堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s Bar 一杯分だけ、話そうか。#20「改革」の後にやってくるもの~高市政権と麹町中学校

教育界随一の論客、堀 裕嗣先生による連載第20回。教育というジャンルに留まらず、広い社会的視野、歴史的射程に基づいた縦横無尽な論考をお届けします。毎回最後のコラムでは、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1.「もしも」の政治学
8月下旬、あるツイートが流れてきた。
石破さんだって100%いいとこばかりじゃなかったけど
少なくとも今の総理が石破さんだったら、不安はあっても恐怖はなかった
常識的な価値観と判断力で、日本の国益のために可能な限りの手をつくしてくれると信じられた
今はただただ恐怖しかない
現政権そのものも、それをいまだ支持してる人の存在も
このツイートを9万人が読み、1万3千人がリツイートし、2,500人がいいねを押した。どうやら一部の左派、というよりは「アンチ高市」の一部で、いまになって石破政権を再評価する動きが起きているようだ。
もちろん、「石破政権が続いていたら日本は安泰だった」などという話ではない。そもそも石破政権は、国政選挙で敗北を重ね、党内基盤も弱く、決して盤石な政権ではなかった。本人でさえ、退任後、自らの政権を「甘く言って53点」と採点している。いまになって石破を懐かしむ人々の多くも、石破政権の当時から熱烈な支持者だったわけではないはずだ。
しかし、おもしろいのは、そこだ。
人は、現実になった政治を、現実にならなかった政治と比較する。高市政権が何かを決めるたびに、「石破だったら、こんなことはしなかった」と考える。逆に、高市政権を支持する人は、「石破のままだったら、何も変わらなかった」と考える。どちらも確かめようがない。歴史に「もしも」はないからである。
しかし、「もしも」を考えることに意味がないわけではない。
高市政権が誕生して、まもなく一年になる。この一年、高市政権はいくつもの政策を打ち出し、日本という国の方向を変えてきた。積極財政を掲げ、AIや半導体、造船、エネルギーなどへの国家的な投資を進め、防衛や安全保障についても従来以上に強い姿勢を示してきた。そして皇室典範を改正した。
では、2025年10月、石破茂が退陣していなかったらどうなっていただろう。
高市政権がこの一年に行ったことを幾つか取り出し、その横に「石破政権だった場合」を置いてみたい。もちろん、これは歴史ではない。素人のシミュレーションに過ぎない。
ただ、その作業をしてみると、「総理大臣が替わる」ということが、この国の何を変え、何を変えないのかが、少し見えてくるような気がするのだ。
2.同じ目的地、違う速度
まずは皇室典範から考えてみよう。
2026年7月17日、皇室典範等の一部を改正する法律が成立した。改正の柱は二つある。一つは、女性皇族が一般男性と結婚したあとも皇族の身分を保持できるようにすること。もう一つは、1947年に皇籍を離れた旧11宮家の男系男子を、皇族が養子として迎えられるようにすることである。これまで皇室典範は、女性皇族が一般男性と結婚すれば皇族の身分を離れると定め、同時に皇族の養子縁組も認めていなかった。この二つを変更したわけである。
ここだけを見ると、いかにも高市政権らしい改正に見える。
高市早苗は以前から、皇位の男系継承を重視してきた政治家である。今回の改正でも、今上天皇から秋篠宮皇嗣、そして悠仁親王へという現在の皇位継承の流れを変更しないことが大前提とされた。女性皇族が結婚後も皇室に残ることは認める。しかし、その夫や子をそのまま皇族とするわけではない。一方で、旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎える道を開いた。しかも、養子となった本人には皇位継承資格がないものの、その後に生まれた男子には、現行の皇室典範を適用すれば皇位継承資格が生じ得る。つまり、今回の改正は「女性天皇・女系天皇」へ向かう改正ではなく、むしろ男系による皇統を将来にわたって維持するための制度的な土台をつくった改正と見ることができる。
