47都道府県縦断!全国オリジナル地域教材でつくる「本気!」の道徳授業#30 積み重ねられた時間~人間国宝の15秒

全国各地の「ひと・もの・こと」を教材化し、子どもたちの感情、思考、価値観を大きく揺さぶる道徳授業をつくる。さらにそれらを集めてアーカイブ化しようという野望に満ちたリレー連載。原則として毎週公開します。今回の執筆者は、栃木県宇都宮市の山野井亮太先生です。
編集委員/藤原友和(北海道函館市立鍛神小学校教諭)
執筆/山野井亮太(栃木県公立小学校教諭)
目次
はじめに
こんにちは!栃木県宇都宮市で小学校の教員をしております、山野井亮太と申します。
私は、日々の授業づくりの中で、「見えないものを見ようとすること」を大切にしています。子どもたちの学びの場面を見ていると、発言や行動として表に出てくることの背景には様々な思いがあると感じることがあります。そうした思いは、立ち止まって考えてみたり、向き合ってみたりすることで、初めて見えてくるものだと思っています。
今回扱う益子焼の教材にも、同じように「見えないもの」があります。目に映るのは作品の形や技ですが、その裏には、陶芸家が重ねてきた時間や思い、迷いながらも続けてきた日々があります。完成した作品だけを見ていると、つい見落としてしまいがちな部分です。
授業では、こうした教材の中にある「見えないもの」と、子どもたち一人一人の中にある「見えないもの」とを重ね合わせながら考えていきました。
どの教科であっても、私が目指しているのは「すぐに答えが出る学び」ではありません。目に見える結果の裏にある過程、思いや価値に目を向けることです。そうした視点を育てることが、子どもたち自身が学びや生き方を振り返る力につながっていくと感じています。
今回紹介するのは、栃木県益子町の益子焼と、陶芸家・濱田庄司を扱った道徳科の地域教材です。この実践は、私自身が「見えないものが見えなかった」経験から生まれました。授業を通して、子どもたちの見方がどのように変わっていったのかを、全国の先生方と共有できればと思います。
1 教材の背景
栃木県の南東部に位置し、陶芸の町として知られる益子町は、長い時間をかけて陶芸文化が人々の手で受け継がれてきた町です。その益子町への校外学習の下見で、私は初めて益子焼の歴史や文化に触れました。無知の状態で臨んだ私は、案内の方から歴史的な流れや偉人の功績、人間国宝である濱田庄司の家に残る当時の暮らしぶりなど、丁寧に説明を受けました。しかし、私自身の心がまったく動かなかったのです。
「おもしろくないなあ」「疑問がわかない」「歴史上の人物の説明を聞いても実感がわかない」「古い家を見ても、正直よく分からない」そんな感想ばかりが浮かびました。感情が動かない。思考も働かない。行動にもつながらない。「三つの無」の状態でした。それは私が益子町の背景や、過去と現在のつながりを知らなかったことによるものでした。
そんなとき、ふと学級の子どもたちの顔が浮かびました。
「子どもたちも、同じように面白くないのではないか」
「心が動かない校外学習になってしまうのではないか」
「歴史の良さや文化の価値に気づかないまま終わってしまうのではないか」
そう考えたとき、焦りのようなものが生まれました。
「授業でなんとかしよう」
そう決めました。
せっかくの校外学習です。子どもたちが 「行きたい!」「見たい!」「感じたい!」 と思う学びにしたい。授業を通して「知りたい!」という気持ちになれば、校外学習の質は大きく変わる。私は、授業にはその力があると信じています。
振り返れば、出発点は私自身のネガティブな感情でした。しかし、だからこそ「私も知らなかったことを、学び直したい」という素直な気持ちが生まれました。益子町のよさ、濱田庄司という人物の生き様、益子焼に宿る特別感、古いものが残り続ける意味、昔の人の思い。それらを知ることで、きっと心が動くはずだと感じました。
中でも、益子焼を語るうえで欠かせないのが濱田庄司です。彼の人生には、苦労、努力、願いといった「普遍的な価値」があります。歴史上の人物としてではなく、一人の人間として生きた姿に触れることで、子どもたちも自分の人生と重ねて考えることができる。そうすれば、校外「見学」ではなく、校外「学習」になる。そして、授業で育った気づきが現地の体験とつながり、深い学びを生み出すはずだと考えました。
