堀 裕嗣 の辛口時評 HOLY’s Bar 一杯分だけ、話そうか。#18 歴史と人々が生きる「今日」~私たちにはまだ見えないもの

教育界随一の論客、堀 裕嗣先生による連載第18回。教育というジャンルに留まらず、広い社会的視野、歴史的射程に基づいた縦横無尽な論考をお届けします。毎回最後のコラムでは、教育界有数の酒豪でもある筆者の「今、推しのお酒」も紹介します。
執筆/堀 裕嗣(北海道公立中学校教諭)
目次
1.同じ日に始まった二つの「戦後」
1945年10月11日、東京の日比谷にある第一生命館で、一つの会談が行われた。
会談したのは、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーと、その二日前に首相に就任したばかりの幣原喜重郎である。敗戦からまだ二か月も経っていない。日本は占領下にあり、これからこの国をどのようにつくり直していくのか、その輪郭さえまだ定まっていなかった。
この会談でマッカーサーは、幣原に五つの改革を求めた。女性の解放、労働組合結成の奨励、教育の自由主義化、秘密警察など圧政的諸制度の廃止、経済機構の民主化。いわゆる「五大改革指令」である。現在の私たちから見れば、どれもそれほど驚くようなものには見えない。男女が平等であること。労働者に権利があること。教育が国家によって一方的に統制されないこと。権力が国民の思想や言論を抑圧しないこと。少なくとも理念のうえでは、いまの日本社会を成り立たせている土台の一部である。
しかし、1945年10月11日の日本では、それらはまだ「当たり前」ではなかった。日本は戦争に負けただけではない。これまでとは異なる原理によって、国家と社会の仕組みそのものをつくり替えようとしていた。昨日まで正しいとされていたものが正しくないものとなり、昨日まで認められていなかったものが権利として認められていく。その意味で、この日は日本の「戦後」が具体的な形をもち始めた日の一つだったと言っていい。
ところが、おもしろいことに、まったく同じ1945年10月11日、もう一つ、後に「戦後」を象徴することになる出来事が起こっている。松竹映画『そよかぜ』が公開されたのである。そして、その映画のなかで一人の若い女性が歌った。
並木路子、24歳。歌の題名は「リンゴの唄」。
音源:https://www.youtube.com/watch?v=Gf0jDTOyF4U
歌詞:https://www.uta-net.com/song/13829/
後に「戦後最初のヒット曲」と呼ばれることになる歌である。
いま改めて聴いてみても、不思議なほどに明るい歌である。戦争もなければ、敗戦もない。国家もなければ、民主主義もない。歌われているのはリンゴであり、青い空であり、好きな人への思いである。焼け跡がまだ街のあちこちに残り、食べるものにも事欠いていた時代に、人々はこの歌を聴き、やがて口ずさむようになった。
同じ日の東京で、一方ではマッカーサーと幣原が日本という国の新しい形について話している。もう一方では映画館のスクリーンから「リンゴの唄」が流れている。政治史の年表に書けば前者は「五大改革指令」、音楽史の年表に書けば後者は「リンゴの唄」となる。おそらく普通なら、この二つが一緒に語られることはない。
しかし、二つがまったく同じ日に起こっていたと知ると、妙に気にかかる。
私たちは1945年8月15日を境に、「戦前」と「戦後」という言葉を使い分ける。もちろん歴史を整理するうえでは便利な区切りである。しかし、人間の社会は、本当に日付を境にして別のものになるのだろうか。制度なら変えられる。法律なら書き換えられる。学校で教える内容も変えられる。しかし、人間の暮らしや感情や文化までが、ある日を境に一斉に別のものへと入れ替わるわけではない。
1945年10月11日。一方では、戦前とは違う日本をつくろうとする改革が始まり、もう一方では、後に戦後を象徴することになる歌が流れ始めた。
ところが、この「リンゴの唄」の来歴をたどってみると、この二つの出来事の関係は、そう単純ではないことがわかってくる。
2.戦時中につくられた「戦後の歌」
実は、「リンゴの唄」は戦後につくられた歌ではない。
