【木村泰子の「学びは楽しい」#52】「子どもの人権」と「教員の人権」について考えませんか?
すべての子どもが自分らしくいきいきと成長できる教育のあり方について、木村泰子先生がアドバイスする連載第52回目。今回は、読者から編集部に届いたメッセージから「学校現場の人権」について考えていきます。(エッセイのご感想や木村先生へのご質問など、ページの最後にある質問募集フォームから編集部にお寄せください)【 毎月22日更新予定 】
執筆/大阪市立大空小学校初代校長・木村泰子

目次
教員の人権がないがしろにされる学校
読者の方から次のような声が届きました。
「子どもの人権」を保障することについては理解しますが「教員の人権」は守られなくていいのでしょうか。
毎日、生徒に暴言を吐かれ、保護者からは過度な要求が続き、平日は夜遅くまで仕事をし、休日は部活動と残りの仕事でとうとう心を病んで精神科を受診し、診断書を学校に提出したが、休ませてもらえず、薬を飲みながら出勤しています。
とのことです。
とんでもない話です。一日も早く休養してください。子どものためにという言葉で教員の人権をないがしろにしている学校は、誰も幸せにはなれません。この先生の苦しみは全国の教員たちの氷山の一角のような気もします。
人権とは何か
以下の言葉について、それぞれ自分の言葉で語れますか?
「人権」
「人間が生まれながらに持っている権利」のこと。国家や憲法以前に存在し、侵すことのできない永久の権利。
「個人の尊厳の尊重」
一人一人を「手段」ではなく「目的」として扱うこと。集団の中に埋没させず、かけがえのない個人として尊重する。
「相互尊重」
「自分らしく生きる」自由は、他者の自由を侵害しない限り認められる。
「人権の本質」
誰かから与えられるものではなく、人間である以上、当然に有する権利。
みなさんいかがですか? 「人権」とは何かを私たちが自分の言葉で語れることが、まずは、はじめの一歩です。
学校を「全ての人の権利」が守られる場に
校則や指導は、子どもの「個人の尊厳」を傷つけていませんか?
「管理」が目的化し、一人一人の「人間らしさ」を奪っていませんか?
教室がすべての子どもの「安心できる居場所」であるためには、職員室は誰もが弱音を吐き合える空間でなければならないはずです。
今回、声を届けていただいた方のように、困っている一人の教員の声を職員室の中でどれだけ共有できていたのでしょうか。気づいてはいるが、気づかないふりをしていたのでしょうか。この方のように生徒に暴言を吐かれる若い新しい教員は、自らの資質能力がないから自己責任だと言わんばかりの職員室の空気。そんな空気を生徒たちは敏感に感じ、吸っているのです。
できない子はその子が努力しないからその子の責任だ。できることが当たり前で、できない子は自分より格下の子だと思わされているのではないでしょうか。
ましてや、「障害児」というくくりに入れられている子どものことを、「ふつう」のくくりに入っている子どもたちは、自分と対等な関係と捉えて学び合うことができるでしょうか。
できることが当たり前で、できないのはその子の問題であるとの空気が学校に充満していないでしょうか。この悪しき空気をつくるのは子どもではありません。学校にいる大人のつくり出す空気だということを忘れてはいけないでしょう。自分がうまくできないことを自分のせいだと思わされてしまう空気が学校の中にあるのではないですか?
一人の教員が抱える困難が自分に降りかかってくると困るから、気づいていながら気づかないふりをする。子ども同士の「いじめ」と同じです。困っている人は声を上げることはできないのです。
見えない部分を見ようとしない大人たち
一人の高校生が送ってきたメッセージです。
苦しい思いをしている子は声を出せない
大人になれずに死んでいく子もいる
声を聴けないから気づけない しょうがない
しんどいことを表現できていない環境を知ることから始めなければ
その子なりの声の上げ方ができる環境にしなくては
死んでいく子どもたち
死にたいことはない
その選択肢しか知らない
そうならないために周りの自分たちが変わっていかなくては
この生徒は小中学校に行けなかった。なぜならみんなと同じことができなかったからです。例えば、「返事は大きな声で『ハイ』と言いなさい。挨拶は元気な声で『おはよう』と言いなさい。言えない子は残念な子です」と言わんばかりの空気が集団に流れるのです。
この子は「場面緘黙」と診断されていたそうですが、大きな声では言えないけど、心の中でさわやかな挨拶をしていたのです。にもかかわらず、見えないところは見ようとしない大人が発する「指導」が子ども同士を分断してしまっていることに誰も気づけなかったのです。小中学校の間、彼は「みんなができることを自分ができないのは自分のせいだ」と思い、こんな自分は生きている価値がないのではと、何度も「自死」を考えたと言います。
彼は自分の苦しい経験から、自分のような思いをしないでいいような環境をつくっていきたいと、自分の言葉で行動し始めています。
「言葉」「表情」「行動」で伝え続けよう
人権が大切にされる空間では、人権と人権が常にぶつかり合うものです。そのぶつかり合いを通して学びが生まれます。
教員も子どもも失敗から学ぶ機会を保障することが不可欠です。
何よりも子どもと教員の意見表明権の保障を見直しませんか。
ありのままのあなたが生きていていい
一人ぼっちじゃないからね
あなたのことはあなたが決めていい
これは「子どもシェルター」※が大切にしている「3つの約束」です。
教室が、すべての子どもにとっての「安心できる居場所」であるために。
職員室が、すべての教職員にとっての「安心できる居場所」であるために。
気づいた人から「言葉」「表情」「行動」で伝え続けませんか。
必ず、誰もが無理しないで行ける学校の空間に変わります。
※子どもシェルター:虐待や暴力、貧困などの様々な理由で居場所を失った子どもたちの緊急避難場所。平成23年、厚生労働省通達により児童福祉法上の「児童自立生活援助事業」の1つとして位置づけられた。
〇「人権」とは何かを考え、まずは自分の言葉で語ってみよう。
〇教室を全ての子どもの「安心できる居場所」にするために、まずは職員室を誰もが安心して弱音を吐き合える空間にしていこう。
〇誰もが無理をせずに行ける学校をつくるために、子どもも教員も声を上げることができる環境をつくっていこう。
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きむら・やすこ●映画「みんなの学校」の舞台となった、すべての子供の学習権を保障する学校、大阪市立大空小学校の初代校長。全職員・保護者・地域の人々が一丸となり、障害の有無にかかわらず「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに尽力する。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」流・自ら学ぶ子の育て方』(ともに小学館)ほか。
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