堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s Bar 一杯分だけ、話そうか。#6 「横軸」の思考と「縦軸」の思考――皇室典範改正の論点

堀 裕嗣先生による連載第6回をイレギュラー公開。毎回、教育というジャンルに留まらず広い社会的、歴史的視野に基づいた縦横無尽な論考を展開するこの連載、今回のテーマは皇室典範改正論議です。毎回、ラスト数行で、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1.上皇(=平成天皇)が「象徴天皇制」を確立された
小学校低学年の頃だったか。祖母に「日本で一番偉い人は誰なの?」と訊いたことがある。祖母は間髪を入れずに答えた。「天皇陛下だ」と。私が「天皇陛下」という人物がこの世にいることを知ったのはこのときだったと思う。確か私はこのとき、世の中に「総理大臣」という人がいることを知り、祖母がこの問いに「総理大臣」と答えるのだろうと思って尋ねた記憶がある。そこに自分の知らない人物の名前が出てきて、少なからず驚いた。そこから祖母にも父にも母にも「天皇陛下とは何か」「天皇陛下とはどんな人物なのか」と訊いてまわった記憶もある。
それから数年後、小学校高学年の頃だったか中学生の頃だったか、祖母は巡行にいらした皇太子殿下夫妻をお迎えする最前列に陣取り、たまたま皇太子殿下(現在の上皇)に「長生きしてくださいね」と声をかけられ、それを受けて美智子妃殿下(現在の上皇后)にも「私からもお願い致しますわ」とのお言葉をいただき、「長生きせにゃならん」と、おそらくは彼女の人生で圧倒的な一番といって良いほどに舞い上がっていた。私は天皇陛下が一番偉いと考えている祖母にとって、そのご子息から声をかけられたわけだから、そりゃ舞い上がるだろうなと少し嘲笑気味に感じていた。おばあちゃん子だった私にとって、祖母の天皇崇拝だけが唯一、理解できないところだったのである。
当時の私は、天皇陛下にあまり良い心証を抱いていなかったのだろうと思う。おそらくこれは昭和50年代半ばの出来事だったと思うが、昭和後期の若い人間にとっての天皇というものは、その程度のものに過ぎなかったのである。天皇陛下のイメージは当時、戦前戦中世代と戦後世代との間で大きく分断されていたのだろう。ちなみに私の両親は天皇に特に関心を持たない様子だった。ともに昭和十年代の生まれ。6、7歳で終戦を迎えている。まだ半径数メートルが世界のすべてである年頃である。この世代は、物心ついたときには天皇は「象徴」、しかし、年長世代にとって天皇は「現人神」、そんな大きな矛盾の中で、天皇について考えること、口にすること自体がタブーだったのかもしれない。私は両親の天皇観を遂に聞くことなく両親を見送った。
そんな私が大学に入り、研究対象に三島由紀夫を選ぶことになる。三島を分析しようというのだから、天皇制は避けて通れないテーマとなる。ただし、三島の天皇観はアンビバレントで、敬愛しながらも嫌悪する、嫌悪しつつも自分の中から湧き上がる親愛の情を自覚せざるを得ない、そんな対象だった。研究対象であるからには私としてもそんなアンビバレントを冷静な眼差しで、距離を置いて見なくてはならない。三島由紀夫は天皇に対する「絶対的な崇拝」を抱く人物をよく描くが、そんな「心情の絶対性」に同化していたのでは研究にならない。そんなこんなで私が天皇制にのめり込むことはなかった。1989(昭和64)年の昭和天皇崩御に至る、前年の秋頃から始まった自粛ムードにも「迷惑だなあ」と感じていた。あのバブル真っ盛りの浮かれた時期、おそらく若者のほとんど全員がそう感じていたに違いない。
それから40年近くが経って、私はいま、天皇家にかなりの親近感を抱いている。これは私が学生時代から天皇制についてそれなりに調べ、馴染んできたからだろうか。三島研究を契機として皇族に対する理解を深めてきたからだろうか。決してそうではなかろう。現在は昭和後期とは異なり、私ばかりでなく日本人の多くが天皇家に親しみを抱いている。私はそんな庶民の一人に過ぎないのだ。
