千葉孝司先生の「不登校に寄り添う プロの対応術」 Episode5 いちばん大切なもの

学校に行けなくなった子どもたちや、その保護者たちへの温かい発信に定評のある千葉孝司先生。千葉先生の名著『マンガで解説 いじめと戦う!プロの対応術』の世界観と登場人物をそのままに、読めば不登校対応のポイントが分かる小説の連載も、いよいよ最終回。挿絵は、その名著で千葉先生とタッグを組んだ漫画家、黒川清作さんの力作です。
執筆/千葉孝司(元・北海道公立中学校教諭、ピンクシャツデーとかち代表)
挿絵/黒川清作(漫画家)
目次
教師としての本質的な仕事
企画書を持って職員室の管理職の席に行くと、教頭先生の表情は渋かった。
「夏休み初日の夜に学校で肝試し? 勤務時間外ですよ。安全管理の問題もあるし……。正直、難しいですね」
まどかは言葉を失った。やっぱり無理なのだろうか。
そのとき、横から茨木先生が静かに口を開いた。
「確かに勤務時間外です。『教師生活』を考えれば、やらなくてもいいことです」
管理職がうなずく。
しかし茨木先生は、そこで言葉を続けた。
「でも、広瀨先生の『教師人生』を考えれば、こういう取組こそ、やる価値があるんです」
管理職が目を上げた。
「広瀬先生は、子どもたちの未来の記憶をつくろうとしている。学校が怖い子に、学校が楽しい場所だと伝えようとしている。それは、教師として本質的な仕事です」
まどかは胸が熱くなった。
教頭先生はしばらく黙り、やがて深く息を吐いた。
「……安全管理の体制を整えることを条件に、許可します」
まどかは思わず頭を下げた。
「ありがとうございます!」
肝試しの夜
校舎の中は、昼間とはまったく違う顔をしていた。薄暗い廊下、静まり返った教室。
でも、まどかはワクワクしていた。
(ユウタ、来てくれるかな……)
そんな不安が胸をよぎったときだった。
「……先生」
振り返ると、ユウタが母親と手をつないで立っていた。母親は少し緊張した顔で言った。
「今日は……よろしくお願いします」
まどかは微笑んだ。
「来てくれてありがとう、ユウタくん」
ユウタは小さくうなずいた。その手は震えていたけれど、自分で来ることを決めた表情だった。
「じゃあ、ルールを説明するね。自分の教室の自分の席に行って、机の中にあるプレゼントを取ってきてください」
ユウタの緊張が伝わってくる。
「ただし、席に座ったときは、『なんだ、椅子固いなあ〜』って呪文をとなえること! お母さんが証人になってください」
ユウタの口元がゆるんだ。
「途中で、ちょっとしたおどかし役がいるかもしれません。でも、絶対に安全だからね」
慶子がニヤリと笑い、茨木先生は懐中電灯を逆さに持って顔を照らしてみせた。
ユウタは、肩を震わせて笑った。
廊下は薄暗く、ユウタの足は震えていた。まどかはそっと後をつける。
曲がり角を曲がった瞬間――
「うらめしや〜〜〜!」
慶子が飛び出してきた。
ユウタは「ひっ!」と声を上げたが、次の瞬間、慶子が「ごめん、ごめん!」と笑いながら頭を下げた。ユウタも、つられて笑った。
さらに進むと、誰もいないはずの音楽室からピアノの音が聞こえてくる。茨木先生が必死に弾いているのだ。

教室に入るとユウタは座席表を確認し、ゆっくり自分の席に近づき、そっと座った。
「……なんだ、椅子固いなあ〜」
小さな声だったが、確かに呪文をとなえた。
机の中には、まどかが用意した小さなプレゼントが入っていた。
ユウタはそれを胸に抱きしめた。
帰り際にユウタはまどかに言う。
「ドキドキするから学校は嫌だった。でも今日はドキドキして楽しかった。今度はこっちがおどかすからね」
「楽しみにしてるね」
まどかは心からの笑顔で応えた。
エピローグ
夏休みが明け、2学期が始まった。校門の前で河村先生と並んで登校する子どもを迎える。ふとまどかの視界に、ゆっくりと歩いてくる小さな影が見えた。
ユウタだった。

