リレー連載「一枚画像道徳」のススメ #50<最終回> 運命のやけど|木原一彰 先生(鳥取県公立小学校)

連載
リレー連載 明日の授業に生きる!「一枚画像道徳」のススメ
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北海道公立小学校教諭

藤原友和

子供たちに1枚の画像を提示することから始まる15分程度の道徳授業をつくり、そのユニットをカリキュラム・マネジメントのハブとして機能させ、教科横断的な学びを促す……。そうした「一枚画像道徳」実践について、具体的な展開例を示しつつ提案する毎週公開のリレー連載。最終回は木原一彰先生のご執筆でお届けします。

執筆/鳥取県鳥取市立大正小学校教諭・木原一彰
編集委員/北海道函館市立万年橋小学校教諭・藤原友和

ごあいさつ

みなさん、こんにちは。

鳥取県鳥取市で小学校の教員をしております、木原一彰と申します。

企画者の藤原先生から、「木原さんがリレー連載のトリです」とのお話をいただいてから、原稿締め切りまでの数か月間、どのような提案をすべきかと思い悩む日々でした。

ここに至るまで、身近な素材をテーマにした写真や、地域を再発見するような写真を用いて、子供たちが実感を伴って考えることのできる授業を構想しました。
それは、ここまでの49本の提案の基盤となっている、授業構想の「観」のひとつであったといえるでしょう。

その一方で、これまでの提案がそうであったように、自分自身がこだわり抜きたい素材を用いた授業を提案したいという思いも強くありました。私のこだわりの中心にあるものは、人物を中心に据えた教材とその授業です。
なかでも、野口英世と母シカの生き方については、特に深い思い入れがあります。それは多分に、この二人の姿を私と母の姿に重ね合わせている私情からくるものなのは間違いありません。

もう10年も前のことになります。公私ともに充実し始めた私の心の片隅に、小さな不安がひとつありました。「もしかすると、母は認知症では?」という疑いでした。閉めたはずの扉の鍵が開いていたり、「メガネがない」とそこかしこをひっくり返して探していたり……。
杞憂であってほしいと願いつつ、当時の私は仕事に没頭し、母のことを顧みない日が続きました。

夏を過ぎたころ、母に対して抱いていた不安を、現実のものとして受け入れざるを得ない状況になりました。「いつまで、私を息子として認識してくれるだろう。家族が家族としていつまでこの家に暮らし続けることができるだろう。」
その瞬間が刻一刻と迫っていることだけは確かでした。

そんなとき、1本の電話をいただきました。
「野口英世の教材と実践を書いてもらえないか」という、初めての分担執筆の依頼でした。
教員として働く息子の評判を、近所の人や旧知の友達から聞くたびに、まるで我がことのように喜んでいた母。そんな母に迫る認知症の現実に、教師としての自分の一つの集大成となるものを渡したかった私は、「ぜひやります。やらせてください。」と即答しました。野口英世と母シカの姿を自分と母に重ねるようにして、教材をつくり、授業を実践し、原稿にまとめていきました。

出版元からいただいた1冊を、私は母に渡しました。涙を流し、本を大事そうに抱え、私のページに付箋を挿しては何度も繰り返し読んでいました。本当に嬉しそうな母の姿を、今でもはっきりと思い出せます。

その後、母は特別養護老人ホームでお世話になることになり、静かで安らかな環境の中、毎日を過ごしています。そして部屋の片隅には、母に渡したその本が今も置かれています。

本来の企画の趣旨とは離れるかもしれませんが、子供たちにとって遠く感じられる教科書の人物教材との距離感を、一枚の写真によって少しでも縮めることができるのではないかと考えた授業として、私の私情をこめた「一枚画像道徳」の記録を紹介させていただきます。

1 授業の実際〜運命のやけど〜

対象:小学5・6年
主題名:家族を思う心
内容項目:C-15 家族愛、家庭生活の充実

以下の写真を提示し、最初の発問をします。

(福島県耶麻郡猪苗代町「野口英世記念館」筆者撮影)

発問1 この写真を見て、どんなことに気付きますか?