こうした思いから、私は 益子焼と濱田庄司を道徳の地域教材として授業化することを決めました。
2 授業の実際
対象:小学4年
主題名:努力し続ける人って
内容項目:A5 希望と勇気、努力と強い意志
導入 今、努力していることはありますか?」
・習い事
・勉強
・お手伝い
・鉄棒
・漢字を毎日練習する
・色や図を使ってノートに書く
子どもたちは、「努力」というと自分たちの身近な生活の中にもあることに気づいているようです。一方で、表情をよく見ていると、どこか言い切れない様子も感じ取れました。そこで私は、続けて問いかけました。
「じゃあ、逆に、長続きしなかったことはありますか?」
すると、少し間を置いてから、次々に声が上がり始めました。
「最初はやる気があるんだけどなあ」
「めんどくさくなっちゃう」
「うまくいかないと、『もういいや』って思っちゃう」
発言が出るたびに、あちこちから「分かる!」「それあるなあ」と共感の声が重なりました。努力した経験があるからこそ、続けることの難しさも子どもたちはよく知っているのでしょう。
このやり取りを通して、「努力したい気持ちはある」「でも続けるのは簡単ではない」という、子どもたちの正直な思いが教室全体で共有されていきました。ここでは、努力できない自分を否定するのではなく、誰もがもつ弱さとして確かめ合うことを大切にしました。
説明
ここで、以下の写真を提示します。

提示した瞬間に、子どもたちから「濱田庄司だ!」と声が上がりました。
そこで、次のように説明します。
・人間国宝になったこと
・制作の様子を見に来るお客さんが多くいたこと
・代表作の一つ「白釉黒流描大鉢」があること
そして、以下の「白釉黒流描大鉢」の写真を提示し、「釉薬を流し掛ける工程にどのくらい時間がかかると思う?」と聞いてみました。

すると子どもたちからは、
「2時間」
「1日」
「2週間」
「3か月」
「4年」
などが挙げられました。
時間をかけて丁寧に行うものだというイメージが子どもたちの中にあることが伝わってきます。
クラスの中で最も短い時間を予想した子が「3分」と答えると、「それはないんじゃない!?」と教室のあちこちから声が上がりました。子どもたちは、作品の価値はかかった時間の長さと結びついていると考えているのでしょう。
そして、釉薬を流し掛ける時間が「15秒」だったことを伝えました。
「え!」
「短すぎる」
「誰でもできるじゃん」
驚きの声が一斉に上がり、教室がざわつきました。
制作の様子を見て驚いた人がいて、その人は、
「早すぎて物足りないのでは。」
と質問したことを伝えました。
発問1 なぜお客さんはそんなことを言ったのでしょう?
・簡単そうに見えたから
・雑にやったと思ったから
・時間が短いと、がんばっていないように見えるから
・15秒では濱田さんのすごさに気付けないから
私たちは、つい目に見える時間や速さで、人の努力を判断してしまうことがあります。そのことが、子供たちの言葉から浮かび上がってきました。
そして、その問いに対して、濱田庄司はこう答えたそうです。
「15秒プラス60年(の経験)と見たらどうか」
この言葉を伝えると、教室の空気が少し変わりました。
「なんか見え方変わったかも」
このつぶやきをきっかけに、
「お客さんも、この言葉を聞いて考え方が変わったんじゃない?」
「早いって思っていたけど、見えてなかっただけかも」
などと、視点の変化に気づく声が広がっていきました。
発問2 最初に聞いた時の「15秒」と今の「15秒」にはどんな違いがありますか?
・最初は軽いと思ったけど、今は中に詰まっている感じ
・今は15秒が長く感じる
・最初はだれでもできると思ったけど、続けた人にしかできない15秒だと思う
子どもたちの「努力=目に見える量」という見方を揺さぶり、努力とは見えない時間の積み重ねであるという新たな価値観を実感し始めていました。15秒そのものは変わっていないのに、見方が変わることで価値が変わる。この気づきが、次の問いへとつながっていきます。
説明3 努力し続ける人って、どんな人でしょう?
