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「通知表廃止」を決めた管理職のリアル|「評価する」から「学びを伝える」へ

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兵庫県公立小学校校長

関田聖和

任意であるはずの通知表作成。しかし現場では、実質的に義務のように扱われ、教員の大きな業務負担となっています。

やめたいと思いながらも踏み出せない学校が多い中、ある学校では管理職の判断により、今年度ついに通知表の廃止に踏み切りました。なぜこの学校は、その一歩を踏み出せたのか。

連載1回目の本記事では、「個別最適な学びによって“通知表廃止”が決まるまで」をお届けします。

構成・執筆/兵庫県公立小学校校長・公認心理師・特別支援教育士スーパーバイザー 関田聖和

個別最適な学びの先に見えてきた
従来の評価や見取りへの違和感

従来の評価への価値観が揺らぎ始めた、個別最適な学びの実践

「同じことをしていない子どもを、同じように評価できるのでしょうか」

本校が「あゆみ(以下、通知表)」を見直すことになった出発点は、通知表そのものへの不満によるものではありませんでした。個別最適な学びのある授業を進める中で、従来の評価の前提が揺らぎ始めたことにありました。

私は現在の学校に校長として異動したときから、個別最適な学びのある授業づくりを進めたいと考えていました。そのきっかけの一つになったのが、校長1年目、中学校校区内の学校で持ち回りで行っていた研究会でした。そこでは学年の先生方と教材研究をし、自由進度学習に取り組んでみることになりました。

  • どの教材なら、子どもたちが自分で選びながら学べるのか
  • どこで自己決定の場面をつくるのか
  • どのように自己選択を保障するのか
  • 友だちの考えを参照する場面をどこに置くのか
  • つまずいた子どもに、教師がどのタイミングで関わるのか

そうしたことを、学年の先生方と一緒に考えました。

「個別最適な学び」という言葉は、口にするのは簡単です。しかし、実際に授業に落とし込むには、丁寧な教材研究が欠かせません。

  • 子どもに任せるためには、任せられるだけの準備
  • 自分で選べるようにするには、選べるだけの道筋
  • 他者参照ができるようになるには、参照したくなる場面や手立て

それらの準備を重ねたうえで、個別最適な学びのある授業を公開しました。

私にとってうれしかったのは、その授業が「研究会のための1時間」で終わらなかったことです。先生方は、その後も3回、4回と、同じような考え方で授業に取り組み続けてくれました。子どもたちの実態を見ながら教材を準備し、自己決定や自己選択の場面をつくり、必要なときには教師が支援する。子どもたちが自分で学びに向かう場面を、日常の授業の中に積み重ねていきました。

その結果、テストの平均点が4点、5点と上がる学級も出てきました。もちろん、点数だけですべてを語るつもりはありません。しかし、子どもたちが学びに向かう姿と、結果の変化が重なったことは、職員室でも話題になりました。

「子どもたち、よく動いていましたね」
「いつもは、うつむき加減な彼が、前のめりで取り組んだんです」
「うちの学年でも、あんな形でできるかな」
「教材をどう準備したらいいんだろう」

そのような会話が生まれていきました。一つの学年の先生たちの実践がいい形で共有され始め、別の学年の先生の関心につながっていく――学校全体が一気に変わったわけではありません。それでも、確かに授業を見直す動きが広がり始めていました。「この取組には、何かあるぞ」。職員室に、そのような空気が生まれ始めていました。

教員からも上がった「評価も個別最適であるべき」という声

校長2年目になると、私はさらに外へ学びに行くようになりました。石川県の小・中学校への視察、神戸市の中学校の研究会、愛知県の公立小学校、奈良県の私立小学校の研究会などに参加しました。神戸市の中学校の研究会へは当初、私一人の参加でしたが、2回目以降は本校の教員にも参加してもらいました。校長が見てきたことを職員に伝えるだけでは、どこか一方通行になります。同じ場面を見て、同じ空気を感じ、一緒に考えたかったのです。

研究会に参加するたびに見えてきたのは、個別最適な学びとは、子どもをただ自由にさせることではないということでした。教材を準備し、選択肢を用意し、他者参照できる環境を整え、必要なときに教師が関わる。その中で、子どもが自分の学びを進めていくのです。

それは授業方法の話であると同時に、子どもの見方の話でもありました。子ども一人ひとりの背景を理解し、実態を把握すること。特別支援教育が大切にしてきた、一人ひとりの困っていることや特性から出発する視点が、個別最適な学びの根っこにあると感じました。

そう考えると、評価の問いに戻らざるを得ませんでした。

発達障害のある子ども、外国にルーツのある子ども、学習に強い苦手意識をもつ子ども、どんどん先に進みたい子ども、じっくり確かめながら進みたい子ども。子どもたちは、同じ教室にいても、同じ場所から学び始めているわけではありません。学びのスタートが違います。必要な支援が違います。進み方も、分かり方も違います。

それなら、評価もまた、その違いを前提に考える必要があるのではないか。さらに、個別最適な学びを進めるなら、評価もまた個別最適である必要があります。私は、このように考えるようになりました。

しかし、学期末になると、それぞれ違う道筋で進んできた学びを、一つの形式にまとめて評価しようとします。通知表の欄に、同じ観点で、同じように示そうとします。そこに、どうしても無理が生じます。

教員からも、こんな声が出てきました。

「これ、同じように評価するの、難しくないですか」

私も同じことを感じていました。個別最適な学びを進めれば進めるほど、従来の通知表とのズレが大きくなっていきました。通知表は、本当に今の学びに合っているのだろうかと。

通知表をめぐる保護者からの意外な声

この問いを学校の中だけにとどめておくことはできませんでした。校長2年目の10月、私は学校運営協議会や様々な行事で出会った保護者へ、通知表の見直しについて相談することにしました。

そこでは、想像していた以上に率直な声が返ってきました。

「通知表をもらっても、○の数を数えるだけ」
「先生たちには悪いけれど、ほとんど見ない」
「○の数できょうだいげんかになる」
「終業式の翌日は休みで先生にフォローをお願いできないから、通知表については詳しく聞かない」
「そもそも、懇談会で説明は聞いているけど、所見の文章の意味が分からない」
「算数のたし算はできるけど文章題は苦手です、とか具体的に書いてほしい」

といった声でした。通知表はそれほど必要としていないという一方で、「何かしら、成績の分かるものはほしい」「個別懇談などで、わが子の様子を具体的に知りたい」などの声もありました。

少しずつ見えてきた通知表の本質とは?

つまり、求められていたのは評価をなくすことではありませんでした。子どもの学びを、より具体的に、より分かりやすく伝えることでした。

本校の通知表への見直しは、突然始まったものではありません。授業を変え、子どもの学びを見直す中で、従来の評価とのズレが見えてきました。その問いを、教職員だけでなく、保護者・地域と共有したところから始まったのです。


当たり前とされてきた通知表を問い直すと、見えてくるのは「評価の形」ではなく、「子どもの学びをどう伝えるか」という原点でした。
では、実際にどのようにして廃止に踏み出していったのでしょうか?

次回は通知表廃止に向けた具体的な取組についてお伝えします。

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