こそ、子どもに悪影響を与えると批判的な声も少なくなかったが、3年、5年と経つうちに、「8時だョ!全員集合」は家族みんなで楽しむ番組へと変容していった。この番組が次第に、土曜の夜の定番となっていったのである。16年という歳月の中で、ドリフの一見行き過ぎと思われる笑いも、ちょっとお下品が過ぎると思われるネタも、社会が少しずつ受け入れていった。
ドリフが変わったのではない。変わったのはドリフを受け止める社会の姿勢の方だった。
しかし、1985年9月28日、その「全員集合」が終わった。いや、終わったのは一つのテレビ番組だけではない。「全員集合」という感覚そのものが終わったのである。1980年代の半ばを過ぎて、国民的な長寿番組が次々と幕を下ろしていった。「太陽にほえろ!」「ぴったし カン・カン」「オールスター家族対抗歌合戦」が1986年、「オレたちひょうきん族」「ザ・ベストテン」が1989年。いずれも家族そろって、みんなで観ることのできる番組だった。
1980年代までのテレビには、「みんなが観ている」ということ自体に価値があった。しかし80年代後半、その「みんなが観ている」という状況が急激に崩壊していく。
その理由は、テレビがつまらなくなったからではない。むしろ逆だ。人々が、自分の好きなものを、自分の好きな時間に楽しめるようになったからである。ビデオデッキが普及し、レンタルビデオが広がった。ファミコンが登場し、衛星放送が始まった。音楽ではCDが普及し始める。テレビは一家に一台から二台、そして各部屋に一台の時代に突入していく。余暇は家族そろって同じものを観る時間から、一人ひとりが個別の興味に従って楽しむ時代に入った。お父さんは居間で巨人戦を観る、お母さんは和室で昼ドラの録画を観る、子どもは自室で好きなアイドルのCDを聴く。同じ家の中で、それぞれが違うものを楽しんでいる。そんな時代の到来である。
「全員集合」が失われた社会は、必ずしも悪い社会ではなかった。「みんなが同じものを楽しむ社会」から「一人ひとりが好きなものを選ぶ社会」へ。これは自由の拡大だった。
けれども、自由になることと豊かになることは同じではない。みんなが同じものを観なくなったことで、みんなが同じ話題を共有する必要もなくなった。
ドリフを知らない子どもも、翌日の教室で困ることがなくなった。自分が好きなものを観ればいい。アイドルでも、アニメでも、ゲームでもいい。誰かと違っていてもそれを問題にされることはなくなった。しかしその一方で、「昨日のドリフ、見た?」という一言で始まった会話が、少しずつ成立しにくくなっていった。
自由になった。便利になった。選べるようになった。その裏で、私たちは「みんな同じものを知っている」という別の豊かさを失ったのかもしれない。
2.「全員集合」の崩壊
1970年代、日本の高度経済成長が終焉を迎えた。日本の高度成長は、基本的に「内需」によって支えられていた。しかし70年代も後半になると、テレビも冷蔵庫も洗濯機も自家用車も行きわたり、内需はこれ以上拡大しにくくなった。壊れたり故障したりして買い替えの時期が来るまで、新しいものを買わない。二度のオイルショックも相俟って、経済成長の見通しに陰りが見え始める。
そこで始まったのが、「家族」という単位から「個人」という単位へと消費を分解していく動きだった。
「車は一人に一台の時代ですよ」
「テレビも一人に一台の時代ですよ」
そんな時代の到来が、さまざまな形で喧伝されるようになった。
「個の時代の始まりです!」
それまで一台のテレビを家族みんなで観ていたものを、一人一台にする。一台の車を家族で共有していたものを、一人一台にする。一つのものを家族みんなで使うのではなく、一人ひとりに一つずつ買ってもらう。
考えてみれば、これは実に合理的な消費の拡大である。家族が一台のテレビを共有しているなら、テレビは一台しか売れない。しかし父親にも母親にも子どもにも、それぞれ一台ずつテレビを持たせれば、同じ一家族で三台、四台と売れる。
そして、この動きは消費だけでなく、生活そのものも変えていった。
家族が同じ居間に集まり、同じテレビを観る。家族みんなで同じ食卓を囲む。そうした「家族で同じものを共有する」生活から、一人ひとりが自分の興味や都合に合わせて時間を過ごす生活へと、少しずつ移行していったのである。
これに追い打ちをかけたのがコンビニの普及である。
