堀 裕嗣✕宇野弘恵 キャッチボール連載独自開発教材でつくる 渾身の「三つ星道徳授業」#10 「モクセイ」 by 堀 裕嗣

魅力的なオリジナル教材を続々と開発し、最先端の道徳授業実践を蓄積し続け る堀先生と宇野先生が交互にそれぞれの自信作を公開。さらには相手の教材開発と授業づくりについて解説し合う連載です。イメージしながら読むだけで感情と思考が大きく揺さぶられる傑作揃いです。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)・解説/宇野弘恵(北海道公立小学校教諭)
目次
1.授業の実際
「モクセイ」/A 個性の伸長/対象学年:中学校3年生及び教員
1)モクセイの花
モクセイの花の写真を提示する。

1970年代のことです。少なく見積もっても国民の9割以上は知っているという大ヒット曲がありました。しかもその曲はこれまた少なく見積もっても国民の半分くらいは好きだったと思われます。子どもたちを中心に口ずさむ人もたくさんいました。まずは聴いてもらいます。
モクセイの花
音源:https://www.youtube.com/watch?v=VzZO7nNOcsU
歌詞:https://petitlyrics.com/lyrics/923359
実はこれはCMソングです。「日生のおばちゃん」とは、「日本生命の営業をする年配女性」ということですね。つまりこれは「日本生命」のCMソングなわけです。1969年から1986年まで流されました。この間、中北千枝子さんという女優がずーっと「日生のおばちゃん」を演じ続けました。

2)「日本生命」のCM/70年代
では、何本か御覧いただきます。
70年代のCM①:https://www.youtube.com/watch?v=z3EvcMOYXuo
70年代のCM②:https://www.youtube.com/watch?v=HtEQCvsLt_o
発問:どのような時代背景が見えましたか?

かつて生命保険の営業職員は、家庭や職場を一軒一軒訪ね歩いていた。保険の契約を取るためではある。しかし、この歌のなかの「日生のおばちゃん」は、単なる営業担当者として描かれてはいない。「自転車で」「いつも笑顔を置いてった」人である。
ここから1970年代の時代背景を考えると、以下のようなことが言えるだろう。
①このCMに描かれる「日生のおばちゃん」は実は仕事らしい仕事をしていない。しているのは笑顔で挨拶したり世間話をしたりすることばかりである。これは当時、営業マンの仕事が契約内容を過不足なく説明することではなく、担当地域の人々との信頼関係を築くことが第一だったということを表している。「あんたの言うことなら間違いないだろう」と、契約内容も見ずに判子を押してくれるお客さんたち。そんな牧歌的な雰囲気の残る最後の時代と言えるかもしれない。
②当時はいわゆる「金の卵」として集団就職で都市に出た若者たちが、働き始めて10年ほどが経ち、そろそろ生命保険への加入を考え始めた頃だったのではないか。とすれば、故郷への郷愁を喚起し、故郷に置いてきた親兄弟やかつての初恋の人などを登場させるのも理解できる。
③「日生のおばちゃん」のCMは「故郷編」が多数つくられ、全国各地の地方を舞台にたくさんのCMがつくられた。
3)「日本生命」のCM/90年代
これが90年頃になると、同じコンセプトのCMがこんな風に変わります。
90年頃のCM①:https://www.youtube.com/watch?v=LkOspp7LT6Y
90年頃のCM②:https://www.youtube.com/watch?v=xz30S8W3TxM
90年頃のCM③:https://www.youtube.com/watch?v=4UmxSnFFofU
発問:どのような時代背景が見えましたか?