ではなぜ、日本人は天皇家に親しみを抱くようになったのか。それはひとえに上皇陛下夫妻(以下「平成天皇」)のお人柄とご努力の賜物と言ってまず間違いない。
次のグラフを御覧いただきたい。

(2020年/NHK放送文化研究所/NHK出版)
これは1973年から続けられているNHK放送文化研究所による「日本人の意識」調査における国民による「天皇に対する感情」の変遷を示すグラフである。1988年は天皇に対して「尊敬の念をもっている」(28%)と「好感をもっている」(22%)をあわせて50%。これが平成の30年間にじりじりと上がり続け、2018年には両者をあわせて77%にまで上昇している(尊敬41%/好感36%)。ほぼ8割だ。しかも「尊敬の念をもっている」に至っては41%である。これが平成天皇の功績であることには誰も異論をはさめぬだろう。
平成天皇ご夫妻は30年間、国の内外を問わず、途切れることなく戦没者を慰霊してまわった。その姿は常にテレビ報道され、少しずつ、しかし確実に国民の支持を集めていった。そればかりか被災地に赴き、被災者をいたわることも欠かさなかった。東日本大震災において、直後に現地入りした天皇ご夫妻が被災者の前に跪いて被災者をいたわった映像を覚えている読者も多いことと思う。
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
言わずと知れた日本国憲法の第一条である。
「象徴天皇」とはいったい何であろうか。その地位は「主権の存する日本国民の総意に基く」とあるわけだが、これはわかりやすく言い換えるなら、「日本国民全員に好かれること」によってその地位が担保されるという意味だろう。とすれば、平成天皇はそのお人柄とご努力とによって、「象徴天皇制」を完成させたとまで言わないまでも、限りなく「完成に近づけた」天皇だったとは言えないだろうか。
昭和天皇にはもちろん賛否がある。昭和天皇に戦争責任を問う声はいまでも少なくない。しかし、平成天皇を悪く言う人を私はほとんど見たことがない。極左思想(と言っては何だが)をもつ天皇制廃止論者でさえ、平成天皇が良い人であるということは認めることが多い。たとえどんなに良い人であったとしても、その生身の人間が良い人かどうかということと、天皇制という制度にどんな功罪があるかということとはまったくの別問題であると。こうした言い方をする人が多い。昭和の時代ならなかったことである。
ただし、昭和天皇もまた、終戦間もなく、占領下のなか全国を巡行してまわった。沖縄以外の46都道府県をすべてまわったわけだ。それまで一切の抵抗をやめなかった日本軍が玉音放送が流れるとともにぴたりと抵抗をやめたこと、そしてこの全国巡行における国民の天皇に対する敬愛の態度を見て、マッカーサーは天皇の戦争責任を問わないことを決め、象徴天皇制を敷くことを決断したとも言われている。つまり、平成天皇が平成期30年間で「象徴天皇制」を完成に近づけていくその前提には、昭和天皇の並々ならぬ存在感があったわけだ。そのことは忘れてはならない。
2.物事を読み解くには時系列に並べてみることだ
皇室典範改正法案が衆院の9割以上の賛成、参院の8割近くの賛成をもって可決された。まさに圧倒的な可決である。しかし、このたびの皇室典範改正には産経以外の大手新聞社すべてが反対の論陣を張り(なんと讀賣新聞も日経新聞も)、どの国民世論の調査においても反対が賛成を大きく上回っている。「賛成多数」なのは国会だけで、どうも国民意識とは大きなズレがある。結局衆院で反対したのは共産党とれいわ新選組だけ(自民党から二人、中道改革連合から4人の欠席者は出た)、参院で反対したのはこの2党に加えて立憲民主党だけだった。その他は野党も含めてすべて賛成したのである。なぜこんなに国民の意識とズレるのか。国会議員たちはいったい何を考えているのか。そうした声が大きい。
