子どもをよき学び手にする方略【第4回】自律性は集団の中で育つ
まんがを通して学べる画期的な教育書として大好評「まんがで知る」シリーズの第10弾として、『まんがで知る学習方略:学び方を学ぶ』(さくら社)を上梓した前田康裕先生による新連載です。この連載では、前田先生が描いた同書のストーリーを背景に、学習方略・認知特性・自律性・教科の見方、考え方等を横断しながら、学校と教師にとって今こそ必要な「学びの再定義」について解説・提案いただきます。第4回のテーマは「集団と自律性」です。
取材・構成/編集部

前田康裕(まえだ・やすひろ)
1962年、熊本県生まれ。熊本大学教育学部美術科を卒業後、教師となり、小中学校に25年間勤務。その間に、岐阜大学教育学部大学院教育学研究科を終了。熊本大学教育学部附属小学校教諭、熊本市教育センター指導主事、熊本市立小学校教頭、熊本大学教職大学院准教授、熊本市教育センター主任指導主事等を経て、2022年4月より熊本大学特任教授。『まんがで知る教師の学び』、『まんがで知る未来への学び』、『まんがで知るデジタルの学び』シリーズ(さくら社)など、著書多数。

『まんがで知る学習方略:学び方を学ぶ』(さくら社刊)
前田先生による、まんがと解説で学習方略をわかりやすく深く学べるシリーズ第10弾。効果的な学びの工夫を、中学生の実践例を通して具体的に示す。教師と学習者双方の意識改革を促し、自律的に学ぶ力を育てる一冊。読者特典や参考資料も充実。
目次
集団の中でこそ、自律性は育まれる
「自律性」という言葉を聞くと、多くの人は個人の意思の強さや一人で努力できる能力など、「個人」に帰属するものと捉えがちです。しかし、教育現場における本当の自律性は、孤立して育つものではなく、仲間との多様な関係性、集団の相互作用の中でこそ最も豊かに育ちます。承認、励まし、教え合いといった密度の濃い相互作用こそが、個々の自律的な学びを支える基盤になるのです。だから私たち教師は、個人の能力を伸ばすことばかりに目を奪われず、子供たちが属する「集団の質」そのものを高める方にもっと目を向けなければなりません。
具体例を挙げましょう。ICT教育で一人一台のタブレットが配備されると、「機械が苦手で教えきれる自信がない」と導入を躊躇する先生がいます。しかし日常的に使っている先生なら、これが取り越し苦労だとわかるはずです。教師は電源の入れ方など基本操作さえ教えれば十分。あとは子供たちが勝手に教え合いを始めます。
子供たちには大人のような「壊したら」「間違えたら恥ずかしい」という恐怖心がなく、面白がっていろいろ試すので、教師も知らない裏技を自分で発見して「先生、これできましたよ」と教えてくれたり、困っている隣の友だちに親切に教えてあげたりする姿が、教室のあちこちで見られるようになります。
つまり、教師がテクノロジーを完璧にマスターして神様のように教え込む必要などないのです。操作が得意な子がいたら、「君はタブレットの天才だね」とみんなの前で褒めたたえ、「そのすばらしいスキルを、困っている友だちにも教えてあげてくれないかな。みんな大助かりだから」と言葉をかける。認められた子はうれしくて、喜んで友だちのサポートに回ってくれます。集団の中で自分の得意を生かすとは、まさにこういうことです。
同じ現象は大人の世界でも起こります。私が大学でプログラミングの授業を1時間行ったとき、コードの書き方は教えず、基本操作だけ数分で伝え、マニュアルを渡して「4人グループで協力して進めて」と指示しました。ただし一つだけ条件を出しました。「グループの4人全員が理解できてから、次のステップに進むこと」です。
この条件を設定すると、学生たちは互いの画面をのぞき込み「みんなわかってる?」と理解度を確認し合いながら進まざるを得なくなります。途中でわからなくなった学生は、チームのメンバーに「これ、どうするの?」と尋ねて、わかっている学生が教える。結果、私はほとんど手を出さずに見守っていただけで、学生たちは集団の力だけで上位ステップまであっという間に到達しました。大学生でも、4人でチームになり目的を共有することで、学びの効率と質は劇的に高まるのです。
人類の本質としての「知識の共有」
人間同士が教え合い、学び合うことは、私たちが思う以上に「当たり前」で、本能的な行動です。
人類学でよく引かれる話があります。ネアンデルタール人とクロマニヨン人の決定的な違いは何だったのか。身体能力ではむしろネアンデルタール人が優れていたという説もあるのに、なぜクロマニヨン人だけが生き残れたのか。最大の理由は、彼らが「個々の経験で得た知識や技能を、集団の仲間に広げ共有しようとする強い特性」を持っていたからだと言われます。「こうすれば獲物が捕れた」という発見を秘密にせず仲間に伝え、共有することで、集団全体の生存確率を上げ、文化を何世代にもわたり発展させた。人間はそもそも「得たものを共有し、教え、伝え、他者から学ぶ」遺伝子を深く持つ生き物なのです。
そう考えると、「自律性は集団の中で育つ」という教育のあり方は、最先端の新理論などではなく、むしろ人間にとって原始的で当たり前の原理原則だったと言えます。
ところが近代の「学校教育」は、それとは全く異なるアプローチを選びました。数十人を同じ場所に集め、同じ向きに座らせ、教師が一斉に均一に教える「一斉指導」です。これは確かに効率的で、一定の知識を大量の子供にミスなく与えるという点では優れたシステムでした。しかしその効率性と引き換えに、人間が本来持つ「集団の中で自律的に学び合う」というダイナミックな相互作用の機会は、教室から大きく失われてしまったのです。実際の社会や仕事では、教科書を丸暗記するより、他者と関わりながら学ぶことの方が圧倒的に多いはずなのに、です。
わかりやすいのが板前の修業の世界です。トップに大将、その下に兄弟子、さらに下に若い弟子という階層を持つ集団の中で、弟子はまず徹底的な「真似」から入ります。最初は包丁も握らせてもらえず、皿洗いや掃除といった雑用から始め、先輩の姿を見て学び、兄弟子が魚をさばく手つきを横から盗み見て覚えていく。弟子はこうして「自分は今どの位置にいて、次に何を獲得すべきか」を人間関係の中で自覚し、主体的に技術を身につけます。これと同じことが、教室の子供たちの間でも起こり得るし、起こすべきなのです。
私の『まんがで知る 学習方略:学び方を学ぶ』から、学級経営の重要性を示す一場面も紹介しましょう。タブレット活用の指導に苦手意識を持っている教師に対して、吉良(きら)先生が、「わからないときは仲間に聞けばいいし、そのことによって知識は共有される」と語ります。これは目先の知識共有だけを意味しません。続くセリフに本質があります。「自分は頼りにされている、仲間がいるから学び合えるという感覚が、結果的に自律的に学習していくことにつながっていく」。
教師が上から「勉強しなさい」と管理しなくても、子供同士が自発的につながれる集団の質さえ担保されていれば、子供たちは自律的に学びを進めていけるのです。