作詞したのはサトウハチロー、作曲したのは万城目正。「リンゴの唄」が挿入歌として使われた映画『そよかぜ』の企画が動き始めたのは、まだ戦争が続いていた時期のことである。1945年、日本各地の都市は相次ぐ空襲にさらされていた。東京も大阪も焼け、生活物資は不足し、人々は長く続く戦争に疲れ切っていた。そうしたなか、暗く沈んだ人々の気持ちを少しでも明るくする映画をつくろうと企画されたのが『そよかぜ』だった。
つまり、この映画はもともと「敗戦から立ち上がる日本人」を励ますためにつくられたものではない。まだ日本が戦争をしている最中に、「戦争を続けている日本人」を励ますためにつくられ始めた映画だったのである。当然ながら、そこに「戦後」という発想はない。つくっている人たちは、この映画が公開されるころには日本が敗戦し、連合国軍による占領が始まっているなどとは想定していなかったろう。
ところが、映画をつくっているあいだに、日本は負けた。
8月15日、戦争が終わる。映画はそのままお蔵入りにはならなかった。敗戦後の新しい検閲を経て、10月11日に公開される。そして映画のなかで歌われた「リンゴの唄」が、焼け跡の日本に広がっていった。戦時下の人々を励ますために準備された歌が、いつの間にか、敗戦後の人々を励ます歌になっていたのである。
考えてみれば、不思議な話である。「リンゴの唄」は何も変わっていない。作詞者が歌詞を書き換えたわけでも、作曲者が敗戦後の日本に合わせて曲調を変えたわけでもない。同じ歌が、敗戦という巨大な出来事をまたいだだけで、その意味を変えた。戦争中につくられた歌が、後には「戦後最初のヒット曲」と呼ばれ、さらには「戦後の明るさ」や「戦後の解放感」を象徴する歌として記憶されていく。
なぜ、そんなことが可能だったのか。
おそらく一つには、「リンゴの唄」が戦争を歌っていなかったからだ。そこには天皇も国家も軍隊も登場しない。「お国のため」も「勝つまでは」もない。だから敗戦によって否定されるべき言葉もなかった。そこにあるのは、リンゴの赤さであり、空の青さであり、誰かを好きだという気持ちである。戦争が始まる前にも人は誰かを好きになったし、戦争中にも好きになった。そして戦争が終わった後にも、もちろん好きになる。政治体制が変わっても、人間が人間である限りなくならないものが、この歌には残っていた。
しかも、「リンゴの唄」が戦後の人々に明るく聞こえた理由を、歌そのものだけに求めることもできない。1945年8月15日以前にこの歌を聴けば、それは戦時下の娯楽映画の明るい挿入歌として聞こえたはずである。しかし10月11日の映画館で同じ歌を聴いた人々にとって、その明るさは別の意味を帯びた。空襲警報を気にせず映画館へ行くことができる。灯火管制もない。映画を見て笑い、歌を聴き、好きな歌を口ずさむ。歌が変わったのではない。歌を取り囲んでいる世界の方が変わったのである。
ここに、歴史というものの少し厄介な性質が見えてくる。
私たちは後から歴史を見るから、「戦前」と「戦後」をきれいに分けることができる。1945年8月15日に一本の線を引き、その左側に軍国主義、国家総動員、統制、戦争を置き、右側に民主主義、自由、平和、復興を置く。しかし、その線を実際にまたいだ人々の生活は、そんなにきれいには切れていなかったはずである。8月14日まで生きていた人間が、8月15日に別の人間になったわけではない。家族も同じなら、記憶も同じである。昨日まで身につけていた習慣も、ものの見方も、好きだった歌も、そのまま身体のなかに残っている。
むしろ、新しい時代というものは、古い時代をすべて捨て去ったところから始まるわけではないのかもしれない。古い時代のなかですでに生まれていたものの一部が、新しい時代になったとき、別の意味を与えられる。「リンゴの唄」は、そのことをわかりやすい形で見せてくれている。
そして奇妙なことに、その「リンゴの唄」が公開されたまさにその日、第一生命館ではマッカーサーが幣原喜重郎に五つの改革を求めていた。こちらは、昨日までの日本とは違う日本を、意識的につくろうとする動きであった。
一方には、過去を切断しようとする力がある。もう一方には、過去からそのまま流れ込んでくるものがある。
その二つが、1945年10月11日という同じ一日のなかにあった。
3.戦前のなかにあった「戦後」
では、もう一方の「五大改革指令」はどうだったのだろう。
