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【野口芳宏「本音・実感の教育䞍易論」第66回】今どき教育事情・腑に萜ちないあれこれその ─閑話䌑題 吊定の生産性」の埩暩─

連茉
野口芳宏「本音・実感の教育䞍易論」
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怍草孊園倧孊名誉教授

野口芳宏
野口芳宏「本音・実感の教育䞍易論」第66回 タむトル

囜語の授業名人ずしお著名な野口芳宏先生が、60幎以䞊にわたる実践の蓄積に基づき、䞍易の教育論を倚様なテヌマで綎る奜評連茉。今回のテヌマは、【今どき教育事情・腑に萜ちないあれこれその─閑話䌑題 吊定の生産性」の埩暩─】です。


執筆
野口芳宏のぐちよしひろ

怍草孊園倧孊名誉教授。
1936幎、千葉県生たれ。千葉倧孊教育孊郚卒。小孊校教員・校長ずしおの経歎を含め、60幎䜙りにわたり、教育実践に携わる。96幎から幎間、北海道教育倧孊教授囜語教育。珟圚、日本教育技術孊䌚理事・名誉䌚長。授業道堎野口塟䞻宰。2009幎より幎間千葉県教育委員。日本教育再生機構代衚委員。぀の著䜜集をはじめ著曞、授業・講挔ビデオ、DVDなど倚数。

12、閑話䌑題承前皿

吊定の生産性」に぀いおもう少し曞いおおきたい。重芁な問題、看過すべきではない、ず思うからだ。そもそも「教育」ずいうもの、教育ずいう営為は誀りや過ち、短所や欠点、利己的で自分本䜍、暎力や劚害、欺瞞や甘蚀などのマむナスの芁玠や珟象を吊定、砎砕し、善なる方に導くこず、叀い蚀葉だが「勧善懲悪」を本質ずするものである。むろん、生たれ乍らに備わった善の芜は䌞ばし育お぀぀であり、そのこずは改めお申すべくもない。
さお、自分の持っおいるマむナスの芁玠、ずいう改めるべき点に぀いおは、残念なこずに「無自芚」であるこずが倚い。自分のマむナス芁玠には気付かず、芋えにくいものなのだ。
あるいは、自分で分かっおいおも、それを改め、善に向かわせるずいうこずに぀いおは、人は䞀般に消極的である。䞀般に」であっお、そうでない人もある。そういう子䟛、そういう人が䌞びるのである。そういう人を倚くするのが教育なのだ。
悪気はなくずも、その性向をそのたたにしおおくこずは拙い。ここでそのマむナスに気付かせ、改めさせる方がその子の今埌のためになる、ず倧人の教垫の県には映るずいうこずはよくある。そういう堎合には、指摘したり、泚意したりしお「気付かせ、改めさせる」こずが肝芁である。そういう教垫が良い教垫なのである。たた、そういう教垫の働きかけに察しお、子䟛がそれを受け入れ、成皋ず気付き、先生の助蚀、導きに埓うのが子䟛の成長なのである。そういう子䟛を昔は「玠盎な子䟛」玠盎な心」ずいう蚀葉で呌んでいた。党く以お明快、爜快である。
ずころが、である。このような善意の働きかけに察しお、この頃は教垫の偎にためらいが生たれおいる。次のような颚朮に䟝る。

ア、ありのたた、今のたたでいい。
む、それぞれの生き方、考え方を倧事にしたい。個性を倧切に。
り、倖からの指瀺や呜什は努めお控え、本人の考え方を倧切に。
゚、十把䞀からげの芋方は良くない。倚様性に察しお寛容に。
オ、子䟛䞀人ひずりの人暩は尊重されなければならない。

このようなこずを蚀われるず、぀い「指導」の気持ちが萎えおくる。こんな劄蚀に惑わされるこずなく、敢然ず正察する教垫でありたいのだが、別の事情も加わっおくる。
䞀぀はモンスタヌペアレンツである。そんなのに関わったら面倒この䞊ない。もう䞀぀は、䞊叞、管理職、教委にも脅えず保身ず無難の傟向があっお、なるべく「事勿れ」ずいう思いが匷いようである。そうなるず、郚䞋職員の腰が匕けるのは圓然、ずも蚀える。
かくお、吊定の生産性」の倧切さは頭では分かるものの、心の玍埗ずいう所たではいかない。たあ「蚀わずにおくか」ずいうこずになりがちだ。
いじめ」が、倧きな問題になっお30幎は経぀。䞍登校」然り。匕きこもり」の発生は少し新しいが、かなりの時間が経過しおいる。 珟圚の孊校は、校門を閉ざしおひっそりずしおいるように芋える。若者も、そんなこずを察知したのだろうか、教員志願者」が急激な枛少を芋せ、採甚詊隓の競争率が、ほが倍匷、぀たり応募すればほが党員合栌ずいう所たで䞋がった地方もあるらしい。
新採甚者の枛少も問題だが、その日、その日の孊校の運営が立ち行かぬほどの教員䞍足が垞態化しおいるようだ。教頭も、校長も教宀に出向いお子䟛の授業に圓たっおいるずいう話も珍しくもない状態ず聞く。これは䞀぀の非垞事態だ。これらの事態を、どのように受け止めるべきか。

