「担任」から「担当」へ 。~子どもたちを主語に置いた、チーム制の学級・学年運営の新しいあり方を考える~
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- 大切なあなたへ花束を

「担任」という言葉には、独特の強い重みがあります。クラスのことはすべて責任を負い、何でも1人で解決せねばならない…。しかし、教員の負担軽減や授業力向上など、今後の時代の要請に応じるためには、すべての教員が負担を分かち合い、実態に応じて柔軟に対応していく必要があります。そんな背景のもとで開催された、チーム担任制の全国大会に参加し、考えたことをまとめてみました。
【連載】大切なあなたへ花束を #31
執筆/みんなの学校マイスター・宮岡愛子
日本初となる、チーム担任制の全国大会が開催
2026年7月29日、記念すべき第一回目となる【「チーム担任制」全国ネットワーク研究交流会「チーム担任制」交流研修会】が兵庫県明石市で開催されました。私も、「チーム担任制実践研究グループ」・中野裕香子代表にお声がけをいただき、参加してきました。
会場はほぼ満席のにぎわいで、全国でチーム担任制を実践している、あるいはこれから始めようとしている学校の熱気を肌で感じる時間となりました。
研修会は小学校部会と中学校部会に分かれ、それぞれの実践や悩みについての意見交流から始まりました。小学校部会では、次のようなリアルな悩みが数多く出されました。
- どれぐらいの期間で担任を交代するのが望ましいのか?
- 時間割を組むときはどんな工夫をしているのか?
- 保護者への周知はどうしているのか?
まったく新しい仕組みですから、現場の先生方の、実践の段階でのさまざまなご苦労がしのばれます。 中でも、こんな言葉が深く印象に残りました。
私たちは『コーディネーター制』と名付けて、みんなでその学年の子どもを見る取り組みをしています。しかし校長から「それはチーム担任制とどう違うのか? チーム担任制ではないのか?」と言われました。そもそも、チーム担任制の定義って何なのでしょうか?
私はこの意見を聞いて素晴らしいと思いました。ご自身で子どもを主語にした取り組みを行う中、ご自身でしっくり来るような名前をつけておられる。その理念こそ大切であって、言葉の定義は大事ではないのでは? と思いました。
「学級王国」の人だった私
私は研修会での意見を聞きながら、自分が小学校で学年主任をしていた20年以上前のことを思い出していました。
当時の私は、いわゆる「学級王国」をつくりたい教員でした。 同じ学年であっても他のクラスのことは知らん顔。
「自分の学級さえよければそれでオッケー」 という、今思えば嫌な先生でした。 妙な自信もあり、保護者から、「1年間、宮岡先生が担任でよかった」 と言われることにやりがいを感じていたのです。
そんな私が6年生を担任し、学年主任になった年のことです。4クラスのうち、1クラスの先生が子どもとのトラブルから病気休暇をとることになりました。当然、すぐに代わりの講師は来ません。残りの教員で順番にそのクラスに入ることにしました。私も何時間か授業に入りましたが、子どもたちが一向に落ち着かない状況が続きました。もちろん、私の授業であっても。
当時の私は 「周りの教員もちゃんとしてよ」 などと他責思考、気持ちの中で人の責任にすることで何とか自分の自信を保っていたのでした。しかし、子どもたちからすれば 「一体、誰が自分たちの担任で、不安な思いを誰に話せばいいのか?」とパニック状態だったのでしょう。ようやく講師の先生が来てくれたとき、子どもたちだけでなく、私も心底ほっとしたのを覚えています。
システムは子どもたちに最適化するために生まれる
その後、同じ学校で再び6年生の学年主任を務めたときのことです。またしても、転勤してきたばかりの先生のクラスが、徐々に落ち着きをなくしていきました。
