深谷圭助先生の言葉が育つ教室ー「辞書引き学習」からひらく語彙指導 #3 言葉と体験と「記号接地」―小学校低学年における「言葉の学習」と「辞書引き学習」の実践―

「辞書引き学習」で著名な深谷圭助先生が、「量子認知学」の考え方を基に「AI時代における語彙教育のあり方」について提案する10回連載。安易にデジタルディバイスに頼ることなく、子どもたちの語彙力を確かに伸ばす実践を、毎回具体的に提案します。
執筆/深谷圭助(中部大学教授・『例解学習国語辞典/小学館』編集代表)
目次
1.はじめに
近年、子どもたちはAIやインターネット検索を使って、言葉の意味をすぐに調べることができるようになりました。これはとても便利なことですが、その一方で、「言葉の意味を知っていること」と「言葉を実感として理解していること」との間にずれが生じる場面も見られます。
こうした問題を考える上で重要なのが、スティーブン・ハルナッドの「記号接地(symbol grounding)」という考え方です。
2.「記号接地」とは何か
「記号接地」という考え方を初めて示したスティーブン・ハルナッドによれば、記号接地とは、「言葉(記号)が、実際の体験・経験や感覚と結びつくことで意味をもつようになる」ことです。記号だけで定義された記号体系では意味は生まれず、感覚・知覚・行為との結び付き(grounding)が必要なのです。
たとえば「走る」という言葉を考えてみましょう。 「走る」とは、「人が2本足を使って速く動いて進むこと」と説明できます。しかし実際には、それだけではありません。
息がはずむ感じ、 風が顔に当たる感覚、 景色が後ろへ飛ぶように過ぎていく様子、こうした身体的・感覚的な体験とともに、「走る」という言葉は理解されています。
このように、言葉が体験・経験と結びついて意味をもつ状態が、記号接地された状態です。体験と言葉(記号)」が結びついた時、「腑に落ちる」という感覚があります。
「腑に落ちる場」としての授業ですが、「どうも腑に落ちない」と感じることもあるでしょう。それは、「体験・経験を記号(言葉・数式)と結びつけるための記号(言葉・数式)が不足している」ということになります。
このことは、言葉(記号)を身につけるための「段階」があるということを示しています。例えば、掛け算(×)を理解するためには、前提として、足し算(+)が理解できている必要があります。
山の尾根が連なる「山脈」を理解するには、「山」と「脈」という概念をそれぞれ理解しておく必要があります。体験・経験と記号を結びつけると言っても、そこには、体験の複雑さや記号の複雑さを加味して「理解への階段」を想定する必要があるのです。
授業とは、体験と記号(言葉・数式・図など)を結び付ける営みです。そのため教師は、どの経験の上に、どの言葉を積み重ねるかという「理解への階段」を設計する必要があるのです。
3.「辞書引き学習」の意義
ハルナッドの「記号接地」という考え方は、子どもの言葉の習得に重ねてみるとよく理解できます。
子どもたちの言葉のとらえ方は、実に「体験的」であり「感覚的」なのです。
実は、私が開発した「辞書引き学習」の取組は、辞書指導の始まる小学校3年生からではなく、「小学校1年生」から始まりました。(ちなみに当時、辞書指導は小学校4年生で行われていました)。
なぜ、学習指導要領では小学校中学年で行う辞書指導を、小学校1年生から始めたのでしょうか。それは、1989(平成元)年に生活科がスタートし、小学校1年生の子どもたちの体験活動を中心にした学びがスタートした時、体験の振り返りで言葉が出ず、もどかしい思いをしている子どもたちの様子に直面したからなのです。
この時、国語辞典を一人ひとりの子どもに与えたわけですが、「辞書の引き方」は教えていません。辞書の引き方は小学校中学年で教えることになっていましたから、教える必要はありません。
「辞書引き学習」では、「辞書の引き方を教えない」「辞書を引かせない」のです。「じしょびき学習」に対する誤解は、「辞書を引かせることが辞書引き学習」という誤解なのです。
辞書引き学習の最大の要点は、以下の三つです。
「辞書を開いて、ただ眺めること」
「辞書の中から知っている言葉を見つけて、ナンバリングした付箋にその言葉を書き込み、該当ページの辞書の上端に並べて貼ること」
「その知っている言葉の辞書での意味と、自分の思っている意味が、同じなのか、違うのかを吟味すること」
子どもたちが辞書を読むことで、自然に体験と記号(言葉)を結びつけようとするようになります。その結果として、自然に辞書の構造や引き方を体験的に理解することはあったかもしれませんが。
小学校1年生での「辞書引き学習」は、子どもが主体的に言葉と出会う場でした。
ただただ辞書をめくると、子どもたちは、
「これしってる」
「ぼく、しってる」
「わたしのしってることばがいっぱい載ってる」
と口々につぶやきます。
その様子を見たとき、私は
「あれだけ思うように言葉が出てこなかった子どもたちが、『この言葉、知ってる』と言うのはなぜだろう?
