伝説の教師 大村はまの国語授業づくり#12 大村はまは「話し合える人」をどう育てたか

日本教育史上突出した実践を展開し、没後20年を経た今も伝説として語り継がれる国語教師、大村はま。現役時代の教え子であり、その逝去の二日前まで身近に寄り添った苅谷夏子さんが、改めてその国語授業づくりの 「凄み」を語る連載も、いよいよ最終回。最終回のテーマは、大村はまの「話し合いの授業」です。
執筆/苅谷夏子(大村はま記念国語教育の会理事長・事務局長)
目次
話し合いの「あるべき形」を教えているか
12回の連載として書き進めてきたこのシリーズも、今回で最終回となる。2005年に亡くなった大村はまが、最後まで、後輩の教員にバトンを渡したいと願っていた三つのこと、「てびき」「評価の考え方」「話し合い」のうち、話し合いについてお伝えすることを最終回としたい。前回は、話し合いの最小単位としての「対話」について考えた。一対一で、心から本当のことばを交わし合うことを、教室の日常の中で体験する。その味を知り、その価値を知る。それを拡大させて、話し合える人をどう育てようとしたか、そこを見ていきたい。
話し合いは、もう長年、学校教育の中で大事なものとされてきている。大村はまはこう言う。
「今の時代に、国語の先生で、話し合いをやらせない先生なんていません。何でも話し合ってごらんということになっているでしょう。でも、いけないのは、話し合いを教えていないということ。……話し合いというものをちゃんと理解して、あるべき形を心がけて勉強している子どもはいないわけです。活発に発言できるとか、そういうのはありますね。でも、話し合いそのものを教えるということがないと思います。」
『教えることの復権』
この本が書かれた2年後に大村は亡くなり、もう20年以上が経ったが、その間、話し合いにまつわる状況は改善されているだろうか。――変化はあった。話し合いが大事、ということはさらに強調され、問いの生成、合意形成というようなスローガンも加わり、多くの教室で子どもたちは盛んに話し合いをしている。
けれども、残念なことに、「話し合うことは大事で、良いことだ」という大人の側の価値観が子どもに“安易に”受容され共有されてしまい、その結果、「話し合ってよかった」「お友だちの意見が聞けてよかった」という着地点にもう最初から立っているような様子が見られる。話し合いというものは、いとも容易に混乱するし、散漫にもなるし、意図がすれ違いもするが、そうした実態に目をつぶって、「話し合って良かった」と言うのは、「ほんとうのことば」を放棄したことにしかならない。「今の話し合いは、なんだかごちゃごちゃして、何を話し合っているのか、よくわからなかった。ちっとも満足していない」と冷静な評価をするよう発言は、協調性を重視する教室では表面化しない。
その上、個々人の考えを重視することもさらに強調されてきた結果として、どの子のどんな意見も平等に受け止め、否定しない、というあり方がより進行した。否定しないことと、吟味しないことが、気づけば同一視されるようになっている。その結果として、話し合いのぶれや混乱を収める術がなくなってしまっているように見える。
「話し合いを教えているか、話し合いのあるべき形を心がけて話し合いというものを勉強しているか」――残念ながら進展は見られない。大村はまなら、2026年の今を見て、そう言いそうだ。
一人前の言語生活者を育てる、という広い視野で国語教室を営むなら、話し合うことは最上級に重要な力と言えるだろう。そもそも大村は話し合いをどう捉えていたのだろう。
話し合うということをしていますときの活発な自分の頭のなか、……はつらつと動かされている頭というのが、話し合っている内容以上に、じつに意外なことを自分自身に悟らせるということなのです。
『大村はまの国語教室』
……自己が開発されるというのでしょうか、その力はびっくりするようなものだと思います。(中略)話しことばというものの世界に、どういう自己開発の瞬間があるかということを悟らせたいと思います。そして、生きた人と生きた人が、貴重な生命の一こまを使って打ち合っているその時、何が起こるのかということを、私は悟らせたい。
