堀 裕嗣✕宇野弘恵 キャッチボール連載 独自開発教材でつくる 渾身の「三つ星道徳授業」#2「はまなす」by堀 裕嗣

魅力的なオリジナル教材を続々と開発し、最先端の道徳授業実践を蓄積し続け る堀先生と宇野先生が交替でそれぞれの自信作を公開。さらには相手の教材開発と授業づくりについて解説し合う新連載です。イメージしながら読むだけで感情と思考が大きく揺さぶられる傑作揃いです。第2回は、授業を受けた全員がシーンと静まりかえる、堀先生の初期の代表作。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)・授業解説/宇野弘恵(北海道公立小学校教諭)
目次
はじめに
宇野さんとはしばらくは代表作で連載を進めようと打ち合わせしている。前回の宇野さんが「ジョリー」という初期の代表作だったので、私も初期の代表作から始めようと思う。私の道徳講座を受けたことのある人ならおそらく御存知の「はまなす」という授業である。授業解説を先に書くといわゆる「ネタばれ」となるので、「授業をつくるにあたって」は後回しとしたい。
1 授業の実際
「はまなす」/D 生命の尊さ/対象学年:中学校3年生
1) ハマナスの紹介
皆さんはハマナスという花を知っているでしょうか。北海道でも夏になると頻繁に見られます。北海道の花に指定されてもいます。美しさに見とれる……というタイプの花ではないかもしれませんが、多くの人が心惹かれる花です。北海道民にとっては大切な大切な花でもあります。
ハマナスはバラ科の落葉低木。夏に赤い花を咲かせます。幹にはバラのようにトゲがあります。自然に生息している場合には、多くは砂浜に群生しています。北海道でも海岸沿いではたくさん見ることができます。北は北海道から南は島根県あたりまで見られるそうですが、基本的には北国の花という印象が強い花です。その意味で、北海道にはなくてはならない花と言えるかもしれません。

2) 湧別町機雷暴発事故
道東に湧別町という町があります。サロマ湖の北半分を占める町です。人口は9,000人ほど。半農半漁の小さな町です。
この湧別町の中心部から3㎞ほど離れた海岸、通称「ポント浜」と呼ばれるところに、一つのオブジェがあります。「機雷殉難の塔」と呼ばれるそのオブジェの横には、この碑が建てられた所以が書かれています。

昭和17年5月26日。このポント浜に漂着した浮遊機雷の爆破作業中に、不測の爆発により一瞬にして多くの尊い人命を失いました。この犠牲者の鎮魂と平和の尊さを後世に伝えるため、爆発より50年にあたり、建立したものであります。
平成3年5月26日 湧別町長 羽田 宏
今日はこの湧別町の機雷暴発事故の話をします。80年以上前の話です。
『汝(な)はサロマ湖にて戦死せり』(龍溪書舎・1980年4月30日)
宇治芳雄さんというノンフィクションライターの書いた本がネタ本です。
3) 機雷暴発事故に至るまで
昭和17(1942)年5月19日
その日、オホーツク海沿岸一帯は、よく晴れていた。風は、やはり冷たいものの、漁師たちは、丸首シャツにハンテン程度しかはおっていなかった。
数日前から、沖合にニシンの群れが来ている、という知らせは、湧別の漁民を勢いづけていた。
手網を建てていた若い漁師が、網の中に揺れる見慣れない物体をみつけた。
「こりゃ、何だあ」
同じ船に乗っていた漁師たちも、網を引く手を止めて、彼の指す海中をのそき込んだ。
それは、丸い鉄の塊であった。
「変じゃないか。鉄なのにプカプカ浮いてるぞ」
「機、機雷だあ!」
機雷は、2個漂着しました。「湧別町百年史」によると、この機雷はアメリカのものなのか、ソ連のものなのか、それとも自国のもの、つまり日本のものなのか、遂にわからなかったそうです。いずれにしても、当時の湧別町民には戦慄が走りました。
昭和17(1942)年5月25日。6日後のことです。「湧別町百年史」には次のように記録されています。
浮遊機雷漂着の報を受けた遠軽警察署では、これを安全な場所に引き揚げ、爆破処理する計画をたて、5月26日正午ポント浜において爆破作業を実施することとし、一般に通報した。一般への通報は、もちろん危険防止の配慮によるものであったが、戦時中ゆえに戦時教育の手段として、機雷の威力の恐ろしさを認識させるために見学(公開)の途を開いたものであった。
