子どもをよき学び手にする方略【第2回】一人ひとり違う!「認知特性」から授業を見直す
まんがを通して学べる画期的な教育書として大好評「まんがで知る」シリーズの第10弾として、『まんがで知る学習方略:学び方を学ぶ』(さくら社)を上梓した前田康裕先生による新連載です。この連載では、前田先生が描いた同書のストーリーを背景に、学習方略・認知特性・自律性・教科の見方、考え方等を横断しながら、学校と教師にとって今こそ必要な「学びの再定義」について解説・提案いただきます。第2回のテーマは「認知特性」です。
取材・構成/編集部

前田康裕(まえだ・やすひろ)
1962年、熊本県生まれ。熊本大学教育学部美術科を卒業後、教師となり、小中学校に25年間勤務。その間に、岐阜大学教育学部大学院教育学研究科を終了。熊本大学教育学部附属小学校教諭、熊本市教育センター指導主事、熊本市立小学校教頭、熊本大学教職大学院准教授、熊本市教育センター主任指導主事等を経て、2022年4月より熊本大学特任教授。『まんがで知る教師の学び』、『まんがで知る未来への学び』、『まんがで知るデジタルの学び』シリーズ(さくら社)など、著書多数。

『まんがで知る学習方略:学び方を学ぶ』(さくら社刊)
前田先生による、まんがと解説で学習方略をわかりやすく深く学べるシリーズ第10弾。効果的な学びの工夫を、中学生の実践例を通して具体的に示す。教師と学習者双方の意識改革を促し、自律的に学ぶ力を育てる一冊。読者特典や参考資料も充実。
前回はこちら:子どもをよき学び手にする方略【第1回】学びの出発点は「相手へのリスペクト」である
目次
続いてきた日本的授業スタイルの前提
日本の先生方の授業の進め方、とりわけ小学校における一斉指導の技術は、国際的に見ても非常に高い水準にあります。アメリカやオーストラリアなどの授業を視察した経験から言っても、日本の先生方は本当に授業が上手です。子どもたちが次々と元気に発言し、それを教師が黒板へと鮮やかに構造化してまとめていく。一斉に何かを理解させたり、共通の知識を伝えたりするという目的において、これほど完成された美しいスタイルはありません。
しかし、明治以来、約150年間にわたって続いてきたこの日本の授業スタイルには、見過ごせない前提が潜んでいます。それは基本的に「先生はすべてを知っている人」であり、「子どもたちは何も知らない人」という前提のもとで、先生が前に立って一方的に説明をし、知識を伝達していくというパターンです。こうした知識伝達型の授業はとりわけ高校で多く、中学校でも少なからず見受けられます。
一方、小学校では教師が問いを発し、それに対して「分かる人」「答えが言える人」を挙手させて指名する「挙手指名型」のパターンがよく見られます。「はい、田中君どうぞ」と指名すれば、手を挙げた児童が自分の分かっていることを発表します。すると周囲の子どもたちが「そうです!」「同じです!」「良いと思います!」と元気よく調子を合わせて声を返し、それによってクラス全体が分かったような空気になって授業が流れていく。小学校の授業の多くが、こうした挙手指名型で占められているのが現状ではないでしょうか。
最近では「主体的・対話的で深い学び」が重視されるようになり、授業の途中で「じゃあ、隣近所の人たちと少し話し合ってごらんなさい」といった対話の場面を設ける先生も増えてきました。しかし、その実態をよく観察してみると、子どもたちがほんの少しだけ横を向いたり後ろを向いたりして、二、三言の意見を交わしているに過ぎないケースが多々あります。そして何より、その話し合いの最中であっても、一言も発せずにじっと黙り込んでいる子が必ず教室に存在しているのです。
教室のなかの「静かな子どもたち」
45分や50分という限られた授業時間の中で、最初から最後まで一言も発さず、とりあえず座って聞いているだけの子どもたち。私たちはこれまで、そうした「静かな子どもたち」の存在を、本当の意味で直視してこなかったのではないでしょうか。教師が教え込むか、あるいは一部のよく分かっている子が正解を口にすることで、「みんなも同じように理解できただろう」という前提の上に、一斉指導の安心感は成り立っていたのです。
従来の授業研究会でも、こうした一斉指導の構図が無意識に強化されてきました。よくある授業記録では、教師の発言を「T(Teacher)」、子どもの発言を「C(Child)」と表記し、「T→C→T→C」という時系列のタイムラインを延々と記録していきます。そして事後の研究会では、「今日の授業で出たあのCの意見は素晴らしかったですね」「なかなか深い気づきを引き出せました」といった具合に、表面的な発言の応酬だけを根拠に授業の成否を評価していました。
しかし、そこで抜け落ちているのは、「授業中にずっと黙っていた子たちは、一体どのようにその時間を過ごしていたのか」という極めて重要な問いです。
周囲が「良いと思います!」と同調しているから、思考を止めてとりあえず同じ言葉をなぞっていただけかもしれません。あるいは、手元のタブレット端末でこっそり別の操作をして遊んでいたり、顔だけは真っ直ぐ黒板に向けて先生を見ていながら、頭の中では全く別のことを考えていたりしたかもしれません。授業という空間に身体はあっても、その学びには一切参加できていないという子どもたちが、教室のあちこちに隠れているのです。
それは、内容が本当に難しくて分からなくなってしまい、完全に置いていかれているケースもあれば、逆に「もうすでに知っていること、あまりにも簡単なことを何度も繰り返し説明されて退屈している」というケースもあります。いずれにせよ、子どもたちは一人ひとり、その背景も認知の仕組みも全く異なっており、したがって「情報内容の理解の仕方」も一人ひとり違っていて当然なのです。
