千葉孝司先生の「不登校に寄り添う プロの対応術」 Episode4 母親が教師を責める理由

学校に行けなくなった子どもたちや、その保護者たちへの温かい発信に定評のある千葉孝司先生。千葉先生の名著『マンガで解説 いじめと戦う!プロの対応術』の世界観と登場人物をそのままに、読めば不登校対応のポイントが分かる小説の連載をお届けします。挿絵は、その名著で千葉先生とタッグを組んだ漫画家、黒川清作さんの作品です。
執筆/千葉孝司(元・北海道公立中学校教諭、ピンクシャツデーとかち代表)
挿絵/黒川清作(漫画家)
目次
優太の母
ユウタが玄関に姿を見せてから、さらに時間が流れた。今では、週に一度の片道交換ノートに加えて、まどかは 家の中でユウタと会えるようになっていた。といっても、ユウタは玄関から外へ出ることは、まだできなかった。
ある日、まどかが訪問すると、母親の表情がいつもと違っていた。疲れと焦りが混ざったような顔。
「先生……私、もう限界なんです。家の中では元気なのに、外には一歩も出られない。このままじゃ……」
声が震えていた。
まどかは、ゆっくり言葉を選んだ。
「ユウタくんは、今、外に出る準備をしているところです。焦らなくて大丈夫ですよ」
しかし、その言葉が母親の不安をさらに刺激してしまった。
「先生は……いいですよね。帰ればそれで終わりなんだから。うちは毎日向き合っているんです。先生は、私の気持ちなんて分からないでしょう!」
その瞬間、まどかの胸に鋭い痛みが走った。言葉が出なかった。
「……今日は帰ってください」
まどかは深く頭を下げ、家を出た。玄関の外で、しばらく動けなかった。涙がこぼれ落ちた。
翌日、職員室でまどかの顔色を見た河村先生が声をかけてきた。

「広瀬先生、ちょっと言いたいことがあるから来て」
まどかは、昨日のことを河村先生に話した。母親の言葉、胸の痛み、どうしていいか分からない気持ち。
河村先生は、しばらく黙って聞いていた。そして、ぽつりと言った。
「……頑張りすぎると、もたないよ」
まどかは顔を上げた。
「俺も昔、同じようなことがあった。助けたいって気持ちが強いほど、相手の不安を全部背負い込んじまうんだ。でもな、全部背負ったら、先生が倒れる。そうしたら、誰も助けられなくなる」
その言葉は、まどかの胸に静かに染み込んだ。
「広瀬先生は、十分に頑張ってるよ。だから、少し休め」
まどかは、涙がこぼれそうになるのを必死にこらえた。
いつもの居酒屋で
その日の夜。慶子が「飲みに行こう」と誘ってくれた。まどかは気が進まなかったが、断る気力もなく、茨木先生も誘って3人で近くの居酒屋に入った。
テーブルに座ると、茨木先生がビールを一口飲み、まどかの顔をじっと見た。
「……今日は、ずいぶん疲れた顔をしていますね」
まどかは、母親に言われた言葉を話した。話しながら、涙がこぼれそうになった。
「私……もっとできると思っていたんです。でも、お母さんにあんなふうに言われて……」
茨木先生は、静かにうなずいた。
「自分を責める気持ちがあふれると、人は他の人を責めてしまいます」
まどかは顔を上げた。
「え……?」
「お母さんは、自分を責め続けて、もう限界だったんですよ。その苦しさが、あなたに向かった。でもね、それは信頼の裏返しなんだ」
「信頼……?」
「そう。この先生なら何とかしてくれる。そう思っているからこそ、苦しさをぶつけてしまったんだよ」
まどかは、胸の奥がじんわり温かくなるのを感じた。慶子が、優しく笑った。
「まどか先生の気持ちは、ちゃんと届いているよ。ユウタくんにも、お母さんにも」
茨木先生は、グラスを持って言った。
「子どもたちの明るい未来に乾杯!」
そんな茨木先生に慶子は、「早く飲みたいだけなんじゃないの?」という視線を向けていた。