大村がここで「悟らせる」ということばを繰り返していることに目を向けたい。「悟る」ということばに釣り合うくらいの深さで、「生きた人と生きた人が、貴重な生命の一こまを使って打ち合っているその時、どんなふうに自己開発の瞬間があるか」それを、驚きや感動とともに認識すること。忘れようもないくらい、わかること。「集まって話し合うことの良さ」というものを、ただの手続きや、綺麗ごとの建て前としてではなく、確かに納得すること。それも、結論がどう出たか、どの意見が通ったか、というような外側の形としてではなくて、自分自身が開かれる(開発)という観点から悟ること。
話し合うことの価値をそう見るなら、本気になって、しっかり話し合える人たちを育てたいと、思わずにはいられない。それが、ことばを使いながら生きていくことの甲斐にもなるし、土台にもなるだろうから。

大村は具体的にどう指導したか
実は、国語の神さまと呼ばれた大村はまにとっても、話し合いの指導はたいへん難しいものだった。
……私などは、この点は非常に用心深いので、できるという見きわめがつきませんと、なかなか「話し合ってごらん」ということにしません。話し合いは、悪い癖がついてしまいますと、まず、直すことは不可能です。話し合いに対する興味を失い、その重要性を軽蔑するようになってしまいます。話し合いなんて、時間つぶしでつまらない……話し合いがなくても、自分自分でやればいいんだ、とか、そういうふうになっていきます。
『教室に魅力を』
……話し合いは、誰かが誰かをバカにしているという教室では、どんなふうに教えてもできません。……バカにしている人の発言を心を込めて聞くなどということはできません。また、バカにされていると思っている子が発言するわけがありません。……バカにしていたことを後悔し、正しい目で、その人をほんとうに尊敬をもって見る、というところへ持ってこないと。
『教室を生き生きと』
決して「話し合い」を軽蔑しない集団、そこにいる全員が尊重しあう集団となって話し合う、その難題を大村はまはどう具体化したか。
1・話し合いを教えることを第一の目的とした学習をする。
話し合いは、「ついで」に教えられるようなことではない。話し合うことを教えるためだけに目的を絞って、ちょうどよいテーマと材料を選び出す。話し合うという非常に複雑な要素のからみあった言語活動は、条件のどこかを整理・整備しないと子どもの手と脳に収まるサイズの活動にならない。そのためには……
①テーマを厳選する。線の太いものを。
微妙でいわく言い難い、とか、あまりに状況が複雑で言語化が難しい、という生徒にとって手にあまるテーマでなく、しっかりと正対できる、言葉で扱っていけることについて話し合う。一例としては、短い文章の副題をどうつけるか、などが選ばれた。
②一人一人が、「これはぜひ発言したい」と思うような材料を持って臨むための、下準備の時間を持つ。
「みんなが話したいことを心から持つということ、これが、私は話し合いをするときの第一歩だと思います」。そのために、大村は汗をかいて個別に子どもたちの準備を手伝った。特に、力の弱い子どもにはよい材料に出会わせようとした。そしてこれが、直接的には「誰もバカにしない」教室、メンバー間の敬意に結びついた。
2・台本型てびきの用意
このテーマと材料、このメンバーで話し合うなら、どういう話し合いが「よい話し合い」か。その型を「台本型てびき」で示した。この台本型てびきは、生徒の成長やテーマの内容に即して、かなり具体的なところまで示したものもあれば、大枠の提示だけ、目のつけどころの提示、意見の出し方、添え方、司会のすべき仕事のヒントなど、話し合いを実らせる契機を多様なスタイルで示したものもある。
3・話し合いを一刻一刻、本気で支える。
材料を整え、台本型てびきでシミュレーションをしたうえで、話し合いを始める。実際に始まると、指導者としての大村は、
①黒子のようになって司会者を助けながらリードする。
司会は非常に難しい仕事だという認識があった。ただの指名、進行役ではない。話し合いを実らせる重要な立場である。
②「優秀な転校生」という立場で話し合いの一員になり、さすがという発言をする。
大村は、すばやく移動して生徒に混じった位置から「はい」と手を挙げ、行き詰った話し合いに活路を開いてみせたり、出てしかるべき質問を実際に出してみせたりした。そういう時、司会者は、参加者の一人として「大村さん」と指名することになっていた。
③必要と見極めれば、即座に「大村先生」に立ち戻って話し合いをいったん止める。
