提言|住田昌治 校長がすべきこと、すべきでないことは? 【緊急検証! 教員のなり手不足問題、私はこう考える! #6】

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緊急検証! 教員のなり手不足問題、私はこう考える!
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教員のなり手不足問題は深刻であり、日本の学校にとってその解決が目下の急務です。現在、文部科学省が進めている働き方改革や給特法に関する議論は確かに重要ではありますが、果たしてそれだけで解決となるでしょうか。教育関係者がその他にできること、するべきことは何かを考える7回シリーズの第6回目です。今回は、校長がすべきこと、すべきでないことに注目します。横浜市での副校長、校長時代に、元気な学校づくりを行ってきたことで知られる住田昌治さんに話を聞きました。

住田昌治(すみた・まさはる)
1958年京都生まれ、島根育ち。玉川大学卒業後、横浜市の小学校に7校42年勤務し、その間、副校長を3年、校長を12年勤める。2022年度より現職。副校長、校長時代にユネスコスクール、ESDに取り組み、元気な学校づくりで注目されるようになり、「カラフルな学校づくり」(学文社、2019)出版後は、全国から講演依頼や原稿執筆依頼が相次ぎ、型破りな校長として全国を飛び回る日々を送る。著書に「『任せる』マネジメント」(学陽書房、2021)、「若手が育つ指示ゼロ学校づくり」(明治図書出版、2022)、「できるミドルリーダーの育て方」(学陽書房、2022)、「校長先生、幸せですか?」(教育開発研究所、2023)などがある。

本企画の記事一覧です(週1回更新、全7回予定)
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 提言|住田昌治 校長がすべきこと、すべきでないことは?(本記事)

残念な校長にありがちなことは?

教員のなり手不足問題の原因の一つとして、校長の存在があります。多くの校長先生はやるべきことをやっておられますが、一部の残念な校長先生がブラックな学校をつくり、ブラックを広めているからです。

先日、管理職向けのセミナーで参加者から質問を募ったところ、「私にはやりたいことがあるのに、教職員が動いてくれないのです。どうすればいいでしょう?」という質問が来ました。

この校長先生のやりたいことが何かはわかりませんが、少なくとも教職員から賛同を得られないことを進めようとしているわけです。

校長がやりたいことを始めると、教職員はそれに巻き込まれます。ただでさえ忙しいのに、やりたくなくてもやらざるを得ない状況になるのです。口では「働き方改革を進める」といいながら、その一方で、「やらされ感」のある仕事を増やしている校長もいます。

例えば、教科等で活躍した校長で、その教科等の研究会の会長になったような人は、自分の学校を、その教科等の研究校にしてしまうのです。そうすると、その教科等の授業がしっかりできない教員は許せないわけです。「○○科の授業はそんなもんじゃない。もっと教材研究をしてこい」と徹底的に鍛えます。それにより、確かに○○科の指導技術は身に付くかもしれませんが、その学校のすべての教員が、○○科の専門家になりたいわけではありません。しかし、○○科の授業がうまくできる教員が高く評価され、○○科の授業に一生懸命取り組む教員が可愛がられますから、教員たちも忖度して取り組みます。そうやって、○○科の研究発表会をするために1年間を過ごし、研究発表会の参加者が何人だったかがその校長の評価になります。要するに、○○科の授業がよくできる教員、○○科がよくできる子どもが育つ学校になっていれば、その校長は満足なのです。

ここで考えてみてほしいのは、校長は何をする人なのか、ということです。少なくとも、自分のやりたいことをやるのが校長の仕事ではありません。学校には学校教育目標があります。その目標を達成するために、教職員みんなで力を合わせて教育活動を行えるように、マネジメントをするのが校長の役目です。その際に、学校に教職員が何十人かいたら、その一人一人に自分のやりたいことがあるはずですから、それらを引き出し、やりたいことが実現できるように後押ししていく必要があります。

それから、教職員が育つようにすることも校長の役目です。何かあるたびに「どうすればいいんですか」と、いちいち校長に聞きにくる教職員ではなく、自分で考えて、動けるような教職員に育つような環境を作らなければなりません。

厳しいことをいうようですが、校長になったら、自分が研究してきたことは手放さなければいけないと思います。そういう心構えや覚悟を持って校長にならないと、教職員を疲弊させ、「校長自身のための学校」をつくってしまう可能性があるからです。

では、校長の幸せは何かといったら、子どもが育つことです。それと同時に、教職員が育ち、校長がいなくても教職員たちだけで学校づくりができるようになることが、校長としての自分の成果なのだと、発想の転換を図る必要があります。

校長がすべきことは、心理的安全性のある組織づくり

教員のなり手不足の原因として、「学校はブラックな職場」というイメージもあります。そのイメージを変えるために、校長がすべきことは、心理的安全性のある組織づくりです。みんなが安心してものが言えて、自分のやりたいことができ、自分らしさを発揮できる、そういう学校づくりを進めていくのです。