と疑問に感じました。
その時、私は、
「小学校1年生の子どもというのは、『体験』と『ことば』がつながっていないのだ」
ということに気づきました。
その結果として、私は、
「小学校低学年の時期にこそ、体験に言葉を接地させることを意識して指導することが大切なのではないだろうか?」
と気がついたのです。
私は、日常的に、子どもたちが「言葉と出会う場」としての「辞書引き学習」を考案しました。辞書引き学習で、言葉と出会うたびに、彼らの体験と言葉を結びつけるようにしようと考えたのです。
「体験」をさせて、「言葉」を与えるのではなく、「辞書引き学習」を通して「言葉」に出会わせて、言葉に関わる彼らの「体験」を語らせること。
そちらの方が、段違いに「言葉」と「体験」の往還ができることに気づいたのです。
子どもにとって「馴染みのある言葉」を見つけさせ、その「言葉」について語らせること。そして、辞書の語釈(説明)と付き合わせてみること。そのことで、子供の言葉を「記号接地」させることを始めました。
4. 「せんせい、たいへん。じしょがまちがっているよ」
「辞書引き学習」を小学1年生にさせていると、とても興味深い発言が子どもたちから飛び出します。
「せんせい、たいへん。じしょがまちがっている」
子どもたちが口々に言うのです。
大人なら、辞書が正しいに決まってると思うでしょう。辞書が間違っているはずがないと思いでしょう。ところが、子どもたちは、自分の体験に紐づけて言葉の意味を生成するものですから、自分の感覚と異なる辞書の意味に対して「辞書が間違っている」と考えるようなのです。
実は、子どもたちが辞書を引くとき、自分の思っている意味と違うという場面がたくさんあります。例えば、子どもたちは、「バナナ」を体験的に理解しています。
「バナナ」を説明してくださいと言うと「黄色くて、甘くて、皮があって、細長いくだもの」と言うでしょう。
ところが、国語辞典の「バナナ」の語釈を読むと、子どもが納得できるような説明をしていないのです。
バナナ (banana)
バショウの仲間の熱帯植物。実は細長くて、熟すと黄色くなり甘い。食用。
(金田一京助編、深谷圭助(代表)、飯田朝子、石黒圭、桂聖『例解学習国語辞典』小学館2024年より)
辞書の語釈では、バナナが「くだもの」だとは説明していません。「熱帯植物」なのです。
そして、「実は細長くて、熟すと黄色くなり、甘い」とありますから、あくまでも「黄色い」のは「実」です。「甘い」のは「実」です。「バナナ」は「植物」なのです。
わたしたちのバナナの認識は、「バナナの実」をスーパーマーケットで購入し、それを食べるという「付き合い(経験)」による認識なのです。バナナの木を育てたり、バナナの木から身をもぎ取って食べたりという経験はほとんどの日本人にはないのです。
私たちは、バナナの語釈に「熱帯の植物」とあるのを知り、「はっ」とするわけです。
さて、バナナの語釈には、「バショウの仲間」と書いてあります。
「バショウって何?」と目を白黒させる子どもたち。
そこで、「バショウ」を辞書で確認してみます。
ばしょう(芭蕉)
葉の長さが2メートル近い、あたたかい地方の植物。まれにバナナににた実がなる。
(金田一京助編、深谷圭助(代表)、飯田朝子、石黒圭、桂聖『例解学習国語辞典』小学館2024年より)
この後、子どもたちは、松尾芭蕉(ばしょう)に出会うまで、子どもの頭の中で、「バナナ」という言葉と共に「ばしょう」という言葉が、「グレーゾーン」の言葉として、経験に「接地」しないまま、ふわふわ浮いたままになるのでしょう。
ちなみに、松尾芭蕉の「ばしょう」は、彼の門人が「ばしょう」の株をプレゼントして、江戸深川の庵(いおり)の庭に植えたところ、庵を覆うほどに見事に成長したことから「庵」のことを「芭蕉庵」と呼ぶようになり、芭蕉庵の主人ということで「松尾芭蕉」と名乗るようになったようです。(大島晃「『芭蕉』という俳号をめぐって―漢文学雑考その一」『上智大学国文学科紀要』10号、1993年、pp.69−85)
さて、このように子どもたちは、体験と言葉とをつなげようとしています。言葉にならないもどかしさを克服し、体験を言葉にしたいと思っています。
辞書引き学習をすることで、子どもたちは辞書を読み、自ら「知っている言葉」を探します。そして、その「知っている言葉」の意味を読みます。すると、何かしら違和感を感じるはずです。
