鈴木惠子の「教師として大切にしたいこと」―連載第9回 「授業は子供の素晴らしさに気付く時間です」

連載
鈴木惠子の「教師として大切にしたいこと」

温かい空気の中、生き生きと学ぶ子供たちの姿に魅了され、かつて全国の多くの先生方がその後姿を追いかけた鈴木惠子先生による書き下ろし連載第9回をお届けします。今回は、「子供それぞれの持ち味や能力が最大限引き出される、子供ファーストの授業」の可能性と魅力について考えていきます。

鈴木惠子(すずき・けいこ) 静岡県藤枝市の元公立小学校教諭。教育委員会指導主事、管理主事、小学校校長等を経て退職。好きなものは花と自然。

「子供ファーストの授業」の可能性

第7回、第8回を通して、「話すこと・聴くことの指導は相手意識を育てることだ」とお伝えしました。相手とは、もちろん共に学ぶ仲間のことです。
「話すこと・聴くこと」の質を高めることによって、「子供が、仲間と共に自ら授業を動かしていく」も付いていきます。
いつも教師が真ん中にいなくても……、いちいち教師を介さなくても……、第5回でご紹介した富岡学級のように、自分たちで主体的・協同的に学習を進めていく力です。
一人一人の子供から教師へ向いていたベクトルが、教師ではなく、仲間同士へ向くようになるのです。

でも、そうなると、当然、回り道したり立ち往生したりする場面も自ずと出てきます。
けっして教師が望む結論へ最短距離では辿り着けません。
あっちへ寄り道し、こっちで行き詰まり……。これを無駄だと思って教師が割り込んでしまうと、子供はいつまでたっても教師を頼り、自立できません。主役にはなれません。
ここが我慢のしどころです。(我慢や待ちの姿勢については、第6回をもう一度お読みいただけたら嬉しいです。)

指導案通りに小気味よく進んでいく授業は、きれいに整って、着実に本時の目標へ向かっていく安心感がありますが、「学び」とは本来、ギザギザデコボコとした子供の歩みを大事にする中から生まれてくるものだと思います。
迷路に迷い込みながら、苦しみながら、自力で掴み取った結論だからこそ、納得する、すとんと腑に落ちる、実感する……それこそが本当に「わかった!」ということであり、力が付いたということです。苦しまずに簡単に答えが出るところに、あまり学びはありません。
ですから子供を大いに困らせたいのです。

たとえ沈黙が続いたり、追究の糸が絡まって容易にはほどけそうもない状況に陥ったりしても、教師がすぐに打開しようと、手を貸したり口を出したりせずに、子供たちが困っている姿を楽しみ、見守りましょう。
大人が手を出し口を出し、子供を狭い大人の手のひらの上だけで活動させている間は、大人が用意した着地点以上のものは出てきません。
でも子供の力って、じつはものすごい可能性を秘めているものです。
子供を信じ、できるだけ黒子に徹して子供に任せることによって、大人が思ってもいなかったような柔らかな発想や、突拍子もない着眼点が生まれ、「ああ、そう来たか!」と、子供から目を開かされることが何度もありました。
授業は子供の素晴らしさに気付く時間なのです。

大人から見たら一見無駄がいっぱいの、子供なりの思考経路を通り抜けさせましょう。
混沌の中から、自分たちの力で整理し、打開し、納得し合える答えを見つけ出していく逞しさを育てましょう。
本物の学力や、自信や、学ぶ楽しさは、そういう学びの中で育ちます。

もちろん子供に流されてはいけません。流されないだけの教材研究を深めておかなくてはなりません。この脱線が本質につながるものであるかどうかを見通す力は、教材研究によるしかないのです。
ここぞというところで適切な資料を提示して楔を入れたり、補助発問をして焦点化したり……という支援も、教材研究をしてこそ生まれます。
頭がチンチンするほど悩み、考え、現時点でこれ以上ないという指導案をつくります。
そうして準備された指導案であっても、それはあくまでも机上のもの。
授業は生き物です……生身の子供たちが躍動するものでありたいと思います。
それが保証される授業においてこそ、子供たちは進んで豊かに学び合うようになるのです。