加えて、さまざまな世論調査で「愛子天皇」がいいという声が6~7割を占めていることもまた、こうしたズレの背景になっていることも無視できない。なぜこんなに品格の豊かな愛子内親王を排除するような法案を通すのか。そうした声である。確かに報道でもYouTubeでも、愛子内親王の語学力や気遣い力、機転をきかしたコミュニケーション力などの情報にあふれている。国民の多くが愛子内親王に好感を抱くのも無理はない。
しかし、これは現在の状況、いまこの瞬間の状況である。現在の国民の状況、いまこの瞬間の国民の状況である。いわば「横軸」(=共時的状況)だ。物事は横軸の瞬間風速だけでは測れない。物事には「縦軸」、つまり「時間軸」(通時的状況)というものが歴として存在するのである。
私たち国民が愛子内親王を「品格の豊かな方」と認識したのはいつのことだったか。それは愛子内親王が初めて公務をお一人で行うことになった2024年5月11日、東京の国立公文書館でのことである。初めてお言葉を話されたのは2025年5月、これも東京で開催された世界災害救急医学会の開会式でのことである。つまり、国民が「愛子内親王は天皇に相応しい品格をお持ちなのだ」と思い始めて、女性誌を中心とした「愛子さま特集」で大騒ぎになってから、実はまだ2年程度しか経っていないのだ。
それに対して、与野党での皇族数確保のための会議(皇族数確保策に関する全体会議)の前提となる有識者会議の報告書がまとまったのは2021年の12月である。言わば愛子内親王が世に出る3年前から、つまりは国民が「愛子さまを天皇に」と言い出す3年も前から、今回の皇室典範改正の動きは具体的に始まっていたのである。自民党だけでなく野党各会派までがこの改正に反対しづらいのは、改正の議論が本格的に始まって以来、自分たちもその議論に参加してきたからに他ならない。
先月、中曽根弘文議員が「愛子さまっていうのはあり得ないんですよ」「愛子さまもお気の毒ですね、自分がなれないのにそんなことを言われて」「愛子さま大変ですよ、まず結婚する人もいないですよ」「愛子さまも男性のお子さんを産まなきゃならないというすごいプレッシャーもあるわけですね」と発言して問題となった。「愛子さまは結婚できない」「愛子さまは男の子を生まなくてはならないプレッシャーに苛まれる」という言い方には、もう少し配慮できないものかと思うけれど、中曽根議員が「愛子さまっていうのはあり得ないんですよ」「愛子さまもお気の毒ですね、自分がなれないのにそんなことを言われて」と発言することは決して故無きことではない。5年も6年も前から真剣に議論してきた立場からすれば、ここ1、2年で盛り上がってきた「愛子天皇待望論」など後出しじゃんけんの極みに見えるはずである。逆に、それでも「愛子天皇論」を推し進めようとするならば、その長い議論を覆すだけの、もう一段高く深い議論を展開して今回の改正論者を納得させなければならないということになる。
「横軸」だけでなく「縦軸」も見よ、という例は、今回の皇室典範改正論議においてもう一つ顕著な出来事がある。それは今上天皇がオランダ・ベルギー訪問を前に記者会見に臨まれ、「制度に関わることについては言及を控えたいと思いますが、皇族数の確保の在り方についての議論においても、国民のみなさんの理解が得られるものとなることを望んでおります」と述べられたことである。この記者会見は6月11日。森英介衆院議長が「旧宮家の男系男子を養子とした場合、(その養子に)男の子が生まれれば皇位継承権を持つ」と記者会見で発言したのが6月8日のことである。俗に森議長が口を滑らせたと言われる会見だ。この発言で野党は大騒ぎになる。それでは話が違うではないか、今回は皇族数の確保のみを目的とした「立法府の総意」だったはずだ、と。この3日後の陛下のお言葉をどう見るべきか。普段の陛下であれば、「制度に関わることについては言及を控えたいと思います」で終わっていたはずだ。果たして今上陛下のお言葉はそこから一歩踏み込んだものとして忖度すべきものなのか。これも今回の大きな論点である。