そこから、「あれ?」「どうして?」という自分の言葉の理解と、一般的、客観的な言葉の理解との「ずれ」に気づくようになります。実際に、辞書でそれらの子どもにとっての身近な言葉の語釈を読んでみると、必ずしも自分の理解と一致しないのです。
そのずれ(違和感)が、子どもに言葉への関心を持たせるチャンスとなります。辞書引き学習で辞書を読み進めると、思いがけない言葉との出会いや言葉の意味との出会いが生まれます。そこから新たな言葉のネットワークが広がっていきます。
5.「辞書引き学習」は子どもの「記号接地」を促進するのに最適な学習手法
「辞書引き学習」は、「言葉を調べる活動」ではありません。「言葉と経験が結びつく学習」であり、「言葉と経験の結びつきを吟味する学習」なのです。
子どもたちは、辞書に書かれた意味を読むとき、自分の経験と照らし合わせながら理解します。「この意味は、自分が知っている使い方と同じかな」と考えることで、言葉が経験に結びついていきます。ここで重要なのが、「紙の辞書を使う」という行為です。
紙の辞書はページをめくれば、すぐに多くの言葉に触れることができます。デジタル端末で言葉に触れるには、あらかじめ出会うつもりの言葉を用意し、入力しておく必要があります。
また、紙の辞書では、ページをめくり、目で文字を追いながら、目的の言葉を探していきます。言葉は本来、目に見えないものですが、文字として紙面上に配置されることで、「見えるもの」として扱われます。
紙の辞書では、五十音順などの一定のルールに基づいて言葉が整理されています。子どもたちは、そのルールを手がかりにしながら、「このあたりにあるはずだ」と見当をつけ、探し当てていきます。辞書引き学習では、厳密にそのルールを学習しておく必要はありません。小学校3年生で辞書の引き方を教わるまで、自由に辞書のページをめくることを許すのです。たっぷり辞書を読むことで、「その言葉は、前に読んだことがある」「この辺りに確かあったはず」というように、自然に言葉を辞書空間の中に位置づけ、言葉を空間的に捉える認知が働いています。いわば、言葉が「場所」をもつものとして認識されていくのです。
このような空間認知的な関わりは、デジタル検索ではほとんど生じません。検索欄に入力すれば、目的の言葉が瞬時に提示されるため、「探す」という過程そのものが省略されてしまうからです。
図書館でも同様です。十進分類法により、図書館では本は分類され、並べられています。図書館をよく利用する人は、どこにどの本があるかを空間的に認知しているはずです。このように体験的に情報を認知し、把握することは、一見すると非効率に見えるかもしれません。しかし、この探索の過程こそが、言葉への関与を深め、「記号接地」を支える重要な働きをしているのではないでしょうか。
6.「紙の辞書でできること」「デジタルディバイスでできること」との違いを知ること
デジタル環境では、素早く正確に意味にたどり着くことができます。しかし、その多くは一つの意味を提示する形式であり、比較したり迷ったりする余地が少なくなります。
一方、「辞書引き学習」は、時間と手間がかかりますが、その中で「探す」「比べる」「考える」という学びの過程が生まれます。この過程が、言葉を経験と結びつけ、深い理解へと導きます。
低学年の子どもたちは、言葉と経験を結びつけながら世界を理解していく段階にあります。この時期に、辞書引き学習を通して言葉に丁寧に向き合うことは、語彙力の土台を築く上で非常に重要です。また、繰り返し辞書を引く中で、粘り強さや主体的に学ぶ姿勢といった非認知能力も育まれます。
7.おわりに
言葉の意味は、単に覚えるものではなく、経験の中で育っていくものです。「走る」という言葉が身体感覚と結びついているように、すべての言葉は本来、経験とともに理解されます。
「辞書引き学習」は、その結びつきを豊かにする実践です。効率だけでは測れない「言葉との関わりの深さ」を育てる学びとして、その価値を改めて見直す必要があるでしょう。AI時代に失われがちな、言葉の「意味構成」の力を育てる強力な手立てが「辞書引き学習」なのです。


<筆者プロフィール>
ふかや・けいすけ。子どもの自ら学ぶ学習意欲と語彙力、言語活用能力、読解力を短期間で圧倒的に高める「辞書引き学習法」の開発・提唱者。子どもの学習意欲の低下や学力低下といった問題を打開する確かな指導法として、教育界で一際注目を集めている。その効果の高さから国内の教育現場はもちろんシンガポールなど海外でも導入されている。講演では子どもたちに実際の指導を行うことで学習意欲と学力向上を実感できる内容を盛り込み、また、教育現場における正しい指導法を伝授する。
