憧れをもつことと謙虚であることを大事にしてほしい【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第45回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」
授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第45回

青森県の浅田鶴予先生のお話の最終回は、現在、若手に指導する機会の多い立場から今、若手の先生方に伝えていきたいことを中心にご紹介していきます。

浅田鶴予教諭
青森県公立小学校の浅田鶴予教諭。

「自分も勉強し続けなければいけないのだろうな」

私は若手の頃に多様な研修を受けたとお話ししましたが、その中の一つが、今はなくなった若手教員海外派遣制度によって、ニュージーランドに行ったことです。その研修でニュージーランドへ行って感じたことの一つは、日本の教科教育は系統性がしっかりしていることや子供たち、そして私たち教師を取り巻く教育環境がとても恵まれているということでした。そしてもう一つは、人はいくつになっても学び直すことができるということだったのです。

それは、附属小学校に赴任する前の13年目のことだったのですが、研修決定の知らせを受け、夏休み頃に筑波の研修センターで事前研修を受けて、10月から12月頃まで2か月ほど、ニュージーランドの教育現場に行きました。そのうち1か月くらい教職員の家にステイして通った学校は、ニュージーランドの最北端に近い小さな町にありました。当時の研修のオーガナイザーから、「鶴予は日本のfar north(国の端の地域)出身だから、ニュージーランドでもfar northに行きなさい」と言われ、北側の田舎町に行くことになったのです。当時のその学校には教科書がなく、教材もあまり整備されていなかったため、先生が学習指導要領に類するものを見て、自分たちで教材と教育プランをつくっていました。

それに比べると当時の日本には、(現在ほどではないにせよ)パソコンもあるし、系統立てて整理された教科書もあるし、教材は注文すればすぐに手に入るし、子供たちは小学校入学時にはある程度は字も読めるようになっているわけです。それに比べて、その町は識字率も低い地域で、恵まれない家庭の子供もいて、先生が子供を自宅に連れてきてお風呂に入れることもありました。そこで子供たちに合わせて学びをつくる先生の姿から、子供の実態に合った問題に取り組ませることや、自分で教材を作る大切さを改めて学びました。

ニュージーランドで行った授業の板書と指導計画
浅田先生がニュージーランドで行った、授業の板書と指導計画。

地域の大人も一人一人実態が多様で、例えば40歳くらいで小学校の先生の補助をしている人が、「私は不動産の免許(資格)を取りたくて、今、学校に通っているんだ」と言っていました。当時(まだ20世紀末)は、「第二の人生」とか「生涯教育」の重要性が言われていましたが、いつでも多様に転身できるという雰囲気はまだ薄かったのです。それで、「ああ、ここではいくつになってもやり直しがきくんだ」と感じ、「きっと日本もやがてそうなるんだろうな」「自分も勉強し続けなければいけないのだろうな」と思いました。それは、これからの時代をつくっていく若い先生方にとっては、当然のことなのでしょう。

本質が分からなければ、多様な問題には対応できない

私自身もそのときに「何歳になっても学び直しが必要だ」と強く感じたこともあり、後に中野博之教授のもと(教職大学院ではなく通常の)大学院に入ったときにも、何とかがんばって算数教育と数学を学べたように思います。若い講師の先生は、私が大学の数学科出身ではないので、「試験の代わりにレポート提出で…」と配慮してくださったのですが、何とかがんばって大学生と一緒に数学の講義も受けて学びました。当然、高校の数Ⅰしかやっていない私は、なかなかできずに苦労しましたが同時に、いくら計算方法だけを練習しても、本質が分からなければ、多様な問題には対応できないということを実感しました。それは小学校での算数指導にも関わる重要な実感だったと思います。

修士論文は、前回も触れた中島健三先生の「創造的な学習指導」に教育現場で取り組んだ、「創造的な学習指導を実現する算数指導の実践的研究」です。具体的な実践内容は、5年生の乗法の意味の拡張場面で取り組みました。2年生のかけ算は累加ですから同じ数のたし算なのですが、5年生では×小数が出てくるため、累加ではできず、意味を拡張することが必要になります。ここで累加の見方から割合の見方へと変わるところに取り組んだのです。ちなみに統合的・発展的な見方・考え方は現在の学習指導要領で重要だと言われるところですが、それについてこのときに学ぶことができました。

コロナ禍での算数授業の様子
コロナ禍に入ってからの浅田先生の算数授業の様子。

繰り返しになりますが、高校は文系で、大学で英語を学んだ私が大学院で算数教育と数学を学ぶのには苦労しましたが、だからこそ今の教師としての仕事に生きているところも少なくないと思います。もし私が理系で、大学時代に数学をやって学校の先生になっていたら、きっと算数が苦手な子供たちの気持ちが分からなかっただろうと思います。しかし、数学が分からないまま教員を始め、算数を専門にし、やがて大学院で苦労して学んだからこそ、数学的な見方・考え方を子供たちに通訳する仕事ができるのではないかと思っていますし、苦手な子供が見方・考え方を働かせることができるような教材や場面設定をつくれるのではないかと思います。

それは私に限ったことではなく、誰にでも共通することではないでしょうか。むずかしいことに出合ったときに、「何歳になっても学び直しが必要だ」と思い、真摯に取り組んでみると、きっと道は開けるし、苦労した自分だからこそできるようになっていることに気付くことがあると思います。

常に間違いを認めながら学び、成長し続けることが大切

最後に、若い先生方にぜひ伝えたいのは、憧れをもつことと謙虚であることを大事にしてほしいということです。

まず、憧れられるような友や先輩、師をもつことは、自分の将来の成長モデルをもつことになりますから、先々まで成長していく自分自身のイメージをもつことができます。そうすれば、どこかで満足して止まることなく、成長し続けることができるものです。

加えて、謙虚さがないと、自分の足りないところ、ダメなところを受け入れられません。「負けるが勝ち」と言いますが、自分の負け、自分の間違いを認められる人ほど成長し続けることができるものです。学校でも若手だけが失敗するわけではなく、私のように経験年数が長くベテランといわれる者も今でも失敗をします。そのときに、認められれば、自分の学びの糧にできるものです。

例えば、教育実習の学生に対して示範授業を見せた後、そのときの大学側実習担当であった中野先生は、「協議会の場で指摘するのは大学生ですが、もし浅田先生が『確かに考えなければならない』と思うことを指摘されたら素直に認めてあげてください。逆に『それは違う。曲げられない』と思うことに対しては、根拠を説明して強く主張してください」と言われました。そのように、若手もベテランも常に間違いを認めながら学び、成長し続けることが大切でしょう。そのために、人はいくつになっても謙虚であることが大切なのだと思います。

教育は、すぐに結果が出るものではないので、もし今、うまくいかないことがあっても慌てず、じっくり取り組んでみてください。その過程で、良い友、良い先輩、良い師を見付けることができれば、私自身がそうであったように、きっと先生方の教師人生も豊かで楽しいものになるでしょう。

授業公開を行う浅田先生
算数ではなく、国語で授業公開を行う浅田先生。

【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、2月23日公開予定です。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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