【高橋純教授が解説】子どもが「自分で学べる」授業へ まず身につけたい「学習過程」とは?[前編②]
【前編①】では、子どもが自分で学びを進めるための土台となる「学習過程」について紹介しました。では、その学びを教師はどのように支えればよいのでしょうか。
今回は、発問の工夫や「学習過程」と「指導過程」の違いを整理しながら、子どもを主語にした授業づくりを考えます。さらに、ICTや生成AIを「学習過程のどこで、何のために使うのか」という視点から捉え直します。

この記事は、「デジタルを活用したこれからの学び」の授業づくりを支える理論を、識者がわかりやすく解説するシリーズ第2回目です。記事一覧はこちら

東京学芸大学教授
高橋 純
東京学芸大学教育学部教授、日本教育工学協会会長、東京都教育委員。教育工学、教育方法学、教育の情報化などが専門。著書に『学び続ける力と問題解決―シンキング・レンズ,シンキング・サイクル,そして探究へ』(東洋館出版社)などがある。
目次
「気づいたことは?」では思考が曖昧になる
授業中、教師がよく使う発問の一つに「気づいたことはありますか?」があります。
便利な言葉ですが、学習過程という視点から考えると注意が必要です。
なぜなら、「気づいたこと」には事実と考えの両方が含まれてしまうからです。
例えば、グラフを見せて「気づいたことは?」と尋ねると、「7月がいちばん多いです」という事実を答える子もいれば、「夏に多くなるのは気温が関係していると思います」という考えを答える子もいます。教師はどちらにも「そうですね」と応じられるため、一見すると授業は進んでいるように見えます。
しかし、子どもの頭の中では、「今は何をしている時間なのか」が曖昧になりやすいのです。
そこで発問を分けます。
まず「この資料からわかる事実は何ですか?」と聞く。子どもたちは資料をじっくり見て、できるだけ多くの事実を読み取ります。そのあとで「では、この事実から何が言えそうですか?」と問い、自分の考えをつくらせるのです。
西東京市立上向台小学校の講演では、消防に関する一枚の絵を使って、先生方にも実際にこの活動を体験してもらいました。最初は目につくものを挙げるだけでも、じっくり見続けると、それまで見えていなかった情報が次々と見つかっていきます。
探究というと、すぐに「考えること」を重視したくなります。しかし、よい考えの土台になるのは、豊かな事実です。
「事実は何か」「そこから何を考えるか」を意識して発問するだけでも、授業はかなりシャープになります。
「学習過程」と「指導過程」を分けて考える
ここまで学習過程を見てきましたが、もう一つ重要なポイントがあります。
それは、「学習過程」と「指導過程」を区別することです。
学習過程の主語は、あくまで子どもです。子どもが課題に向かい、情報を集め、整理・分析し、自分なりにまとめる。一方、教師には、それを支援する「指導過程」があります。
従来の一斉授業では、この2つが重なりやすくなります。
例えば、教師が課題を提示し、「資料を見ましょう」と指示する。子どもが見つけた情報を発表し、教師が黒板に整理する。そして最後に、子どもが板書を見ながらまとめる。
この授業を学習過程で見ると、「課題の設定=教師」「情報の収集=子ども」「整理・分析=教師」「まとめ=子ども」となる場合があります。つまり、最も頭を使うはずの整理・分析を教師が担ってしまっているのです。
これでは、教師がいなければ同じ学習を進めることができません。
自律的に学ぶ授業では、子どもA、B、C…がそれぞれ自分の学習過程を回します。進み方も同じである必要はありません。その一方で教師は教室全体を見取り、必要な子に声をかけ、必要なところで説明したり、立ち止まらせたりする。
つまり、教師がいなくなるのではありません。
子どもの学習過程と教師の指導過程が、それぞれ動きながら重なり合う。
ここをイメージできるかどうかが、教師主導の授業から、子どもを主語にした授業へ転換する大きなポイントになります。