爆破準備は、爆破現場を中心に半径1,000㍍の範囲を危険区域とし、周囲に警戒線を設けて赤旗で標示し、2個の機雷を50㍍ぐらい離して配置する作業が、下湧別警防団の手で行われ、前日までに一切を完了した。
4) 栄三と美枝子
この本にはさまざまな登場人物が登場しますが、中心人物の中に今 栄三、今 美枝子の夫婦がいます。今日はこの夫婦にスポットを当てましょう。
今 栄三は「下湧別警防団」の一員です。機雷暴発の前日、二人の間でこんな会話が交わされました。
酒を飲み終わった栄三が美枝子に手招きしていた。
「何の用ね」
「ほらみてみろや」
栄三は裸電球の下で右手を広げてみせた。
「ここに黒い模様があるだろうに。これは食いはぐれのない証拠だぞ。お前は、一生、楽して暮らせる」
「何をいうてるんの。そんな迷信、誰に教わったの」
「迷信じゃない。湧別の漁師なら、誰でも知ってることじゃ」
確かに太く節くれだった栄三の右手の親指のつけ根に、黒いアザがあった。これは櫓をこぐときにできる、一種の内出血だ、と美枝子は判った。
「父ちゃん、明日、私もお婆ちゃんも一緒にポント浜へ行ってみようと思うんやが」
「だめだ。絶対にいかん」
「どうして。回覧板も、できるだけ見学しろ、とあったよ」
「絶対にいかん、といったらいかん。オレはこの通り長生きするのが、ちゃんと指にでとるが、お前には無いじゃないか」
美枝子は、眼頭を押さえて、微笑した。
「はい」
5) 機雷暴発事故の経緯
明けて昭和17(1942)年5月26日。これも「湧別町百年史」から。
爆破当日は遠軽警察署長指揮のもと、下湧別村警防団が総動員され、午前9時に浜にただ一軒点在する番屋に集結した第一分団は、ただちに現地に赴き第二、第三分団と合流して作業に着手したが、最初の作業は、
(1)見学の効果を高めるため、2個の機雷の爆破に時間差を設ける。
(2)先に爆破したとき、その爆風で50㍍間隔の他の一個に誘導爆破の恐れがある。
ため、波打ち際にあった1個を、砂陵の向う側に移動させる作業であった。
17名の警防団員が綱をかけ、綱を曳く者、押す者で、ようやく丘陵を越え路上に達した時、大音響とともに機雷が爆発し、一瞬にして作業員と見学者合わせて106名の死者と、多くの重軽傷者を出し、開村以来空前の大惨事となった。
6) 美枝子の狼狽
「おばあちゃん、何かあったんだよ、私いってくる」
美枝子は姑にそう告げるとおもてへ出た。
「どいてくれ、どいてくれ」
と美枝子の前を一台の馬車が駆け抜けた。御者の顔がひきつっている。荷台には何人かが横たわっている。美枝子は悲鳴をあげた。
血まみれの男たちであった。背中が、えぐりとられている者もいる。顔がつぶれ、手のない者もいる。一目で、大怪我をしている者ばかりだと判った。
途中で何人もの人にすれ違った。ふらふらと歩いてくる者は、すべて血まみれである。栄三のことを尋ねる余裕はなかった。とにかくポント浜に行けば判る。
心臓が高鳴り、口で息をしながら、それでも美枝子は走り続けた。
顔みしりの漁師を見つけた。鮮血が顔にべったりついている。顔を怪我したのか、介抱しているときについたものか、識別している暇もない。
「うちの父ちゃんを知らないかい。栄三はどこにいるのか知らないかい」
「判んねえ。とにかく警防団は全滅した、ということじゃ」
「全滅だって。本当なのかッ」
「ああ、でもな、怪我した者は発動機で湧別川の河口に運んでいるから、そのなかにいるかも知れん」
「じゃ、うちの父ちゃんも、そこか」
「判らんよ。そんなこと。行ってみろよ。そこをどいてくれ。おらの娘を運ぶんだから」
怒気のこもった声でそういうなり若い漁師は美枝子を突き飛ばした。
美枝子は初めて、若い漁師が紐のついたニシン箱をひきずっているのに気がついた。ニシン箱の中には、女物の木綿の着物の切れ端と、スイカ大のいくつかの肉の塊があった。その一つに長い髪の毛がついていた。
「そ、それが妙ちゃんか」
「そうじゃ、これが妙子なんじゃ」
◆
「よかった、よかった。息があるぞ」
