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教育を「二択」で考えるのはやめよう~学校に必要なアップデート的思考とは~

連載
マスターヨーダの喫茶室~楽しい教職サポートルーム~

元山形県公立学校教頭

山田隆弘

紙か端末か。厳しく指導するか寄り添うか。個別最適か一斉指導か。学校では、「どちらが正しいか」というような議論を行うことが多いように思います。しかし教育は、そこまで単純ではありません。二項対立で考えると、本質を見失い、分断を生むことがあります。学校に必要なのは、どちらかを選ぶような思考ではなく、それぞれのよさを生かしながら、目の前の相手に届く形へ整えていくアップデート思考ではないでしょうか。

二者択一がいいというわけではないというイメージイラスト
イラスト/したらみ

【連載】マスターヨーダの喫茶室~楽しい教職サポートルーム~

執筆/元山形県公立学校教頭・山田隆弘(ようだたかひろ)

「紙か端末か」で思考停止する議論

ある学校で研究授業が行われました。学習者は端末を使い、自分の考えを書き込みながら、互いの意見も見比べています。

全体発表だけでは見えにくかった考えも共有しやすく、全員が参加しながら授業は効率的かつテンポよく進みました。参観した教職員の多くも、なるほどと感じる場面があったようです。

ところが、授業後の協議では意見が分かれました。

「考えを共有しやすい」
「発言が苦手な子も参加しやすい」

という声がある一方で、

「自分の手で書いて整理する時間が必要ではないか」
「受験や記述を考えると、紙で鍛える場面は欠かせない」

という意見も出ました。どちらももっともです。

この種の議論は、多くの学校でよく見かけるものではないでしょうか。

背景には、急速なICT化があります。

次々と新しい実践が紹介される。活用率が話題になる。研修も増える。

一方で、現場は日々の業務で余裕がありません。端末操作への不安を抱えている教員もいます。「また新しいことか」と感じている人もいます。

そこへ、「これからはICTです」と強く押し出されると、現場では無意識に「紙か端末か」という構図が生まれやすくなります。

しかし、本当に考えたいのは、そこなのでしょうか。

紙には、紙の強みがあります。特に、手書きや一覧性の高い紙という物理的なメディアだからこそ、自然に育まれやすい力があります。

長い文章をじっくり読む力。考えを整理しながら書く力。全体を見渡しながら構成を考える力。

実際、ノートに書きながら考えることで理解が深まる子は少なくありません。

一方で、端末には端末のよさがあります。

共有しやすい。振り返りを残しやすい。進度の違いに対応しやすい。互いの考えを瞬時に比較しやすい。

一斉発表では埋もれていた子の考えが、端末を通して初めて見えることもあります。

つまり、本当に考えたいのは、「紙か端末か」ではないのです。

どの場面で、何が有効なのか。どの児童に、どんな方法が届くのか。

そこを考えられる学校になることの方が、ずっと重要なのではないでしょうか。

人は「AかBか」で考えたくなる

人は、情報を素早く整理しようとすると、「AかBか」という二項対立の構造で考えがちです。そのように問題を単純化するほうが考えやすいからです。

上掲の問題も、本来はどちらかを取捨選択する、という二者択一の問題ではないにも関わらず、

・デジタル推進派←→紙重視派
という構図ができてしまいがちです。本来求めなければいけない答えは「教育をどうするか」ということであるにも関わらず、「どちらの立場か」という話になってしまいます。

しかし、例えば国語では、作文では紙のノートを使い、自分の文章と向き合うことが思考を深める場面もありますし、討論では端末を使った意見の共有が圧倒的に便利です。
また算数では、途中式を書きながら紙の上で思考した方が理解しやすい子もいますし、友だちの考え方を画面で比較しながら理解が深まる子もいます。

つまり、指導法とは、本来「どんな方法を、どのように組み合わせると学びが深まるか」を考える営みなのです。
二項対立は論点を分かりやすくするのではなく、本質的な解を見いだす妨げになるばかりか、集団の中に対立を作ってしまう恐れもあるのです。

「厳しくするか、寄り添うか」でも同じことが起きる

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