子供の学びを軸にして、授業中心に学級づくりもする【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第8回】

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授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」
子供の学びを軸にして、授業中心に学級づくりもする【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」第8回】

前回、新潟市のマイスター(小学校・社会科)であった新潟市立小学校の佐藤昌寿教頭が、研究授業を通して学んだことなどを紹介していきました。今回は、授業改善の方法や、学級づくりについての考え方などを紹介していきます。

佐藤昌寿先生
佐藤昌寿先生

自分の授業を文字起こししながら省察する

30代に入り、もっと自分が話す量を減らし、子供の学びの状況を考えて授業をしようと意識し始めたわけですが、それでもすぐに授業が劇的に変わるということはありません。ただ、意識をしなければ変わりませんし、何よりもそんな授業をしていることが悔しいので、何としても修正しようと思い、日々意識し続けました。もちろん、社会科の授業だけで改善することはむずかしいので、他の授業も含め、週に25~26時間ある授業すべてを通して意識していきました。

ただ、改善のための特効薬があるわけではありません。そこで最初の頃は、1か月に1回、2回のペースで定期的に自分の授業の音声を文字起こしして、「どれくらい自分の言葉の量が減っているかな」と確認していったのです。最初は自分の言葉の量を注視していたのですが、次第に「何が変わってきたかな」と確認をしていくようになりました。そうすると、「最初の発問や指示に対して、子供がちょっと反応が悪かったので、言い回しを変え、それでも分かっていなさそうだったので、さらに言い換えたものだから、子供たちはかえって何をやったらいいか分からなくなったんだな」というようなことが見えてくるのです。

あるいは、文字起こしをすると「子供たちの言葉の中にこんないい言葉があったのに、聞き流してしまっていたな」と気付くこともありました。実は、それよりも何年か前の若手の頃に、授業後、指導者の方から「何で、あの子供の言葉を取り上げなかったのですか?」と言われたことがあったのです。しかし、その当時、私はその指摘に今一つピンと来ていませんでした。それは、自分の思い描く授業の流れしか考えておらず、その言葉はそこから外れるものだったから取り上げなかったわけです。しかし、それを取り上げると一見意図していたゴールから外れてしまうようだけれど、結局はねらう方向にも進んでいくし、その言葉を取り上げることでより深く学べる可能性があったのです。

そうしたことに気付けるようになったのも、他の先生方から研究授業を見てもらっていろんな意見をもらうと共に、自分の授業を文字起こししながら省察することを行ったからだと思います。

もちろん、研究授業の前にも指導案検討で先輩や指導者から質問を受ける中で、自分が知っていること以外にも調べる方法がたくさんあるんだなということも学びました。例えば、地域の開発単元で地元の川の護岸工事について学習するとき、当然、市史や県史などの資料に当たったり、その場所に行ったりするわけです。しかし、それだけでは護岸工事の契機となる水害があったことは分かっても、その実態がリアルに伝わる資料は出てこないのです。そこで、「地域の古老に直接話を聞いてみたら」とアドバイスされて実際に古老を訪ねてみると、護岸工事の契機となった昔の水害の話が聞けるだけでなく、学校の裏側の川が増水して護岸が崩れている生々しい写真を貸していただくことができました。

前回、教材研究の仕方の基盤は大学や大学院で論文を書くときに学んだことと基本は変わらない、とは言いましたが、調査方法については、やはり多様な先輩方のアドバイスを受けて引き出しが増えていったところはあります。

そうやって授業を工夫·改善していくと、研究授業で指導者の先生に、「今日の授業はよかったですよ」と評価してもらえるようになりました。それはもちろん、とても嬉しいことです。しかし、それ以上に嬉しいのは、「今日の授業は楽しかったな」と自分自身も思い、子供たちも「今日の授業は楽しかった」と授業後に言っている時、ふり返りの時に子供が「もっと書いていいですか」と言うような授業ができた時です。そんな時は、「ああ、この子たちにとっていい授業ができたかな」と思えるし、授業づくりに力を入れて本当によかったと感じました。

授業後に、学習内容に関連したことをどうしても佐藤先生に伝えたくてやってきた子供。こうした姿が良い授業の証とも言える。

楽しく学ぶスタイルにはまってくるとクラスは良くなる

私は若手の頃から授業研究に力を入れてきたので、学級づくりという面でも意識してきたのは、「授業で学級づくりをしよう」ということです。学校にいる間で一番長い時間を過ごすのは授業なので、授業が楽しくないと子供たちは落ち着かなくなるし、教師との距離も広がってしまいます。ですから、とにかく授業で引き付けて、生活指導的なこともやっていこうと考えてきました。当然、対話的なことも学級づくりをする上で大事ですが、やはり授業を通して育てていきます。もちろん、特別活動、学級活動も大事ですが、「まずは授業を通して」というのが私の考え方で、そのように考えるようになったのは、ある経験があったからなのです。

実は以前、落ち着かなくなっていた高学年の学級に入ったことがありました。その時に感じたのは、落ち着かなくなっている子供たちもみんな力を付けたい、勉強が分かるようになりたいと思っているということです。そこで、「とにかくこの1年はすべての授業で徹底して教材研究をがんばってみよう」と考えました。まずそこに注力し、全時間力を入れておもしろい教材を用意して授業を行った上で、毎時間ノートを集めて子供たちの学びの状況を把握するということをやっていったのです。そうすると、次第に子供たちが授業についてきてくれるようになりました。その時に感じたのは、授業がおもしろくなってきて、楽しく学ぶスタイルにはまってくるとクラスは良くなっていく、ということだったのです。

ただし、クラスの中には授業中は積極的に意見が言えるのだけれども、他ではあまり活躍できない子供がいます。逆に、休み時間やレクリエーションの時に活躍できる子もいるけれど、他では活躍できない子供もいます。ですから、まず授業に力を入れた上で、様々な学級のことについて子供たちと一緒に合意形成し、自分たちで設定した目標を与えていくようなこともやっていきました。

実はその子たちはある意味、パワーがある子たちだったのです。だから、「自分たちはもっとやれるのに」という思いがあったのに、それが発揮できずに落ち着かなくなっていったのだと思います。ですから、徹底して教材研究をしておもしろい教材を準備し、その教材についてのおもしろい話をする一方で、ディベート的な授業も取り入れて一定のルールの中で話し合わせることもやっていきました。その中で、コミュニケーションの取り方を学んでいったし、実際にそういう過程を通して学んでいける子供たちだったのです。

そうした経験があったので、私は学級づくりは、まず授業づくりを通して行うものだと考えているわけです。

ちなみに、先に「授業中にしゃべりすぎ」と指摘された話をしましたが、それはこの子供たちをもった少し後のことでした。この頃、「子供たちにどれだけおもしろい教材を与えられるか」ということばかりを考えていたので、伝えたいことが一杯になっていた時期でもあり、ついついしゃべりすぎてしまっていたのだと思います。

そこからもう一度、「しゃべりすぎ」という指摘を受け、教材研究を徹底しつつも、子供の学びの実態に応じて思考する間を与え、子供が自ら考え、対話し、深めていくような授業づくりをするようになっていきました。いずれにしても、「子供の学びを軸にして授業を中心に学級づくりも行っていく」という私の考え方は、この30代の中頃までに基盤が築かれたと思っています。

                     ※

その後、佐藤教頭は新潟市の授業マイスターに認定されるわけですが、その過程で学んだことなどについては、次回、紹介していきます。

【授業づくり&学級づくり「若いころに学んだこと・得たこと」】次回は、5月11日公開予定です。

執筆/教育ジャーナリスト・矢ノ浦勝之

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