すぐ近くで喚声が上がった。みると、砂のなかから掘り起こされた男がいた。衣服は砂だらけだったが、幸い、大した怪我はないようで、男はふらふらと、首を動かしていた。
“そうだ、父ちゃんも、ひょっとしたら、砂の中に埋まっているのかもしれない”
爆発していない機雷の横に、小高い砂の山ができている。しかも、その砂の山の上には、わずかに一本の腕が出ている。
「誰かが埋まっている─」
気のせいか、その右腕が少し動いたようだった。美枝子は砂の山に駆け寄った。その半開きの右手には見覚えがあった。昨夜、栄三が「この痣のある限り…」と言った、そのアザが、親指のつけ根にある。間違いなく栄三の右手であった。
「お父ちゃん!」
美枝子は絶叫して、その右手を、つかんだ。温かい。彼女は、腰を落として、力一杯引っ張った。砂の中から、あの優しく、たくましい栄三が、「ああ苦しかった」といって、転がり出てくる筈であった。
が、次の瞬間、転がったのは美枝子であった。
彼女が把んだものは、何の抵抗もなく、砂から抜けたのだ。いや、抜けたのではなく、栄三の右腕は、砂の上に立っていただけだった。
「ギャーッ」
彼女の全身は凍りついた。栄三の右手の指は、美枝子と固く握手したままだった。肘から下がない右腕を、美枝子は放り投げた。
どこを、どう走ったのか。家にたどりつくと、姑は、美枝子の顔を一目見て、すべてを悟ったようだった。
7) 母との想い出
先生が中学1年生のときのことです。母と一緒に松山千春のコンサートに行きました。松山千春のコンサートに行くのは初めてで、ウキウキ、ワクワク……。次々にヒット曲が歌われ、先生は大満足でした。
コンサートのラスト曲は「はまなす」という曲でした。でも、それが先生は不満でした。「はまなす」という曲は当時、まだレコード化されていなくて、聞いたことのない曲だったのです。
「これだけヒット曲があるというのに、なんで最後が知らない曲なんだ…」
まだ子どもですから、先生はそんなことを思ったわけです。
ところが、ふと横を見て驚きました。
母がその曲を聴いて号泣しているんです。
それから3年。
先生が高校に入学した頃、「はまなす」はレコード化されました。その年の「大いなる愛よ夢よ」というアルバムに収録されたのです。聴くと、「いい曲だな」と思いました。
それと同時に、母さんはこの曲にどうしてあんなに泣いていたんだろう、そうも思いました。でも、なんとなく訊いてはいけないことのような気がして、直接は訊けませんでした。
その後、二十歳を過ぎた頃、先生は『汝はサロマ湖にて戦死せり』を読むことになります。そしてすべての謎が解けました。
先生の母親は湧別出身なのですが、湧別にはこんな話が語り継がれていたのです。
【湧別で語り継がれている話】
ハマナスの群生地に、突如、見事な赤い花が点々と咲きほこった。
さっきまでは、葉と茎だけが、砂浜をはっていたのに、一挙に無数の花を咲かせたのだ。
赤い花とみえたのは飛び散った血まみれの肉片だった。爆風で、数百メートル四方にも、肉塊が吹き飛ばされていたのだ。
なかには、髪の毛が、べったりとツタについているものもある。指の一部とわかる肉片もある。それが、トゲのあるハマナスの茎や葉にひっかかり、紅の花に見えたのだった。
実は先生の持っているこの本は、先生の本ではなく、母の本です。先生の母親はいま、介護施設に入っています。父親は数年前に亡くなっていますから、もう実家には誰もいません。この本は実家を整理していて見つけたものです。

この本には、最後の頁に手書きでメモが書いてあります。
今栄三、今美枝子の娘が、栄三の栄の字、美枝子の美の字を一字ずつもらって栄美子と名付けられたことを示しています。これは母の字です。
先生の母親は、堀 栄美子、旧姓今 栄美子といいます。
ここで、 松山千春「はまなす」(「大いなる愛よ夢よ」1982年5月21日・所収)を流して授業は終わる。
歌詞:https://www.uta-net.com/song/41457/
楽曲:https://www.youtube.com/watch?v=P9tcHoqJI5I
2.この授業をつくるにあたって
