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堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s  Bar 一杯分だけ、話そうか。#16 永遠の「未完成」~筒美京平の仕事と教師の仕事

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北海道公立中学校教諭

堀 裕嗣
連載「一杯分だけ、話そうか。」バナー

教育界随一の論客、堀 裕嗣先生による連載第16回。教育というジャンルに留まらず、広い社会的視野、歴史的射程に基づいた縦横無尽な論考をお届けします。毎回最後のコラムでは、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。

執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)

1.時代を彩った歌

取り敢えず、次の歌たちを聴いてみて欲しい。

サザエさん/宇野ゆう子
音源:https://www.youtube.com/watch?v=9YOHbmOezto
歌詞:https://www.uta-net.com/song/7362/

また逢う日まで/尾崎紀世彦
音源:https://www.youtube.com/watch?v=b6oO4bI44gs
歌詞:https://www.uta-net.com/song/4244/

魅せられて/ジュディ・オング
音源:https://www.youtube.com/watch?v=ZqACXFA787w
歌詞:https://www.uta-net.com/song/4336/

ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ
音源:https://www.youtube.com/watch?v=huY3ZKHdzcs
歌詞:https://www.uta-net.com/song/4038/

さらば恋人/堺正章
音源:https://www.youtube.com/watch?v=FW1PYvHGhBE
歌詞:https://www.uta-net.com/song/2154/

木綿のハンカチーフ/太田裕美
音源:https://www.youtube.com/watch?v=ZDR8SCwNsgc
歌詞:https://www.uta-net.com/song/4548/

ロマンス/岩崎宏美
音源:https://www.youtube.com/watch?v=V2Nqqe5U4z8
歌詞:https://www.uta-net.com/song/4910/

ギンギラギンにさりげなく/近藤真彦
音源:https://www.youtube.com/watch?v=w7Cr5j8y0jc
歌詞:https://www.uta-net.com/song/1635/

抱きしめてTONIGHT/田原俊彦
音源:https://www.youtube.com/watch?v=585XYrAKzlQ
歌詞:https://www.uta-net.com/song/2956/

Romanticが止まらない/C-C-B
音源:https://www.youtube.com/watch?v=IZ0Ojj7acgg
歌詞:https://www.uta-net.com/song/4913/

この10曲には共通点がある。
すぐにお気づきになるだろうか。
実は、この10曲、すべて同じ作曲家によるものなのである。
筒美京平である。

「サザエさん」は言うまでもなく、日曜日の夕方を彩る国民的アニメの主題歌だ。「また逢う日まで」は1971年、「魅せられて」は1979年の日本レコード大賞受賞曲である。「ブルー・ライト・ヨコハマ」は、いしだあゆみを一躍国民的スターへと押し上げた大ヒット曲。「さらば恋人」は、グループサウンズ解散後の堺正章の存在感を決定的に高めた。「木綿のハンカチーフ」「ロマンス」は、それぞれ太田裕美、岩崎宏美の代表曲となった。「ギンギラギンにさりげなく」「抱きしめてTONIGHT」は、80年代をときめいた男性アイドルの後世に残る名曲である。「Romanticが止まらない」は、シンセサイザーを駆使した印象的なイントロと高音の男性ボーカルで、80年代半ばの日本のポップスに新しい音響感覚をもたらした。

つまり、これらは単なるヒット曲ではない。

それぞれが、その時代の歌手、その時代の音楽、その時代のテレビや歌謡界を象徴するような曲なのである。

しかも、そのすべてを、たった一人の作曲家が生み出している。

筒美京平という作曲家の凄さは、ここにある。

筒美京平が創った曲は生涯で約3,000曲。うち、オリコン1位を獲得した曲が39曲。トップテンに入った曲も200曲以上。作曲した曲の総売り上げは7,560万枚、日本の作曲家としては歴代1位である。