マッカーサーが幣原喜重郎に示した五つの改革を改めて並べてみる。女性の解放、労働組合結成の奨励、教育の自由主義化、秘密警察など圧政的諸制度の廃止、経済機構の民主化である。こうして見ると、確かに戦前の日本を否定し、新しい日本をつくるための改革に見える。実際、占領期の改革はその後、女性参政権、労働三法、教育基本法、財閥解体、農地改革などへと具体化していった。日本社会の仕組みは、短期間のうちに大きく変わっていく。
しかし、ここでも話はそれほど単純ではない。
例えば女性参政権である。日本で女性が初めて衆議院議員選挙に投票したのは1946年4月10日のことだった。戦前の日本には女性の国政選挙権がなかったのだから、これは明らかに大きな転換である。しかし、女性参政権を求める運動そのものが敗戦後に突然生まれたわけではない。平塚らいてうや市川房枝らによる女性解放運動は大正期から続いていた。1920年代には婦人参政権運動が本格化し、市川らは女性の政治参加を求め続けている。敗戦によって突然、日本人女性が政治的権利という考え方を知ったわけではないのである。
労働運動も同じである。戦後になって初めて労働者が団結し始めたわけではない。明治末から大正期にかけて労働運動はすでに広がり、1912年には鈴木文治らによって友愛会が結成されている。その後、労働争議も増加した。戦時体制の強化によって労働組合が解体され、産業報国会へと組み込まれていったのであって、労働者が団結するという発想そのものが1945年10月11日にアメリカから輸入されたわけではない。
教育についても同様である。戦前の教育をすべて「国家主義的教育」という一語で括ってしまえば見えなくなるが、大正期にはいわゆる大正自由教育の運動があった。子どもの自発性や個性を重んじ、教師が一方的に知識を注入する教育から離れようとする実践が各地で試みられている。戦後教育が掲げた自由や個人の尊重につながる発想は、戦前の日本社会の内部にもすでに存在していた。
もちろん、だから占領改革には意味がなかったという話ではない。戦前に存在していたさまざまな運動や思想は、国家の制度そのものを変えるところまでは到達できなかった。とりわけ1930年代以降、戦時体制が強まるにつれて、多くは抑圧され、後退させられていった。敗戦と占領という巨大な断絶がなければ、それらがこれほど短期間に制度化されたかどうかはわからない。外から加えられた強烈な力が、日本社会を一気に動かしたことは間違いない。
しかし、「戦前の日本にはなかった民主主義を、敗戦後にアメリカが持ってきた」と理解してしまうと、やはり歴史を単純化しすぎる。女性の政治参加を求めていた人がいた。労働者の権利を求めていた人がいた。子どもの自由や個性を尊重する教育を模索していた教師がいた。敗戦後の改革によって制度になったもののなかには、戦前の日本社会の内部で、すでに芽を出していたものが少なくない。
そう考えると、前節で描いた構図も少し崩れてくる。
「リンゴの唄」は戦前から戦後へ流れ込んできた。一方、五大改革指令は戦前を切断して戦後をつくった。そう整理すればわかりやすい。しかし、五大改革によって実現されていった価値の側にも、戦前からの流れがあったのである。
歴史は、どうやら「切断」と「連続」のどちらか一方では説明できないらしい。
1945年8月15日には、確かに巨大な断絶があった。戦争は終わり、日本は占領され、国家の制度は大きく変わった。しかし、その断絶の向こう側へ渡っていったのは、8月15日以降に新しく生まれたものだけではない。戦前の社会のなかで抑え込まれていたもの、十分には育たなかったもの、あるいは政治とは何の関係もなく人々の日常に存在していたものもまた、その線を越えていった。
「リンゴの唄」もそうだった。女性参政権を求める声もそうだった。労働者の権利を求める運動も、子どもの自由を大切にしようとする教育もそうだった。
新しい時代は、何もないところから始まるのではない。
前の時代のなかにあったものを選び取り、あるものを捨て、あるものを蘇らせ、そしてそれまでとは違う意味を与えながら始まっていくのである。
4.まだ名もなき時代
私たちは歴史を知っているつもりでいる。
少なくとも過去については、「知っている」と言っても許される程度には知っている。1945年8月15日に戦争が終わったことを知っているし、その後、日本が占領され、憲法が変わり、社会の制度が大きく変わっていったことも知っている。教科書を開けば、「戦前」と「戦後」のあいだにははっきりとした境界線が引かれている。だから私たちは、1945年という年を「時代の転換点」と呼ぶことだってできる。