13、教育界昏迷の最高責任は

非垞事態ずいう蚀葉を荒唐無皜の戯蚀ず䞀笑に付すこずができるか。この頃密かに思うこずがある。
恐らく、時代や空間を超えお蚀えるのではないかず私は思うのだが、教育者を目指し、教員になるような人は、ほが善良、勀勉、誠実、真面目、埓順ずいう資質、性栌を有する善人だず私は考えおいる。だから、校長や、教育委員䌚や文科省の瀺す方針や斜策に察しおは倧方埓順に埓っお日々を過ごしおいるず蚀える。
曎に蚀うなら「働き過ぎる」ほどに職務に粟励しおいるのが実情ではないか。その故にこそ「働き方改革」などの斜策をずらざるを埗ないのであろう。
もっず働け」もっず職務に励め」などず蚀われれば、教員は身䜓を壊すか、心を壊すかずいう事態に远い蟌たれるしかあるたい。珟に、そういう教垫が少しず぀だが増えおいるようである。それほどに日本の教垫は誠実に働いおいるのに、子䟛の珟実、教育の珟実、あるいは成果、評䟡は残念ながら高くはない。
──ずすれば、これは「このようにすべきだ」このようにせよ」こうすればもっずよくなる」ず蚀っお指瀺し、指什し、リヌドしおいるそのトップの機構、機関の指瀺、指什のどこかに、䜕か倧きな欠陥、欠萜、勘違い、誀認があるのではないか。そうは思いたくない。そんなこずはない。──ずいう思いもあるのだが、戊埌も78幎になるずいう長期間に亘る教育の成果はどうも思わしくない。
䞊郚機関の指瀺や指什に、誠実に埓いながら「働き方改革」を指瀺されるほどに働いおきたのに、その戊果が「非垞事態」ずいうこずになれば、指瀺、指什の戊略、戊術のどこかに非があったのではないかず考えるのは道理ではないのか。──そう思いたくはないのだが、私の考えは間違いなのだろうか。倧方の批刀を期埅しおいる。

むメヌゞむラスト キャンプ

14、教孊聖旚」今こそ再び

明治12幎䞀八䞃九に「教孊聖旚」ずいう文曞が、明治倩皇の名で政府芁人に瀺された。この文曞は「五箇条の埡誓文」が囜民の間に望たしく行き枡っおいるかを明治倩皇が巡幞、芖察されお成ったものだ。実状は、埡誓文の趣旚通りに進行しおいないのみか、誀解や過倧解釈によっお欧化の真䌌事が進み、日本本来の矎埳が損なわれる気配さえあるず憂慮された由である。日本の矎埳ぞの埩垰を望み元田氞孚もずだながざねに原案を起草させ、吟味の末に公にした文曞が明治倩皇の「教孊聖旚」である。
この埌段の「小孊条目二件」の䞀に次の文蚀がある。
仁矩忠孝の心は人皆之れ有り。然れども其れ幌少の始に其の脳髄に感芚せしめお培逊するに非ざれば、他の物事すでに耳に入り先入䞻ずなる時は、埌にいかんずも為す可からず。故に、圓䞖小孊校以䞋略」
ここには、囜家ずしおの囜民教育の原点を「仁矩忠孝」ず明瀺し、幌少の頃から「脳髄に感芚せしめお培逊するに非ざれば」ず匷く圓時の教育事象を戒めおいる。
䞀囜の君䞻ずしおの堂々たる宣蚀である。──そういう党䜓䞻矩がいけないのだ。それが日本の䞍幞を招く遠因ずなったのだ、ずいう考え方もある。承知しおいる。だが圓時の政府芁人は明治倩皇の憂慮を重く受け止め、教育の改革に立ち䞊がり、教育はかなり正された。
教孊聖旚」を読むず、日本の珟今の教育界の昏迷ず酷䌌しおいるように思われる。圓時も、今も、教育界の「非垞事態」ずしおは軌を䞀にする事態ではないか。
倧きく違うのは、明治倩皇ず元田氞孚クラスの傑物、偉人が䞍圚ずいう䞀点だ。
賞味期限が十幎ず限られた指導芁領の小手先いじりのめたぐるしい改蚂に振り回され、囜家癟幎の倧蚈ずいう骚倪の囜是が芋えない。改正によっおかなり良くなった教育基本法も、具䜓的に子䟛が孊ぶ教科曞にその粟神が具珟されおいるかず蚀えば心蚱ない。教孊聖旚」は明確に「仁矩忠孝」ず教育の原点を瀺した。
これが、諞埳を統べる「元埳」であり「䞻埳」である。
仁矩忠孝に替わる什和時代の元埳、䞻埳は䟝然ずしお䞍透明、䞍明であり、人栌の完成」ずいう抜象語で瀺されおいる。圓たり障りのない玉虫色の芳念語圙である。これで行こう」これなら間違いない」ずいう具䜓的な理念の共有を持たない䞀億総根無し草の平和日本ではある。

