昭和100年…覚悟の年 ~「二項対立」と「とはいえ…」を乗り越えて~【連載|管理職を楽しもう #12】
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前例踏襲や同調圧力が大嫌いな個性派パイセン、元小樽市立朝里中学校校長の森万喜子先生に管理職の楽しみ方を教えていただくこの連載。いま管理職の先生も、今後目指すかもしれない先生も、自分だったらどんなふうに「理想の学校」をつくるのか、想像しながら読んでみてくださいね。 第12回は、<昭和100年…覚悟の年~「二項対立」と「とはいえ…」を乗り越えて~>です。
執筆/元小樽市立朝里中学校校長・森 万喜子
目次
新年が明けました。
皆さん、穏やかに新年を迎えられたでしょうか。昨年、2024年は、元日から能登半島を中心とした震災が起き、翌日は羽田での航空機事故、世界でも戦争や紛争、自然災害が起き、特に子どもや若い人が被害に遭う事件や事故など、心が痛む思いが多くありました。
令和7年は十干十二支(じっかんじゅうにし)という古来の暦法で「乙巳(きのとみ)」とされ、これまでの努力や準備が実を結び始める時期を示しているそうです。巳(み)は蛇ですが、神聖な生き物。たくましい生命力をもち、脱皮で再生を繰り返し金運上昇の縁起物とされています。新しい時代に、それぞれのペースで前進していく変化の年と期待されているようです。歴史上でも、大化の改新、壇ノ浦の戦い、東京オリンピック翌年の経済成長など、大きな変化の年であることが多かったようです。そう考えると、今年1年をどうするか、ぼんやりしてはいられませんね。
教育の振り子はなぜ大きく振れるの?
また、今年2025年は昭和でいうとちょうど100年。自分が生まれ育った時代が、若い人たちからすると大昔になっていることに驚きつつ、世の中が変わったことは肌感覚で、実によく分かるのです。自分が小学生のときはSFの世界だったものが、実生活に当たり前のように存在しています。でも、生活は便利になったけど、生きやすくなったとは言えないみたいで、不登校児童生徒数が34万人を突破しました。もう、過去の価値観の学校のままでは、もたない。だけど、学校というところは、なかなか変われないのが悩ましい。変えることがこれまで積み上げてきた学校文化を否定することになるから不安だという人がいます。変えて失敗したらどうしよう、という恐れもある。だけど、魔法の杖も特効薬もないのなら、丁寧に議論し、仕組みを考え、やってみるしかないんです。
一歩踏み出すと新しい学びの世界と可能性が広がるはずなのに、なぜか変えてみて課題が見えると、その課題を解決するために試行錯誤するよりは、以前のやり方や考え方に戻そうとする力が働きやすくなっているように感じます。
デジタルかアナログか、子どもたちに委ねるのか、教師主導で教えるのか、個別か集団か、とかくAかBかの二項対立に議論が落とし込まれることが多くなりがちですが、もうそんなことに解決策を見いだすことは難しいということに、誰もが気づいているはずです。大きく振れる振り子の下で、戸惑うのは子どもたち。どちらかしか選べない時代じゃない。子どもたちの前にはたくさんの選択肢と、自己決定と失敗が許される寛容さを用意したいのです。
空気を読まずに、「原典」を読もう
2024年12月25日に「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について」の諮問がなされました。これによって、次の学習指導要領改訂についての検討がスタートすることになりました。皆さんはお読みになりましたか。コンパクトではありながら、これからの初等中等教育において考えるべき内容が幅広に言及されています。私たち教育に関わる者たちは日々マスターピース、原典を読み、本質に触れて自分の頭で考えておかなければならないのです。ところが、その部分をスキップして、メディアや個々人が読み手の感情を揺さぶるような見出しや言葉で、かなり意訳したフレーズだけがWeb上を漂い、繰り返し繰り返し立ち現れるようになります。これは、教育に関することだけではなく、日常の出来事、政治や選挙など様々な場面でフィルターバブルやエコーチェンバーにさらされていないでしょうか。大人たちの読解力や知見が、ちょっと心配になるくらい、不安や怒りを煽るような表現がSNSなどのWeb上に出現していることに困惑します。少しだけ落ち着いて読む、考える、身近な人たちと話し合う、自分たちの学校では何を大事にして、どんな力を培っていきたいかなど、未来志向の話をする時間を作るって大事。
でも、こんな話をすると「そんな時間はない!」という声も聞こえます。そう、「木こりのジレンマ」ってやつです。
汗だくになって一生懸命木を切っている木こりがいる。そばを通った人が見ると木こりの手にした斧は刃こぼれして錆びてボロボロだ。
「木を切るのをちょっとやめて、斧を研いだほうがいいよ。そのほうが効率よく木を切れるんじゃない?」
「ふん、そんなことは分かっているさ。だけどね、忙しすぎてそんな暇、ないのさ。」
という寓話です。
学校で働いている大人は、「木こり率」が高いように感じます。学校の教育課程にしても、授業の時間についても、教科書や資料をどのように活用してどんな力をつけようかと、学校の中で時間を取って話し合って決めていってはどうでしょう。学校の裁量は結構大きいということは、皆さんもご存知のはず。
「とはいえ……」を乗り越えて
新しい考え、新しい取組に心が動いても「とはいっても、うちの学校じゃ無理」とか「とはいえ、予算がない、人もいないから」などと口を突いて出がちな「とはいえ」。
本当に打ち手はもうないのかな、万策尽きてしまった? もしかして、空気読んじゃっていませんか、あきらめたらそこで試合終了、らしいよ。教育を学校だけで抱えて悲観しているなら、木こりと同じ。リソースは学校の外にもあります。教育は、人育ては「みんなで」社会総がかりでやらなくちゃ。だからヨコやナナメ展開でつながって、同志よ、ともに汗をかいて脱皮する年にしようよ。
<プロフィール>
森 万喜子(もり・まきこ) 北海道生まれ。北海道教育大学特別教科教員養成課程卒業後、千葉県千葉市、北海道小樽市で美術教員として中学校で勤務。教頭職を7年務めた後、2校で校長を務め、2023年3月に定年退職。前例踏襲や同調圧力が大嫌いで、校長時代は「こっちのやり方のほうがいいんじゃない?」と思いついたら、後先かまわず突き進み、学校改革を進めた。「ブルドーザーまきこ」との異名をもつ。校長就任後、兵庫教育大学教職大学院教育政策リーダーコース修了。現在は、執筆活動や全国での講演の他、文部科学省学校DX戦略アドバイザー(2023~)、文部科学省CSマイスター(2024~)、青森県教育改革有識者会議副議長として活躍中。単著に「『子どもが主語』の学校へようこそ!」(教育開発研究所)がある。