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【シリーズ】高田保則 先生presents 通級指導教室の凸凹な日々。♯25 熱心な教員が陥る教室マルトリートメントの背景

連載
通級指導教室の凸凹な日々。 presented by 高田保則先生
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元・北海道公立小学校教諭

高田保則
連載「通級指導教室の凸凹な日々。」バナー

長年にわたり多様な子どもたちと真摯に向き合ってきた元通級指導教室担当・高田保則先生が、その実践の蓄積を基に、現在の教育の課題について考察、提案していく連載です。

執筆/「学び方相談室」代表(元北海道公立小学校通級指導教室担当)・高田保則

はじめに

北海道オホーツク地方の小学校で、通級指導教室を担当していた高田保則(たかだやすのり)です。日々、子どもたちと向き合う中で感じたことや考えたことを綴っています。ここに記す事例は、これまでに出会った子どもたちのエピソードを組み合わせて作った架空のお話ですが、実際に過ごした時間の空気感を込めています。

通級指導教室で携わる子どもの所属学級での様子については、常に情報収集を続けてきました。子どもの困りの背景要因に、クラス環境が密接に関係するケースが多々あるからです。

特別支援学校教諭で地域支援コーディネーターとして数々のケースを見てきた川上康則氏は、教員による子どもへの不適切な指導を「教室マルトリートメント」という造語で表現しました。出版した書籍は、大きな話題を呼びました。

この「マルトリートメント(不適切な養育/関わり)」という用語は、単なる教育現場の言葉ではありません。世界保健機関(WHO)が採択した国際疾病分類第11回改訂版(ICD-11)において、第23章「傷病又は死亡の外因」の一項目として正式に規定されている、医学的・統計的にも認められた健康阻害要因なのです。

今回は、熱心な先生が陥る危険のある「教室マルトリートメント」について、その裏側に潜む背景要因について、事例を通して考えてみたいと思います。

不登校になった卒業生のDさん

中学校に進学したDさんが、不登校になったという噂を耳にしました。おとなしい性格で、イラストを描くのが大好きな子でした。将来はプロのイラストレーターを目指していました。真面目に学習に取り組み、成績も優秀でした。

Dさんとは、別の子の支援ケースで、協力者として関わってもらいました。そのことが縁で、保護者とも繋がっていました。

ほどなくして、Dさんの保護者から電話がありました。

「一度、Dの話を聞いていただきたいのです」

そう話す保護者の様子にただならぬ気配を感じました。

翌日、Dさんが保護者に連れられて、通級指導教室を訪れました。無口なDさんは、なかなか口を開きませんでした。そんなDさんの様子を保護者が涙目で見つめていました。

その当時の私は、校内支援コーディネーターとしては、まだ駆け出しで、対話の技術も未熟でした。そこで、元担任のE教諭に応援を要請しました。E教諭は、自らも不登校になった経験がありました。
「自分のような目に子どもたちを合わせたくない」そういう志で教員になりました。対話が上手で、子どもの話を引き出すのに長けていたのです。

Dさんとの面談はE教諭にお任せして、私は記録と状況分析に徹しました。

連帯責任宿題

Dさんがとつとつと語る不登校の真相は、私たちにとって衝撃的なものでした。

Dさんが進学した中学校は、学力向上のモデル校の指定を受けていました。授業では、前日に出した宿題の定着を問う質問がされました。答えられない生徒は、罰として新たな宿題が課せられました。しかも、連帯責任として、その列の生徒全員が宿題を課せられたのです。

授業を担当する教員は、それを「連帯責任宿題」と呼んでいました。

ある日の授業で、Dさんの列が当てられました。口下手なDさんは、本当は答えられたのに口ごもってしまったのです。

「はい、連帯責任宿題でーす!」

自分のせいで、クラスメイトに迷惑をかけたことが申し訳なくて、Dさんは翌日から不登校になりました。

イラスト1 連帯責任という名の重圧
連帯責任という名の重圧  by高田保則 (生成AIを使用して作成)

3.学校としての対応

私は面談記録を携えて学校長に報告しました。学校長はこの事態を重く受け止め、「卒業生の安心を守るために、必要な措置を講じるように」と、通級指導教室としての外部機関との連携を全面的に支持していただきました。

次に、中学校の授業者へ真偽を確認しました。すると、当初は「善処します」という事務的な対応に留まりました。現場の認識と、子どもが受けている苦痛との間には、深い溝があることを痛感しました。