この授業は「道徳の教科化」が決まり、「心のノート」や道徳副読本の中から教科書に掲載されるであろう候補教材の噂で持ちきりだった頃、「そんな教師の本気度が伝わらないような教材で道徳なんて成立するのか」という強い反発から創ったものである。何というか、自分の人生を「切り売り」するような授業づくりと言えるかもしれない。普通、こんな話はよほど仲の良い間柄でないとしない。ましてや生徒に語って聞かせるようなタイプの話ではない。しかし、当時の私には教科書道徳強制へのアンチテーゼとして、提案のためにどうしてもこの手の授業が必要だったのである。
道徳を教師にとって「本気」のものにしよう。それが当時の私の想いだった。しかし、それから10年近くが経過して、教科道徳は誰も本気で取り組まない形で安定してしまっている。数少ないとはいえ、全国にいた道徳に熱い想いを抱いていた教師たちはいま、何を思って実践しているのだろう。当時交流した人たちとほぼ疎遠になってしまったいま、時々そんなことを思う。
さて、そんな経緯で創られた授業なので、この授業には、実は私にとって「生徒たちにどうしても伝えたい!」という強い想いやテーマがない。いや、ないと言っては語弊があるが、少なくとも私の母をめぐるエピソードを伝えたくて創ったわけでもないし、松山千春の「はまなす」を生徒たちに聴かせたいという思いが強いわけでもない。これは本来、誰に聞かせるべきでもない、謂わば「私だけの物語」である。ただ、本気で道徳授業に取り組むならこのくらいのものでないとダメなんじゃないの? という想いこそが授業づくりの原動力だったわけだ。
事実、子どもたちはもちろん、研究会やセミナーで授業を受けた人たちの多くは、シーンとした感動をもってこの授業を迎えてくれた。他の授業にはなかなか見られないレベルでだ。その意味では私の道徳授業づくりを代表する授業の一つとなっているわけである。
こんな人生において自分の中に色濃く遺っている特別な経験を授業化するなんて凄いことだ。何人もの人にこうした趣旨の感想をいただいたことがある。しかし、よく考えてみていただきたいのだが、私にとってこの湧別町の機雷暴発事故はかなり遠い出来事なのである。
祖父今 栄三は私が生まれる20年以上も前に死んでいるわけだから、私はその姿を遺影でしか見たことがない。祖母美枝子は私が40歳になるまで生き、子どもの頃からずいぶん可愛がってもらったが、母の話だと戦後は女手一つで我が子を育てるために強くたくましく生きたようで、私の記憶の中の祖母は『汝はサロマ湖にて戦死せり』に描かれているような弱々しいイメージの人ではなかった。筆者の宇治芳雄氏は祖母にかなり綿密な取材を重ねてこのルポルタージュを書いたようだが、祖母は家族にこの事故を語ることに臆しているところがあって、訊いても語りたがらなかった。従って、私はこの事故の話を直接祖母から聞いたことはない。(ただし、私は後に筆者の宇治芳雄氏に直接連絡を取り、この話を祖母がどんなふうに語っていたのかを聞いたことはある。ちょうど祖母が認知症で介護施設に入ったころであり、私が今美枝子の孫であることを告げると、懐かしそうに語ってくれたという経緯がある。)
母は当時、6歳である。事故のことは明確には覚えていないし、父親のこともおぼろげだと言う。従って私の授業づくりの原動力は、松山千春のコンサートの際、私が感動しなかった曲が、なぜ母を号泣させるほど感動させたのかという「謎」、これ一点であったわけだ。この授業は前段において母が号泣する所以となった事柄を紹介したうえで、最終的には私の母の気持ちになって松山千春「はまなす」を聴き、その歌詞の中から母を号泣させることになったフレーズを探し出すことを求めている。
さまざまな演出が施されてはいるが、基本的にはそうした展開の授業である。
宇野弘恵による授業解説
「はまなす」は、堀さんのお母様とご祖父母を取り上げた授業である。堀さんにしか創り得ない授業であり、堀さんだからこそ成立する唯一無二の授業だ。しかしそれは、ご自身に関することを材にしているからだけではない。堀さんにしか創れないだろう授業構成であるからだ。
通常、一時間の授業で視点が変わることは好ましくないとされる。視点を向ける人物があちこちに変われば、誰に寄り添って思考を進めればよいかが分からなくなるからだ。
