カリスマ教師ぬまっちアドバイス:休校明け、ここだけは注意しよう!
子供の自主性を伸ばす教育で注目を集める「ぬまっち」こと沼田先生。
今回は、「長引いたコロナ休校が明けて学校が再開した時、どのように子供たちと接してよいか迷っています。それぞれ状況が違う家庭環境の中で過ごしてきた子供たちに対して、どんなことに配慮をして接したらよいでしょうか?」という質問にお答えいただきました。
目次
休校明けが「学級開き」と考えよう
これまでも夏休み明けなど、長期休暇の後に学校を再開する際には、子供たちの様子を見取るために、いろいろな配慮する必要があったよね。
でも、今回の休校再開時と夏休み明けとの大きな違いは、夏休み明けの場合は、一学期に子供たちと一緒に過ごした時間があったということ。
ボクの場合、今年度は持ち上がりのクラスではないので、新しい学級の担任になる。
休校中、すでに何度かGoogle Meetを使ったオンライン学級会で顔を合わせているけれど、実際に会うのは、休校再開後が初めてということになるわけだ。
子供たちの様子については、実際に子供の顔を見ない限り予想がつかないというのが正直なところだよね。
そういう意味では、休校明けは、4月の学級開きのときと同じと捉えて学級経営を考えたほうがよいと思っている。
接し方としては、ボクが何を伝えるかどうかというよりも、まず子供たちの様子を知りたいよね。だから率直に、「ここ数か月自宅で過ごしてどうだった?」と聞いてみようと思っている。
休校中に名前を覚え、再開したら子供との信頼関係づくりに注力する
その上で、できるだけ早く、しっかりと子供たちと信頼関係をつくることに注力するつもりだよ。
そのためにも、いまのうちになるべく全員の名前を覚えようと思っている。
そして、学校が再開したら、できるだけ早く一人ひとりと話をする機会を持とうと思っている。
ちなみにボクは休み時間に基本的に外で遊ばないタイプ。
もちろん、休み時間に子供と遊ぶことを否定しているわけではないよ。
「子供と一緒に遊ぶべきだ」というと理論は間違ってないと思うし、実習生には「休み時間は子供たちと遊びなさい」と指導している。
ただ単に、ボクはいま、休み時間にみんなで遊ぶというやり方以外で子供たちの信頼を得る方法もあると思っているだけなんだ。
例えば、授業中に子供たちとの会話でツッコミを入れて話を掘り下げたり、5分休憩のトイレから帰ってきた子を捕まえて軽い雑談をすることを通して、子供たちの様子を自分なりに感じとっている。
だからいま少し不安なのは、授業中や休み時間に、子供たちとどれだけ雑談できる時間が取れるのかということ。
学校が再開されてもしばらくの期間は、恐らく一日の授業時間や子供たちが学校に滞在する時間は短縮されるだろうし、その限られた時間の中で、授業の時間を雑談に使い、やらなくてはいけない学習をいつもの何倍もできるのかどうかは、相当な工夫が必要になりそうだよね。
子供たちと信頼関係をつくるために、休校中に自宅に電話をかけ、「元気ですか?」と聞き、子供たちが「元気です」などと答えるだけでは、信頼関係まで築くことは難しいよね。
そういう意味では、学校が再開してから、4月の学級開きと同様に、集中して、できるだけ早く信頼関係をつくるしかないと思っている。
やっぱり、いつも以上にアンテナを張るしかないんじゃないかな。
問題行動の背景や、子供の気持ちを慮るばかりではダメ
一つ危惧しているのは、子供たちの気持ちやこれまで過ごした環境を慮るあまり、教師としての判断を誤ってしまうこと。
例えば、してはいけない行動を取った子供に対し、どう接するのかという問題。
当然、「なぜそういう行動するのか」と、行動の背景を考えないのはもってのほかです。
でも、「君の気持ちは考えるし、理解するつもりだよ。でもそれは社会的にダメだよ」ということはやはりしっかりと伝える必要があると思う。
ひどい悪口を言われたからぶっ飛ばしたという子に対し、「君の環境を考えると気持ちは分かる。でもぶっ飛ばしたことは謝れよ」と、きっちり言わなくてはいけないと思う。
これは数年前に、他の先生から聞いた話なんだけど、学校で友達の筆箱を壊した子がいてね、その子に対して、「あの子はやっぱりしょうがないよ。今は家庭が安定していないから荒れてるんだよ」と言って許したということがあったらしいんだよね。
でもね、家庭が荒れていたら物を壊してもよいのかと言えば、それは違うよね。
それとこれとは別。
イライラしたら、人のモノを壊すんじゃなくて、人に迷惑を掛けないようなストレスの発散の仕方を教えてあげた方がいいじゃないかと思う。
そもそもモノを壊したいわけではなく、イライラした気持ちをどこかにぶつけたい。でもその方法がわからないわけだよね。
だったら、校庭で全力で走るとか、縄跳びで1000回飛んでみるとか、そのイライラをぶつけられる他のことを探してあげればいい。 ひとつ試してみて、だめなら他の方法を試せばいい。
子供たちの行動には理由があると考え、その気持ちを想像してあげるという姿勢はとても大事だけど、その気持ちが分かるからこの子を許すとなると、結局常識がなくなっちゃう。
それはそれ、これはこれ。どんなに特別な状況下であっても、その判断を誤ると、学級経営が成り立たなくなってしまう。
子供のことを慮るというのは、とてもよい言葉のようだけれど、危うさもある。本当に子供たちのことを考えたら、「慮ることは大事。でも目の前で起きている事象は、また別の問題である」という意識も必要だよね。
とても難しい問題だし、すべてが杓子定規な判断をしてよいとは思わないけれど、教師として、大人として、誤ってはいけないポイントだと思う。
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沼田晶弘(ぬまたあきひろ)●1975年東京都生まれ。国立大学法人東京学芸大学附属世田谷小学校教諭。東京学芸大学教育学部卒業後、アメリカ・インディアナ州立ボールステイト大学大学院にて修士課程を修了。2006年から現職。著書に『「変」なクラスが世界を変える』(中央公論新社)他。
取材・文/出浦文絵