そのためには、教職員が話しやすくなるように、校長はファシリテーション能力を身に付ける必要があります。教職員の意見を丁寧に聞き、拾い上げていくことを通して、教職員が自分たちの学校を自分たちで作っていく、そういう当事者意識を持って学校づくりに参画していくことが重要なのです。それにより、風通しがいい学校、自分たちの働きやすい学校になっていきます。教職員自身が自走して、自分たちでどんどん動くことによって学校が活性化していきますから、ブラックではなくて、お互いの個性を認め合うカラフルな学校になっていくわけです。

国が今まで求めてきたのは、働き方改革などを「校長の強いリーダーシップで実現する」ことでした。そうやって校長の権限を強めていった結果、教職員の意見を全然聞かないで強引に学校改革を進めたり、怒鳴ったり、機嫌を悪くしたり、パワハラをしたりする校長が出てきたわけです。

なぜこうなったのかというと、国はリーダーシップを学んでいない人たちに、「 リーダーシップを発揮しろ」と言ってしまったからではないでしょうか。「やらなければならない」と強く感じた校長の中には、権限が強くなったことで、単純に命令して「やらせる」方向へと進んでしまった人もいるのだと思います。例えば、先述の自分のやりたいことをやる校長たちは、教科の指導力はありますが、リーダーシップやマネジメント力、ファシリテーション能力には関心が薄いのかもしれません。

国も「強いリーダーシップで」と言っているだけでは、学校経営や「働き方改革」などがうまくいかないことに気づき、管理職にはマネジメントや、ファシリテーション能力・アセスメント能力などが必要だと、2022年あたりから言い始めています。いまさらという気もしますが、これから幸せな校長を量産していくためには、校長がリーダーシップのあり方や、マネジメントやファシリテーション能力・アセスメント能力などを学べる機会をつくる必要があると思います。

「働き方改革」を成功に導くキーワードは主体性

学校では「働き方改革」に何十年も取り組んできたのに、いまだにうまくいかないのは、主体性がないからだと思います。教職員が自分たちで主体的に行わない限りは、うまくいかないし、続かないということです。ですから、国が制度を作ってくれるのを待ち、それに従っても、うまくいかないと思います。そもそも人が決めたことを「やらされる」のは、みんな嫌いなはずです。基本的には、自分がやりたいことをやれるのが一番幸せです。働き方に関しても、自分たちはどういう働き方をすると一番幸せなのかを、自分たちで考え、話し合い、選んだり決めたりすることが重要だと思います。

どの業務を見直すのかは、各学校が決めればいいことです。例えば、登下校の見守りは、地方にある学校と、都会にある学校では事情が違います。道路の交通量や通学方法が違いますし、学校によっては門がなくてどこからでも入れて、警備員さんがいないところもあります。もしも全国一律に「こうしなさい」と決められたら大変なことになります。国が決めたことはあくまでも参考にする程度で、どうするかは自分たちで考えて決める必要があります。

ただし、「働き方改革」は単に、どの仕事をやめるかを決めれば済む問題ではありません。教職員がみんなで集まって多様な働き方について対話する時間を作る必要があります。

ある程度、職員室の心理的安全性が確保できて、みんなが気軽に話せるようになった段階で、理想の1日をデザインするワークショップを行うといいと思います。自分はどんな1日を過ごしたいかを円グラフに書いて、お互いに見せ合い、理由を説明するのです。なぜこれが必要なのかというと、同じ職場で働いていても、他の人のプライベートの事情を知らないからです。「なぜあの人は早く帰るのか」、「なぜあの人はよく休むのか」、反対に、「なぜあの人は遅くまで学校にいるのか」、その理由がわかっていれば、違いを理解でき、納得できるはずです(ただし、プライベートの問題ですので無理強いはしません)。

例えば、授業研究を一生懸命やりたくて、夜遅くまで仕事をしたい人は、そのことを説明すればいいのです。反対に、子育てや介護、または習い事があるなど、学校の仕事以外にやりたいことがあるのなら、「これがやりたいんだ」とみんなの前で話せばいいのです。そうやってみんなが自分の考えをオープンにすることが大切です。

人は働くために働いているのではなく、幸せな生活を送るために働いています。どんな働き方をするのかは、自分で決めればいいのです。そして、学校にはいろいろな働き方があってよい、という考え方を共有し、自分で決めたことを、みんなが認める組織風土をつくることが重要です。例えば、「あの人は○曜日は遅くまで働いているけど、今、それをやることがあの人の幸せなんだね」、「あの人は早く帰って、家族と過ごす時間を大切にしているね」、「あの人は、普段定時に帰るけど、土曜日の午前中に働いているね」、「それでいいよね」と思えるようになればいいと思います。

早く帰る人に対して「あの人はずるいよね」と思ってしまうのは、自分と他の人との境界線が曖昧だからです。最初から「自分とこの人は違う」と思っていれば、それほど頭に来ないものです。だからこそ、ワークショップなどを行って、違いを知り、お互いを認め合う必要があります。