「担任がいなくなるしんどさ」 と 「入れ替わり立ち替わり入る大人への子どもたちの不安」を目の当たりにしていた私は、迷うことなく「教科担当制に切り替えよう」 と学年団に提案しました。自分の学級の仕事にプラスされる負担の大きさはわかっていましたが、教員が休んでしまうリスクは、子どもにとっても大人にとってもあまりに大きすぎます。だからこそ、学年団のメンバーもこの提案をすぐに受け入れてくれました。
驚いたのは、そのときの話し合いです。
「ぼくは前任校で算数の研究を続けていたので、4クラスの算数を持ちます」
「わたしは音楽が得意なので、4クラスの音楽を持てるのはうれしいです」
「これ嫌だ」「無理だ」と言い合いになるのでは⋯⋯と危惧していた自分が恥ずかしくなるほど、先生たちはお互いの強みを生かした前向きな話し合いをしたのです。しんどくなっていた男性の先生には、当時の男女共生教育の観点も兼ねて、家庭科を中心に受けもってもらうことにしました。
時間割を組むのは私が担当しました。まるでパズルを組み立てるような大変さでしたが、何とか作り上げることができました。これによって、学年団の対話が一層深まり、子どもの話題を自然と共有できるようになったことは大成果だったと言えます。
次第に「給食も交代しようか」「朝の会も代わってみる? 子どもたち驚くやろな!」と、大人たちが面白がりながら関わりを広げていきました。すると、しんどくなりかけていた先生も少しずつ元気を取り戻し、ご自身の学級でも新たな取り組みを始め、クラスはすっかり落ち着きを取り戻していったのです。子どもたちにとっても「どのクラスであっても同じような学習が受けられる」という安心感は大きかったようで、それは保護者も同様でした。
何より変わったのは、私自身です。「自分のクラスオンリー」だった視野が広がり、学年の子どもに関わるすべての大人で、学年の子どもたち全員を見ていくことが大切だと実感できるようになりました。私自身の困りごとも、周りの先生に素直に言えるようになったのです。
目の前の子どもたちが安心して学びに向き合えるようにするには、一体どんなシステムが良いのか。
それを問い続けたときに、システムは自然と生まれてくるものだと思います。
子どもも大人も安心して学びに向き合えるために何をするか。
本当に大切なのは、そこだと思っています。
「担任」という言葉の呪縛を手放そう
もう一つ、今回の研修会で考えさせられたのは「担任」という言葉です。小学校部会で「1週間で担任を交代しています」「週1回での交代はきついです」「2週間が効果的かなと…」といった意見が出されたとき、私は違和感しかありませんでした。
なぜ、期間を決めるのでしょうか?
子どもたちとうまくいっていても期間が来たら代わらなければならない。
逆にうまくいっていないのに「2週間は持たなければならない」。
これはどういうことでしょうか。この議論の主語は完全に「教員」になっています。
「担任」という言葉があるがゆえに、受け持つ教員は、
「この1週間は必死にもたなければ」
「落ち着かなくなったら私の責任だ」
「次の先生に『あとをもつのはしんどい』と言われたらどうしよう」
と自分を追い込んでしまいませんか。
先生がしんどくなったら、あるいは子どもが落ち着かなくなったら、どんどん先生を代えればいいのです。教員の担当を決める基準は「期間」ではなく、あくまで「子どもが主語」であるべきです。
私が校長をしていた頃、5年生の先生が 「授業をするのがしんどくなってきました」と伝えに来てくれたことがありました。私は「よく自分から伝えに来てくれたね」と認めた上で、こう話しました。
イラスト/フジコ

宮岡愛子(みやおか・あいこ)
みんなの学校マイスター
令和7年度あかし教育研修センタースーパーバイザー。社会教育士。私立の小学校教員として教職をスタートするが、後に大阪市の教員となり、38年間務める。教員時代に木村泰子氏と出会い、その後、木村氏の「みんなの学校」に学ぶ。大阪市小学校の校長としての9年間は「すべての子どもの学習権を保障する」学校づくりに取り組んだ。現在は、「みんなの学校マイスター」として活動している。