実は秋篠宮皇嗣殿下がかつて、「皇族は生身の人間。制度変更によってどういう状況になるのか、どういう考えを持っているかを宮内庁のしかるべき人たちは理解してほしい」と述べられたことがある。陛下と殿下はいうまでもなくご兄弟である。お二方が日常的に連絡を取り合っているとすれば、こうした思いは今上陛下にもおありだと考えるのが妥当とも思える。
そもそも国民の間ではあまり意識されていないようだが、この度の皇室典範改正によって、今上天皇一家は皇族としての断絶が決まったことになる。今回の改正では愛子内親王は皇族のままでいられるが(希望すれば皇族から離脱することもできる)、その配偶者はもちろん、その子どもは皇族には入れないのだ(たとえ男の子が生まれたとしても)。つまり、今上陛下にとって今回の皇室典範改正は「お家断絶」の意味をもつ。「生身の人間」としては憤りを感じたとしても不思議はない。
更に「縦軸」で見たとき、もう一つ大きな論点がある。それは20年前、小泉純一郎内閣において皇室典範改正が検討されたとき、2005年末に、「女性天皇」はもちろん、「女系天皇」まで認めるという内々の決定が一度なされていることだ。20年前だからもちろん愛子内親王の天皇即位を想定してのことである。このとき、たまたま秋篠宮家に悠仁親王がお生まれになり、この内々の決定が流れたという経緯がある。最近、羽毛田信吾元宮内庁長官がマスコミに登場し、今回の改定に大反対の論陣を張っているが、この小泉内閣の皇室典範改正の議論に大きく関わったのが羽毛田元長官である。ちなみに羽毛田長官は平成天皇の生前譲位にも大きく尽力した人物でもある。
この20年前の議論において、「女性天皇」「女系天皇」を認めるという内々の決定の背景としてあったのが、実は皇族の養子論だった。このときの議論では、皇族が養子をとることはあり得ないということで議論がまとまっていた。天皇というのは権威である。権威というものは、権力はもっていても権威はもたないという立場の人間に狙われやすい。自分の娘を天皇に嫁がせて天皇との間に子を生ませ、自らが天皇の祖父として権勢を手に入れる。天皇の外戚として実権を握るという例は歴史上、枚挙に暇がない。20年前の議論では養子案がこうした流れと同様の弊害を生み出す怖れがあると、かなり強く退けられた経緯がある。今回の改正ではそれが復活しているのだ。羽毛田元長官が声高に今回の改正に反対するのもこのことが大きい。
さて、この20年前の皇室典範改正論議と今回の改正論議とを「縦軸」で見たとき、どう判断すべきだろうか。これもこの度の改正の大きな論点であると言わなければならない。
3.共時性と通時性を掛け合わすことで未来も見えてくる
最後に今後のことを考えてみよう。
7月10日(金)、言うまでもなく衆院で皇室典範改正法案が可決された日である。この審議において長妻昭議員(中道改革連合)は皇室典範改正の付帯決議にある「30年ごとの見直しにおける養子皇族男子の環境勘案、そして安定的皇位継承確保策の継続検討」について取り上げ、「30年経たないと新たな検討はできないのか」と質問した。要するに「女性天皇」「女系天皇」の議論は30年後までできないのかという趣旨である。これに対し、木原稔官房長官は「将来の皇位継承のあり方について立法府における将来の検討を先取りしたり、縛ったりする趣旨ではない」と答弁した。これを受けて中道改革連合も皇室典範改正の賛成にまわったわけであるが、このやりとりの中では、長妻議員が再三にわたって「女性天皇」「女系天皇」の議論も可能なのかと問い詰めたが、木原官房長官は最後まであくまで「立法府における将来の検討を先取りしたり、縛ったりする趣旨ではない」を繰り返し、「女性天皇」「女系天皇」議論の可能性を明言しなかったという経緯がある。
さて、この、最後まで「女性天皇」「女系天皇」の議論をも排除するものではないとは明言しなかったことが、今後、この議論にどのような影響を与えるのか、私たちは注目し続けなくてはならないと思う。