落語界の格言に「芸人に上手い下手はなかりけり。ゆく先々の水に合わねば」というのがあるそうです。
決まった手法にこだわるのではなく、目の前のお客さまの波動を肌で感じながら、その場その場でネタの選択をしていく。初めから「スタンスありき」では、お客さまの感動は決して得られないといいます。
どんなに頑張って、徹夜で考え抜いた指導案さえも潔く捨てて、目の前の子供たちの学びの道筋を信じ、楽しみましょう。
指導案を書くことによって深まった教材理解、本時に付けなければならない力の押さえやとっておきの資料などは、指導案を捨てたからといって無になるものではありません。
それは、本時の授業がぶれないための土台となります。その土台の上で、子供たちを自由に泳がせましょう。
子供ファーストの授業は、カリキュラムをただ消化したり、事前に決めた指導案どおりに強引に引っ張ろうとしたりする授業とは対極にあるものなのです。

そこに先生がいようがいまいが、目の前に、「魅力ある課題」や「挑戦しがいのある目標」さえあれば、自分たちでどんどん学びを展開していける力を付けていきましょう。
目指したいのは、そんな自律的な学びの姿です。

そんな力が育っていれば、先生が出張される時にプリントなど用意していく必要はありません。学習課題を黒板に書いて出かければ、子供たちは自分たちだけで授業をします。
出張から戻った先生の目に、子供たちの学びの軌跡(揉めたり悩んだりした跡)が、拙くとも誇らしげに残された板書が飛び込んでくることでしょう。
自習の時間は、子供ファーストの授業を鍛えるまたとないチャンスです。これを生かさない手はありません。

子供たちによる生き生きとした自習場面のイラスト

総合的な学習の時間の風景も変わってくるでしょう。
お膳立てされた体験や、あらかじめ教師が敷いたレールの上を歩かされるような受け身な時間ではなく、必要な情報を収集選択する中で自ら課題意識を持ち、葛藤し、仲間に影響を与えたり与えられたりしながら自力でそれぞれのレールを敷いていく、子供たちにとって心動かされる時間になるはずです。
学びの先に、新たな自分との出会いや、社会や世界への新たな気付きが待っているはずです。

教師の負担軽減が求められる昨今ですが、先生方が一番苦しいのは、労働時間や事務作業の多さよりも、毎日のように起こる問題への対応の難しさや、それに伴う子供や保護者との人間関係の難しさに疲弊してしまうことではないでしょうか?
子供ファーストの授業を子供たちと共に創り上げていく過程では、子供たちが学習問題に限らず生活上の問題も、主体的に解決しようとする態度や、自他のためにより良い自己決定をしようとする心が育っていきます。
そのことにより、教師が叱ったり指示を出したりする場面がグンと減り、逆にほめる場面が増えていきます。
主体的に授業や学校生活を楽しもうとする子供たちと過ごす時間は、先生方の心をきっと軽やかにしてくれることでしょう。

もちろん、授業の進度は当然気にしなければいけませんから、毎回そんな授業ばかりはできません。「今日は大学授業だ!」とか「今日はメモ力をつける授業だ!」などと宣言して、教師がグイグイ引っ張っていく授業もどんどん行っていいのです。メリハリが重要です。
しかし第8回でお話ししたような能動的な聴き手が育っていれば、たとえ教師が一方的に知識の伝達をするような授業をしたとしても、子供たちは途中で首を傾げたり、ノートを取りながら重要だと思う所に下線を引いたり……一人一人違った、じつに主体的な聴き方をしていることにお気付きになることと思います。

教師が細かく指示を出しすぎ、誘導しすぎるのを止め、子供たちにアクティブ・ラーナーとして、自律的に学ぶ経験をさせることが、今どんなに必要なことか……「学びに向かう力」の育成が切実感を持って叫ばれるのもそのためでしょう。
大事なのは、「教師がどう導くか」「どう教えるか」ではなくどう引き出すか」「子供がどう学ぶかなのです。
教師が子供観、授業観を転換し、勇気と信念をもって子供ファーストの授業を実践すれば、それはそんなに難しいことではありません。
若い、瑞々しい心をもった皆さんなら、明日からでも一歩を踏み出すことが可能です。
ICT教育が進み、特に若い先生方の中には、「子供たちに学習を任せる」授業へと思い切って舵を切る実践も増えてきたとお聞きします。
私の時代にはなかった一人一台端末を、子供ファーストの授業の中で子供たちが自由に使いこなして追究する姿を思い描くと、授業の可能性が無限に広がるのを感じワクワクします。(羨ましい!!)

