47都道府県縦断!全国オリジナル地域教材でつくる「本気!」の道徳授業#29 牛がかじった牛舎の柱~東日本大震災

全国各地の「ひと・もの・こと」を教材化し、子どもたちの感情、思考、価値観を大きく揺さぶる道徳授業をつくる。さらにそれらを集めてアーカイブ化しようという野望に満ちたリレー連載です。原則として毎週公開します。今回の執筆者は、福島県郡山市の菊地南央先生です。
編集委員/藤原友和(北海道函館市立鍛神小学校教諭)
執筆/菊地南央(郡山ザべリオ学園小学校教諭)
目次
はじめに
福島県郡山市、郡山ザべリオ学園小学校に勤めております、菊地南央と申します。
私の教員としての歩みは、2010年に公立小学校教諭として始まりました。
初任地は海沿いの相馬市。着任から約1年後に、私は東日本大震災と、それに続く原子力発電所の事故という、未曾有の困難に直面することとなりました。
学校は一夜にして避難所へと姿を変え、私は約1か月間、スタッフとしてその運営にあたりました。絶え間なく流れる原発事故のニュースを前に、「自分は、本当に明日まで生きられるのだろうか」と、命の脆さを突きつけられたあの感覚を、今も忘れることはできません。
平穏な日常がいかに脆い地盤の上に成り立っていたのかを、あの日々ほど痛感したことはありませんでした。その混迷の中で、私の中に一つの確固たる信念が芽生えました。それは、「暮らすことの重要性」を再認識することです。私たちが立つその土地の現状に、あえて深く目を向け、自らの頭で考え抜くこと。地域の抱える課題も、そこにある魅力も、ただ漫然と眺めるのではなく、主体的に関わり、思考を巡らせる。そのプロセスを経て初めて、地域は単なる風景から、その人の「アイデンティティ」へと変わっていくのだと思います。
自分が住む場所を誇り、その誇りを胸に生きる。その強さを育むことこそが、地域の学校が果たすべき役割ではないだろうか。そう自問し続けてきました。2022年より、私はカトリック系ミッションスクールである本学園へと移りましたが、「地域の学校」という思いは今も変わりません。
本校では「道徳」ではなく、「宗教」という教科が設けられています。宗教科の授業とは、宗教科は、聖書や聖人の功績について学ぶほか、実際の出来事を題材にして、自己の在り方や世界との繋がりを考える時間です。道徳科とは異なる部分がありますが、少しでも参考になれば幸いです。
1「逃がすか、逃さないか。」
本時の授業は、福島県立博物館で震災遺産の収集・保存に携わり、博物館という場を活用した防災教育に尽力されている、筑波匡介さんをゲストティーチャーに迎えて実施しました。
対象学年: 6年生
主題名: 牛がかじった牛舎の柱
内容項目: D-19 生命の尊さ
冒頭、筑波さんが子どもたちの前に、ある「物」を置きました。福島県立博物館所蔵の震災遺産、「牛がかじった牛舎の柱」です。

一見すると、オブジェのようにも見えます。
「これは何でしょう?」という私(菊地)の問いに、子どもたちからは様々な声が出ます。
「ライトをひっかけておく柱かな?」
「何かを入れるカゴがついているみたい。」
「本当は、上下が逆さまなんじゃない?」
私は、少しずつヒントを出しながら、子どもたちの意見を引き出していきます。
そして、筑波さんが、その正体を子どもたちに伝えます。
「これは、東日本大震災のとき、原発事故によって避難を余儀なくされた南相馬市の牛舎にあった柱なのです。」