しかし、1945年を生きていた人たちはどうだったのだろう。
8月15日の正午、ラジオから天皇の声を聞いた人々は、戦争が終わったことは理解しただろう。しかし、その瞬間に「いま、自分は戦前から戦後へ移った」と感じたわけではないはずである。翌朝になれば腹が減る。家族の消息を心配し、焼けた家を片づけ、食べものを探し、仕事があれば仕事に行く。昨日までの人生を抱えたまま、今日を生きるしかない。
私たちには、その後の80年が見えている。だから1945年10月11日のマッカーサーと幣原の会談を見れば、「ここから戦後日本の民主化が始まっていく」と意味づけることができる。同じ日に公開された『そよかぜ』を見れば、「リンゴの唄は戦後最初のヒット曲になる」と知っている。しかし、その日の第一生命館にいた人にも、映画館にいた人にも、そんな未来は見えていない。そこで起こっていたことが後にどんな意味をもつのかを知らないまま、それぞれの10月11日を生きていた。
これは1945年だけの話ではない。
私たちは、自分が生きている時代についてだけは、歴史の教科書を持っていない。いま起こっている出来事のうち、何が百年後の教科書に載り、何が忘れられるのかもわからない。いま社会の中心にあるものが十年後にも残っているとは限らないし、いまは誰も重要だと思っていないものが、後から振り返れば時代を変えた最初の兆候だったということもあるだろう。時代のただ中にいる人間には、時代の全体像が見えないのである。
しかも、新しい時代をつくるものが、その時代になってから生まれるとは限らない。「リンゴの唄」がそうだった。後に戦後を象徴することになる歌は、戦争が終わってから戦後のためにつくられたわけではなかった。まだ誰も「戦後」を知らない戦時中に、すでにつくられていた。女性参政権も、労働者の権利も、自由な教育を求める思想も同じである。後に新しい時代を特徴づけることになるものの芽は、古い時代の内部にすでに存在していた。
だとすれば、現在も同じなのだろう。
いま私たちの周囲にあるもののなかにも、次の時代をつくるものがすでに存在しているのかもしれない。それは大きな政治運動かもしれないし、新しい技術かもしれない。しかし、もっと小さなものかもしれない。いまはまだ名前さえ与えられていない習慣、人と人との新しいつながり方、若い世代が当然のように身につけている感覚、あるいは、ほとんど誰にも注目されていない小さな文化。何が残り、何が消えるのかを、現在にいる私たちはまだ知らない。
反対に、いま私たちが「これからの時代をつくる」と騒いでいるものが、ほとんど何も残さず消えていく可能性だってある。歴史は、当時もっとも大きな声で語られていたものだけによってつくられるわけではない。1945年10月11日、第一生命館で交わされた会談が戦後日本の制度を動かした一方で、一つの映画のなかで歌われた小さな歌もまた、その後の日本人が「戦後」を思い浮かべるときの記憶になった。
歴史の転換点とは、後になってから名づけられるものなのだろう。そこを生きている人間に見えているのは、いつだって「今日」でしかない。昨日から続く今日を生き、明日もその続きが来ると思っている。その足元で、古い時代が少しずつ終わり、次の時代が少しずつ始まっている。
1945年10月11日、人々は「戦後最初のヒット曲」を聴いたわけではない。
ただ、「リンゴの唄」という新しい歌を聴いたのである。
今夜は、この一杯。
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<今回の執筆者のプロフィール>
ほり・ひろつぐ。1966年北海道湧別町生まれ。札幌市の公立中学校教諭。現在、「研究集団ことのは」代表、「教師力BRUSH-UPセミナー」顧問、「実践研究水輪」研究担当を務めつつ、「日本文学協会」「全国大学国語教育学会」「日本言語技術教育学会」などにも所属している。『スクールカーストの正体』(小学館)、『教師力ピラミッド』(明治図書出版)、『生徒指導10の原理 100の原則』(学事出版)ほか、著書多数。筆者のnote→https://note.com/hirotsugu1966