では、石破政権が続いていたら、この改正はなかったのだろうか。
実は、そう簡単には言えない。
そもそも今回の議論は、高市政権になって突然始まったものではない。発端を遡れば、2017年、天皇退位の特例法が成立した際、その附帯決議で「安定的な皇位継承」と「女性宮家の創設等」について速やかな検討を求めたことに始まる。その後、2021年の有識者会議が、皇族数確保の方策として、女性皇族が婚姻後も皇族の身分を保持する案と、旧宮家の男系男子を養子として皇族に迎える案などを示した。高市政権は、何もないところから今回の皇室典範改正を生み出したわけではないのである。
しかも、石破政権下の2025年にも、この二案を軸に与野党協議は続いていた。女性皇族の婚姻後の身分保持と、旧宮家の男系男子の養子受け入れ。驚くことに、議論されていた骨格そのものは、高市政権で成立した改正とそれほど遠くない。ただし、各党の隔たりを埋めることができず、2025年の通常国会では結論を出せなかったし、出さなかった。
実はここがおもしろい。
「高市だから皇室典範が改正された。石破なら改正されなかった」と考えると話はわかりやすい。しかし、現実の政治はそんなにわかりやすくできていない。皇族数の減少という問題は、高市早苗が総理になるずっと前から存在した。若い世代の皇族が少なく、未婚の女性皇族が結婚すれば皇室を離れていくという現行制度をそのままにしておけば、皇族数はさらに減っていく。誰が総理であろうと、いつかは向き合わなければならない問題だったのである。おそらく石破政権が続いていても、皇室典範をめぐる議論そのものは続いたはずである。
しかし、同じ2026年7月に、同じ内容で成立していたかと問われれば、私はかなり怪しいと思う。
石破政権下では、実際に一年近く協議しても意見集約には至らなかった。一方、高市は2026年2月の時点で、皇室典範改正を「国家の基本に関わる先送りできない課題」と明言し、その後の通常国会で成立させた。しかも高市政権では、自民党と日本維新の会との連立合意が政権運営の重要な基盤となり、皇室典範改正は衆議院選挙における自民党の政権公約としても位置づけられた。少なくとも「今国会で成立させる」という政治的な推進力は、石破政権時代とは比べ物にならないほどに強かったと言って良い。
だから、私のシミュレーションではこうなる。
石破政権が続いていたとしても、女性皇族の婚姻後の身分保持については、いずれ何らかの制度改正が行われた可能性が高い。皇族数の減少という現実がある以上、これは右とか左とかいう思想だけでは処理できないからである。旧宮家の男系男子を養子として皇室に迎える案についても、石破政権下ですでに正式な検討対象になっていた以上、「石破なら絶対にやらなかった」とまでは言えない。
ただし、そこで時間をかけた可能性は高い。
女性皇族の夫や子をどう扱うのか。旧宮家の男系男子を皇族に迎えることについて国民の理解をどう得るのか。そして、その制度が将来の皇位継承とどのようにつながるのか。どれも「皇族数を確保します」というだけでは済まない問題である。石破政権なら、与野党の合意形成を待ちながら、さらに議論を続けていただろう。少なくとも2026年夏の段階では、「まだ議論中」という未来は十分にあり得たと思う。
すると、高市政権によって変わったものが見えてくる。
それは必ずしも「政策の方向」ではない。政策の種は既にあった。議論も始まっていた。政府の有識者会議報告もあり、与野党協議も積み重ねられていた。石破政権であっても、その流れから完全に降りることはなかっただろう。
変わったのは、その流れに政治的な決着をつける速度である。総理大臣が替われば、すべてが変わるわけではない。国家には、前の政権から引き継がれる課題があり、官僚機構が積み上げてきた議論があり、国会で続けられてきた協議がある。総理大臣一人の思惑だけで、それらを白紙に戻すことはできない。
しかし、決断しなければならない瞬間は来る。そのとき、「ここで決める」のか、それとも「まだ議論する」のか。皇室典範について言えば、石破茂と高市早苗の違いは、案そのものよりも、むしろそこに表れたのではないかと思うのである。