「シンデレラ」を例にしてみよう。この昔ばなしは、シンデレラが継母と姉たちにいじめられる日々を送り、魔法使いによってお姫様に変身し、王子様と出逢い結婚する話だ。徹頭徹尾シンデレラの言動や気持ちを中心に描かれている。しかし、途中で姉たちの言動や気持ちだけが描かれれば、読み手の思考は姉たちに移る。シンデレラを追っていた気持ちは消えてしまう。最後にシンデレラが王子様と結婚する場面になっても、シンデレラの幸せな気持ちには同化できない。「ふん! 悔しい!」といった姉たちの気持ちになって読んでしまうだろう。
視点が変わるということは、気持ちを同化させる対象が変わるということだ。だから普通は視点人物を特定したら最後まで変えずに描く。にもかかわらず、本授業では美枝子から堀さんへと視点が変わっているように見える。
冒頭の物語は、三人称視点で語られている。美枝子にフォーカスしているため、美枝子が見たこと、感じたこと、経験したことに絞られて物語が進む。だから学習者は、自ずと美枝子に寄り添って物語を聴くことになる。
次に、堀さんが母・栄美子との想い出について語り始める。学習者は、堀さんが母・栄美子の人生を知っていく過程を追体験していく。本を読み記された名前を見たときに、堀さんは母の号泣の意味を理解する。ここで、冒頭の物語が、美枝子への同化ではなく事故を知っていく堀さんへの同化に転換する。
そして松山千春の「はまなす」。父が亡くなった砂浜。そこに咲くはまなす。冷たい風に吹かれながら、今もそこに父はいるのではないだろうか。堀さんは母・栄美子の思いになって「はまなす」を聴く。学習者は、母・栄美子に同化した堀さんに同化して聴く――つまり、学習者も堀さんの母・栄美子の思いになって「はまなす」を聴く。
ここまで見てくると、この授業が単純に視点を切り替えたものではないことがわかる。堀さんは、最終的に母・栄美子の視点へと収斂させていくために学習者の視点を段階的に内面化させているのだ。こうした入れ子構造にすることによって、学習者は父親を亡くした栄美子の悲しさ、苦しさ、切なさ、寂しさ……を追体験していく。ただただ最愛の父を失った栄美子になって父を想う。
本授業もそうであるように、生命の尊さの授業で死を扱うことは多い。死をもって生命の大切さを実感させるのが目的だが、多くの場合は、第三者的に死を眺めるに終始する。他者の死を他人事として受け止め、「かわいそう」で括る。「生きたくても生きられない人もいるのだから懸命に生きよう」と他者の死を教訓にする。そんな上っ面の感想しかもてない授業をたくさん見てきた。その度に、胡散臭くて背中がむずむずするような思いを抱いてきた。
「はまなす」では、学習者は最後まで傍観者にはならない。堀さんの目を通して最初は夫を亡くした美枝子に寄り添い、堀さんとともに母の人生をたどり、最後には父を失った栄美子への思いに導かれる。何処までも徹底して学習者は当事者である。だから「命を大切に」とは一言も語らずとも、当事者として死を見つめることで失われた命の重さを感じるのだ。
堀さんが解説で書いている「本気」とは、何も自分をさらけ出せと言っているのではない。本気で生命の尊さを授業するならば、学習者を傍観者に置いていてはだめだ。ここまで同化させて初めて大切な人の死を自分のこととして感じることができるのだ。だから、そういう材を本気で探せ、そういう授業構成を本気で考え抜け――私には、堀さんの「本気」とはそういう意味に思える。
「はまなす」は、命の尊さとは何かを説明していない。にもかかわらず授業後もずっと「命を大事にするとはどういうことなのか」という問いが残り続ける。この問いに明快な答えはない。しかし、だからこそ何度でもこの問いに立ち返る。これが、「はまなす」が傑作である理由なのだと思う。

ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。

うの・ひろえ。北海道公立小学校教諭。民間教育研修などに参加、登壇し、今日的課題や教員人生を豊かにすることを学んでいる。著書に『あと30分早く帰れる! 子育て教師の超効率仕事術』(学陽書房)、『スペシャリスト直伝!高学年担任の指導の極意』『伝え方で180度変わる!未来志向の「ことばがけ」』、『生き方を考える!心に響く道徳授業』(以上明治図書出版)など多数。