人物の描かれ方が明らかに変わっている。
服装が変わる。働く場所が変わる。顧客との距離が変わる。映像そのものの雰囲気も変わっていく。地域の日常生活のなかを自転車で走っていた「おばちゃん」の姿から、仕事をする女性、職業人としての女性の姿が前面に出てくる。
バブル真っ盛りのCMなので、髪型・メイク・スーツ・靴といったファッションもバブル時代の流行である。
4)「日本生命」のCM/00年代~現在
では、比較的新しい、21世紀のCMを見てみます。
00年代のCM:https://www.youtube.com/watch?v=-o3-uVTEbiI
現在のCM:https://www.youtube.com/watch?v=pj1hKn_Sjzo
ここでは、生命保険会社の営業という仕事そのものが、より組織化され、専門化されたものとして描かれる。契約内容を確認する。顧客に必要な情報を伝える。会社として一定のサービスを提供する。仕事の内容が明確になり、営業職員には、その役割を正確に果たすことが求められている。
同じ会社である。同じ生命保険の営業である。しかし、そこに描かれている「人」はずいぶん違う。
単にCMの演出が変わったということではない。CMは、その時代の人々が違和感なく受け入れられる人物像を使う。その時代の人々が「こういう人なら信頼できる」「こういう働き方が望ましい」と感じる像を映し出す。
だから、古いCMと新しいCMを並べると、会社の広告表現の変化だけではなく、社会が働く人間に何を求めてきたのかまで透けて見える。
5)四つの時代比較
昭和期、平成前期、平成後期、令和期。四つの時代を並べる。
そして、CMを見ながら考えてきた変化を整理していく。
発問:最も大きな変化はどこにありましたか?

「時代の分岐点」を考えさせるわけだ。
もちろん、昭和がある日突然終わって平成的な人間関係に変わったわけではない。平成前期のある年を境に人情味が消えたわけでもない。時代区分は、あくまで考えるための補助線である。
それでも、長い時間を並べてみると、確かに変化はある。一つの軸として見えてくるのが、「人情味・生活感」から「ビジネスライク」へという変化である。生徒たちもそれを挙げる。
次のような内容の話をする。
「ビジネスライク」という言葉は、ここでは悪口ではない。人間関係と仕事を切り分ける。個人的な好き嫌いとは関係なく仕事をする。決められた役割を果たす。契約に基づいてサービスを提供する。仕事が終われば私生活へ戻る。現代社会では、ごく当たり前の感覚である。むしろ、私たちはそれを望んできた。
例えば、生命保険の営業担当者が家庭の事情を何でも知っていて、契約とは関係のないことまで口を出してくるとしたら、現在では「距離が近すぎる」と感じる人の方が多いだろう。近所の人が、いつ結婚するのか、子どもはまだか、夫婦仲はどうなのか、仕事はうまくいっているのかと尋ねてくる。かつてなら、それも「人情」の一部だったかもしれない。しかし、いまなら余計なお世話である。つまり、「人情味がなくなった」というより、私たち自身が人情味のなかに含まれていた「他人への介入」を嫌うようになったのである。
社会が勝手に変わったわけではない。私たちが変えてきた。人間関係を選べるようにした。付き合いたくない人とは付き合わなくてもよい社会にした。仕事と私生活を分けた。プライバシーを守った。個人の領域を尊重した。その結果として、「日生のおばちゃん」が家庭のなかまで入り込んでくるような関係は、少しずつ成立しにくくなった。何かを失ったのは確かだが、何かを得たのも確かである。
生徒たちの実感とも合っている。
しかし、実はこれ以上の分岐点がある。
「ニッセイレディ 友子さん」は確かにビジネスライク的ではある。しかし彼女は「おっちょこちょい」として描かれているのである。しかし、それ以降のニッセイの営業マンはミスをしない。ここにこそ、最大の分岐点があるのである。
しかも、00年代の営業マンはそれでも台詞をしゃべっている。しかし、現在のCMでは台詞さえない。おそらく組織のマニュアルに従って、笑顔で、或いは心配そうに、顧客の立場に寄り添う表情だけが流れるのだ。
「上の言う通りに動く」
「個性を排し、決められた振る舞いを演じる」
そうした「働き方」が滲み出る。だからこそ、ここには営業マン以上に福山雅治のようなタレントがCMの時間を占有する。いわば「上」の代わりとして。