古くて昔ながらの家で、わらぐつがある。
ごはんを炊いたり、お鍋を煮たりするところがある。
それは囲炉裏といって、砂みたいに見えるのは、火を燃やした後の灰だと思う。
赤ちゃんのような子供がいる。誰かを探しているような感じがする。
ゆりかご? から這って出たのかな。一人ぼっちで泣いているのかも。
このまま進むと、赤ちゃんが囲炉裏の中に落ちそう。

子供たちは、写真から様々な情報を見出すとともに、その背後にある状況を想像し、思いを交流していきました。この段階で、数名の子供たちが、

この後、子供が囲炉裏に落ちてやけどをするのではないか。
まるで野口英世の話みたい。伝記で読んだことがある。
この状況、野口英世のようになる未来しか見えない。

といった考えを出しました。それを聞いた多くの子供たちも、「なるほど」「その話、読んだことがあるかも」といった反応を返していました。

語り

ここで、次のような教師の語りをします。

この写真は、「野口英世記念館」に保存されている野口英世の実際の生家です。この囲炉裏端も、当時のまま保存され、残されています。

野口英世は、1876年11月9日、福島県翁島村(今の猪苗代町)に生まれました。
英世の母、野口シカは、幼いころから苦労を重ねてきた人でした。野口佐代助と結婚したものの、佐代助は働くのがきらいで、酒を飲んでは賭け事に明けくれる毎日でした。
シカは家族のために一生懸命に働きました。昼は田を耕し、夕方になると猪苗代湖のエビをとり、それを朝早く売りに出るなどして、夜もほとんど眠らずに働き続けました。

清作(英世の幼名)が1歳半の時、清作とシカの運命を大きく左右する出来事が起きました。
シカはいつものように清作をわらのかごに寝かせ、畑作業をしていましたが、「ぎゃーっ。」という耳をつんざくような悲鳴が聞こえたのです。
清作がかごからはい出して囲炉裏に落ち、左手に大やけどを負ってしまったのでした。医者に見てもらうお金のないシカにできることは、ジャガイモをすりつぶしてぼろ布を巻くことくらいでした。
数日たって、ぼろ布を取りはずしてみると、清作の指はてのひらに張り付いて離れない状態でした。まるで棒のように固まり開くことのできなくなった清作の左手を見て、シカは……。

この説明を聞いて、教室は静まり返りました。
それは、どこかで聞いたり読んだりしたことがあっただけの遠い話が、1枚の写真と語りとを通して、リアリティーをもって子供たちの目の前に現れた瞬間でした。そして、「シカは……。」で、止まった教師の語りの先を、子供たちに問いかけました。

発問2 清作の左手のやけどという現実に直面したシカは、どんな思いだったのでしょう。

清作はこれからつらい人生になることだろう。どうすればよいのか。
自分が外に出ていなければ。ずっと傍にいればこんなことにはならなかった。
せめて、清作のかごを囲炉裏の近くに置いていなければ。
なんとかして、この手を治してやれないだろうか。
もう生きていけないような気持ち。いっそのこと死んでしまおうかとまで思ったのではないか。
悲しさと同時に、自分を責める思いが強かったと思う。

子供たちは、想像をめぐらせながら、シカの立場と思いを考えました。最初は、後悔や自責の念についての意見が大半を占めました。そのなかで、

この後清作が、医学の研究で世界に認められる人になれたのは、シカさんが清作を必死に育てたからではないだろうか。
自分のせいでやけどを負わせてしまったのだから、一生、清作を支えて生きていこうと心に決めたのだと思う。

といった、シカの決意や覚悟について考えた意見が出されました。その思いについて子供たちに投げかけると、簡単なことではないけれど、きっとこれからの人生を清作のために捧げようと考えたのではないかと、シカの心を共感的に捉えていました。

「家族や仲間とのつながりの中で共に生きること」について、大切な家族の状況に向き合い、支え続けるという側面から考えました。
子供たちの発言から、家族相互の深い信頼関係の一端に迫ることができたのではないかと考えます。

2 どこにどのようにつなげるか

文部科学省の『私たちの道徳 小学校5・6年』のなかに、野口英世の青年~壮年期を描いた「黄熱病とのたたかい」が掲載されています。
教科化以前の教材ですので、「感謝」を中心的な価値としていますが、現行の学習指導要領でも感謝の対象の一つとして家族を想定しています。