思い出づくりへ
翌日。まどかは体育館で作業をしていた。近くでは、子どもたちがワイワイと話している。
「この前の遠足、めっちゃ楽しかったよな!」
「お弁当交換したの覚えてる?」
「写真、また見せて!」
笑い声が体育館に響く。その光景を見た瞬間、まどかの胸に、強い思いが湧き上がった。
(ユウタにも……思い出をつくってあげたい)
このままではきっと、後で振り返ることができる学校での思い出は少ないはず。
(ユウタにも、そんな時間を……)
胸の奥が熱くなった。
(どうしたら……ユウタに思い出を残してあげられるだろう)
夏休みの夜。
学校の中。
小さなイベント。
怖さよりもワクワクが勝つような、笑って終われるイベント――。
「……肝試し、やってみようかな」
まどかは、胸の奥が久しぶりに軽くなるのを感じた。
(ユウタに、思い出をつくってあげよう)
その願いが、まどかの背中をそっと押していた。
茨木耕司先生によるエピソード解説
ユウタが玄関に姿を見せるようになった頃、母親はすでに長い緊張の中にいました。家の中では元気なのに、外には一歩も出られない。その状態が続くと、保護者は「良い兆し」と「変わらない現実」の間で揺れ続けます。この揺れが積み重なると、保護者は悪循環に陥りやすくなります。

まず、母親は毎日ユウタの様子を見ています。家の中では笑う、話す、遊ぶ。しかし玄関の外には出られない。このギャップは、保護者にとって強い負担になります。子どもの変化が見えない期間が続くと、保護者は自分を責め始めます。「私の育て方が悪かったのではないか」「もっと早く何かできたのではないか」といった思いが心の中で膨らんでいきます。これが悪循環の最初の段階です。
次に、自分を責める気持ちが強くなると、焦りが生まれます。焦りは、未来への不安を大きくし、子どもにまだできない行動を求めてしまう原因になります。母親の「このままじゃ……」という言葉には、未来への恐怖が強くにじんでいます。焦りは、子どものペースを尊重する姿勢を奪い、保護者自身を追い詰めていきます。
そして、焦りが限界に達すると、保護者は他者に感情をぶつけてしまいます。今回のエピソード中の「自分を責める気持ちがあふれると、人は他の人を責めます」という言葉は、この悪循環の本質を正確に捉えていると思います。母親の「先生は帰れば終わりなんだから」「先生は私の気持ちなんて分からないでしょう」という言葉は、まどかを責めているように見えますが、実際には母親自身の苦しさがあふれ出た結果です。信頼している相手だからこそ、苦しさをぶつけてしまうのです。
この悪循環は、次のような流れで進みます。
自分を責める
子どもの変化が見えない → 自分のせいだと思い込む。
焦りが強まる
未来への不安が膨らむ → 子どもに早い変化を求めてしまう。
支援者への攻撃に転じる
限界があふれる → 信頼している相手に苦しさをぶつけてしまう。
この悪循環は、保護者が「悪い人だから」起きるのではありません。むしろ、子どもを大切に思う気持ちが強いからこそ起きるものです。母親はまどかを信頼しているからこそ、苦しさをぶつけてしまったのです。信頼していない相手には、そもそも感情をぶつけることはありません。
この循環を理解していないと、支援者の気持ちがもたなくなります。保護者の言葉を「攻撃」とだけ受け取ってしまうと、支援者自身が傷つき、支援を続ける力が奪われてしまうからです。しかし、この悪循環の仕組みを知っていれば、「今はそういう時期なのだ」と受け止めることができます。保護者の言葉は支援者への否定ではなく、限界に達した苦しさの表れであり、信頼の裏返しでもあると理解できるのです。
まどかが涙を流したのは、母親の言葉が支援者としての自分を否定したように感じられたからです。
しかし、その後の居酒屋でかけられた「信頼の裏返しなんだ」という言葉は、まどかの受け止め方を大きく変えました。母親の言葉は、まどかへの期待と信頼があるからこそ生まれたものだったのです。
この悪循環を断ち切るためには、保護者が「自分を責めなくていい」と感じられる環境づくりが必要です。支援者が保護者の不安を理解し、保護者自身の安心を回復させることが、子どもの支援にも直結します。
まどかが同僚に支えられ、安定した気持ちを取り戻したことは、支援者自身の悪循環を防ぐうえでも重要な場面でした。
<千葉孝司 プロフィール>
ちば・こうじ。1970年北海道生まれ。元・公立中学校教諭。ピンクシャツデーとかち発起人代表。いじめ防止や不登校対応に関する啓発活動に取り組み、カナダ発のいじめ防止運動ピンクシャツデーの普及にも努める。著書に「いじめと戦う!プロの対応術」(小学館)、「令和型不登校対応マップ」「WHYとHOWでよくわかる!いじめ 困ったときの指導法」「WHYとHOWでよくわかる!不登校 困ったときの対応術」(いずれも明治図書出版)等がある。
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