「すぐに結果が出なくても積み重ねられる人」
「今に意味があると思える人」
「一瞬を積み重ねる意識がある人」
「だれにも見られていなくてもやめない人」
努力とは、いつも目に見える形で表れるものではありません。むしろ、見えないところで続けてきた時間の方が多いのかもしれません。
「15秒」という短い時間を入り口にしたことで、努力という抽象的な価値を、自分事として考える土台が生まれました。振り返りには、「今、自分がやっていることも、あとから意味が分かるかもしれない」「すぐに結果が出なくても、やめないことが大事なんだと思った」といった記述が見られました。これは、偉人を称賛する学習ではなく、濱田庄司の生き方を通して、自分の生き方を見つめ直す道徳の学びになったと感じています。
濱田庄司は、特別な人だから努力できたのではありません。同じ人間として、迷い、悩みながらも続けてきたその積み重ねが、15秒の仕事に表れていたのです。この時間を通して、子どもたちが「努力は目に見えなくても確かにある」という価値に、少しでも近づいたのではないでしょうか。
3 教科横断的な視点
4年生の道徳科の教科書『新編 新しい道徳4』(東京書籍)には、「ふろしき」という教材が掲載されています。ふろしきは、日本に古くから伝わる布文化です。時代が変わっても丁寧に受け継がれ、用途を変えながら現代でも生き続けています。古くから受け継がれるものの価値に気づき、大切にしようとする心情について考えることをねらいとした教材です。
例えば、「ふろしきを大切にする『わたし』の心」と「益子焼を広く伝えようとした濱田庄司の心」の共通点と相違点を比べることが効果的ではないかと考えます。
また、社会科では、益子焼と濱田庄司の歩みを通して、地域の伝統や文化を守り、広く伝えようとした人々の願いを学びます。現在の益子町に住む人々の思いや願い、そして昔の人々が益子町に託してきた思いを学ぶことで、地域の伝統は人の思いや努力の積み重ねがあることによって受け継がれてきたことに気づくことができます。道徳で考えた価値を、社会科で具体的な人や地域の姿と結び付けることで、自分事として捉える学びへとつなげていくでしょう。
そして、総合的な学習の時間では、社会科で得た視点を生かし、「自分たちの身の回りにも、受け継がれているものはないか」「それを支えている人の思いは何か」と問いを広げていくことが考えられます。地域の文化や行事、身近な仕事や活動を調べたり、話を聞いたりする活動を通して、当たり前のように続いてきたものではなく、目に見えない努力や、簡単にはあきらめない強い意志が積み重なってきたことに気付いていくと考えます。そして、受け継がれてきたものの背景にある人の思いに目を向けることで、自分たちもまた、次につなぐ一人であるという自覚を深めていくことができるでしょう。
4 おわりに
今回、益子焼と濱田庄司を道徳の地域教材として扱った背景には、「心が動かない学び」を何とかしたいという私自身の問題意識がありました。教材は、最初から子どもの心を動かす力をもっているわけではありません。教師が何に違和感をもち、どこに価値を見出そうとしたのか、その視点が授業を通して伝わったとき、教材は初めて生きたものになると考えます。
地域には、長い時間をかけて積み重ねられてきた営みや、続けられてきた努力が数多く存在しています。それらは確かに今の私たちの暮らしを支えています。
益子焼の学びを通して、子どもたちが「努力は目に見えなくても存在する」「価値はすぐに分からなくても、続ける中で見えてくる」という感覚をもったなら、それは校外学習を超えた学びだと思います。
地域教材は、教師自身が地域を学び直すところから始まります。その過程で生まれた問いや驚きこそが、子どもたちの心を動かす原動力になるのではないでしょうか。

参考文献
・鈴木さとみ、2010年、「こびない、さびない、濱田イズム 知られざる濱田庄司」、印象社、8ページ
・2024年、「わたしたちの栃木県(4年) (令和6年度用)」、日本文教出版株式会社、111ページ
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