特に、それが必要なのは、校長です。「自分が若かったときは、遅くまで働いたのに、なぜ今の若い人たちは働かないんだ」と校長が思っているとすれば、「働き方改革」はうまくいかないでしょう。「もっと部活をしっかりやれよ」、「もっと仕事をしろよ」と、多くの校長は本音では思っているようです。だからこそ、みんなでフラットに話し合う必要があります。校長は自分の考えを率直に伝え、若い教職員から「私たちはそう思わない」と指摘されたときに、「そうか、今の人たちは違うんだな」と思えればいいのです。違いに気付いて、若い教職員の考えを認めることが重要です。

根本的な解決のためには何をすべきなのか

教員のなり手不足問題に対して、国も自治体もいろいろな手を打とうとしていますが、それだけでは根本的な解決にはならないでしょう。結局、教員にとって時間的にも精神的にも大変になるのが、保護者対応だからです。

若い教員が辞めていく理由としては、授業がうまくできないことよりも、保護者対応がうまくできないことのほうが深刻だと思います。例えば、子どもが問題を起こしたとき、担任の対応のしかたが納得できないと保護者から激しく責められ、精神的に参ってしまうのです。

教員だけではなく、多くの校長も対応に苦慮しています。例えば、「本校はこの方針でやります」などと校長が決断すれば、「他の学校はこうやっているのに、なぜやらないんですか」、「もしもこういうことが起きたら、どう責任をとるんですか」などの意見が保護者から来て、その対応に校長が追われることになります。

その大変さがあるから、校長は学校独自でいろいろなことを決めていく気にはなれないのでしょう。国が決めてくれるのを待ったり、いちいち教育委員会にお伺いを立てたりしてお墨付きを求めたくなる気持ち、近隣の学校と横並びにしたくなる気持ちは理解できます。

教職員でも、教務主任でも教頭でも手に負えなくて、校長が常に保護者のクレームや要求への対応を行っている学校もあります。そのような学校では、校長が疲弊してしまうのです。

そうすると何が起きるかというと、いろいろなことの決済が遅れ、学校全体の業務の遅れが目立つようになります。あらゆることの反応が鈍くなり、停滞していくのです。活性化の逆で、学校がどんどん、 どんよりした雰囲気になり、教職員の元気もなくなっていきます。学校の元気がなくなっていくのは、校長先生の対応疲れもあるのです。

この状況を変えるには、二つの方法があります。一つ目は教職員の仕事の価値をもっと上げることです。今は教職員の価値が低くなりすぎていると感じます。ここから価値を上げていくための特効薬はありません。まずは今の時代の教職員に求められるものは何かについて、みんなで議論する必要があります。それを明らかにしたうえで、今の時代が求める教職員が育つ取組をしていくのです。

二つ目は、学校と家庭と地域の協力の下で教育を強化していく、という考え方をみんなで共有することです。保護者と学校は本来、敵対する関係ではなく、子どもたちの未来や幸せのために一緒にできることをする、という目的は一致しているのですから、そのために協力していく姿勢を持ち続けたいと思います。具体的な対策としては、PTAや学校運営協議会などの中で、大人たちがビジョンを共有し、一致団結して教育をしていく体制を作っていくことが、必要なのかなという気がします。

それから、PTA活動の活性化も必要だと思います。PTAですから、PとT、つまり、保護者と教職員が一緒に、子どもたちの健全な成長を見守っていく、本来はそういう組織なわけです。しかし、いつのまにかPTAの中のP(保護者)が、学校のお手伝いのようになってしまっている学校が多いようです。お手伝いだけなら、いらないと思います。そうではなく、活動そのものをもう一度見直して、子どもが幸せになるために、どういう教育をしていけばいいのかを保護者と学校が一緒に考える組織にするといいと思います。

例えば、学校に対する意見や要望ではなく、理不尽な要求をする人たちで、学校が疲弊することがないよう、PTAが窓口として相談を受け付けることにします。PTAは「どうやったらみんなが幸せになるか」といった視点に立ち、問題によっては教職員と保護者が話し合って解決する機会をつくります。それをPTAの主たる活動にしたらどうでしょう? 場合によっては地域の方、児童生徒も参加して話し合って解決策を考えてもいいかもしれません。

 教育や学校、教職員の社会的価値を上げるためにも、教職員と保護者が、健全な関係性の中で、子どもが育つように共に考えていく必要があります。それには、保護者と教職員が、フラットに話し合える場をつくることが大切です。

教員のなり手不足の問題は、個々の学校の問題というよりも、教育界全体、日本全体、日本と世界の未来の問題です。今、学校で働いている教員が「教員って、すごく魅力的な仕事だから、若い人はどんどん、教員になった方がいいよ」と言えるような学校にならないと、次の世代の人たちは教員を目指さないと思うのです。

このようなインナーブランディングが大事だとすると、PTAの存在意義を明確にし、在り方を見直し、活性化させることは、決して間違った道ではないと思います。

取材・文/林 孝美

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