CMの変遷一つとっても、時代の流れについて理解できることは多い。
生命保険の契約内容を間違えられては困る。顧客の個人情報を別の人に渡されては困る。保険金の支払い条件を間違って説明されても困る。だから、会社は仕組みを整える。
研修をする。マニュアルをつくる。チェック体制をつくる。記録を残す。個人の経験や勘に頼らず、誰が担当しても一定の品質を保てるようにする。「ミスしない」ことが価値になる。
これは間違いなく進歩である。
しかし、仕事だけではない。
現代社会では、人間関係においても「ミスしない」ことが求められるようになった。相手を傷つけることを言わない。余計なことを訊かない。距離を詰めすぎない。プライバシーに踏み込まない。場の空気を読む。SNSに不用意なことを書かない。誰かを不快にさせる表現を避ける。私たちは、人との付き合い方についても、かなり高度な正確さを要求される社会に生きている。
6)個性グラフ
直径5cmくらいの円を描いてください。
ここに「個性グラフ」という円グラフをつくってみます。
昭和期的価値観 :人と深く関わり、本音で話しながら信頼関係をつくる。
平成前期的価値観:人との関係を大切にしながら、自分らしいやり方で仕事をする。多少のミスは許容する。
平成後期的価値観:相手との適切な距離を保ち、ミスなく的確に仕事をする。
令和期的価値観 :決められたルールや手順に従い、組織の一員として正確に仕事をする。
「あなた」という個性は、この四つの考え方がそれぞれ何%ずつくらいでできていますか? グラフをつくってみましょう。