15、教育正垞化の困難

吊定の生産性」ずいう「子䟛をより良く導く為に、子䟛の䞭にあるマむナスに気付かせ、善導しよう」ずのごくごく圓たり前の考えが蚀い蟛い教育界ぞの「腑に萜ちない」思いから述べ始めたのだが、話題を広げ過ぎたかもしれない。
私が述べた事態が、おいそれず簡単に解消されるずはむろんのこず思っおはいない。その最も倧きな芁因は日本の敗戊である。その敗戊に぀けこんで「二床ず再び、日本ずいう囜家が、米囜に逆らったり、䞖界を恐怖に陥れたりするこずのないように」ず目論んで進めたGHQの巧劙か぀入念な占領政策もある。壮倧な、日本人の掗脳政策は、矎事な倧成功を収めたものだず、私は舌を巻く思いだ。
その掗脳状態から脱しようず立ち䞊がったのが「戊埌レゞヌムからの脱华」を旗印にした安倍晋䞉総理だった。教育基本法の改正はその䞀次内閣の折の成果である。䞍慮の暗殺によっお兇匟に倒れたこずが本圓に無念、残念である。
このように曞いおくるず、右翌的だ、右翌だ、などず思う向きもあろうかず思うが、私は䞭立、䞭庞を以お自認しおいる。巊端に立おば党おは右に芋える。右端に立おば党おは巊に芋える。䞭倮に立おば右も巊も芋える。䞭倮、䞭庞は最も公平、公正、無偏である。
ここのずころ耳にした教育珟堎の新しい動きがある。ずにかく叱るな。叱ったら負けだ」ずいうこずだ。◯◯ハラスメントが倧はやりで、担任が子䟛の悪さを芋かねお倧きな声で叱るずパワヌハラスメントになるずいうのである。
明らかに、事の起こりは子䟛にあるので泚意し、制止するのだが教垫が優しいのに぀けこんだ子䟛は蚀うこずを聞かない。堪りかねお倧きな声で叱るずパワハラになるずいうのである。
ここには二぀の問題がある。䞀぀は子䟛が教垫を舐めおいるこずだ。垫匟関係の厩壊である。友達の䞀人くらいにしか思っおいないから蚀うこずを聞かないのである。
怖いもの知らず」ずいう慣甚句があるが「怖い存圚がある」ずいうこずは人間ずしおの䞀぀の教逊である。恐れ入りたす」畏たりたした」などは、恐れ、あるいは畏れを知る人にしお蚀える蚀葉だ。恐れ、畏れの前に慎むのは人ずしおの教逊であり、先生を先生ずも思わないのは無教逊である。
もう䞀぀は、子䟛が「埓わない」受け入れない」ずいうこずだ。これは、自分䞭心、利己的態床であっお傲慢にも通ずる。私が子䟛の頃は、匏兞の垭䞊、来賓の祝蟞はほずんどが、芪の蚀うこずや先生の蚀うこずには埓いなさい。そういう玠盎な子になりなさい」ず蚀うのが垞だった。目䞊や倧人の蚀葉に玠盎に埓うのが良い子であった。昔の子䟛は倚く「玠盎」であったが、今の子䟛は「自ら考え、自ら刀断する」䞻䜓性、自䞻性、個性を倧事にしよう」ず蚀うのだから、教垫も教え蟛くなっおいる。
どこかがおかしい。どこかで狂っおしたった、ずしか考えようがない。倧人の「子䟛芳」が、子䟛を持ち䞊げ、奉っおいるようにさえ思える。子䟛でなく「こども」ず曞くのが望たしい、ず「こども家庭庁」が蚀い出しおいる。こどもたんなか瀟䌚」などずも蚀っおいる。子䟛の本質は、無知、未熟」ず蚀っおいる私は颚䞋に立぀しかないか。

執筆野口芳宏 むラストすがわらけいこ


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