石破茂は議論の成熟を待って、世論の動向を見る政治家である。党内のコンセンサスも重視する。石破政権の最初のつまずきとなった就任直後の解散・総選挙も、自らの総裁選での公約(総裁選での発言は厳密には「公約」ではないが)よりも党内コンセンサスを重視したことによるものだった。
これは、石破の「決められなさ」と見ることもできるし、異なる意見を抱えたまま拙速に決めない慎重さと見ることもできる。評価は立場によって変わる。しかし、高市早苗が石破とは異なる政治家であることだけは確かである。高市は自分が正しいと考える方向を比較的明瞭に示し、そこに政治的な力を集めて政策を動かす。石破が「合意ができたから決める」政治家だとすれば、高市は「決めるために合意をつくる」政治家だと言ってもいいのかもしれない。
皇室典範改正は、その違いがたまたま目に見える形になった事例だろう。
だとすれば、石破政権が続いていた世界でも、2026年10月の私たちは皇室典範について議論していた可能性が高い。ただし、「改正された皇室典範」について議論しているのではなく、「いつまで議論を続けるのか」について議論していたかもしれない。
もちろん、どちらが正しかったのかは簡単には言えない。皇室制度のように、一度変更すれば長い時間にわたって影響を及ぼす制度については、時間をかけて合意を形成することそれ自体に意味がある。一方で、皇族数の減少は議論しているあいだにも進んでいく。「慎重であること」と「先送りすること」、「決断すること」と「拙速であること」との境界は、政治においていつも曖昧である。
そして、その曖昧な境界のどちら側に立つかを決めるところに、総理大臣という一人の人間の性格が入り込むのかもしれない。
制度は一人の総理大臣によってつくられるわけではない。官僚がいて、与党があり、野党があり、世論があり、それまで積み重ねられてきた議論がある。しかし、それらがほとんど同じ場所まで積み上がっていたとしても、最後の一段を上がるかどうかは、総理大臣によって変わることがある。
皇室典範についての私のシミュレーションはこんなところである。石破政権でも、方向はそれほど変わらなかった。しかし、速度は変わった。歴史の「もしも」は、必ずしも別の目的地へ向かうとは限らない。同じ目的地に、まだ着いていないという「もしも」もあるのだ。
3.同じ方向、違う道
次に防衛政策を見てみよう。
高市政権になって、この分野の動きは明らかに速くなった。防衛装備品の海外移転について従来の制約を見直し、防衛産業そのものを国家の安全保障基盤として強化する方向を鮮明にした。そして2026年、高市政権は「国家安全保障戦略」「国家防衛戦略」「防衛力整備計画」、いわゆる安全保障三文書を、2022年の策定からわずか4年で改定する方針を打ち出した。高市首相は9月2日の自衛隊指揮官幹部会同でも、三文書を年内に改定し、「防衛力強化の新たな方向性」を示すと明言している。AIや無人機の大量運用、長期戦への備えなど、新しい戦争の様相を取り込むためだという。
ここだけを見ると、高市政権になったことで、日本の防衛政策が急速に右へ動いたように見える。では、石破政権が続いていれば、もっと穏健な防衛政策になっていたのだろうか。
おそらく、そうではない。
石破茂という政治家は、自民党の中でも長く安全保障政策を専門としてきた。防衛庁長官、防衛大臣を務め、自衛隊のあり方、日米同盟、集団的自衛権について繰り返し発言してきた。その石破が総理就任前から唱えていた代表的な構想が「アジア版NATO」である。アジアにもNATOのような集団安全保障の仕組みをつくり、地域全体で抑止力を高める。さらに日米地位協定の改定や、自衛隊がアメリカ国内に訓練拠点を持つ構想まで口にしていた。少なくとも安全保障に関して、石破は「できるだけ何もしない」政治家ではなかった。むしろ構想だけを比べれば、高市より大胆でさえあった。
そして何より、石破政権も、防衛力増強そのものには否定的ではなかった。
2025年6月、アメリカ側から同盟国の防衛費負担をさらに増やすべきだという議論が出された際、石破は「戦後最も厳しい安全保障環境」にあるとの認識を示している。政府としても、防衛費をGDP比何%にするかという数字を先に決めるのではなく、必要な防衛力を積み上げた結果として2%を超えることはあり得る、という立場を採った。つまり、「防衛費を増やすか、増やさないか」というところでは、高市と石破の間に決定的な断絶があるわけではない。