十分に時間を取った後、交流する。
※教員向けセミナーでは、「自分の仕事の仕方はそれぞれの要素が何%ずつくらいでできていますか」と問うことが多い。
2.この授業をつくるにあたって
ある日、「小林亜星CMソング・アンソロジー」(テイチクエンタテインメント)というCDを購入した。小林亜星のCMソングなら懐かしい曲と再会できるだろう、そう思ったからである。事実、「レナウン娘」「明治チェルシー」「日立の木(この木なんの木)」といった、子どもの頃に慣れ親しんだCMソングにたくさん再会できた。
中でも私の心を羽交い絞めにしたのは、「モクセイの花」(デューク・エイセス)だった。「日生のおばちゃん」のCMソングである。私は子どもの頃、自転車に乗る年配女性を見ると、「あっ、日生のおばちゃん!」と叫ぶほどにこのCMが好きだった。下校途中にみんなでこの歌のサビを歌いながら帰った思い出もある。おそらく小学校低学年の頃だと思う。
必然的にYouTubeで当時のCMを見てみようになる。すると出るわ出るわ。明らかに記憶にあるCM、記憶にはないがいかにも「日生のおばちゃん」らしいCM。私は何時間も夢中で見続けた。
幾つも見ていると、「日本生命CMの変遷」のような映像も出てくる。それを通して視聴したとき、私は衝撃を受けた。ああ、何という変わり様……。ここから始まったのがこの授業の授業づくりである。
最初に目についたのは、当然のことながら「日生のおばちゃん」がいなくなっていることだった。
70年代のCMに出てくる「日生のおばちゃん」は、いま見ると驚くほど仕事をしていない。家を訪ね、人と話し、笑っている。自転車に乗って町を走っている。保険商品の説明をしている場面など一つも出てこない。「営業」の仕事を描いたCMのはずなのに、肝心の営業らしい仕事がまったく描かれていないのである。
ところが90年代になると、女性はすっかり「職業人」になっている。服装も違う。髪型も違う。働いている場所も違う。何より、顧客との距離が違う。70年代の「日生のおばちゃん」が町の暮らしのなかに溶け込んでいたのに対して、90年代の女性は明らかに「仕事をしている人」として描かれている。
それでも、まだ人間臭かった。90年代の「ニッセイレディ友子さん」は、けっこうおっちょこちょいである。失敗もする。慌てもする。しかし、だからこそ親しみやすい。職業人にはなったけれど、まだ「その人らしさ」がCMの中に残っている。
そして00年代。更に現在。営業マンはミスをしない。契約内容を確認し、必要な情報を伝え、会社の一員として求められた役割をきちんと果たす。00年代にはまだ営業職員自身が台詞をしゃべっているが、現在のCMになると、その台詞さえほとんどなくなる。営業職員は笑顔を見せたり、心配そうな表情を見せたりするものの、CMのなかで強い「キャラクター」は与えられてはいない。
もちろん、これは「日本生命」という一企業だけの変化ではないだろう。
私たちの社会そのものが、この半世紀ほどの間に大きく変わったのである。
70年代には、仕事と私生活との境界がいまほど明確ではなかった。営業担当者が顧客の家庭事情を知っている。仕事とは関係のない世間話をする。近所の人のように家へやって来る。それが必ずしも不自然ではなかった。
いまならどうだろう。生命保険の営業担当者が、契約とは関係のない家庭事情にまで口を出してきたら、「ちょっと距離が近いな」と感じる人も少なくないだろう。いつ結婚するのか、子どもはまだか、夫婦仲はどうなのか。そんなことまで尋ねられれば、「余計なお世話だ」と思う。
私たちは、人間関係を薄くした。というより、人間関係を自分で選べるようにしてきた。付き合いたい人とは付き合う。付き合いたくない人とは無理に付き合わない。仕事と私生活を分ける。プライバシーを守る。個人の領域に不用意に踏み込まない。それは間違いなく、私たち自身が望んできた変化である。だから、「昔は人情があった。それに比べていまは…」などという話にはならない。昔の濃密な人間関係には、昔なりの息苦しさがあったはずだ。私自身、いまさら近所の人たちに生活の隅々まで知られるような暮らしをしたいとは思わない。
ただ、おもしろいとは思った。
私たちは何かを得るとき、別の何かを失う。
人間関係の自由を得れば、誰かが勝手に世話を焼いてくれる関係は減る。プライバシーを得れば、他人の生活に踏み込むことはできなくなる。仕事を合理化すれば、「あの人だから」という個人的な関係に頼る必要はなくなる。
そしてもう一つ、CMを年代順に見ていて気になったことがある。
「おっちょこちょい」が消えているのである。
これは授業になりそうだ、と思った。
仕事でミスをしないことは、もちろん良いことだろう。生命保険の契約内容を間違えられては困る。個人情報を別の人に渡されても困る。会社が研修を行い、マニュアルを整備し、誰が担当しても一定水準の仕事ができるようにする。それは明らかな進歩である。
しかし、「ミスしない」という価値観は、いつの間にか仕事の世界だけのものではなくなっている。人間関係でも、私たちはずいぶんミスをしないようになった。余計なことを訊かない。距離を詰めすぎない。相手を傷つけることを言わない。場の空気を読む。SNSに不用意なことを書かない。言ってよいことと言ってはいけないことを判断する。どれも大切なことではある。
しかし、そんな社会のなかでは、「おっちょこちょい」は生きにくい。生きていけない。
70年代の「日生のおばちゃん」、90年代の「ニッセイレディ友子さん」、00年代の営業職員、そして現在の営業職員。四つを並べてみると、単にCMのつくり方が変わったのではなく、それぞれの時代が「こんな人なら信頼できる」という人物像が変わったのだということが見えてきた。
だったら、これをそのまま生徒たちに見せてみよう。最初はその程度の発想だった。
「個性の伸長」の授業をつくろうと思ってCMを探したのではない。まして、最初から「時代によって個性のあり方は変わる」などという主題を立てていたわけでもない。懐かしくて見ていただけである。それが、何本も何本も見比べているうちに、だんだん教材に見えてきた。
そして最後に、一つの問いが浮かんだ。
では、私自身はどうなのだろう。
人情味や生活感を大切にする自分もいる。多少のミスくらいは笑って済ませたい自分もいる。一方で、仕事はミスなく正確にやるべきだと思う自分もいる。マニュアルや組織の決まりに従うことを当然だと思っている自分もいる。どれか一つではない。全部ある。しかも、その配合は人によって違うだろう。だったら、それを円グラフにしてみたらどうだろう。
こうして最後の「個性グラフ」が生まれた。
授業の最初から「個性」について考えさせる必要はない。むしろ、最後まで個性の授業だと意識させなくてもよい。昔のCMを見て、時代の変化を考え、人間関係や働き方についてあれこれ話した最後に、突然、自分自身へ視線を向けさせる。
そんな授業の方が、私にはおもしろく思えたのである。
