【野口芳宏「本音・実感の教育不易論」第77回】今どきの教育と敗戦前の教育(その5) ─敗戦前の教育を振り返る(上)─

国語の授業名人・野口芳宏先生が、65年以上にわたる実践の蓄積に基づき、不易の教育論を綴る連載です。第2部では今どきの教育と戦前の教育とを比較吟味し、戦後80年の教育の功罪について考えていきます。今回は、AIがそのキーワードを集約する「現代の子供観」に対し、戦前生まれの野口先生が物申します。ぜひ前回と併せてお読みください。
執筆
野口芳宏(のぐちよしひろ)
植草学園大学名誉教授。
1936年、千葉県生まれ。千葉大学教育学部卒。小学校教員・校長としての経歴を含め、65年以上にわたり、教育実践に携わる。1996年から5年間、北海道教育大学教授(国語教育)。現在、日本教育技術学会理事・名誉会長。授業道場野口塾主宰。2009年より7年間千葉県教育委員。日本教育再生機構代表委員。2つの著作集をはじめ著書、授業・講演ビデオ、DVDなど多数。

目次
1、敗戦前の教育の範囲
私の一つの信条に「本音、実感、我がハート」がある。この三つの真中の「実感」は、「体験を通して感じたこと」の意味だ。私の講話や論考は全て「実感を通して導かれた理論」であり、私はこれを「体験的実感論」と呼んでいる。これに対するのが「観念的机上論」である。頭の中で、机に向かいながら、あれこれ考えるということで、現場で行った実践がない。先に述べたがデューイの「子供中心主義」などは好例であろう。理屈は通るが、現実には逆の結果を招いてしまった。
これから述べる「敗戦前」というのは、私の経験してきた大東亜戦争期(太平洋戦争の旧名)つまり、昭和16(1941)年から同20(1945)年8月末までの足かけ4年間になる。私が国民学校入学から4年生の夏までが主となるが、父や母の話や教えも入れれば、大正時代も含まれてくることになる。
2、親孝行と素直さ
子供は家の宝、国の宝として大切に育てられていた。普通の家庭の代表は父親であり、家族が集まる場合には父親が最上席に座り、ほぼ年齢順に上座から座った。これがごく一般的な秩序であり、どの家庭でもほぼこの秩序が守られていた。母親が食事の世話をする関係で最も下座に座ることもあったようだ。
子供は、親に産んで貰い、育てて貰って大きくなるのだから、親の言いつけには自然に従い、無視や反抗は親不孝という考え方が世間一般の常識であった。こども家庭庁の「こどもまんなか実行計画2024」にある「こども・若者が権利の主体であることの社会全体での共有等」という考え方は全くなかった時代である。
親に感謝し、親を大事にし、親を敬うという孝の精神が「社会全体での共有」とされていた。子供は、親や家族の言いつけに従い、親や目上の者は、自分より下の弟妹を大事にし、可愛がっていた。そのような一般的な家族としての美風は、開国によって日本を訪れた外国人から随分高い評価を受けていた。外国人の日本訪問記に多く同様の讃辞が見られ、紹介もされている。
子供にとって、親の言いつけを守ること、先生の教えをよく聞き入れ、従うことが、「良い子」の条件とされ、「素直な子は良い子」「良い子は素直」とされていた。
素直な子は、先生や親の言うことを受け入れ、身につけ、誰からも好かれた。素直という言葉は、最も分かりやすい「子供の理想像」として共有されていた。
素直でない子は、我がままであり、自分勝手で自分中心で、多くの友達から嫌われていた。そういう子供社会の規範が暗黙の内に共有されていたので、学級崩壊、学校崩壊などとは縁遠いまとまりと落ちつきと、仲良しの和があった。学校を休む、不登校の子供などは全く見られなかったし、けんかは稀にはあったが苛めというような事件もほとんど聞いたことがなかった。
それらは、親を悲しませ、困らせ、心配させることになるということを、どの子供も分かっていたのだと思う。善悪、良否の庶民道徳、世の通念が共有されていた。
国民の日常生活は、戦時下は非常時であり、非常事態が日常であったにもかかわらず、「欲しがりません。勝つまでは」「贅沢は敵だ」「立派な大人になって、世の為、国の為に尽くすのだ」というような一つの誇りが、子供心ながらにあったように思われる。
今は「こどもまんなか」と言われ、「こども・若者が権利の主体」「こどもの最善の利益」などと言われているのだが、そして、平和で、自由で、これまでにない豊かな時代と言われる時代にあって、果たして子供は幸せなのだろうか。どうも、そうは思えない。「孝」を忘れた家庭や社会は、不平や、不満や、迷いや悩みの中にあるのではないだろうか。