第二に、養子を取ることのできる宮家が四宮家であること。これも国民には広く知られていない。
私たちが親近感を抱いている上皇の宮家、今上天皇の宮家、秋篠宮の宮家、この三宮家は養子を取ることが認められていない。養子を取り「養親」となることが認められているのは実質的に、常陸宮家(常陸宮正仁親王・90歳/華子親王妃・85歳)、三笠宮寬仁親王妃家(信子親王妃・71歳)、三笠宮家(彬子女王・44歳/瑶子女王・42歳)、高円宮家(久子親王妃・73歳/承子女王・40歳)の四宮家7人である。
常陸宮親王ご夫妻が既にご高齢であることを考えるとき、現実に養親となるのは三笠宮親王妃家、三笠宮家、高円宮家の三宮家の可能性が高いだろう、ということである。三笠宮寛仁親王と高円宮憲仁親王とでは寛仁親王がご長男。皇位継承順位では三笠宮寛仁系の宮家のほうが高くなるであろうことも予想される。
そして三笠宮親王妃家、三笠宮家を見るとき、大切なのは三笠宮親王妃家の信子親王妃が麻生太郎元総理の実の妹であり、その娘である三笠宮家の彬子女王、瑶子女王が麻生元総理の姪にあたるという事実である。今回の皇室典範改正の養子論議がかつての外戚政治と同様の弊害があると指摘されるのは、まさにこうした構図による。私は単なる田舎教師に過ぎないのでこれ以上のことを言うつもりはないが、この事実はすべての国民が知るべき事実だと思う。しかも、さまざまな経緯で三笠宮親王妃家が創設されたのは2025年、要するに昨年のことだ。こうした関係が今後、どのような形で私たちの目の前に現れるのか、これも私たちが注目し続けなくてはならないことの一つだろうと思う。
いかがだろうか。今回の原稿には読者の皆さんにとって御存知なかったであろうことがたくさんあったのではないだろうか。
今回の皇室典範の改正によって、今後、皇室はどのように維持され、どのように変化していくのか。悠仁親王が公務を始められ、私たちの前に具体的な表情や声の形で姿を見せたとき、愛子内親王同様、「ああ、天皇に相応しい品格を備えたお方だ」と国民から親近感を抱かれることになる可能性は大いにあり得る。悠仁親王がご結婚され、男の子が生まれれば現在の心配は再び数十年先送りされることにもなる。未来はだれにもわからない。
ただ私が本稿で言いたいのは、私たちの目前に現れるさまざまな出来事を、共時的な「横軸」だけで見ていては絶対にいけない、ということである。常に通時的な「縦軸」をも見ようという構えをもつこと。それがなければ、いま何が起こっているかを調べようとする意欲さえ湧かないのだ。
私たちもまた、日々の忙しさに流され、半径数メートルから十数メートルの中を生きている。「働き方改革」が叫ばれても、新学習指導要領の輪郭が見えてきても、生成AIの学校教育への影響が指摘されても、「へえ…」と自分から見える「半径10メートル」くらいの価値基準で判断している。しかし、それではいま、自分がどんな地点にいるのか(=メタ認知能力)ということが実はまるでわからないのだ。
あの、親近感は抱きつつもどこか遠い、基本的には自分とは関係のない存在に見える天皇家にも、ちょっと「縦軸」の構えをもてばこれだけのことが見えてくる。自分がどういう時代を生きているのかが理解されてくる。「歴史」とはそういうものである。
今夜は、この一杯。
ラフロイグ10年
ストレート ◎
ロック ◎
ハイボール ◎
好きになるか、嫌いになるか。評価がはっきり二分される酒と言われる。私の最も好きなボトルである。好みが分かれると言われる所以は、その強すぎるヨード臭。強い苦み。「まるで正露丸みたい」「まるで消毒液みたい」と形容される。はまる人ははまるし、二度と飲まないと決意する人もいる。ストレートは一人でじっくり、ロックは甘いものを添えて、ハイボールは肉良し魚良し。
私は生牡蠣とラフ10年の組み合わせが大好きだ。

<今回の執筆者のプロフィール>
ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。