女性アイドルでは南沙織「17才」、麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」、浅田美代子「赤い風船」、河合奈保子「エスカレーション」、松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」、本田美奈子「1986年のマリリン」、早見優「夏色のナンシー」、小泉今日子「なんてったってアイドル」、斉藤由貴「卒業」、中山美穂「ツイてるねノッてるね」。男性アイドルでは郷ひろみ「男の子女の子」、西城秀樹「勇気があれば」、野口五郎「針葉樹」、少年隊「仮面舞踏会」。ニューミュージック系では大橋純子「たそがれマイ・ラブ」、庄野真代「飛んでイスタンブール」、中原理恵「東京ららばい」、桑名正博「セクシャル・バイオレットNo.1」、稲垣潤一「ドラマティック・レイン」、NOKKO「人魚」。いやはや、これはもう、気鋭歌手の出世作のカタログである。

しかも、1960年代にはいしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」、70年代は尾崎紀世彦「また逢う日まで」他、80年代は近藤真彦「スニーカーぶる~す」他、90年代はKinKi Kids「やめないで,PURE/BABY LOVE」他、00年代はTOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」と、1960年代から2000年代まで、五つの年代すべてでそれぞれオリコン1位を生み出している(「オリコンニュース」2020.10.12)。

これは、単に「ヒット曲をたくさん作った」という話ではない。

時代が変わっても、歌手が変わっても、音楽の流行が変わっても、その時代に「売れる音」をつくり続けたということなのだ。

2.顔のないつくり手

しかし不思議なことがある。

これほどの曲をつくった人なのに、筒美京平の顔を思い浮かべられる人はほとんどいない。

いしだあゆみは誰もが知っている。尾崎紀世彦も知っている。ジュディ・オングも、太田裕美も、近藤真彦も、田原俊彦も知っている。けれども、「ブルー・ライト・ヨコハマ」を聴いて筒美京平の顔を思い浮かべる人は、ほとんどいない。

歌手はテレビに出る。歌手は衣装を着る。歌手はインタビューを受ける。歌手にはキャラクターがある。作詞家も「言葉の人」として語られることがある。阿久 悠などはいまだに卓越した言葉の魔術師として、その強面の容貌とともにその名を知られている。

しかし筒美京平は、表舞台に出てこない。むしろ、筒美京平は、自分自身を売ることを避けた。

 考えてみれば、筒美京平という名前すら、私たちは曲と一緒には覚えていない。「ブルー・ライト・ヨコハマ」を聴いて、「筒美京平の曲だ」と思う人は少ない。「木綿のハンカチーフ」も「なんてったってアイドル」もそうだ。私たちが覚えているのは、歌手の名前であり、歌詞であり、メロディであり、その曲が流れていた時代の風景である。

 そもそも作曲家という仕事は、そういう仕事なのかもしれない。歌手なら本人が商品になる。作詞家なら言葉が本人の思想と結びつく。しかし作曲家は、自分の身体ではなく、他人の身体を使って作品を世に出す。歌手が歌えば歌手の声になる。テレビに出れば歌手の「顔」になる。ヒットすれば歌手の代表曲になる。その結果、作曲家はヒットすればするほど、自分の姿が消えていく。

 ただ、筒美京平の場合、それは単なる職業上の匿名性ではなかった。洋楽を猛烈に聴いた。海外のヒット曲から刺激を受けた。日本人の耳に合う形に翻訳した。歌手の個性に合わせて曲を作った。時代によって作風を変えた。自分の「作家性」を前面に出すのではなく、歌い手自身を「売る曲」をつくった。

筒美京平は「自分の色を出す作曲家」ではなく「相手に合わせて自分を変える作曲家」だったのである。

筒美京平には、あまりにヒット曲を量産することで、「筒美京平」という作曲家は実は存在しないのではないか、複数の作曲家がチームを組んで「筒美京平」という作曲家を演じているのではないか、そんな噂さえ立った。「ブルー・ライト・ヨコハマ」と「仮面舞踏会」と「AMBITIOUS JAPAN!」を並べて、誰が同じ人間の作品だと思うだろう。筒美がもし、自分の顔を出し自己主張の強い作曲家だったとしたら、こんな噂は立ちようがない。筒美京平はむしろ、「自分を消すこと」で「時代に合わせて自分を変えていく」作曲家だったのである。

