不登校に寄り添う プロの対応術 Episode2 家庭訪問の落とし穴

学校に行けなくなった子どもたちや、その保護者たちへの温かい発信で有名な千葉孝司先生による連載第2回。千葉先生の名著『マンガで解説 いじめと戦う!プロの対応術』の世界観と登場人物をそのままに、今度は小説の連載をお届けします。挿絵は、その名著で千葉先生とタッグを組んだ漫画家、黒川清作さんの作品です。
執筆/千葉孝司(元・北海道公立中学校教諭、ピンクシャツデーとかち代表)
挿絵/黒川清作(漫画家)
目次
河村先生の主張
前日の会議室での出来事が、まだ胸の奥に重く沈んでいた。
ユウタの父親の怒りに満ちた声。
「来なくていいなんて言われたら、行く気をなくすに決まってるでしょう!」
あの言葉が、何度も頭の中で反響する。茨木先生が助けてくれたはずなのに、不安は消えていなかった。
私の言葉が、また誰かを傷つけてしまうかもしれない。
そんな思いを抱えたまま、翌日の午後、私はユウタの家の前に立っていた。
曇り空の下、玄関の植木が風に揺れ、葉がこすれる音がかすかに響く。
チャイムを押す。
……静かだ。
昨日の父親の怒りが胸をよぎる。喉がきゅっと締めつけられる。もう一度押す。
その瞬間、家の奥で何かが動く気配がした。でも、私は三回目のチャイムに指を伸ばさなかった。胸の奥で、昨日の出来事が私の手を止めた。
これ以上押したら、また誰かを追い詰めてしまうかもしれない。
「……今日は、これで帰ろう」
ポストに短いメモを入れ、私は静かにその場を離れた。
「家庭訪問、会えなかったんです」
席に戻ると、河村先生がすぐに反応した。彼はプリントを束ねながら、当然のように言った。
「二回で出ないなら、三回目が勝負だよ。俺なんて、出てくるまで何度もチャイム押すし」
「何度も……ですか?」
「そう。いきなり行ったら会えることもあるし、粘れば出てくる。『先生は本気だぞ』って伝わるからね。ユウタはこれまで楽しい活動がある日には来ることがあったでしょう? やっぱり甘えもあるんじゃないかな。」
彼は自信満々だった。でも、昨日の父親の怒りが胸に残っている私には、その言葉が鋭く刺さった。
本気だぞって、誰に向けた言葉なんだろう。子ども? 親?それとも、自分自身?
私は、机の端をそっと握りしめた。

子どもを追い詰める家庭訪問
放課後、慶子と一緒に茨木先生の席を訪れた。茨木先生は、書類から顔を上げ、私たちを見て静かに微笑んだ。
「どうしました?」
私は、昨日の父親とのやりとりで生まれた不安。今日の家庭訪問で三回目を押せなかったこと。そして河村先生の出てくるまで押すという指導法への違和感をすべて話した。
話しているうちに、胸の奥がじんわりと熱くなり、声が震えた。
茨木先生は、しばらく黙って聞いていた。そして、ゆっくりと語り始めた。
「チャイムを何度も押すというのは……こういうメッセージを伝えることになるんです」
指を折りながら、穏やかに続けた。
「一度目は来たよ。二度目は聞こえなかったかな。三度目はいるのはわかっているよ。四度目は早く出てきなさい。五度目はいい加減にしなさい」
私は息をのんだ。三回目を押さなかった自分の直感が、間違っていなかったと気づく。
「アポなし訪問も同じです。それまでその子は、チャイムが鳴ったら普通に出ていたかもしれない。でも、先生が突然来るようになると、『もしかして先生かも』と思って出られなくなる」
茨木先生は、私の目をまっすぐ見た。
「つまり、子どもの安心を奪ってしまうんです。行動範囲を狭めてしまう。それは指導ではなく、追い詰めることになってしまう」
昨日の父親の怒りが、胸の奥でほどけていくようだった。
「でも……来てほしいんです。学校に」
私がそう言うと、茨木先生は静かに首を振った。
「まどか先生。来てほしいというのは、先生の願いです。でもいくら願っても、物事には時季というものがあります。まずは、相手が欲しているものを与えることなんです」
私は、息を呑んだ。
「子どもが欲しているのは、来てほしいという期待ではなく、安心していいんだよというメッセージです。安心が満たされれば、子どもは自然と動き出します」
その言葉は、胸の奥に静かに沈んでいった。
「だから、訪問する目的は出てきてほしいではなく、あなたはどこにいても大切な存在だよ、というメッセージを届けることなんです」
私は、思わず目を伏せた。涙がにじみそうになる。
「……どうすれば、その気持ちを伝えられますか?」
茨木先生は、机の引き出しから小さなノートを取り出した。
「片道交換ノートというのはどうでしょう。先生からだけ書くノートです。返事は求めない。『あなたのことを気にかけていますよ』というメッセージだけを届ける」
私はノートを受け取り、そっと表紙を撫でた。
返事を求めないノート。それなら、ユウタの負担にならない。そして、私の気持ちも伝えられる。
胸の奥に、ふっと灯りがともった。