4.組織を活用した事態の是正

事態の改善を図るため、この中学校にスクールカウンセラーとして派遣されているFさんに相談しました。Fさんは、この中学校の情報共有の不足をずっと感じておられました。「職員間の連携不足」という組織的な課題を指摘し、この件を教育委員会に報告しました。

ほどなく、中学校側から、私のもとに連絡がありました。該当の教員が教育委員会より指導を受けたこと。そして今後は組織として指導方針を改善する旨の報告を受けました。該当の教員は自らの指導を深く省みている様子でした。「どうも……すみませんでした」。そう私に謝りました。私は「謝罪の対象は私ではなく、心に傷を負ったDさんとその保護者です」と、支援の原則を伝えるに留めました。

そして、事の顛末を学校長に報告しました。

「そうですか。これで、Dさんが気持ち良く登校できるようになるいいのですが・・・」。

学校長は、Dさんの心のケアを心配されていました。

5.マルトリートメントを生む土壌をどう変えるか

学校長の懸念は、現実になりました。Dさんが受けた心の傷は深く、不登校は続きました。その後、中学校を卒業したDさんは、通信制の高校に進学したと聞きました。

この中学校で行われていた子どもの人権を軽視した「連帯責任宿題」は、該当の教員だけが実践していたものではありませんでした。複数の教員が関与し、組織的に行われていたことが明らかになりました。

学力向上のモデル校指定を受け、功を焦るあまりに、不適切な指導に陥ってしまっていることに、誰も気付けなかったのです。この指導が「実績作り」という大義名分の善意に隠蔽されていたことこそが、最も根深い背景です。「連帯責任宿題」の気持ち悪さに気付いていた教員はいたのかもしれません。でも、それを黙認、傍観していたのなら、子どもたちは救えません。
この中学校に勤務しいていた教員に贖罪の気持ちがあるのなら、Dさんが受けた心の痛みを背負い続けて教員の仕事に向き合ってほしいと願います。

6.善意のマルトリートメントは学校の端々にある

先に紹介したエピソードは、教育委員会から指導を受けた極端なケースでした。

一方、そこまで行かずとも、不適切な指導が行われている光景は、どこの学校にも存在しているかもしれません。

次は小学校のケースです。

G先生は、「指導が難しい子がいる」と引継ぎを受けたクラスを担任することになりました。授業中に立ち歩いたり、教室を抜けたりする子がいました。そこでG先生は、集団での学習習慣の定着を目指しました。心がけたのは、丁寧で徹底した一斉指導でした。

G先生は、丁寧な説明と指示を一貫して行う指導に取り組みました。例えば算数の授業では、問題の解き方をクラス全員で一緒に考えました。子どもが練習問題を解く時には、1問ずつ短く時間を区切り、全員で解答の仕方を考えました。

G先生のクラスからは、数名の子が私の通級指導教室に通っていました。やがて、子どもたちから、G先生の指導に対する不満が漏れるようになりました。

「自分の好きなようにやらせてくれないんだよね」

「問題を解くのも、みんなで一緒にやるんだよ」

「自分で考える時間がないよ」

私は、子どもの前では絶対に同僚の批判につながる発言はしないよう心がけてきました。子どもが愚痴を呟いた時も、「G先生には、みんなにちゃんと勉強してほしいんだよ」と言って、その場を収めました。しかし、心の中では懸念を感じていました。

クラスの様子を観察するため、授業を見せていただきました。すると放課後G先生に声をかけられました。

「今は授業に集中したいので、特に用事がなければ参観を控えていただきたいのです」

「そうですか、気をつけます」

通級指導教室の担当者は、学級担任との良好な関係を維持しなければ、指導が成り立ちません。私がG先生のクラスを参観する機会は、しばらくなくなりました。

次にG先生のクラスへうかがったのは、単元テストの答案が返却される日でした。
単元テストの点数は、惨憺(さんたん)たるものでした。去年は満点を取っていた子の何人かが、誤答をしていました。テストを返却したG先生は、テスト直しも一斉指導で行いました。教室では子どもたちが背を丸め、中には机に突っ伏して泣き出す子もいました。