母親に付き添われながら、でも、自分の足でしっかりと歩いていた。
「……おはようございます」
ユウタは照れくさそうに言った。その声は、夏休み前よりずっと強かった。
「びっくりした……」
まどかはそれしか口にできなかった。ユウタは小さく笑った。
「うん。……学校、行きたいって思ってた。今日は行けると思った」
その言葉を聞いた瞬間、まどかは涙を止めることができなかった。
そばで立っていた河村先生は視線を外す。その先に茨木先生がいた。
「オレも……ユウタに安心とか、与えてきたつもりなんだけどなあ…。なんでだろうな」
負け惜しみを抑えられず、そうつぶやく。
茨木先生は、ユウタの背中を見つめながら静かに言った。
「河村先生。それはね――」
一拍置いて、まどかの方を見た。
「広瀬先生は、学校生活をよくしようとしたんじゃないんです」
河村先生が眉をひそめる。
「じゃあ、何をしたっていうんですか?」
目を細めながらそっと茨木先生は口を開く。
「ユウタくんの人生を愛したんですよ」
風が吹き、校門の旗が揺れた。ユウタの小さな背中が、朝日に照らされていた。

茨木耕司先生によるエピソード解説
ユウタにとって学校は、これまで「緊張の場所」でした。
薄暗い廊下、静まり返った教室、誰もいない音楽室。
こうした環境は、過去の怖い体験や不安の記憶を呼び起こし、学校そのものを“避けたい場所”として固定してしまいます。
しかし、この物語では、その固定された記憶が少しずつ書き換わっていきます。
まどかたちが行った肝試しは、単なるイベントではなく、緊張の記憶を安心の記憶へと上書きする支援として機能しています。
安心の上書きは、次のような仕組みで起こります。
緊張を感じる場所に、安心できる体験を重ねる
緊張と安心が同じ場所で同時に存在する
脳が「この場所は怖いだけではない」と再解釈する
過去の記憶の意味が変わり、行動のハードルが下がる
ユウタの「ドキドキして嫌だった。でも今日はドキドキして楽しかった」という言葉は、まさにこの上書きが起きた瞬間です。同じ“ドキドキ”でも、恐怖から期待へと意味が変わっています。
この上書きを可能にしたのが、次の3つの手法です。
1・予測可能なルールづくり
「席に行く」「呪文をとなえる」「プレゼントを取る」という明確な手順が示されていました。
不安の強い子は“何が起きるか分からない”ことに最も緊張します。
行動の順番とゴールがはっきりしていることで、緊張が安全な範囲に収まります。2・緊張の中に笑いを混ぜる
慶子のコミカルなおどかし、茨木先生の必死なピアノ。
恐怖だけでは緊張が高まりすぎますが、そこに笑いが入ると、緊張が中和されます。
「怖いけど楽しい」という新しい感情が生まれ、安心の記憶が刻まれます。3・信頼できる大人の同伴
母親がそばにいて、まどかが後ろから見守り、慶子と茨木先生が支える。
子どもは“ひとりで向き合う怖さ”に最も緊張します。
信頼できる大人がそばにいるだけで、緊張は大きく下がり、安心が流れ込みます。
この3つの手法が重なることで、ユウタの中で「学校=怖い場所」という記憶が、「学校=怖いけれど楽しい場所」へと書き換わっていきました。
帰り際の「今度はこっちがおどかすからね」という言葉は、学校が“自分が参加できる場所”に変わった証です。
安心の上書きは、不登校支援において非常に大きな意味を持ちます。過去の緊張の記憶を、安心の体験でそっと塗り替えることで、子どもの行動は自然と前へ進み始めるのです。
教室のイメージは安心できる場所に上書きされているだろうか。子どもの背中を押す前に、そんな問いを持ってみませんか。
<千葉孝司 プロフィール>
ちば・こうじ。1970年北海道生まれ。元・公立中学校教諭。ピンクシャツデーとかち発起人代表。いじめ防止や不登校対応に関する啓発活動に取り組み、カナダ発のいじめ防止運動ピンクシャツデーの普及にも努める。著書に「いじめと戦う!プロの対応術」(小学館)、「令和型不登校対応マップ」「WHYとHOWでよくわかる!いじめ 困ったときの指導法」「WHYとHOWでよくわかる!不登校 困ったときの対応術」(いずれも明治図書出版)等がある。
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