話し合いのその瞬間瞬間に大事なこと、押さえておくべきことを明示することもあった。そういう時こそ、「なまなましく」大事なことを教えることができた。そういう時に、深く納得できることばの力の伝授が非常に具体的に行われたのだ。
4・話し合いは録音を残し、すべて文字化することも多かった。
それが大村自身の勉強になり、時には学習の材料にもなっていった。
大村学級での話し合いの記録
それでは、残っている記録から、大村教室の生徒たちの話し合いの姿を見てみよう。
実はこれは国語の授業ではなく、大村が担任するクラスの学級活動の時間の話し合いだ。日直がつけることになっている学級日誌の「記事」欄が、何を書いたらいいかわからないし、実際に貧弱な内容のものが多い、といういかにも大村教室の生徒らしい問題意識から発した話し合いなのだという。
大村学級の話し合い――『学級日誌の「記事」欄に何を書くか』
司会 では、今日は学級日誌の「記事」の欄にどういうことを書いたらいいかについて話し合いましょう。どうぞ意見を出してください。
一同 ……。(ちょっと考えが出そうもない。そこで―)
大村 (挙手)はい
* ”大村“が転校生として加わった例である。
司会 大村さん、どうぞ。
大村 進行についてなんですが、ちょっと意見が出しにくいようなので、自分はどんなつもりで書いているか、ありのままに発表しあってみてはどうでしょうか。
司会 そうですね。どうですか、とにかく、みんな書いているのですから、実際どうか発表しあいましょうか。
一同 (うなずく。そうね、はい、そうしましょう、などと言う)
司会 Aさん、どうでしょう。
A わたしはクラスの出来事を書くというようなつもりでいます。
B わたしも出来事だろうと思います。
C はい。(挙手)
司会 どうぞ。
C 出来事というほど、大きなことではないのではありませんか。
A ええ、そうです。出来事というと、ちょっと、やはり大きな「事」の感じですね。
司会 Dさん、どうぞ。
D 平凡な出来事、ですね。平凡な出来事―ことばがおかしいけれど。
E 大きい「小さいこと」というみたいですね。
D なんて言ったらいいかな。平凡なことなんだけれど、―やっぱり……。
大村 (挙手)
司会 大村さん、どうぞ。
大村 平凡なことのようだけれど、クラスとしては、やはり書いておく意味のあること。
D そう、そうです。
先生 「意味のあること」ってわかりますか。わからなかったら質問しなさい。Bさん、質問してみなさい。
*直前までは転校生だった「大村さん」が、ここでははっきりと大村先生として割って入っている。「書いておく意味のあること」という、抽象的で、正しそうな、みんなが容易に丸のみしそうなことばをそのままにせず、わからないときは質問する、これを大村はこのように即座に止めて、示した。
こういう指導こそが、なかなか行われていないのだろう。大村は、ことばを教えるときの呼吸を「なまなましく」と表現することがよくあったが、この「わからなかったら、質問しなさい」などは、その好例と言えそうだ。
B 意味のある、ってどういうことですか。
司会 どういうことでしょう。
先生 (小声で司会者に)発言した人に聞いたら。
*こういう質問は発言者に戻せばいい、それを司会者に教えるところまでが、先生としての大村のことばだ。
司会 大村さん、どういう意味でしょう。
大村 書いてあると、何か、そのクラスの、その日の生活とか、クラスの人の気持ちなりがわかるようなこと、の意味です。
*ここで、「意味がある」という表現の辞書的語義を言っているのではなく、ことばの内実を言っている。それも大村はま的だろう。
先生 さて、だいたいわかったのですけれど、ちょっとはっきりつかめないというところですね。このままでは、やはり日誌の記事のところ、書きにくいでしょうね。ここをもう一歩進めてほんとうに今日の話し合いをかいのあるものにするのに、今、いいことが言えるのですが、どなたか、発言、思いつきませんか。
*「どういうつもりで書いているか」というやり取りを一応終えて、この先、どう進めていけばこの話がより具体的な実りに向かうか。それを提示することは生徒には荷が重かったろう。そこで大村がこのようにヒントを出している。
E あの、ちがっているかもしれないけれど、……例を出してもらう……
先生 そうそう、それから?
