小学校教師が身につけるべき「変換思考」とは

自らの体験に裏打ちされた教育哲学と再現性の高いスキルをTwitter(@YoshiJunF)で発信し、若手教師を励まし続ける古舘良純先生が、Twitterではつぶやききれなかった思いを綴る連載。子どもの不適切な言動に、どのように対処していますか? 今回は、子どもの心を育てるために必要な、教師の「変換思考」についてのお話です。
執筆/岩手県公立小学校教諭・古舘良純
目次
教室で起こりうる不適切な言動
教室で日々過ごしていると、子どもたちの不適切な言動を目にしたり、耳にしたりすることがあります。その度に、何だかモヤッとした気持ちになったり、心が痛みます。たった一人の、たった一言なのに、その一日のやる気がガラガラと崩れるような感覚になります。
「スルーすることが大事」「気にしない気にしない」と思っているつもりでも、何だか表情が固くなるのを感じ、うまく笑えていない自分に気づくことがあります。そして時には、怒りに任せて「その言い方は何だ?」のように、子ども相手に本気でぶつかってしまうこともあります。
どちらにせよ、子どもの不適切な言動を前にして、その場しのぎの場当たり的な対応になってしまっていると言えるでしょう。
私自身が経験してきた例を挙げてみると、
- 声が小さい
- 騒がしい
- 書かない
- 姿勢が悪い
というような状況がありました。皆さんの学級でもあるのではないでしょうか。
教室では、30人に届くような声で話せることが望ましく、だからこそ騒がしい教室であってはいけないのだと思います。(ただし、騒がしさとは別に、“いい意味で盛り上がる”ことも必要です)。
学習中は、板書をノートに写したり、自分なりの考えを表現することが大切です。友だちの意見や話合いで生まれた内容をノートに書き加えていくことは、学習参加への条件と言えるでしょう。
教師がこうした「望ましさ」を考えながら指導し、それが伝われば、子どもたちは自然と背筋を伸ばして取り組むようになり、やる気ある姿勢が見られるようになるはずです。
つまり、不適切な言動にぶつかってしまう奥には、実は「教師の願い」があるはずなのに、それがうまく指導方法として機能していないことが考えられるのです。
どんな子どもたちに育てたいのか
子どもたちの「不適切な言動」を「適切」にするためには、その言動の意味や価値、変容するための方向を教師が明確にもち、子どもたちに示す必要があると考えています。
安易に「声、もっと大きく!」「うるさい!」「書きなさい!」「姿勢が悪い!」と注意するだけでは、子どもたちは「じゃあどうすればいいの?」となります。
すると子どもたちは、
- ただただ大声で叫ぶように言う
- 逆に静かになりすぎて、誰も何も言わない
- 殴り書き
- 1分ももたない姿勢でやり過ごす
というような、「逆効果」に陥ってしまうのです。
教師は、現象として「その時だけ大きい声を出す」「とりあえず静かに姿勢を正して座る」「黒板をただただ書き写す」ということを求めているわけではありません。
しかし、なぜか瞬発的に、子どもたちへの注意や叱責をしてしまう。それは、「望ましさ」や「到達点」を見失っているからなのではないでしょうか。つまり、「目的」が曇ってしまっているのです。