堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s Bar 一杯分だけ、話そうか。#17 教育勅語が問いかけるもの~子どもたちの身体に刻む言葉

教育界随一の論客、堀 裕嗣先生による連載第17回。教育というジャンルに留まらず、広い社会的視野、歴史的射程に基づいた縦横無尽な論考をお届けします。毎回最後のコラムでは、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1.言葉を身体に入れる教育
子どもたちに文章を読ませる。
しかも、全員で声をそろえて読ませる。
それだけのことなのに、時代が変われば、その意味はまったく違ってくる。
現在の学校でも、音読がある。暗唱がある。詩を覚えさせることもある。古典を繰り返し読ませることもある。それらは「言葉を身体に入れる」ための教育である。
1946年10月8日、「教育勅語」の奉読(ほうどく)が学校から消えた。文部省が、学校で「教育勅語」を奉読しないよう通達したのである。
では、「教育勅語」の奉読とは、どのようなものだったのか。
「教育勅語」が発布されたのは、1890年10月30日のことである。以後、全国の学校で「教育勅語」が重視されるようになり、学校儀式の際には校長が「教育勅語」を奉読することが重要な儀式の一つとなっていった。
ここで注意したいのは、「奉読」という言葉である。「教育勅語」を奉読するのは基本的には校長であり、子どもたちが「教育勅語」を声をそろえて読むわけではない。校長が「教育勅語」を読み上げ、子どもたちはそれを静かに聞く。そして、その場に定められた作法に従って礼をする。
つまり、「教育勅語」の奉読は、単なる「文章を読む時間」ではなかった。どのような場で、誰が、どのような姿勢で、どのような言葉を読み上げるのか。その一連の行為そのものが、教育の一部だったのである。しかも、そこでは「教育勅語」という一つの文章に特別な位置が与えられていた。学校生活の中で繰り返しその言葉を聞き、その言葉に対して定められた態度をとる。文章の意味を理解することだけではなく、その言葉を権威あるものとして受け止める身体の作法までが、学校教育の中に組み込まれていたのである。
だからこそ、1946年10月8日の奉読廃止は、単に一つの文章を学校から追放したというだけの出来事ではなかった。学校において、どのような言葉を、どのような形で子どもたちに届けるのか。その問いそのものが、大きく転換したのである。
2.言葉に権威を与える教育
では、「教育勅語」には、どのようなことが書かれていたのだろうか。
「教育勅語」と聞くと、軍国主義や戦前の国家主義教育を思い浮かべる人が多いだろう。実際、「教育勅語」は戦前の学校教育において大きな役割を果たし、戦時体制のなかでは国家への忠誠を求める思想とも結びついていった。
ところが、その本文を実際に読んでみると少し意外なことに気づく。そこには、父母への孝、兄弟姉妹の友愛、夫婦の和、友人との信頼、謙虚さ、学問や仕事に励むこと、公共のために尽くすことなどが説かれている。現代の道徳教育で語られている価値と重なるものも少なくない。
たとえば、「父母ニ孝ニ、兄弟ニ友ニ、夫婦相和シ、朋友相信シ」とある。父母を大切にし、兄弟姉妹は仲良くし、夫婦は互いに和し、友人とは信頼し合う。言葉だけを取り出してみれば、これらに異論を唱える人はそういない。だから、「教育勅語は悪いことばかり書いてあった」と単純に片づけることはできない。むしろ難しいのは、そこに書かれている徳目の多くが、現在の私たちにも理解できる、あるいは現在の学校教育でも大切にされているものだということである。
「教育勅語」を最後まで読んでみると、もう一つ気になる一文がある。
「教育勅語」には、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ、以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という一文がある。いざというときには勇気をもって公のために尽くし、天地とともに窮まりなく続く皇室の運命を助け支えよ、という意味である。ここまで来ると話が少し違ってくる。父母を大切にすること、兄弟姉妹が仲良くすること、夫婦が和すること、友人を信頼すること。こうした身近な人間関係の徳目の先に、「公のために尽くすこと」が置かれ、さらにその「公」が「皇運」と結びつく。
つまり、「教育勅語」は、家庭や友人関係の中で守るべき道徳を並べただけの文章ではない。人としての生き方から始まり、それを社会の一員としての生き方へと広げ、最後には国家、そして天皇へと結びつけているのである。
