やはり研究授業などを通して他者に見てもらうことも必要【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第7回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」
やはり研究授業などを通して他者に見てもらうことも必要【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第7回】

今回からは、新潟市のマイスター(小学校・社会科)であった新潟市立小学校の佐藤昌寿教頭が、どんな経験を経て社会科の教師を志し、学生時代、若手教諭時代と何を学び、何を得てきたのかを紹介していきます。

佐藤昌寿先生

徹底して追究する方法を、大学生・大学院生時代に身に付けてきた

私は教育学部の歴史科出身で、大学から直接大学院の修士課程へ進み、その後、採用試験を受けて小学校の教員になりました。中学校や高校の社会科の教員になることも考えてはいましたが、社会科を好きになったきっかけが小学校だったこともあり、小学校の教員を選んだのです。

ちなみに、社会科の道に進んだきっかけは、東京に住んでいた小学校時代の楽しい経験だったと思います。当時は、まだ1年生から社会科があったのですが、例えば、玉川上水について勉強をするようなことがとても楽しかったのです。授業の詳細までは覚えていませんが、社会科は答えがなかなか出ないこともあり、すごく追究したくなる楽しさを感じていたと記憶しています。

後に学生になってからは、社会科はこれからの社会の形成者である市民を育てていく上で、物事を多面的・多角的に見ていくことがとても大事だと思うようになりました。それは自分の子供時代に答えがなかなか出ないことに対し、いろいろと考えて追究していく楽しさがあったからだろうと思いますし、自分も教師になって、子供たちが追究したくなるような授業をしてみたいなと思ったのです。私自身、社会科が好きでしたから結果として、社会科という教科が得意になっていくのですが、単純に多くの知識をもっているという意味の得意ではなく、社会科で「調べて考えることがおもしろい」と思っていたのです。答えの見えない問題を追究して解決していくおもしろさを感じていて好きだったわけですね。

マイスター時代の佐藤教頭先生の授業の様子。子供が教材に食いつき始めた瞬間に、佐藤教頭先生も思わず楽しそうな顔をしている。
マイスター時代の佐藤教頭先生の授業の様子。子供が教材に食いつき始めた瞬間に、佐藤教頭先生も思わず楽しそうな顔をしている。

社会科という教科は授業づくりをしていく上で、教材研究がすごく大事だと思いますが、そのときに大学時代に歴史科で担当の教授から、「何かを調べたりする時には、こういう考え方をして、こういうプロセスを踏むんだ」と教えてもらったことが、すごく役立っているなと思います。多様な関連文献を当たって調べたりとか、実際に現場に行って調べたりして、そこで分かったことを並べ、そこから組み立ててみて、もし腑に落ちなかったり、納得できなかったりする部分があれば、さらに調べていくわけです。そのように徹底して追究する方法を、大学生・大学院生時代に論文を書く過程で身に付けてきていたわけです。ただ、若い頃には徹底しすぎてしまい、例えば選果場にインタビュー取材に何度も足を運び、「また来るんですか? こちらも仕事があるんで、これくらいで勘弁してください」と言われてしまうこともありましたが(笑)。

今、若い先生方と話をしていると、「先生、これはどう調べればいいんですか?」とか「教材研究はどうすればいいんですか?」と聞かれることがあります。そこで、よくよく話を聞いてみると、その若い先生方も大学時代にみんな卒業論文を書いているわけです。その時に、関連文献を調べたり実際に現場に足を運んで調べたりしたはずでしょう。ところが、どうもその方法と教材研究は別のものだと切り離して考えてしまっているようなのです。しかし、 何かを調べて卒論にまとめ上げていくのも、教材にまとめ上げていくのも基本的な方法には大きな差はないんですよね。大学時代に身に付けた研究の仕方を汎用的に考えて、教材研究をすればよいだけなのですが、どうもそのようにつながっていかないようなのです。

時代の違いもあるかもしれませんが、「じゃあ、これを調べてごらん」と言うと、ネットで調べて終わり、という感じの若手も少なくないですね。例えば、地域教材について研究するなら、私はまず新潟市史とか新潟県史に当たったりしますが、「えっ、そんなものまで調べるんですか」と言われることもあります。もちろん、調べようと思えばもっと多様な資料もありますし、必要に応じてもっと多様な資料に当たり、現場にも足を運びますが、実際の授業では教材研究で調べたことの一部しか使わないわけです。それでも、そこで出合った資料が子供の学びをグッと深めますし、使わなかった資料が違う場面で教材として使えることもありますから、労を惜しまずに調べてみることが大事だと思います。