しかし、まったく同じではない。ここにも、前節の皇室典範と似た構図が少し見えてくる。
石破が考えていた安全保障と、高市が進めている安全保障には、力点の置き方に違いがあるように私には見える。高市政権が強調しているのは、まず日本自身の防衛力を高めることである。長射程ミサイル、無人機、防衛装備品、防衛産業、情報機能、経済安全保障。日本という国家が有事に備えて自前の能力を高め、そのうえで日米同盟や同志国との連携を強化する。現在進められている三文書改定も、その延長線上にある。
一方、石破が長年語ってきたのは、どちらかと言うと「仕組み」の問題だった。日本だけが防衛力を強化するのではなく、東アジアにどのような集団安全保障体制をつくるのか。日米同盟を現在の非対称な形のまま維持するのか。自衛隊と米軍をどのような関係に置くのか。石破の「アジア版NATO」や日米地位協定改定論は、実現可能性について多くの疑問を投げかけられたが、彼の関心が単なる防衛費増額ではなく、安全保障の構造そのものに向いていたことは確かだろう。
ところが、総理になった石破は、その持論をほとんど政策化できなかった。議論の俎上に挙げることさえできなかった。就任直後、アジア版NATOについて問われた石破は、「総理大臣になったからといって、いきなり実現するとは思っていない」と語った。そして党内で議論し、コンセンサスを得なければならないと説明した。防衛省も、当面は日米同盟の抑止力・対処力を強化し、同志国とのネットワークを重層化するという、従来からの政策を進める姿勢を示した。結局、石破独自の構想は、政権の中心政策にはならなかった。
ここにも、前節で見た石破という政治家の特徴が表れている。石破は考えていること自体は大胆である。しかし、それを政策として動かそうとすると、制度との整合性を考え、党内の意見を聞き、相手国の理解を求め、世論の反応を見る。その結果、構想は大きいが現実の政策は慎重になる。「アジア版NATO」などはその典型である。
では、石破政権が2026年まで続いていたらどうなっただろう。
おそらく防衛費は増えただろう。長射程ミサイルや無人機への対応も進んだだろうし、防衛産業の強化も避けられなかったと思う。中国の軍事力拡大、北朝鮮の核・ミサイル、ロシアによるウクライナ侵攻、そしてアメリカからの負担増要求。これらは総理大臣が誰であろうと消えてくれないからである。2022年に決められた防衛力の抜本的強化そのものも、石破政権は引き継いでいた。
ただし、安全保障三文書を2026年中に前倒しで改定したかどうかは怪しい。防衛装備品輸出の制約緩和についても、高市政権ほど一気に進めたかどうかはわからない。その一方で、「アジア版NATO」や「日米地位協定」といった、高市政権では中心課題になっていない問題が、細々とではあっても議論され続けていた可能性はある。
つまり、防衛政策については、皇室典範とは少し違う答えになる。
石破でも防衛力は強化された。そこはおそらく変わらない。しかし、「何を強くするのか」が少し違った。高市が日本という国家そのものの軍事的・経済的・情報的な能力を強くしようとしているとすれば、石破は日本を取り巻く安全保障の仕組みそのものを組み替えようとしていた。少なくとも政治家として語ってきた言葉を比べれば、そんな違いが見える。
そして、ここには少し皮肉なところがある。
高市政権を恐れ、石破政権を懐かしむ人の中には、高市の防衛政策を「右傾化」と見ている。しかし、その人たちが待望する石破茂は、安全保障について決して穏健な政治家ではない。むしろ、「アジア版NATO」という構想だけを取り出せば、日本の戦後安全保障をかなり大きく組み替えようとしていた政治家である。
ただ、それを決めなかった。あるいは、決められなかった。
皇室典範では、石破政権でも同じ目的地に向かいながら、まだそこに着いていなかった可能性が高いと書いた。防衛政策は少し違う。向いていた方角はそれほど違わない。しかし、選ぼうとしていた道が違う。