3、思うようにならないのが人生
子供が生まれてきた時には、すでにこの世、この世界、この社会が存在していたのだ。後で生まれてきた者が、既にでき上がっていた世の中に対して「思うようになる」などということはあり得ない。釈迦は、この世を「苦の世界」と把握した。四苦八苦は仏教思想の前提的認識であり、そういう現実社会を楽しく、有難く、価値ある生き方にしていくにはどうしたらよいか、と説いた。悟りや、解脱、涅槃の境地を説く。
素直という教えは、「思うようにならないこの世」を前提として、幸せに生きる一つの大切な智恵である。思うようにはならないのだから、耐えたり、努力したり、時にはあきらめたり、そうなのだと悟ったりすることによって、幸せを具現、体現することができたのである。
苦の中にあって幸せに生きるには、正直、誠実、勤勉、努力、反省、感謝、協力、親切、思いやり、利他、無欲というような、道徳心が必要になるのである。敗戦前の教育はそういうことを教えてくれたのだと思う。そういう認識や心構えを共有することによって、「思うようにはならないこの世の中」にあって、助け合い、話し合い、力を合わせ、心を合わせて「可能の範囲」でお互いに幸せに暮らしてきたのだ。
だから、自分勝手や我がままや、乱暴や狼藉、盗みや嘘つき、苛めや争いは許されなかった。自分さえよければという利己主義、エゴイストは最も軽蔑すべき考え方であった。人の道に外れた生き方だとされた。
人々には「世の為、人の為に」、「自己抑制」や「我慢」をする「慎み」があったのだ。敗戦前の教育は、ざっくり言えばそういう考え方でなされていた。
「国の為に命を捧げる」という考えも、素直に受け入れられていたのであった。
4、敗戦による日本の変容、変質
敗戦前の教育は、国家繁栄、国力増強の為に、国民である個人は全面協力体制で臨まねばならないのだ、という考え方だった。
そういう考え方であったから「挙国一致」「滅私奉公」が美徳として共有されていたし、日本国軍は比類なく強かったのだ。
連合国軍の敗戦国日本に対する占領政策の「根本、本質、原点」は、今や公然と開示されているが、それは「日本国が二度と再び、世界の脅威となるようなことのないように、骨抜きの国民にすること」であった。だが、そんなことを「公然と」口にしたならば占領政策は順調には進まないことは自明である。
そこで、連合国軍(主としては米国だが)は「民主化」という言葉で占領政策を進めることにしたのだが、これは、実に巧妙かつ慎重、かつ大胆、強力に進められ、日本人は、見事に変容させられ、洗脳され、大和魂を溶解されてしまった。占領政策は、大成功に終わった、と言いたいところだが、実は今も終わっていない、という見方もある。実は、私もその一人である。
思いつくままにどう変わったか、列挙してみよう。大方の御批判を得たい。
ア、国家よりも、個人が第一である。
イ、公よりも、私が大事だ。
ウ、義務よりも、権利の方が尊い。
(人権尊重に対する人義務の語なし)
エ、団結心よりも個々の考えを尊重
オ、伝統、通念を軽んじそれらの破壊が進行
カ、平等、対等の過剰による無秩序
キ、自由の過剰普及、拡散
ク、畏敬、感謝の衰退と対等、主張が横行
ケ、国家、国民としての原点、誇りの消失
コ、重厚、深遠から軽薄、浅薄へ
サ、金銭、物質重視、精神と熟慮の忌避
シ、深謀遠慮から当面の対処、対応へ
これらは、100%そうだというのではない。大まかに見てそういうことが言えるという程度ではあるが、大きな世の中のうねりとしては妥当であろう。一言で言えば、わいわい、わいわいと勝手なことを言い合ってまとまりがつかない国になってしまったということになろうか。だが、事は重大だ。
アメリカの占領政策は「大成功に終わった」と書いたが、換言すれば、大日本帝国という一等国の美徳や誇りは、根こそぎ溶解されてしまったということになる。これは、アメリカという国から見れば、帝国時代の日本が羨ましくて堪らなかった、ということにもなる。とりわけ日本人、大和民族の、団結力、誠実さ、価値観、国家観の見事さを「二度と立ち上がれないように」、まさに「根こそぎ」変質させねば止まないという強烈な決意がその根底にあったのではないか。それほどに日本民族を恐れていたとも言える。
東京裁判史観という言葉があるが、東京裁判は勝者が敗者を裁いたもので、これによって日本人は「敗戦に至る悪」を認め、「全ては日本が悪かった」という裁きを受け入れることになったのだ。曽つての一等国の誇りと美徳は、この時から音を立てて崩れていくことになる。「民主化」という美しい言葉によって、「新しい国家」になるのだという希望を胸に、である。
上掲の、アからシに至る私の個人的な列挙事項が示す現在の日本人の姿は、歪曲された野口の妄想なのだろうか。是非、編集部に御批判や感想を届けて欲しい。
5、戦後80年の日本の教育の評価
正直な、卒寿の老爺の胸中は、敗戦後の日本の教育は、残念ながら成功しているとは思えない。このままでは、日本の国力は衰退していくのではないか。これは、昔から言われている「老いの繰り言」に過ぎないのだろうか。
野上弥生子訳の『ギリシャ神話』を読んでいてびっくりしたことがある。その中に「その青年は、今どきの若者と違って誠実な人物で……」という件(くだり)があったのだ。ギリシャ神話の時代から、老人から見ると若者は頼りなく見えたのか、と驚いたのだ。これから書いていこうと考えている「敗戦前の教育を振り返る」という内容が、「老いの繰り言」にならぬよう自戒しつつ筆を進めたい。
卒寿の私は、日本の歴史のどん底の「敗戦下」を子供ながらに知っている。東京大空襲、広島、長崎の原爆投下、焼野原、学童疎開、餓死者、浮浪児、超満員の汽車やバス、食糧の買い出し、闇市、特攻隊、玉砕、引揚者、農地解放、焼け出され等々、もはや日本人の大多数、殆どが知らない悲惨と貧困、不安と物騒の時代、世相、生活苦を生きてきた。だから、現在の日本人の生活は、毎日がお正月やお祭りのように楽しく、豊かで、便利なユートピア、楽園のように映る。
ここまでの80年の間に、復興、繁栄を具現に導いた日本人の知性と体力、努力は凄い! と思う。日本民族はやはり大したものだ! それも一重に、広く言えば「教育の成果だ」と言えば言えないことはなかろうけれど、胸を張ってそう言えるのだろうか。
アジア諸国の中で、ノーベル賞の受賞やスポーツ、芸能、芸術界での活躍は断トツ一位である。 反面、犯罪、非行、苛め、不登校など、「心の教育」は問題山積である。 (以下次稿)

イラスト/すがわらけいこ 写真/櫻井智雄
