【木村泰子の「学びは楽しい」#51】「ふつう」と「特別」に子どもを分けることは学校の当たり前ですか?
すべての子どもが自分らしくいきいきと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載第51回目。今回は、2つの学校でのエピソードをもとに学校の当たり前を問い直していきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

目次
何のためのテストなの?
先生たち、自分で考え自分で判断して行動していますか。流されるままに流れていませんか。一度、立ち止まって、できるかできないかではなく、全国の事例から、まずは自分の考えを持ってみませんか。
こんな時、どう行動しますか?
1.学力調査の前日の学校からの指示
「明日は学力調査の日だから、朝の遊びはなくします」。先生からの突然の指示に対して納得がいかない子どもたちがどうしてかと問うと、「けがをしてテストを受けられなくなってはいけないから、登校したら静かに座っているように」とのこと。学校で納得がいかない子どもたちは必ず自宅に戻ったら親に疑問をぶつけます。ぶつけられた親も「どう考えてもテストのために子どもから遊びを奪うことについては納得がいかない」と考える人が多いのが今の世の中です。子どもの文句は止まらないし、親が仕方なく担任に「なぜ遊びを奪ってまでテストに向かわせるのか」と聞くと、担任の返答は「これまでの学校の決まりだからです」とのこと。こうなると、納得のいかない親同士がつながって集団で校長室に行くパターンが多いですよね。そこで親が納得する返答を校長が出せればいいのですが、この問いに対する納得のいく回答など私自身も持ち合わせません。
4月の1か月で学校不信を増幅するこのケースに読者のみなさんならどのように対応しますか。積み木と同じで、積み上げるのは時間もエネルギーも半端なく必要ですが、壊れるのは一瞬です。
この事案に関して子どもの声を紹介します。
・何のためのテストなの?
・テストは自分のためにやるものなのに
・明日、休みたい
・朝の遊びをなくしたら成績が上がると思っているのだったらまるで反対。テストのやる気をなくしているだけ
・子どもの声を全く聴いてくれない
・ここまでテストって大事なの?
最終的に保護者の質問に対する校長の返答は、「教育委員会からの指示で周りの学校も毎年同様にやっているから」とのことだったそうです。外野から観ていると、(なんとおかしなことがまかり通るのだ……)と思うのですが、先生たちはどう思いますか。
子どもにとって理不尽なことを一律にやらせようとすることは、案外、他にもありませんか。その都度、子どもたちは学校への不満や不信を募らせているのではないでしょうか。私は今回の件は、氷山の一角のような気がします。一度、立ち止まって、自分の考えを持ってみることが必要なのではないでしょうか。
2.「ふつう」と「特別」に子どもを分ける授業参観
「自分の学校は自分がつくる『みんなの学校』をつくろう!」と、地域住民を巻き込み、子ども・教職員・保護者がともに学校づくりを進めている学校に行きました。昨年も「全校道徳」の授業をさせていただきましたが、子どもたちは無理をすることもなく、それぞれの子どもが柔らかく自分を表現し合っていました。子ども同士の関係性も、互いを理解し合って対等な関係が生まれている環境だと感じていました。
その学校で、今回、学習参観での子どもの様子を見ることができたのですが、保護者が参観に来ている中、特別支援学級の子どもは通常の学級から分けられていて、1人の子どもに1人の先生が付いて学んでいるような教室がいくつかありました。ある教室では2人の子どもが先生の指示で色塗りをしていて、保護者はその教室で自分の子どもを観ているのです。周りの教室では、子どもたちが楽しそうに声を上げて学び合っている様子を多くの保護者が見守っています。
私はこの光景を見て、参観というチャンスに、どこまで残念な学校の姿をあえてさらけ出しているのかと、不思議なくらいの違和感を持ったのです。この学校の日常の子ども同士の姿ではないのですから……。
授業の後で、抱いた違和感を校長に伝えました。すると、普段はみんな一緒の教室で学ぶことが当たり前なのですが、参観日は「支援学級で授業させてほしいとの保護者の願いなのです」との返事です。
みなさんはこの事象をどう思われますか。
