「こうしなきゃ!」と自ら気付く子になるちょっとした心がけ
自らの体験に裏打ちされた教育哲学と再現性の高いスキルをTwitter(@YoshiJunF)で発信し、若手教師を励まし続ける古舘良純先生が、Twitterではつぶやききれなかった思いを綴る連載。
子どもたちに寄り添い、信頼関係を築く上で心がけていること。そのきっかけとなった指導教諭からの言葉は、今もなお古舘先生に強い影響を残していると話します。
執筆/岩手県公立小学校教諭・古舘良純
目次
純子先生からもらった言葉
私にも一応「初任者」だった年があります。まだまだ右も左もわからず、ただ日々をこなすだけで精一杯でした。そんな私の指導のために、週1回来校される先生がいました。純子先生といい、今でも葉書やメールでやりとりする関係です。
その先生は、一見とても厳しく、歯に衣着せぬ物言いでした。私はいつも、何を指導されるのかと冷や冷やしていました。そんな純子先生は、「この時にこうした方がよい」と言う具体的な指導と、「こんなふうに考えることが大事」という抽象的な指導をしてくれました。
もう十数年も前のことですが、今でも覚えている純子先生の言葉がいくつかあります。
1.「ゴミは、動かすほどに減るの。ある程度集まったらその都度、取らせなさい」
掃除の場面で指導されたときのことです。当時の教室は正方形の板を敷き詰めた床でした。校舎自体も古く、板の隙間が所々目立つ教室でした。その隙間に、小さなゴミが落ちていく状態だったのです。「ゴミは最後に集める」という「固定観念」をいい意味で崩していただいた瞬間でした。当たり前を問い正すようになったのも、そうした経験があるからです。
2.「あなたがどう子どもたちに伝えたかで評価しなさい」
テストの丸付けをしてくださっている時、ある子の答案の「単位のない数字」を指摘されました。純子先生は、「数字はあっているけれど、単位がない。丸にしていいの?」と聞いてきました。
私が迷っていると、「授業の中で、単位までつけることを丁寧に指導したの? 計算があっていればいいの? どっちなの?」 と問い詰められました。授業の中で細部までこだわって指導することの大切さを学んだ瞬間でした。
3.「いい根にはいい花が、悪い根には悪い花が咲くのよ」
純子先生のズバズバと言う言葉なので、悪い花という言葉は温かく解釈してください(笑)。要は、「心が行動を決める」ということでした。「見た目は美しいが悪い根から咲いた花は、すぐに枯れるのよ」と子どもたちに話してくださいました。真剣に話を聞いている子どもたちの表情を今でも思い出します。
4.「心の中に、天使と悪魔がいるの。あなたの天使を勝たせなさい」
これもまた、言葉だけ切り取れば強烈な内容です。意味としては、今回紹介させていただいたtweetの元になった考え方です。
宿題に対して、悪魔が「やらなくていい! 面倒くさいじゃん。さぼっちゃえ」とささやきます。しかし天使は「やらないとだめ! 勉強しないと! きっとあなたならできるよ!」と言います。
天使と悪魔の戦いという表現で、子どもたちの中に葛藤を生み、その上で自分で自分を望ましい方向へ向かわせる言葉だったと感じます。
子どもたちの内側に寄り添いたい
教室で日々、子どもたちと過ごしていると、どうしても「現象」に目が向いてしまいます。「姿勢が悪い」「ノートに書いていない」「時間に遅れる」「手いたずらをしている」「話を聞いていない」などです。
しかし、子どもたちはそうした姿が良くないことは百も承知です。すでに知っていることなのです。大人だって、「週案提出は遅れてはならない」「学級経営案を大切に学級経営する」「教材研究に打ち込まなければならない」「授業準備を怠ってはならない」など、知っていてもできないことがあります。
ですから、子どもたちは「知っている」ことを問い詰められても「すみませんでした」「ごめんなさい」と言うしかありません。果たして指導と言えるのでしょうか。もし私たちが管理職に同じように詰められたらどうでしょうか。私なら正論だとしても嫌です(笑)。
だからこそ、私たちは「現象」の内側にある、本来子どもたちがもっている「天使」に訴えるような寄り添い方をすべきだと考えています。
子どもたちの自己理解を促す指導
子どもたちの内側に寄り添えたとき、教師と子どもとの共感関係、信頼関係が築かれます。「あなたを本気で成長させたい」と言う教師の熱意と、「この人の話なら聞こう」と言う子どもの安心感が合致するのです。
そうしたときに、今回紹介したtweetのような言葉がけが機能します。関係性がない状態でこの「セリフ」だけ真似しても、機能不全に陥る可能性があります。
tweetの際、「話を聞かない子は嫌いということですか?」というコメントや、「別に聞かなくていいです!と言われたらどうしますか?」という質問を受けました。その方々には、このtweetを「決め台詞」として使ったり、「万能薬」として活用することではない旨を説明させていただきました。
この言葉がけを成立させるため、この数か月の指導の中で何が望ましいかを教室全体で共有し続け、子どもたちとの関係性を築いてきたのです。子どもたちの心の中に、判断基準となる考え方を根拠として持たせ、行動選択をさせているのです。
子どもたちの可能性を信じる
こうしたやりとりは、一見「放任」「自由」のように見えます。「何でもあり」「子ども任せ」に捉えられても仕方がありません。しかしこれは、子どもたちの「内側からあふれるエネルギーを元にして自立へ向かう力」を信じているからこそできる指導なのです。
そして、指導に至るまで数か月の積み上げがあることも事実です。だからこそ、望ましい選択に至らなかった場合は教師の責任であることを覚悟しなければなりません。
「先生が見ていないからいいだろうという考え方はだめです!」と言って子どもを制し、やめさせるのは簡単なことです。しかしそれは、子どもたちの可能性を潰していることと同じです。「こんなことしてたらダメだ」というその子の素直さを引き出し、成長を信じ願うことこそ、教師の指導ではないでしょうか。
古舘良純(ふるだて・よしずみ) ●岩手県久慈市出身、北海道教育大学函館校出身、菊池道場岩手支部代表、バラスーシ研究会所属、共著『授業の腕をあげるちょこっとスキル』(明治図書出版)、平成29年度千葉県教育弘済会教育実践研究論文にて最優秀賞を受賞