では、筒美京平の仕事とはいったい何だったのだろう。

彼の仕事を調べていくと、どうも「曲をつくっていた」というだけでは説明がつかない。筒美京平は、時代の変化を猛烈な勢いで聴き取っていたのではないかと思えてくるのだ。

筒美は幼いころからクラシック音楽を学んだというような、いわゆる「音楽エリート」ではない。大学時代にはジャズやポップスに熱中し、卒業後はレコード会社に勤務しながら海外のポップスを大量に聴いた。そして、当時の日本にはまだ十分に紹介されていなかった新しい音楽を吸収し、それを日本の歌謡曲として成立させていった。これが「筒美京平」という作曲家の本質だった。

海外で流行している音楽を、そのまま日本に持ち込むのではない。日本の歌手が歌えるようにする。日本人の耳に馴染むようにする。歌詞が乗るようにする。そして何より、その歌手が一番魅力的に聞こえるようにする。

つまり筒美京平は、「自分が何をつくりたいか」で仕事をしたのではない。「この歌手には何が似合うのか」「いまの若者はどんな音を求めているのか」「いまテレビで流したら、どんな音が耳に残るのか」「この時代に、どんなメロディなら人々が口ずさむのか」こうしたことを考え続けた作曲家だったのである。

だから、作品ごとに顔が違う。1960年代には「ブルー・ライト・ヨコハマ」のような都会的で哀愁を帯びたメロディをつくる。70年代になると「また逢う日まで」や「木綿のハンカチーフ」のように人々が自然に口ずさみたくなるキャッチーなメロディを生み出す。80年代には「ギンギラギンにさりげなく」や「仮面舞踏会」のような、より強いビートと華やかなサウンドを送り出す。そして90年代、00年代になっても、KinKi KidsやTOKIOに曲を提供し続ける。

普通なら、これだけ長く活動すれば、「この人はこういう音楽をつくる人だ」という作家像が固まっていくはずだ。ところが筒美京平の場合にはそれが固まらない。時代が変われば自分も変わる。歌手が変われば自分も変わる。流行が変われば自分も変える。それでもヒットする。ヒットし続ける。

これは、一見すると「個性がない」ようにも見える。

しかし、実際にはまったく逆なのではないか。

自分の個性を押し通すことなら、ある意味では簡単である。「私はこういう音楽をつくる人間だ」と決めてしまえば、それが認知されていく。ところが、相手に合わせて自分を変え続けるには、自分の中に相当な引き出しを持たねばならない。そして何より、自分の成功体験に執着していてはいけない。

昨日売れた音が今日も売れるとは考えない。十年前に評価された自分の作風にしがみつかない。筒美京平は、過去の自分を捨てながら仕事を続けたのではないか。彼は自分を捨て続けた人間なのではないか。だからこそ、私たちは彼の顔を知らないのではないか。

考えてみれば、これは少し奇妙なことでもある。私たちは歌手の「声」を聴いているようでいて、その声の背後にある作曲家の仕事をほとんど意識していない。歌手の衣装を見て、歌手の振り付けを見て、歌手の表情を見て、歌手の人生を知る。その一方で、その歌手が歌うメロディをつくった人間についてはほとんど知らない。

しかし、それこそが筒美京平の「仕事」だったのである。

自分の顔を見せるのではなく、他人の顔を輝かせる。

自分の名前を残すのではなく、他人の代表曲を残す。

自分の時代をつくるのではなく、その時代に必要とされる音をつくる。

そう考えると、筒美京平という作曲家の「匿名性」は、単なる裏方の性質ではない。それは一つの才能とも言える。自分を消すことによって時代の姿を映し出す。筒美京平とは、もしかすると「自分自身を表現した人」ではなく、「時代そのものを表現した人」だったのかもしれない。

3.未完成という才能

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