6年生を送る会のゲームチェンジ【音声つき】

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古舘良純の「つぶやききれなかったこと」
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岩手県公立小学校教諭

古舘良純

温かな感動を呼ぶ「6年生を送る会」は、どの子にとっても思い出深いものになることでしょう。しかし、コロナ禍によるさまざまな影響や、授業を削って準備することの労力などに目を向けてみれば、その目的について改めて見直してみることも必要なのではないかと、古舘先生は言います。

若手教師から絶大な支持を得ている古舘良純先生が、Twitterではつぶやききれなかった思いを語る音声つき連載をお届けします。

執筆/岩手県公立小学校教諭・古舘良純

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つぶやききれなかったポイント3つ

まずはじめに、「6年生を送る会」に対する私自身の立場を明確にしておこうと思います。

私自身は「6年生を送る会」が好きです。できるなら残したい行事の1つです。これまで6年生を何度も担任してきましたが、そのたびに在校生からすてきな贈り物をいただきました。それは、物だったり、歌声だったり、メッセージだったりしました。

思い出のスライドショーを見て涙ぐむ子がいたり、1年生が手渡してくれたプレゼントを受け取って握手やハグをしたりする子もいました。

その時間はこれまでの苦労を吹き飛ばしてくれるような温かい時間であり、子どもたちにとって忘れることのできない、感動が渦巻く時間でした。

6年生としても在校生に「お礼」をせずにはいられませんでした。卒業式さながらの合唱を準備し、笑いと恥じらいの入り混じったダンスを披露し、力強い声を届ける姿に、何度涙をこらえたことでしょう。

学期末の忙しい時間を使い、6年生のために多くの時間と労力を割いてくださる先生方には感謝しかなく、下げた頭が上がらない状況でした。

特に、20代で6年生を担任した数年間は、学校全体で「若手教師」を育てようと多くのバックアップがありました。「6年生を送る会」を通して、6年生担任の在り方や立ち位置を教わったと感じています。

私の経験してきた「6年生を送る会」は、子どもたちのつながりの豊かさ、学校全体の温かさ、先生方の強さと覚悟を感じることのできる時間でした。

だから、私自身は「6年生を送る会」が好きなのです。できるなら残したい行事の1つなのです。

しかし、ツイート元では、「6送会をやめませんか?」という提案をしています。

今回は、そのツイートでは「つぶやききれなかったこと」について、3つのお話をさせていただきたいと思います。

1 目的を再考する

1つ目は、「目的を再考したい」ということです。

このツイートをしたところ、いくつかの返信をいただきました。そのなかには、賛成と反対の両方のご意見がありました。

「わが子は楽しい思い出だと言っていた」「教師として個人的には得るものも多い」「子どもたちには一生に一度」のような6送会に対する肯定的なご意見もありましたし、「趣旨が理解できずに作業になっていたら不要」「保護者としてもなしでよい」「廃止に同意」など、やめてもよいのではというご意見もありました。

なかには、「学校による」「規模による」「時代の変化を踏まえて考える」など、一歩引いた立ち位置から考えてくださる方もいました。

リアクションしてくださった方々に、この場で感謝申し上げます。ありがとうございました。

ここで、浮き彫りになるのは、「何のために6年生を送る会が企画されるのか」ということです。本当に目的が達成できたかということを考えたいのです。

残念ながら、コロナ禍において対面式の会が難しい学校では、その目的を見失って「どうマイナーチェンジするか」だけが議論され、「動画にすればいい」「プレゼントを増やせばいい」のように、「何をするか」という部分がクローズアップされています。

事実、「知らない人の似顔絵を描いている」という授業や、「知らない人から招待状が届く」という顔の見えないやり取りが行われている現状があります。

もちろん、「低学年が一生懸命描いてくれたんだね」「こうやって会を企画してくれて嬉しいね」と価値付けし、子どもたちには意味をもたせるようにしていますが、限界を感じているのが正直なところです。

きっと、6年生を送る会の目的には、「感謝を伝える」という文言が入っていると思います。これは、コロナ前から変わらない目的ではないでしょうか。

コロナ禍において日々関わりが少なくなり、ペア学年や縦割り活動がなくなっているにも関わらず、変わらない目的を何年間も掲げ続けていく不自然さを感じずにはいられません。

各校の規模や文化活動の位置付けなど、それぞれの実態に応じた価値の再構築が必要なのだと考えています。

2 それは実現可能か?