子供ファーストの授業を志向することは、子供たちが自分の人生を、自分らしく、主体的に生きる資質を育てることにつながります。

「子供ファーストの授業」で際立つ一人一人の存在感

子供ファーストの授業に、決められた形があるわけではありません。
しかし共通して言えるのは、子供ファーストの授業には、子供たちの個性が溢れ、温かさと逞しさが満ちているということです。

富岡学級を思い出してみましょう。
2年生の5月であっても、先生と子供の一問一答ではない、みんなが心を開いて、生きた会話が飛び交う授業が展開されていました。

「両替しなきゃじゃん、でもどうやるのかな? それで私は困っちゃったよ。」

……という子供のつぶやきは、とても素朴な言葉です。
けれども、追究に向かう力の逞しさ、伝えようとする心の素直さが感じられて、愛おしく思います。
富岡学級では子供たちがこんなふうに臆せずに、その子らしさが溢れる言葉を発するので、一人一人の個性や存在感が際立ちます。
教室の隅々まで一人一人が大切にされ、心が開放されていることが、教室のドアを開けた瞬間から伝わってきます。
どの子も心が立ち上がり、自然体で息をし、自由に考え、つぶやき、笑い、悩み、表現し、自らの存在感をのびのびと発揮しているのです。
だから、あの子はきっとひょうきん者だな、あの子は真面目でシャイなんだろうな、あの子はいたずらぼうずかな? などと、一人一人の顔が見えて微笑ましく、見ている方まで心が和みます。
みんなの個性が見えるのに、授業に一体感があります。

「公平さんのも合っているけどね」と一言添えながら、より良い回答をつくっていく子供たちの姿は、2年生の子供なりの友達への心遣いです。
AIにはできない心遣いです。
全く同じ意見が3回も繰り返されても、「同じじゃないか」なんて否定せず、アハハ! と笑って受け入れる担任や教室の大らかな、包容力に満ちた空気の中で、のびのびと自分を表現できる子供たちが育っていきます。

きまりや指示や強制などの外圧によって動く他律的な教育からは、このような子供たちの姿は生まれません。

子供たちを、一人残らず授業の主役にするために、子供それぞれの持ち味や能力が最大限引き出されるよう努めましょう。
1年の中で、その子が伸びる機会やタイミングが必ずあります。
今まで授業がつまらなくて手いたずらばかりだった公平さんが、やる気満々の集団感情に触発されて小さく手を挙げた、その瞬間を逃さず生かそうとする富岡先生のように、一人一人異なる、それぞれのタイミングを見逃さず、さりげなく手助けしてやったり、意図的に活躍の機会をつくってやったりして、子供が変われるように、成長できるように導くことのできる、そんな教師でありたいと思います。
そのタイミングは日々の授業の中にたくさん散らばっていますが、子供を見ずに、指導案や指導書ばかりに気を取られ、ご自分の思い通りに導こうとされる先生には、もしかしたらそれが見えないかもしれません。
見えるか見えないかで、一年後の子供たちの姿が全く違ってきます。
富岡学級が2か月でこんなに変わってくるのですから、1年間の違いは大きいです。

子供は、授業の中に自分の居場所を確認できたとき、自分のもっているものが他者に影響を与えることができたとき、自分が生きた!と感じるのではないでしょうか?
さらに、一人一人が自分を精いっぱい出し切り、みんなでフーフー言って難問を乗り越え、お互いに納得のいくわかり方をし合えたとき、授業が楽しかった!と、言うのではないでしょうか? 
授業は楽しいものでありたいです。
毎時間、先生が楽しいネタを準備できたら、それはそれで素晴らしいことかもしれませんが、子供たち一人一人が主体的な学び手となって、自らの力を実感できた時に生まれる楽しさには敵いません。
子供たちの学びに向かうエネルギーを引き出し、すべての子供に力を出しきらせ、学びの実感をもたせたいと願います。
授業の中で自他ともに自己実現する喜び、深くかかわり合える喜びを体験させたいと思います。
人間味のある、ぬくもりのある授業をしたいと思います。
それが、私が願ってきた子供ファーストの授業です。
その先に、自他の力を信じ、胸を張って我が道を切り拓いていく子供の姿があるものと信じています。

イラスト/岡本かな子


■ ー 連載 鈴木惠子の「教師として大切にしたいこと」 ー 過去の回はこちら(↓)へ■

■ 第1回「わからなさがわかるかな?」
■ 第2回「し~っ! 先生には聞こえるよ!」
■ 第3回「答えは目の前の子供の中にあります」
■ 第4回「授業観・子供観を見直そう」
■ 第5回「子供ファーストの授業ってどんなもの?」
■ 第6回「授業の主役を明け渡す覚悟を『姿』で見せよう」
■ 第7回「互いに生かし・生かされていることを実感できる話合いを」
■ 第8回「今、全員が耳を傾けたよね! すごく気持ちよくない?」


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