前半に書かれている徳目が間違っているから問題なのではない。むしろ、そこに書かれていることの多くが、現在の私たちにも理解できるからこそ、その最後に何が置かれているのかを見なければならない。
「教育勅語」は、親孝行をしなさい、兄弟仲良くしなさい、友達を信じなさい、勉強しなさい、といった個々の徳目をばらばらに示した文章ではなかった。それらを一つの道徳体系としてまとめ、その最終的な帰結を「皇運ヲ扶翼スヘシ」に置いた文章だったのである。
こう考えてくると、「教育勅語」の問題は、そこに書かれた一つ一つの言葉が正しいか間違っているかという問題だけではなくなる。どのような人間になることを求めるのか、その人間像を、何のために、どこへ向かわせるのか、「教育勅語」を読むときには、その全体の構造を見る必要があるわけだ。
しかも、「教育勅語」が学校教育の中で特別な位置を占めたのは、その内容によるものだけではなかった。「教育勅語」は、天皇が国民に対して示した「勅語」として発せられた。そのため、普通の教科書や道徳教材とは異なる権威をもって学校に持ち込まれた。
そのことは、学校に保管される「教育勅語」の扱いにも表れている。「教育勅語謄本」は、学校にとって単なる一枚の文書ではなかった。奉安殿など特別な場所に納められ、取り扱いにも細かな規定が設けられた。儀式の際にはそこから取り出され、校長が奉読する。そして式が終われば、再び定められた場所に戻される。そこには、文章の内容を学習するというよりも、その文章そのものを特別なものとして扱う仕組みがあった。
考えてみれば、これは現在の学校教育とはかなり違う。私たちは、子どもたちに教科書を読ませる。詩を読ませる。古典を読ませる。ときには文章を暗唱させる。しかし、その文章そのものに頭を下げさせることはない。誰が書いた文章であるかによって、読むときの姿勢や場所まで決められることもない。しかし「教育勅語」は違った。何を読むかだけではなく、誰が読むのか、どこに置くのか、どのように取り出すのか、聞く側はどのような姿勢をとるのかまでが定められていた。言葉は、意味を伝えるものとしてだけではなく、身体を動かすものとして学校に入っていたのである。
ここには、教育というものについて考えるうえで、興味深い問題がある。
私たちは普段、教育を「何を教えるか」という問題として考えがちである。しかし、「教育勅語」が学校教育の中に組み込まれていくときには、「何を教えるか」だけではなく、「誰の言葉として受け取らせるか」「どのような場で受け取らせるか」「どのような態度で受け取らせるか」ということも、同時に子どもたちに意識させることになる。同じ文章であっても、教室で一人の教師が「これはどういう意味だろう」と問いながら読ませるのと、儀式の中で校長が読み上げ、全員が定められた姿勢で聞くのとでは、その言葉が持つ意味はまったく違ってくる。
だから、「教育勅語」が学校から消えたという出来事を考えるとき、私たちは文章の内容だけを見ていてはいけない。学校という場所が、言葉にどのような力を与えることができるのか。その力を、誰が、何のために使うのか。そこまで考えなければ、この出来事の意味は見えてこないのである。
そして、ここから現在の学校を振り返ると、少し別の問題が見えてくる。もちろん、現在の音読や暗唱が「教育勅語」の奉読と同じだと言いたいのではない。目的も、内容も、教師と子どもの関係もまったく違う。ただ、子どもたちに同じ言葉を繰り返し声に出させることには、いつの時代にも一定の力がある。
声に出して読むという行為は、言葉を目で追うだけでは終わらない。声にして、耳で聞き、何度も繰り返す。その言葉のリズムや響きまで含めて、身体の中に残っていく。だからこそ、音読や暗唱は、単なる「覚えるための方法」ではない。言葉を身体化するための教育でもある。
問題は、その「身体に入れる言葉」を誰が選ぶのか、ということである。
古典を読むのか、詩を読むのか、文学作品を読むのか、あるいは社会について考える文章を読むのか。教師が選んだ言葉を、子どもたちは声に出して繰り返す。そのとき教師は、単に読む練習をさせているだけではない。子どもたちの中に、子どもたちの身体に、その言葉を残そうとしている。
だからこそ、音読や暗唱は、教育的な可能性と同時に教育する側の責任を伴う。
「教育勅語」の奉読が私たちに残しているのは、戦前の学校教育への批判だけではない。学校という場で、教師が子どもたちに言葉を渡すという行為そのものを、私たちはどのように考えるべきかという問いなのである。
