子どもの博識に「先生、知らなかったな」と言えますか?

子どもたちの活発な調べ学習の中で、教師が知らないようなことまでつぶさに調べてくる子もいます。「先生、これ知ってる?」と痛いところを突かれたとき、「もちろん知ってるよ」と答えるか、「先生、知らなかったなあ」と答えるか。あなたはどちらですか? 教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之さんがズバリ答えます。

先生と生徒会話のイメージ

学ぶということ、先生という仕事

つい先日、ある学校で取材をしている時、その学校の校長先生がこう話してくださいました。「若い先生の中には、子供たちに対して、『知らない』と言えない人がいるんです。『先生は何でも知っているよ』という顔をしなければならないと思っていたりするんですよ」と。

実は、その学校の若手の先生のクラスで、一生懸命調べ物をしてきた子供がいたそうです。それは、国語の説明文だか何かの学習に触発され、ある生き物についての生態等々、とても詳しく調べてきたものだったのだとか。それを見た担任の若い先生は、「先生も知っているよ」というような反応だったのだそうです。

それに対して、校長先生は、「もったいないよね。『へ〜、凄いね。先生は知らなかったな』と言ってあげていれば、子供は喜んだし、凄くやる気になって、さらにいろんなことを調べてきただろうに」とおっしゃっていました。

実際に私がこれまで取材をさせていただいた、優れた先生方ならば、間違いなく、校長先生のおっしゃる通りの反応をなさっただろうと思います。それどころか、知っていたとしても、「ねぇ、これはこうじゃないの?」と、わざと間違ったことを言ったりするかもしれません。すると、その子は、「先生、違うよ。これはね〜」と、さらに詳しく説明をしていくことになるでしょう。そのように、意図的に間違えることで、その子が調べてきたことをさらに豊かに表現させていくわけですね。

そして、「みんな、〇〇さん凄いね〜」と投げかければ、さらにその子に触発されて、別のことを調べてくる子供も出てくるかも知れません。そう考えてみると、「知らない」と言えなかったことが、一生懸命調べてまとめてきた子の表現の機会はもちろんのこと、学級にいる他の子供たちの学びへの契機も奪ってしまったことになると言うと、少し言い過ぎでしょうか?

先生は教えるのが仕事?

その若い先生が、「知らない」と言えないのには、いくつかの理由が考えられるような気がします。例えば、「自分にはまだ知らないことがたくさんある」「経験がなくて多様なことに対応し切れていない」ということを無意識に感じていることもあるでしょう。そんな漠然とした不安感があると、裏返しで、「知らない」と言うことに対する抵抗感が生じてしまうこともあるかもしれませんよね。そのような、気持ちは私も分からなくはありません。

ところが、「教師は教える者だ」「教える立場の教師が知らないことを抱えているのはおかしい」「教えるべき教師が教えられるのはおかしい」という思い込みがどこかにあって、「知らない」と言えないのだとすれば、少し問題があるのではないかと思います。それは、なぜだと思いますか? 新学習指導要領を読んでおられる先生方なら、すぐに答えられますよね。

それは、前回の「授業の見方」でも触れたように、子供たちが、「主体的・対話的で深い学び」をしていくことを求めているからです。子供たちが主体的に学んでいくためには、まず子供たち自身が学びたいと思うことが重要です。そのために、全国学力調査で良好な結果を示している自治体の多くは、子供たちが新たな教材や多様な事象と驚きや疑問の生じる出会いをし、自分たちで課題を設定し、それを解決していくような授業を行なっています。つまり、先生が教えることが主ではないのです。

もちろん、新学習指導要領に示されている内容は決して少なくありませんし、授業時間も限られています。ですから、中央教育審議会で新学習指導要領の方向性を決めた専門家の方々も、文部科学省の担当官の方々も、教えてはいけないとは言ってはいません。必要に応じて教えることも必要だと説明しています。

私もそれについて、まったく異論のないところです。しかし、新たな学びに入り、深い意味理解を図りたい時などは、じっくり教材や事象に触れ、操作や活動をし、(人や物や自分自身と)対話をするような学習をさせてあげたいものです。そのためには、驚きや疑問の生じるような(自ら学びたくなるような)教材や事象との出会いが不可欠なのは言うまでもありませんよね。

そのような授業づくりが求められているのは、新学習指導要領の方向性を示した中央教育審議会の答申(2016年12月21日)に示されている、「概念」ということとも関わるのですが、それについては、また別の機会にお話をすることにしたいと思います。

知らないと素直に言える教室

その他、文部科学省は、子供たちが「主体的・対話的で深い学び」をしていくためには、まず先生自身が「主体的・対話的で深い学び」をしてほしいともアナウンスをしていました。それは、先生の学びの結果によって教育の質を保証していく上でも、学ぶ姿勢を示して直接的に子供たちの学びのモデルとなる上でも必要なことです。

だとしたら、知らないことに出会った時、素直に「知らない」と言い、「それは何?」「なぜそうなるの?」と聞けることが、とても重要だと思いませんか。それによって、一時的に、「先生〜、そんなことも知らないの?」と言われたとしても、素直に知らないという現状を認め、真剣に聞き、学ぼうとする姿勢を見た子供たちが、先生をからかい続けたりはしないはずです。

何より、そんな先生と同じような子供たちが教室に増えたら、授業は楽になると思いませんか? 知らないことを「知らない」と、分からないことを「分からない」と、子供たちが自ら発言してくれるのですから。黙って、分かっているような顔をしていたのに、後になって「全然分かっていなかったんだ」と驚くことはなくなるのですから。

ある教育誌の編集長と、以前、「素直なことは学ぶ上で重要な資質だ」という話になったことがありますが、何よりもまず先生自身が、そのような素直な学び手になることが必要なのだと改めて思ったのでした。

文/矢ノ浦勝之(教育ジャーナリスト )

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