総理大臣が替わるということは、必ずしも日本が右へ行ったり左へ行ったりすることではない。同じ問題に向き合いながら、どの道を通ってそこへ向かうのかが変わるということなのである。
4.去った後に残るもの
ここまで書いてきて、私はある学校のことを思い出さざるを得ない。
千代田区立麹町中学校である。
2014年、校長に就任した工藤勇一は、宿題、定期テスト、固定担任制など、それまで学校では「当たり前」とされてきた仕組みを次々と見直した。「自律」を学校教育の中心に据えたその改革は、書籍やメディアで盛んに紹介され、麹町中学校は全国の教育関係者から注目される学校になった。工藤は2020年3月に退任。その後を長田和義が引き継ぎ、2023年4月、堀越 勉が校長に就任した。
ところが2026年夏、思いがけない形で二人の元校長が衝突する。
きっかけは、堀越が『荒廃した学校を立て直す――再建を託された校長の2年半の記録』(扶桑社)を刊行したことだった。堀越がそこで描いたのは、「学校の当たり前をやめた」改革の輝かしい成功物語とはかなり異なる麹町中学校だった。自由や自主性が強調される一方で規律が失われ、学校運営上のさまざまな問題が生じていた。堀越はそれを「立て直した」というのである。
これに工藤が反発した。8月8日、「さすがに堪忍袋の緒が切れました」と始まる長文をSNSに投稿し、自分の在任時代の麹町中学校が「荒廃」していたかのように語られることに異議を唱えた。そもそも工藤が退任したのは2020年3月、堀越の着任は2023年4月である。二人の間には長田校長の三年間がある。工藤時代と堀越着任時をそのまま因果関係で結ぶことができるのか。工藤側からすれば、当然そういう反論になる。
私はここで、工藤と堀越のどちらが正しいのかを判定したいわけではない。
むしろ興味深いのは、二人が同じ学校を見ながら、ほとんど正反対の物語を語っていることである。
工藤にとって、教師が生徒を細かく管理しなくても学校生活を営めることは「自律」である。ところが、同じ現象が、別の学校観をもつ人には「統制が取れていない」と見えることがある。逆に、堀越にとって「学校を立て直す」ために必要だった規律の回復が、工藤の教育観から見れば、生徒を再び教師の管理下に戻すことに見えるかもしれない。
ここには、単なる事実認識の食い違いだけではなく、学校とは何かという価値観の違いがある。
そして、これは高市と石破について考えてきたことと、どこか似ている。
校長が替わっても、校舎は同じである。教師の多くも残る。生徒も突然入れ替わるわけではない。教育委員会があり、学習指導要領があり、学校教育法がある。校長一人が替わったからといって、学校がまったく別の組織になるわけではない。
それでも学校は変わる。なぜなら、トップには「何を問題だと見るか」を決める力があるからである。ある校長が「自律」と呼んだ状態を、次の校長が「荒廃」と呼ぶ。同じ現実を見ても、問題だと認識する場所が違えば、学校が向かう方向も変わる。そして、それぞれの校長の下では、それぞれの方向に制度が整えられ、教師たちが動き、生徒たちの日常がつくられていく。
トップが替わるとは、命令する人間が替わることだけではない。
組織が「何を問題と呼ぶのか」が替わることなのである。
これは一般の教師にとっても、実はかなり怖い話である。
私たちは毎日、無数の判断をしている。この子にはもう少し任せた方がいい。この子にはきちんと指導した方がいい。この学級には細かなルールを設けない方がいい。この学級には一定の枠が必要だ。宿題を出す。出さない。忘れ物を注意する。しない。教師が声をかける。あえて声をかけずに待つ。
その一つひとつに、絶対的な正解はない。
ある教師が「子どもを信頼して任せている」と考えている状態を、隣の教師は「放任している」と見るかもしれない。ある教師が「きちんと指導している」と考えている状態を、別の教師は「管理しすぎている」と見るかもしれない。「寄り添う」は「甘やかす」に、「毅然とする」は「威圧する」に、「自主性を尊重する」は「指導を放棄する」に、いとも簡単に言い換えられる。
しかも、どちらの言葉が採用されるかは、その実践をしている本人だけでは決められない。子どもが決める。保護者が決める。同僚が決める。そして、数年後にやって来た後任者が決めることさえある。