その様子を見たG先生は、言いました。

「わからなくて、悔しいよね。先生も悔しいです。次はみんなで本気になって頑張りましょう」

子どもたちに精神論で発破をかけたのです。

しかし、クラスの実態はG先生の解釈とは、違うものでした。私は机間指導をして、泣いている子に声をかけました。去年まで、満点を取っていた子です。

「凡ミスしたのが悔しいの?」

そう静かに尋ねると、その子は深く頷きました。この子が抱いていたのは「解けない悔しさ」ではなく、「解けるはずの問題を誤答した不全感」でした。

凡ミスの背景には、一斉指導と教え込みに偏るあまり、子どもたちが自力で課題を解決する「練習時間」を確保できなかったことがありました。徹底したインプットの陰で、アウトプットのトレーニングが圧倒的に不足していたのです。
さらに、テスト直しまでを一斉指導で済ませてしまうことは、子どもから「なぜ間違えたのか」を自省し、修正する貴重な機会を奪う行為に他なりませんでした。

イラスト2 届かない精神論と子どもの涙 
届かない精神論と子ども  by高田保則 (生成AIを使用して作成)

6.私たちにできる「最初の一歩」

このような事例を前にすると、「自分にはどうすることもできない」と感じるかもしれません。
私自身、同僚から「参観を控えてほしい」と拒絶されたときには、何も言えずに引き下がるしかありませんでした。目の前の違和感に対し、直接声を上げることは、組織の中にいる人間にとって決して容易なことではありません。

実を言えば、かつての私自身も、子どもたちが自分の指示に従わなくなることを何より恐れる「パワープレイヤー」を目指していた時期がありました。当時は「教師とは教える存在(主導権を握るべき存在)である」という自負が強く、自分の不安を「支配」によって覆い隠そうとしていたのです。今振り返れば、それは子どもを心の底から信頼できていなかった証でした。そして、当時の私の「子どもを思い通りに動かそうとする指導」に対して、やんわりと指摘してきた人たちに対して、私は嫌悪感を抱いていたのを思い出します。

不適切な指導を指摘する者に対する厳しい視線の裏側には、実は「子どもが思い通りに動かなくなることへの恐怖心」が潜んでいるのかもしれない――。そう気づいたとき、強権的な指導を行う教員たちの葛藤も、決して他人事ではないと感じるようになりました。

前述した中学校の事例で事態が好転したのは、私が一人で戦ったからではありません。

①話を聞き、記録に残す
②記録をもとに信頼できる専門家(スクールカウンセラー)や校長に相談する

この二点に尽きます。

自分一人で正そうと気負う必要はありません。

  • 「何かおかしい」という自分の違和感を否定しない
  • 子どものつぶやきや事実を、ありのままにメモしておく
  • それを、スクールカウンセラーや養護教諭、管理職など、自分が話しやすい誰かに共有する

こうした小さな「情報のバトン」を繋ぐことこそが、組織を動かし、結果として子どもを守るための現実的で最も強力な手段となるのです。

7.結びに代えて:善意を免罪符にしないために

G先生は、一人も取りこぼすまいと「極めて丁寧な指導」を心がけたのでしょう。しかし、その善意による過干渉が、結果として学習内容の定着を阻み、子どもの学習意欲までも削いでしまいました。これこそが、「善意のマルトリートメント(不適切な関わり)」の実態です。

冒頭で紹介したICD-11では、従来の「虐待症候群」に対する考え方が修正され、マルトリートメントが身体的・精神的健康に深刻な影響を及ぼす「外部要因」として体系化されています。良かれと思ってなされる指導であっても、国際的な基準に照らせば、子どもの心身を傷つける外因になり得るという事実に、私たちは謙虚であるべきです。

こうした光景を目の当たりにした他の職員が、この「良かれと思ってなされる指導」に潜む危険性をどこまで認識できているのか。「善意」を免罪符にして、目の前の子どもの痛みを無視してはいないか。今、教育の質の真価が問われています。

教室マルトリートメントは、今日もどこかで行われています。その背景にある組織的な歪みや認識のズレを察知し、より良い指導を一緒に考える姿勢が、学校現場に問われているのです。  

イラスト3 善意の仮面と組織の影
善意の仮面と組織の影  by高田保則 (生成AIを使用して作成)
高田保則先生写真

高田保則先生プロフィール
たかだ・やすのり。1964年北海道紋別市生まれ。元オホーツク地域の公立小学校教諭。公認心理師、特別支援教育士。趣味はバンド演奏。現在は「学び方相談室」https://shy-yoron-3352.catfood.jp/代表として活動中。

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