それまでの商店は、現在ほど遅い時間まで営業してはいなかった。夜になれば、街の多くの店はシャッターを下ろす。買い物をするにも、何かを食べるにも、家族が同じ時間帯に家にいることが前提になっていた。ところが、コンビニは違った。朝早くから夜遅くまで、やがては24時間、必要なものを必要なときに買えるようになった。これは単に買い物が便利になったというだけではない。生活時間そのものが、少しずつ家族から切り離されていったのである。
父親は父親の時間に帰宅する。母親は母親の時間に買い物をする。子どもは子どもの時間に食事をする。夜中に何かが必要になれば、家族に頼ることなく自分で買いに行けばいい。家族みんなが同じ時間に動く必要がなくなった。一人ひとりが、それぞれの時間に、それぞれの場所で、それぞれの楽しみを消費する。「個の時代」という言葉は、こうして生活の隅々にまで入り込んでいった。
こうした時代背景の中、中曽根内閣が「臨時教育審議会」(以下「臨教審」)を立ち上げる。教育の世界にもまた、「個性化」という言葉が大きく掲げられるようになった。「みんな同じ」から「みんな違ってみんないい」へ。社会が個人化していく流れは、ついに教育の世界にも入り込んできたのである。
「臨教審」の答申は、90年代の「新学力観」から2000年代の「ゆとり教育」へと具現化していった。「みんな同じ」ではなく「みんな違ってみんないい」。これはある意味、教育を受ける一人ひとりにとっては解放だった。しかし、である。「一人ひとり違っていい」と「一人ひとり別々でいい」は、本当に同じだったのか。
90年代に入ると、「個」の時代は別の顔を見せ始める。「自分探し」「癒し」といった言葉が流行し、自分はいったい何者なのか、自分らしく生きるとはどういうことなのかを問い続けることが、一つの時代的な風潮になった。かつてなら、家族や地域や学校や会社といった共同体のなかに、自分の居場所や役割を見出していた人々が、「自分」というものを自分自身で探さなければならなくなったのである。
その一方で、学校にも社会にも居場所を見つけられず、家から出ることのできない「ひきこもり」が社会問題として語られるようになっていく。就職活動では「あなたらしさ」「個性」が繰り返し求められる。みんなと同じではいけない。しかし、何が自分らしさなのかは自分で見つけなければならない。「個性的であれ」という要求そのものが、若者たちにとって一種の強迫観念になっていった。
さらにバブル崩壊後の長期停滞は、「個」の自由に「個」の責任を重ねていく。「自分の人生は自分で決める」という言葉が、いつしか「自分の人生の結果は自分で引き受けろ」という意味を帯び始めた。「自己責任」という言葉が社会のあちこちで語られるようになったのも、この時代である。
ところが、人間の人生は、それほど個人だけで決まるものではない。生まれた家庭、親の所得、住んでいる地域、受けた教育、時代の景気……。本人には選べない条件が、人生の可能性を大きく左右する。にもかかわらず、「自分らしく生きろ」と言われ、「結果は自己責任だ」と言われれば、うまくいかない理由まで自分自身の内側に探すことになる。格差が意識されるほど、「努力しても届かない」という感覚もまた強くなる。
そして昨今、その行き着く先に「親ガチャ」という言葉が現れる。人生は自分で選べる。けれども、自分では選べないものが人生を決める大きな要素となっている。自由の拡大から始まった「個」の時代は、いつしか「人生は自分の選択で決まる」という自己責任論と、「人生は生まれによって決まる」という決定論との間で、人々を揺さぶるようになったのである。
言うまでもないことだが、この間、PC、インターネット、スマホ、SNS、生成AIと、テクノロジーはこうした「個」の時代を、ポジティヴにもネガティヴにも後押しし続けてきた。自分探しも、癒しも、就活地獄も、自己責任も、格差も、親ガチャも、それぞれの時代に生まれた言葉でありながら、テクノロジーによって、個人の内側へと深く入り込んでいった。自分は何者なのか。なぜ自分だけがうまくいかないのか。自分の人生は自分の責任なのか。それとも、生まれた環境ですでに決まっていたのか。そうした問いを、いまや私たちは一人で抱える必要すらない。検索すれば答えが出てきて、SNSを開けば同じ悩みを抱える誰かがいる。生成AIに問いかければ、自分の考えを言葉にしてくれる。便利になった。孤独ではなくなった。けれども、その一方で「自分」という単位は、かつてないほど強固になった。それが現在(いま)である。