C 日誌を見たら、どんなことが書いてあるか、読みながら考える……。(後略)
この小さな話し合いの着実な歩み方は、大村が育てたものだと言える。とても大村教室的なやりとりだ。特に、「記事」欄をどういうつもりで書いているかという問いに対して、
・クラスの出来事
・出来事というほど、大きなことではないのではありませんか
・出来事というと、ちょっと、やはり大きな「事」の感じ
・平凡な出来事、ですね。平凡な出来事―ことばがおかしいけれど
・大きい「小さいこと」というみたい
・なんて言ったらいいかな。平凡なことなんだけれど、―やっぱり……
このようにして、一つのことを皆で見合い、ことばに置きかえ置きかえ、考えを進めていくことこそ、大村が教室で日々育てた態度だった。ことばを支点に、考えを進める、あくまでことばに注目する。こういう話し合いは、たとえ途中で否定が入っても、誰も傷つくことにならなかった。ことばに着目することの価値の前では、さまざまな判断も批評も否定もあって当然のことだったからだ。こうやって、ことばは鍛えられ、話し合うことのよさも安心の中で味わえたのだ。
最後に大村が挙手して「平凡なことのようだけれど、クラスとしては、やはり書いておく意味のあること。」というまとめ方をしてみせたこと。それを、ただすんなりと良い発言として飲み込ませるのではなく、「意味のある、とはどういうことですか?」と質問することを促したこと。そして発言者本人としてそれに具体的に答えてみせたこと。
これが学活の時間だったとは思えないほど、ここには話し合うということを育てる教師がいて、またことばをしっかりと使える子どもたちがいたことがわかる。

読書会での話し合いの「てびき」
上の例が、実際の話し合いを一刻一刻、丁寧に支え教える教師の姿を示すものであるのに対し、次に示すのは、話し合いが始まる前に大村がどれほどリアルに丁寧に準備しようとしていたかという実例だ。井上靖『あすなろ物語』の読書会の台本型てびきである。
読書会というのは、話し合いとしてはとりわけ難易度の高いもので、大村も非常に慎重だった。用意したてびきが、型というよりは完全にシナリオのようになっているのも、文学作品を読んでこれだけの話し合いをすることの難しさを踏まえているからだ。けれども、注意深く読めば、そうか、こういう発言ならできる、こういう目の付け方をすればいいのか、自分ならここでこう言いたい、と発想が開かれていく。大人にとっても興味深いてびきだ。
ある読書会のてびき――「あすなろ物語」を読む
〇では始めます。まず――さんに読んでいただくことにします。――さん、10ページの切れ目のところまでお願いします。
(読む)
〇――さん、どうもありがとうございました。さあ、何から話し合いましょうか。ちょっと気がついたことから出し合っていきたいと思います。
57 私から話し出していいですか。
〇どうぞ
57 この書き出し、突然な感じで、何かな?と思わせられる感じで、1行目から、ぐうっと惹かれてしまうでしょう?
1 ほんとうにそうです。土蔵の中? ふたりきり? おとうさんやおかあさんはいないのかな? 冴子? どういう関係の人? というぐあいに、なんか質問が心にいっぱい出てきます。
6 それだけ、書き出しで人を惹きつけてしまうということですね。
42 どうしても、読み続けていってしまうと思います。
25 主人公の名前を、ぱっと一番先に出してある、というのが、ぼくはなんだか、いいこと、という気がします。
〇書き出しは、ずいぶん評判がいいということですね。いつも作文で、大村先生から、書き出し、書き出しって言われているせいか、書き出しに、すぐ目が付いたのだと思います。
51 遠くのほうから、えっちらおっちら書かないで、ずばりと書き出しなさいって、私なんかよく言われるんですが、これがその、ずばりと書くの手本のようです。
2 別のことに移っていいですか?
〇はい、どうぞ (略)
3 かんばしくないうわさというと、どんなのでしょう。だいたいはわかるのですけれど。
1 8ページの終わりから6行目にも、「かんばしくない評判」ということばが出ていますね。
12 そのページの終わりから3行目のところにある、「彼女のうわさの性質からすると、彼女はどうしても美貌でなければならなぬようであった」というところから、そのかんばしくないうわさというのが、わかるような気がします。
43 どういうことがわかるんですか?
12 おしゃれだとか……。
4 男の子と仲良くし過ぎるとか、そういうことだと思います。
7 さっきの(12番)さんが取り出してくれたところは、このうわさを考える、……うわさを考える、はおかしい言い方ですが、この「かんばしくないうわさ」を考えるのに、たいそう大事なところだと思います。つまり、悪いうわさといっても、なまけ者だとか、何か盗んだとかいうのではなくて、男の子との関係についてのうわさだということが、あそこからよくわかりますから。
(略)
15 8ページの2行目から6行目あたりのところ、この少女を見たいような、見たくないような気持ちがよく出ていると思います。
14 見たくない。というより、やっぱり見たい一方ではないかな。
48 見たいけれど、見つかりたくない、恥ずかしいようで。
〇そういったような気持ちがほんとうによく出ています。……
24 このハーモニカを吹いて歩いていくところ、いわゆるハイカラだったわけですね。
26 そう、今のことばでいえば、カッコイイところですね。
19 そして少しキザで、気取りやさんの感じ。
56 なんか、人目につくような、派手といった感じを出しています。
49 そういう冴子を、鮎太が、あこがれるような気持ちで、じっと見ていたことがわかります。ようすがこまかく書けていますから。
21 どこのところですか?