自ら手を挙げて研究授業を積極的に行う

私は若手時代に、そうやって大学で学んだ方法を基盤にしながら自分なりに教材研究を進めていったわけですが、やはり、「一人よがりになってはダメだ」という思いがありましたし、いろんな方から授業改善の声をいただきたいと考えました。そこで、とにかく機会があれば、自ら手を挙げて研究授業を積極的に行っていましたね。年1回は校内研修で授業をするわけですが、それ以外に指導主事訪問の代表授業に手を挙げたりしましたし、小中連携の研究授業に手を挙げたり、もちろん新潟市小学校教育研究会の社会科部会の研究授業にも手を挙げました。そんな感じで、必ず年に複数回は研究授業をやっていました。その時に指導者の先生から、「まだこんなことが足らないよ」とか、「これを調べてごらん」とか、「ここへ行ってみてごらん」と教えていただいたことは、とても学びになったと思っています。

そうした研究授業は専門の社会科に限りません。校内研修の際には、校内の研究教科に沿って国語科や算数科をやることもありました。そうやって多様な教科で研究授業をやってみると、「これは社会科と同じだな。教科を超えて共通する部分だな」と思うところもあれば、「社会科にはない、こういうアプローチの仕方もあるのか。もう少しこう考えなきゃいけなかったな」と、学ぶこともありました。それに、研究授業をやるために指導案を書く回数も増えていきますし、それによって頭を整理することができ、その研究授業以外の授業づくりについても学ぶことができたと思います。

加えて私自身、幼少期に「授業が楽しい」という思いがあって社会科を専門とする教員になったとお話ししたように、授業をやっていて子供たちが食いついてくると、すごく楽しくなるのです。研究授業は、そんなふうになる仕掛けをじっくり考える機会ももてるし、そこで考えたことが日常の授業にも生かされるようになっていきます。ですから、若手の頃から研究授業をやることはとても楽しいと感じていたのです。

ただ、授業が楽しいがゆえに若い頃には、「しゃべりすぎだ」と言われたこともありました。授業のために本当に多様な教材研究をしているわけですが、授業中に楽しくなってきてそれをどんどん話してしまうのです。それを指摘され、ある時、「自分がどれだけしゃべっているか、一度文字に起こしてみなさい」と言われました。そこで実際に文字に起こしてみると、子供がしゃべっているよりもはるかに多く自分がしゃべっているわけです。若手の頃から同様の指摘を受けたことはあったのですが、初めて文字に起こして可視化されたことで、「ああ、これは変えなければダメだ」と強く思いました。それが、ちょうど30代の頃だったと思います。

その頃、別の先生からも、「子供が話したかったのに言ってしまったよね」と指摘されたこともありました。自分が授業をしているのだけれど、学習の主体は子供たちです。その子供たちの学びの様子が見えていなかったのだろうと思います。自分自身が楽しくなってしまって、子供を忘れてついつい話しすぎていたのでしょう。その時に、子供がしっかり見えていて、「ああ、今、このことを考えているな」と分かれば、しっかり間を与えて待てたはずです。それが足りなかったわけですね。

そこから、「どうしたら、子供たちが自分の言葉で話せるようになるかな」と考えました。そして、例えば発問をしたらまず待つとか、子供から意見が出てきたらそれに対して自分が話すのではなく、「今、〇〇さんが言ったことをどう思う?」と他の子供に振って子供同士をつなぐなど、指導者の先生に教えてもらいながら、試していきました。

それまで教育関係の雑誌や本をいろいろ読んでいて、この時に指摘されたことも頭の中では分かっているつもりだったのです。しかし、実際の自分の授業に生きていなかったところがあり、改めて「ああ、これってこういうことだったんだな」と、やっと理論と実践がつながり始めました。子供の学びもそうですが、やはりインプットだけではダメで、アウトプットしながら修正していくことが必要です。さらに、子供という相手もあることですし、自分の信念で一人よがりになってはダメで、やはり研究授業などを通して他者に見てもらうことも必要だと改めて感じました。

                     ※

次回は、佐藤先生が授業づくりをさらに改善していった方法や、学級づくりに対する考え方と、その考え方をもつようになった、ある経験についてお話をしていきます。

【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、4月27日公開予定です。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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