報告した「一枚画像道徳」を導入として、「黄熱病とのたたかい」における野口英世の行動を支えた思いについて迫る際に、多様に考えるための窓口の一つとして位置付けるとよいかもしれません。

また、6年生の道徳科の教科書『はばたこう明日へ』(教育出版)には、「志を得ざれば、再びこの地を踏まず─野口英世と母シカの物語─」という教材が掲載されています。
野口英世と母シカの互いを思う心について話し合う活動を通して、家族の中での自分の立場や役割を自覚し、感謝の思いを込めて、家族や家庭生活を大切にしようとする実践意欲と態度を育てることをねらいとした教材です。

この教材では、医学の道を貫いた野口英世の生き方の根底に、シカとの深いきずながあったことを大切にしたいと考えます。
英世のシカに対する思いと同時に、シカが英世を愛する思いについても共感的にとらえることで、家族相互の信頼関係について考えを深めることができるでしょう。

そして、けっして単純な愛情では語り切れない親子の在り方を通して、英世の生き方がシカの無償の愛によって支えられていたことに迫るための導入として、この「一枚画像道徳」を活用できると考えます。

おわりに

私のこの担当回をもって、「一枚画像道徳」のリレー連載は終了となります。
子供たちの身の回りや学校内、地域にあるものなど、広く対象となる画像素材を集めて、道徳の授業に活用していこうと考えたこの企画、みなさんはいかがお感じになられたでしょうか。

このリレー連載で、様々なアイデアが提案されましたが、それらに通底していたものは、道徳科の学習を教科書教材だけの中だけに閉ざすのではなく、「ひと・もの・こと」とのつながりをもとに、より広い世界に開いていきたいという、教師の思いや願いだったのではないかと考えます。
リレー連載はこれで終わりますが、次のバトンは読者のみなさんにお渡しして連載を終えたいと思います。

【参考文献
北篤、2003『正伝野口英世』(毎日新聞社)
渡辺淳一、1982『遠き落日』(角川文庫)

<リレー連載>明日の授業に生きる! 「一枚画像道徳」のススメ ほかの回もチェック⇒
第1回 日本最古の観覧車
第2回 モノに宿る家族の「幸せ」
第3回 それっていいの?
第4回 このトイレ使ってみたい?
第5回 「命の重さ」は
第6回 「快」のコミュニケーションができる子供たちに
第7回 未来と今をつなぐ橋を架ける一枚画~『もの』『こと』『ひと』をみる目を深める~
第8回 「一枚画像道徳」を読み解く
第9回 地域の魅力、知ってる?
第10回 あえて「分かりにくい」写真で
第11回 なにが見える?
第12回 地域の課題の受けとめ方
第13回 函館港まつりに込められた想い
第14回 デザインの定義
第15回 「生きた文化財」~在来作物の声が聞こえる~
第16回 町名の由来
第17回 百年の桜
第18回 わんこそば
第19回 みんなの場所で
第20回 美しい建物の街~弘前
第21回 1枚で3通りの活用 ~西郷瀞のブランコ~
第22回 外国の靴屋さん
第23回 象には絶対に乗らない
第24回 誰かの便利は、誰かの不便
第25回 美しさの見つけ方
第26回 祇園の夜桜
第27回 私たちにできること
第28回 テニスボールに込められた思い
第29回 学びの「値段」
第30回 東日本大震災
第31回 「一枚画像」から道徳を問う
第32回 誰の姿が見えますか?
第33回 五輪で戦うためには…
第34回 なまはげ
第35回 「だれでもピアノ」開発に込められた思い
第36回 どうして育ててもらえないの?
第37回 あなたはどこで待ちますか?
第38回 住んでいる地域の魅力
第39回 どんな言葉をかけますか
第40回 二宮金次郎像
第41回 鏡餅にこめられた思い
第42回 悪と判断できるが……
第43回 なくなったもの
第44回 ソーセージの最期
第45回 時間によゆうのある方は
第46回 自由な時間
第47回 心(しん)マトリクス
第48回 「護美箱」に込められた思い
第49回 見えるもの・見えないもの

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