安定した授業を目指すなら、「授業の型」を考えてみよう【学級経営1年間の見通しと毎月のアイデア#15】
授業中、子どもたちが落ち着いている教室と、落ち着きがない教室。その違いは、いったいどこからやってくるんでしょうか。子どもたちのやる気がないから? 教えていることが難しいから? いえいえ、そんなことではありません。子どもたちに「この授業の目的とは何なのか」という見通しが伝わっていないだけなのです。では、どのようにして、この見通しをみんなで共有できるのでしょうか? 今回は、そのために効果的な「授業の型」をご紹介します。

執筆/環太平洋大学教授・内田仁志
授業がうまくいっているときには、教室には落ち着いた空気が流れます。子どもが自然に考え始め、話し合いがつながり、最後に「分かった」と実感しています。
一方で、子どもが落ち着かなかったり、話し合いが続かなかったり、なんだか不安な様子が見えるときは、授業のやり方を再考したほうがよさそうです。
なぜなら子どもは、分からないこと以上に「どうしてよいか見えない状態」に不安を感じるからです。この「見通し」を子どもに与え、みんなが安心して学べるようにするものこそが、今回のテーマである「授業の型」です。
目次
授業の見通しは、パターン=型で作れる
ものごとを進める場合には、目的があり、そのためのプロセスがあって、結論に至ります。
これは社会生活における、最も原則的な問題解決の型ではないでしょうか。
そして、これが授業の進め方においても同じであると踏まえ、次に何をやれば良いのかが分かっていれば、子どもたちは迷わず、自然に動けるようになるわけです。
この問題解決の型を授業に当てはめると、次のような流れになります。
- めあてを示す
- まず自分で考える
- 少人数で考えを交流する
- 全体で比較・検討する
- 結論を導く
- 振り返って、何が分かったかを確かめる
それぞれの段階に入るときに、毎回、
「それでは、この時間のめあてを言います!」
「では、隣の人と考えを話し合いましょう。2分間です!」
などと言うことで、子どもたちに型を意識させます。
この流れを毎時間積み重ねていくことで、子どもは型をしっかりと意識できるようになります。
型で、普段動かない子が動き出す
型の力が最もよく表れるのは、普段あまり発言しない子どもの変化です。
かつて国語の授業で「わらぐつの中の神様」を扱ったときのことです。
当時のクラスには、一人のおとなしい女の子がいました。普段はほとんど手を挙げることがなく、発言することもほとんどありませんでした。
その時間も、いつも通りにめあてを示し、個人で考え、隣の子と交流し、全体で深めるという型で進めていました。
授業の終末に、「わらぐつの中の神様とは何だろう?」という問いを投げかけ、みんなで自由に話し合う時間を取りました。
すると、そのおとなしかった女の子が手を挙げ、静かに、しかしはっきりとこう言ったのです。
「わらぐつの中の神様は、おみつさんにしか見えなかったんです。おみつさんは本当は、わらぐつがほしかったのではないと思います。おみつさんが、自分でも気が付かなかった心の内を、神様が教えてくれたんです。この神様は、おみつさんの心です。その心が、大工さんとつながったんだと思います」
教室が一瞬、静まりました。そしてその言葉をきっかけに、他の子どもたちも考えを出し始め、議論が深まっていきました。
最終的にクラスとしてたどり着いた結論は、「神様とは、おみつさんの心である」というものでした。
この場面は、今になっても色あせない深い感慨とともに、筆者の記憶の中に残っています。
そして、これは発問が良かったからでも、教材がよかったからでもなく、型があったからこそ、到達できたことだと考えています。
その子は、いきなり発言したわけではありません。
①まず自分で考える
②他の人と考えを交流する
③他者の意見から、自分の思考を深める
④最後のまとめる場面に向けて、自分の考えを言語化する
⑤自由に自分の考えを言ってもよい
という型を知っていたからこその結果なのです。授業をしていた筆者はそのときもただ、型に沿って授業を積み重ねていただけです。
授業に型があると、子どもは迷いません。この「迷わない」状態が、学びの土台になります。
「考える→伝える→比べる」という一連の流れこそ、学びを深めるための正攻法であり、常にその正攻法に則って授業が行われているのだという理解が子どもたちに安心感を与えます。
型とは、子どもの自由を奪うものではありません。型があるからこそ、子どもは「次にどうするか」で迷わず、「何を考えるか」に集中できます。型とは、行動を縛るものではなく、思考を支える土台なのです。
さらに、こうした見通しが全員で共有されている教室では、子どもたちの不安が減り、教室に安心感が生まれることによって、
- 発言してみようとする
- 自分の考えを書こうとする
- 他者の意見を聞こうとする
といった行動が自然に出てきます。
これは「やる気」の問題ではありません。安心して取り組める構造があるからです。
「わらぐつの中の神様」の授業で、あの子が自分の言葉で語ることができたのも、この安心感があったからです。
型があったからこそ、考え、言葉にすることができたのです。
授業の終わりに「分かった」を残す
型の効き目が最も大きく表れるのは、授業の終わりです。
授業の最後に子どもが
「今日はこれが分かった」
「最初は分からなかったけれど、今は説明できる」
と実感できるかどうか。ここで授業の価値は決まります。
現場では、途中まではよくても、最後が弱い授業が少なくありません。活動は盛り上がった。発言も出た。話し合いもできた。けれども、授業が終わったあとに子どもの中に何が残ったのかが曖昧。こうなると、その一時間は「楽しかった活動」で終わってしまいます。
型のある授業は、最後がぶれません。なぜなら、授業の流れの中に最初から「振り返る」「確かめる」という場面が位置付けられているからです。
この最後の一手間があるかどうかで、授業の質は大きく変わります。
先の「わらぐつの中の神様」の授業でも、印象的だったのは、子どもの口から「神様とはおみつの心だ」という言葉が出てきたことでした。教師が説明して与えた結論ではなく、子どもたち自身が考え、言葉にした結論だったからこそ、教室全体に深い納得が生まれたのです。この場面があるからこそ、次の授業にもつながっていきます。