麹町中学校をめぐる論争が私たちに突きつけるのは、そこなのである。
しかしだからといって、教師は何も決めず、何も変えず、例年通りにやっていればいいという話ではない。それでは教育は動かない。必要なのは、自分の実践を「正しい教育」として固定してしまわないことである。うまくいっているように見えるときほど、「これは自分だから成立しているのではないか」と考える。子どもたちが自由に動いているときほど、「自由を支えているものは何なのか」と考える。教師が強く指導して秩序が保たれているときほど、「構成メンバーが変わってもこの秩序は残るのか」と考える。
教育実践の価値は、その教師がいる間だけでは測れない。自分がいなくなったあとに何が残るのか。後任の教師でも続けられるのか。続けられないとすれば、それはほんとうに「優れた実践」だったのか、それとも「優れた教師にしかできない実践」だったのか。
この二つは、似ているようで、かなり違う。
麹町中学校をめぐる論争の決着がどこにつくのか私にはわからない。実はあまり興味もない。工藤勇一の改革が間違っていたとも、堀越勉の立て直しが間違っていたとも、簡単には言えない。
ただ、一つだけ言えることがある。
教師は、自分の教育を自分だけで完成させることはできない。自分が「教育」と呼んでいたものが何だったのか。その答えの一部は、自分がその教室を去った後に明らかになるのである。
最後に一つ。
私は、工藤勇一の改革には一つの大きな弱点があったと思っている。トップダウンで、しかも拙速に改革を進め過ぎたことである。さらに工藤は、その後、私立学校へと移り、自らが改革した地域を離れた。
もし工藤がその後も公立中学校の校長を歴任し、麹町中だけではなく、近隣のもう一校、二校でも同じような改革を積み重ねていたなら、工藤改革は一つの学校の特殊事例ではなく、その地域に根を張る教育文化になっていたかもしれない。しかし実際には、麹町中で大きな改革を行い、全国的に名を知られ、その後は別の場所へ移った。結果だけを見れば、麹町中学校という一つの学校が、工藤自身の次の仕事へつながる足場になったようにも見えてしまう。
問題はそこにある。
トップダウンで、拙速に、しかも急進的に変えられた制度は、後任者から見れば、同じようにトップダウンで、拙速に、急進的に変えてよい制度にも見える。改革した側だけが「これは理念に基づく改革である」と考えていても、外から見れば、「前の校長も大きく変えたのだから、次の校長も大きく変えてよい」という前例を残したことになる。
私は、工藤がいなければ、堀越も出なかったとさえ思う。
急進的な改革は、しばしば急進的な揺り戻しを呼ぶ。改革の内容そのものより、その「変え方」が次の時代の変え方まで決めてしまうのである。
麹町中学校をめぐる今回の出来事は、私にはそのように見える。
そして、それは学校だけの話ではない。
高市政権がこの一年に進めてきた急進的な政策にも、いずれ揺り戻しが起こるだろう。次の政権が、高市政権とは正反対の方向へ、同じような速度でハンドルを切る可能性を高めたと思う。
改革というものは、何を変えたかだけで評価されるのではない。
どのように変えたかによって、その次の時代の変わり方まで決めてしまうのである。
今夜は、この一杯。
SUNTORY SPECIAL RESERVE
ストレート 〇
ロック ◎
ハイボール◎(水割り◎)
サントリーのブレンデッドというと、角瓶、オールド、ローヤルあたりがすぐに浮かぶ。リザーヴはその間に挟まれて、いまひとつ目立たない。酒屋に行けば普通に並んでいるのに、「今日はリザーヴを買おう」と指名されることは少ない。しかし、このボトル、「ジェネリック白州」の異名をとるほどハイボールにすると爽やかだ。目立たない。流行らない。自慢にもならない。それでも冷蔵庫に残った煮物で一杯やろうという夜には、山崎よりも白州よりも、リザーヴがいい。
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<今回の執筆者のプロフィール>
ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。筆者のnote→https://note.com/hirotsugu1966