教室の空気が変わりました。筑波さんは問いかけます。
「では、なぜこの柱は、こんなに細く痩せてしまっているのでしょうか。」
映し出された実際の牛舎の写真に牛たちの姿は無く、中はがらんどうです。
中央に並ぶ柱は、どれも細く痩せています。
写真を見る子ども達から、「津波の影響かな?」「牛が逃げようとして体当りしたんじゃない?」などの声が聞かれます
飼い主が避難し、食べるものもなくなった極限の状態で、彼らはただ、目の前にある柱をかじり続けるしかなかったのです。
子どもたちは、真剣に耳を傾けます。筑波さんの説明が続きます。
なぜ、牛たちを逃がしてあげられなかったのか。そこには、人間と動物が共生する上で避けられない現実がありました。人がいなくなった土地で野生化した牛は、縄張り意識が強く、不用意に近づく人間に敵意を向け、危害を及ぼす危険性があります。近所の建物や、畑を荒らすことは明らかなので、逃がすことはできなかった。また、飼い主の半杭(はんぐい)さんは「お世話になっている近隣の方々に、迷惑をかけることはできない。」とも語っていたそうです。
ここで、筑波さんから問いが投げかけられました。
発問1 「もしあなたなら、牛たちを逃がしますか? それとも、逃がしませんか?」
「えぇ……」「うぅん……」。 教室内に、困惑の声が漏れました。簡単には答えが出せない問いを前に、子どもたちは、沈黙します。そして、ゆっくりと自分の考えを書き始めました。その後、班で話し合いました。まず聞かれたのは、どんな状況でも命を諦めたくないという思いでした。
「逃がす。たとえ狂暴になることが分かっていても、生きていてほしいから。」
「子どもの牛だけでも、一緒に避難することはできないのかな。」
しかし、思考を深めるにつれ、子どもたちは「生きること」の背後にある、他者への影響や安全という現実に直面していきます。
「私は逃がさない。でも、牛舎の中に今ある限りのエサは全部撒いて避難する。」
「僕は逃がさない。やっぱり、人の命を優先させて逃げたほうがいいと思うから。」
「後のことを考えると、牛を捕まえたり、野生化したりするのは、結局人間も牛たちも不幸な目にあってしまうよね。」
「逃がしたいけど、野生化してしまったら、そこから責任を取ることはできないよね。」
「でも、私は逃がさない。そもそも、牛を飼うなら『育てきる』という責任があるわけだから、人に言われても私は避難しない。」
班での話合いの結果、多くの班が「逃がさない」という苦渋の決断へと集約されていったようでした。いくつかのグループの発表を受けて、筑波さんは飼い主、半杭さんの言葉を紹介しました。
「原子力発電所の事故で避難しなければいけない状況だったけれど、誰かを恨むというより、頭に浮かんだのは『命』のことでした。牛さんはつらくても話すことはできない。言葉を話せない動物のことをよく見ておきなさいと、獣医さんからよく言われていました。それが命をあずかるということ。命をあずかるものとして、餓死させることは一番やってはいけないこと。でも、逃がすことはできなかった。隣が農家さんで、畑を荒らしてしまうから……。経済動物といっても、私にとっては家族同然。牛さんのおかげで、子どもを三人、大学まで行かせることができた。だから、自分はこの建物(牛舎)を壊せないのです。」

半杭さんは、この出来事を一生忘れないという決意を込め、牛舎のそばに一つの石碑を建てました。そこに刻まれた文字は、「無念」。この二文字には、命を救えなかった悔しさ、守りきれなかった責任感、そして深い悲しみが込められているのではないでしょうか。
2「なんと声をかけるか。」
ここで、筑波さんから二つ目の問いが投げかけられました。
発問2「あなたなら、とても後悔している飼い主に、どのように声をかけますか。」
それまでの「逃がすか、逃がさないか」という客観的な問いが、今度は「自分」の問題として迫りました。
•「大切な牛を逃がさなかったことに、大きな後悔を感じているんですね」と寄り添う子。
•「あの時、決断したのはすごいことです」とその労苦を敬う子。
•「私も半杭さんと同じようにしたと思います」と共感を示す子。
•「立ち直るには時間が必要だから」と、ただ聞くだけにすると書く子。
一人ひとりの言葉からは、飼い主の方の傷に、自らの心を寄せる真摯な様子が見られました。
最後に、マタイによる福音書 25章40節を読みました。その中には「最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」という一節があります。
聖書では、立場の弱いもの、声の小さいものに対する行いや振る舞いこそが、神に対する行いと同じであるという事が書かれています。この日にみんなで考えた、飼い主の葛藤と行いも、経済動物と言われる牛たちに対する愛情も、この一節から考えることができるかもしれません。子どもたちにそう伝えた後、一人ひとり授業の振り返りを書きました。
最後に、ある子の振り返りをご紹介して終わります。
この世の中には、どうにかしたいけれど、どうにもできないことがあるのだと思いました。
誰のことを考えて、誰を優先するのか。どちらも等しく愛していたからこそ、飼い主さんはあんなに後悔したのだと思います。「全部救うこと」はかなり難しいのかもしれませんが、あの時を乗り越えて今があるので、乗り越えるために選択をしてくれた方々にお礼を言いたいです。
※ 写真①は、福島県立博物館より提供
※ 写真②・③は、「被災牛と歩んだ700日 東日本大震災における被災家畜対応記録集」(特定非営利活動法人懸の森みどりファーム)より
編集委員・藤原友和先生による共著・編著、好評発売中です。