2つ目は、「勤務時間・授業時間で実現可能か?」ということです。

一度だけ5年生の担任をしたことがありますが、異動初年度で企画・運営した「6年生を送る会」は大変苦労したことを覚えています。

提案に合わせて各学年の調整を図るには、放課後の時間を費やすしかありません。そうなると、ノートに目を通し、コメントを書く時間はなくなります。もちろん、学級通信は家で書くことになりました。残業時間が増えるばかりか、家庭への持ち帰り仕事も当たり前になっていました。

また、子どもたちとの準備にも膨大な時間が費やされました。

図工という名の「お花」作り。書写という名の「看板」作り。学活という名の「プレゼント」製作。算数の時間にはプリントを行い、後半の大部分を合唱や呼びかけに使ったこともありました。

そのほか、会場準備としてパイプ椅子を学年で並べたり、暗幕を張ったり、放送機器を準備したりするなど、「今は何の時間だ?」と思うような時間が1日のなかに何時間もありました。

それは同時に、本来行うべき教科指導の時間を削って行われているものであり、予定されている時間を大幅に超過するものでした。

残念ながら、これもまた「当たり前」のように行われているものであり、「仕方がないよね」と言って正当化され、メスを入れられることのないまま肥大化してきた結果なのかもしれません。

それでいて、「授業時数が足りない……」「カリキュラムマネジメントで……」と言っているのだから、それは違うのではないか? と思ってしまいます。

ですから、実際に6年生を送る会をカットし、「何時間捻出できたのか」「どれだけ日々の授業を圧迫していたのか」を浮き彫りにする必要があるのではないかと考えています。

同時に、限られた時間のなかでやりくりするための「手段の精選」にも目を向ける必要があると考えています。

3 ゲームチェンジ

3つ目は、「ゲームチェンジ」です。

これまでの6年生を送る会は、「6年生がゲスト」で「在校生がホスト」という関係だったと感じます。6年生はお客さん気分で参加していました。私もそうでした。

しかし、それでは受動的な時間を過ごしてしまいます。「嬉しいな」「ありがたいな」とは思うものの、「それに見合うだけの何かをしてこられただろうか」と疑問に思うこともありました。

本来「ゲスト」として参加し、「サプライズ」を受け、その気持ちが「お礼」を生むはずなのに、何ももらってもいない何週間も前の段階でお礼(出し物)の準備をし始めます。そして、当日は予定調和で会が進み、あたかも即興かのように、6年生から出し物が披露されます。

こんなにも準備された会の、どこにクリエイティブさがあるのでしょうか。どこにイノベーションが起こるのでしょうか。もう、そうした前提に行われる「6年生を送る会」自体に限界がきているのではないでしょうか。

では、どうするか。「6年生をホスト」にするのです。6年生が卒業を前にして、感謝の気持ちを在校生や学校に伝えていくのです。

そこに予定調和の必要はありません。

1組が「掃除をしたい」と言えばすればよく、2組が「手紙を書きたい」と思えば書けばよい。3組が「一緒に遊びたい」と思えば企画すればよいし、4組が「読み聞かせに行こう」と思えばそれでよい。タブレットで動画を作成してもよいし、休み時間に勉強を教える寺子屋のようなグループがあってもよい。出張「折り紙教室」や「お絵描き教室」ができるかもしれません。

そうやって、6年生が感謝の気持ちを何かしらの形で表し、そこに在校生(ゲスト)が巻き込まれていく現象(ゲームチェンジ)を生み出すのです。

きっとそこには、子どもたちの主体的な姿が生まれ、画一的に「これをやります」のような同調圧力も存在しなくなります。

在校生はさまざまな6年生の姿を目にします。楽しい時間を過ごし、そんな時間を生み出す6年生に憧れを抱くようになるでしょう。

ここまでやって初めて、在校生のなかに「6年生に『ありがとう』を伝えたい」という気持ちが生まれるのではないでしょうか。

「6年生はこれまで学校のためにいろいろやってくれたんだよ」「みんなが見ていないところでたくさん仕事をしてくれているんだよ」という動機付けでもたせる「感謝の気持ち」は、こじつけのように感じられるのです。

ホストとゲストをチェンジする活動の流れでは、より自然に感謝が生まれます。そして、個別最適かつ協働的な学びが実現できそうな気もしています。きっと、6年生も実感を伴って「感謝」を受け取ることができるのではないでしょうか。


今回、「6年生を送る会をやめませんか?」という提案をしましたが、それは行事を削減したり、定時退勤を可能にしたりするという安易な働き方改革の提案ではありません。

子どもたちを成長させるために目的を見直すこと。それを実現するために持続可能な働き方を模索すること。そして、そこには新しい風を吹かせていく必要性があることを伝えたいと考えました。

よく「子どもたちのため」という言葉を聞きます。それが、教師の主張を押し通すための常套句になることなく、行事の目的を達成するためにある「志」であることを確認して、今月の放送を終わりたいと思います。

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古舘良純先生寄り
古舘良純先生

古舘良純(ふるだて・よしずみ)
岩手県久慈市出身、北海道教育大学函館校出身、菊池道場岩手支部代表、バラスーシ研究会所属、共著『授業の腕をあげるちょこっとスキル』(明治図書出版)、平成29年度千葉県教育弘済会教育実践研究論文にて最優秀賞を受賞

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