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福島の15年間を学ぶことは、私たちの未来を考えることと直結 田村学文部科学省主任視学官が主催者に訊く!「プログラムの意義と見どころ」日本生活科・総合学習教育学会全国大会in福島県

文部科学省主任視学官

田村 学
田村学文部科学省主任視学官が主催者に訊く!「プログラムの意義と見どころ」日本生活科・総合学習教育学会全国大会in福島県 バナー

今年6月26〜28日の3日間、日本生活科・総合学習教育学会の全国大会「福島から子ども観、教師の在り方を問い直す」が福島県で開催されます。文部科学省の田村学主任視学官は、「この大会は、今後の日本の学校教育を考える上で重要」と力説。そこで田村先生の司会で、大会事務局長である福島大学の宗形潤子教授と学会福島県支部会長で大会初日の中心となる双葉郡プログラム運営部部長である、いわき総合高等学校の南郷市兵校長(県立ふたば未来学園他の創設に尽力)に、この大会の意義や見どころなどについてお話しいただきます。 

文部科学省・田村学主任視学官
福島大学・宗形潤子教授
いわき総合高等学校・南郷市兵校長

大会の2次案内は以下URLよりご覧ください。
https://seikatsu-sougou.org/wp-content/uploads/35fukusima20260401.pdf

教育復興の核としての生活科・総合学習

田村 今回の全国大会は、福島の地で震災から15年という節目に行われるわけで、まずはその意味、意義についてお聞かせください。 

宗形 福島は震災の際、全国の本当に多くの方から子供たちや私たち教師にご支援をいただきました。しかし、この間に子供の学びの姿や教師の取組を伝え切れていなかった現実があり、この機会にそれを伝えることができるのは非常に意義深いことだと思っています。 

南郷 福島において、学校存在の前提が全て奪われたのは福島第一原発周辺の双葉郡です。避難を強いられた中で教師が直面したのは、教科の知識や技能だけでは子供たちの明るい未来が切り開かれる確信がもてないことでした。大人も未来に対する唯一絶対の正解が見えない中、自ら探究して答えを創り出す力の必要性を感じ、その力を子供たちに育むために試行錯誤してきたのが、この15年間の福島の歩みです。 

この間、結果的に教育復興の核として据えられたのが、生活科・総合学習です。特に双葉郡の人間にとっては、探究を中心に学びを展開しなければ、子供の未来も町の未来も切り開けないという必然性のある取組なのです。 

田村 福島には、日本の未来に予測されること(人口減少や自治体存続の危機)が、震災によって短時間で降りかかってきました。ですから、福島の15年間を学ぶことは、私たちの未来を考えることと直結することだと思います。この間の学びで、とりわけ生活科・総合学習が中心となる必然性はどこにあるとお考えですか? 

南郷 子供たちの世代も移り変わる中、ずっと変わらないのは、子供たちが自分の人生をかけて解決したい課題がふるさとの復興であり、生きていく動機そのものが実社会の課題解決だということです。子供たちがそういう動機や課題意識をもつ中でなすべき教育は、必然的に社会に開かれた教育課程であり、探究となりました。 

田村 総合学習の目標には、「自己の生き方を考え」とありますが、置かれた状況の中でそこに向かっていくのが学びの本質なのですね。 

宗形 子供が自然や人と触れ合えなくなるのを、当時、私も担任として実感しました。その中で、福島の教師は子供の未来のためにやっていくべきことは何か、原点に立ち返って考えてきたのです。特に生活科や総合学習では「人、もの、こと」との出会いが制限され、影響も大きかったのですが、その中でできないことを挙げるのではなく、できることを考えて取り組んできましたし、それは教師間で世代を超えて今も引き継がれているのを感じています。 

勉強会「ふくしま探究共創ラボ」
この大会開催に向けては、昨年度から「ふくしま探究共創ラボ」という勉強会も行われてきた。

「当たり前の1年生の姿」とは違う子供たち

田村 実際に大会で授業公開される方の中には、当時、子供の立場で震災を体験された方もいると聞きましたが、体験したからこそ教育にかける思いに違いがあるのでしょうか? 

南郷 私がいた大熊町の授業者の中にも、当時は小学生で教師になった者もいます。その中で2年目の教師が、「2度と原発事故を繰り返さない社会を創らなければ」と言い、これからの社会像や教師の役割を熱く語っていたのが印象的でした。もちろん、当時、大人だった教師の中にも同じ思いがあります。 

田村 教師の立場でも、子供の立場でも、共に考えてきたことは、これからの社会をどう創り、どう担うかということだったのですね。その意味で、この震災の経験から教師が得たものも大きいでしょう。 

宗形 子供が学校で学ぶということは何かと問うたのは大きなことでした。私が震災直後に担任していた1年生は、「当たり前の1年生の姿」とは違う、物静かで大人の言うことを黙って聞くような姿が多くの場面で見られました。その後、活動の場や方法を改善する中で子供がやりたいことに熱中し、次第に解放されていくのを感じたのです。子供が自然体験をしたり、自分で決めて何かをしたりすることは、子供が自らを育てていく上で重要なことだと実感しました。 

南郷 災害があると、子供は大人の大変な状況を察し、自分を封じ込め、健全な発達体験や試行錯誤を通した成長を封じ込め、子供らしくいられなくなります。だからこそ子供の中にある子供らしさや、よりよい未来を創り出す力を最大限伸ばしていく取組をしてきたつもりですが、この機会に私たち自身もその思いが風化していないか改めて問い直したいと思います。 

宗形 今回の大会テーマは、「子供をどう捉えるか」ということを軸にしたのものですが、それは震災直後から子供の姿を見とる中で教師が考え続けてきたことです。子供には自分で自分の人生を切り開く力があると自覚した上で、教師は寄り添ったり、関わったりできているかという、教育の原点を問うテーマなのです。 

未来の学校教育とも重なる学びの場

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