……
発言者の番号は1~27は男子、41以降は女子
『全集第8巻』より 昭和43年 2年生1,2月
これらの発言は、大村が頭の中で、あの子、この子、と想定しながら書いている。その結果、実際の子どもたちから遊離した、手の届かないような発言にはなっていない。生徒たちの言語生活や関心に即していて、この子ならこういうことが言えるはず、言えるようであってほしい、気づいていないだろうが言える力はほぼ持っているはず、この際、この目の付け方を身に付けなさい、そういう見込みや願いとともに書かれている。あくまでことばに注目することで、話し合いを前進させるエネルギーを生もうとする集団を、普段から大村はまはこつこつと築き上げてきた。
こんなふうに文学作品を囲んで小さな話し合いができたら、誰が誰に一方的に何かを教えるとか、どの意見が勝つとか、うまく合意形成に成功するとか、そういうレベルではない何かが見えるのではないか。「はつらつと動かされている頭というのが、話し合っている内容以上に、じつに意外なことを自分自身に悟らせる」そのとてもリアルな様が見て取れるのではないだろうか。そして、それぞれが、そういう小さな自己開発の瞬間を迎えることで、少し進んだ、少し高まった新しい視点でさらに話し合うことができるようになる。そういう手ごたえに導く道標がここには示されている。
結局、大村教室では、慎重にこのような試みを重ねることで、人と人とが話し合う手ごたえを得、話し合うことを軽蔑しない、自分にできる貢献を探し、人の貢献を尊重し、話し合うことを容易にあきらめない、そういう子どもたちが、育ったのだと思う。
大村はま教室育ちの生徒は52年間でせいぜい5000人ほどだ。話し合うことにこれだけの意識をもった人が社会のあちこちに5000人いる、ということになる。それが、国語教師大村はまが社会に残した遺産と言えるかもしれない。
これで大村はまの国語教室を伝える一連の試みも終わりとなる。
先月の第11回にも書いたように、生成AIが出現したことで言語生活には大きな変化が訪れている。社会の多くの難問を前に、そもそも基盤として私たちはどんなことばの力を持つべきか。ことばを、頼りになる杖のようにも、支点のようにも、また羅針盤のようにも使って、人と人が深く話し合うことの意味、そこで何が期待できるか、それがどんな実りに結びつくか。そうしたことを、大村はまの仕事を通して再考することは今だからこそ大事なのではないだろうか。

<大村はま略歴>
おおむら・はま。1906(明治39)年横浜市生まれ。東京女子大学卒業後、長野県諏訪市の諏訪高等女学校に赴任。その後、東京府立第八高等女学校へと転任。すぐれた生徒たちを育てるが、戦中、慰問袋や千人針を指導、学校が工場になる事態まで経験する。
敗戦後、新制中学校への転任を決め、後に国語単元学習と呼ばれるようになった実践を展開。古新聞の記事を切り抜いて、その一枚一枚に生徒への課題や誘いのことばを書き込み、100枚ほども用意し、駆け回る生徒を羽交い締めにして捕まえては、一枚ずつ渡していったと言う。1979(昭和54)年に教職を去るまで、単元計画をたて、ふさわしい教材を用意し、こどもの目をはっと開かせる「てびき」を用意して、ひたすらに教えつづけた。退職後も、90歳を超えるまで、新しい単元を創りつづけ、教える人は、常に学ぶ人でなければならない、ということを自ら貫いた。著書多数。
2005年、98歳10ヶ月で他界。その前日まで推敲を進めていた詩に、「優劣のかなたに」がある。
<筆者略歴>
かりや・なつこ。1956年東京生まれ。大田区立石川台中学校で、単元学習で知られる国語教師・大村はまに学ぶ。大村の晩年には傍らでその仕事を手伝い、その没後も、大村はま記念国語教育の会理事長・事務局長として、大村はまの仕事に学び、継承しようとする活動に携わっている。東京大学国文科卒。生きものと人の暮らしを描くノンフィクション作家でもある。
主な著書に『評伝大村はま』(小学館)『大村はま 優劣のかなたに』『ことばの教育を問い直す』(鳥飼玖美子、苅谷剛彦との共著)『フクロウが来た』(筑摩書房)『タカシ 大丈夫な猫』(岩波書房)等。

ロングセラー決定版!
灯し続けることば
著/大村はま
「国語教育の神様」とまで言われた国語教師・大村はまの著作・執筆から選びだした珠玉のことば52本と、その周辺。自らを律しつつ、人を育てることに人生を賭けてきた大村はまの神髄がここに凝縮されています。子どもにかかわるすべての大人、仕事に携わるすべての職業人に、折に触れてページを開いて読んでほしい一冊です。(新書版/164頁)
大村はま先生の貴重な講演動画!「忘れ得ぬことば」大村はま先生 白寿記念講演会 5つのことばがつむぎ出す、国語教育の源泉【FAJE教育ビデオライブラリー】〈動画約60分〉がこちらでご覧いただけます。
