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校長はなぜ「急かす」のか ―― 教員との決定的な時間感覚のズレについて【立ち位置を超えて #3】

連載
立ち位置を超えて~管理職・教諭で共創する新しい学校~
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教育コンサルタント

田畑栄一
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管理職と教員。子どもたちに最善の教育をしたいという気持ちは同じですが、なぜかすれ違い、時に対立を生んだりします。それはなぜでしょうか。立ち位置が変わることによって生じるギャップについて、本連載では考えてきました。今回は「時間感覚」という、最も生活に密着した感覚に、その違いがはっきり現れることについて、一緒に見ていきたいと思います。

こちらもあわせてご覧ください。
第1回 なぜ管理職と教諭はすれ違うのか
第2回 なぜ管理職と教諭は、同じ学校が違った景色に見えるのだろう?

執筆/教育コンサルタント・田畑栄一

校長の時間 ―― 速く、長く、組み替えられる

校長と担任は、同じ職員室で、同じ時計の下にいます。勤務時間は、8時15分から16時45分まで。休憩を除けば、7時間45分です。その時間が2人の中では、全く違う速さで流れています。

校長にとって、時間は「組み替えられるもの」です。

校長の1日は、自分で、ある程度動かせます。来客の合間に書類を見たり、自分の所用を済ませてから職員室をのぞいたり、校内を巡視したり、子どもたちとコミュニケーションしたり。担任を持っていないということは、複数の用件を、同時並行的に進行できるということです。だから時間は早く過ぎます。気づけば夕方ということが、しょっちゅうあります。

しかも、校長の評価というのは、1学期とか1年といった長いサイクルで、どれだけの成果が出せたか、という問われ方をします。今日の1日は、学期の中の1日、年度の中の1日。1つの行事は「全体の一部」。そんな感覚です。だから突発的な予定変更も、少しの無駄も「全体から見れば、誤差の範囲」と感じてしまいがちです。
個別の案件も、全体の一部として捉えがちです。
「指導案、今夜中にそろえてください」。「ワークシートは、明日の朝までに」。「明日の打ち合わせは、いつもより10分早く」。
組織を回そうとする意識が先立ってしまうため、こうした発言が出がちです。

担任の時間 ―― 区切られ、縛られ、戻らない

一方、担任にとって、時間は「組み替えられないもの」です。

担任の1日は、時間割で、あらかじめ区切られています。1時間目、2時間目、休み時間、給食、清掃。
やることは、分単位で決まっています。校務分掌の締め切りや、子どもの提出物の確認といった、細かいけれど大切な仕事を、その隙間に押し込みます。
担任の業務と評価は、1つ1つの業務を着実に終わらせることでしか積み上がりません。

だから、校長と同じように同時並行的に仕事を進めたり、長いスパンでものごとを見たりすることは不可能です。急な予定変更は、校長が思うような「誤差の範囲」では、ありません。1つずらせば、後ろのすべてがずれます。突然の指示は、スケジュール全体の破綻につながります。


明日に研究授業を控えた、ある日のことです。
今年で職歴3年目の若手教員、三上さん(仮名)は、明日5年生の国語を公開します。
既に日は傾き、夜も近づいていましたが、まだ三上さんの仕事は終わる様子がありません。
びっしりと付箋が貼られた机の上には、教科書、ノート、自作のワークシートがところ狭しと並べられ、彼女は資料を必死にまとめています。

「三上さんはお昼もAさんのお母さんと、ずっと電話していて…」
教頭が、私だけに聞こえるような声でささやき、そばを去っていきました。
不登校気味のAさんのことは、彼女にとって今、大きな懸念の一つでした。

何のためか分からない指示ほど…

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